#52/1336 短編
★タイトル (FJM ) 93/ 6/ 7 23: 6 (158)
お題>僕は君だけは許せない リーベルG
★内容
2つの死体が転がっているのは、それほど広くない1LDKのリビングだった。
刑事は、うんざりしたような視線を部屋中にさまよわせた。刑事の知らない複製画。
2つの死体が生きていたときに並んで写っている写真。テニスのラケット。ペアの
ワイングラス。いくつかのヌイグルミ。ワープロ。もはや、持ち主が見る事も使う
事もない、主を失った品物たち……
「終わりました。運び出して結構です」鑑識の男が白い手袋を外しながら、刑事
に言った。
「ご苦労さん。で、死因は?」
「見てのとおり、片方は包丁で心臓を一突き。多分即死だったでしょう。刺した
のはもう一人の方で、自分の胸を刺して自殺。刺した方がこの部屋の住人です。死
亡推定時刻は、だいたい7時間から10時間前」鑑識の男は要約して、最後に付け
加えた。「ケンカですかね?」
それには返事をしないで、刑事は死体を運び出すように身振りで命じた。何人か
の白衣の男達が、担架を広げて、2つの死体をその上に移動させる作業を始めた。
それを横目で見ながら、刑事は再び室内を見回した。
視線がある一点で停止する。刑事はそれを取り上げた。
DIARY
合成皮革の表紙にはシンプルな飾り文字でそう刻まれていた。刑事は、それを開
いて、薄い手袋をはめた手で苦労しながら、ページをパラパラとめくった。どのペ
ージも繊細な文字でぎっしりと埋まっている。まめな性格だったらしく、刑事の見
た限りでは1日たりとも、ペンを走らせなかった日はないようだった。
刑事の手が止まった。ある部分からページが真っ白になっている。刑事はページ
を戻して、持ち主が最後に記述した部分を見つけ出すと、日付を見た。前日の日付
----事件があった日である。
刑事はキッチンのテーブルに座ると、死者のプライバシーを侵害しはじめた。
○月○日 土曜日 曇り
いろいろ考えたが、やはり僕はあきらめられない。それ以上に信じられない。
僕は決心した。今日、君がここに来る。そのとき、最後のチャンスを君に、----
そして僕自身にも----与えることにしよう。
もう一度、考え直せないか?
僕は今でも憶えている。初めて君に出会った時を。そう、あれは会社の忘年会の
後だった。
入社1年目の君は、上司の酒が断れなくて強くもないのに飲み過ぎた。同僚が2
次会やカラオケに流れていった後も、道端でうずくまっていた。
君に声をかけたのが僕だったのは、特に意味があったわけじゃない。君の仕事の
直接の先輩が、たまたま僕だっただけのことだった。単なる責任感。
ほとんど身動きすらできなかった君を、僕は部屋まで送る羽目になった。君の部
屋は、女の子らしい物で一杯だったよね。
泊まっていって、という君の懇願に、僕は負けた。あれが誘惑だったとは、思っ
ていない。君はただ、寂しかっただけだった。そうだろ?それとも、あれは演技だ
ったのか?そもそも、最初から僕に目を付けていた君の演技だったのか?
君が来たら訊いてみよう。
僕はこたつで寝るつもりだった。だが、おやすみを言ったとき触れた君の手を、
とうとう僕は放す事ができなかった。寂しげな猫のようにじっと僕を見つめる視線
を、ついに外らすことができなかった。
僕はそのまま、君の隣にもぐりこんだ。
何の疑問も抱かなかった。そして、君は当然のように、僕を迎えた。僕の躊躇い
がちなキスを、君は拒まなかった。それどころか、僕の首に腕を回しさえした。
君の柔らかなふくらみを、パジャマの上からそっとなぞったとき、君は熱い吐息
を、僕の耳元に投げかけた。その瞬間、僕の理性も道徳も、一気に消えてしまった
んだ。僕は自分でも想像しなかったほど荒々しく、君のパジャマをむしり取った。
下着をつけていなかった君の、美しい白い身体が、今でもまぶたを閉じれば瞳の奥
に浮かんでくる。
君のちいさな乳房を僕のぎこちない指が這ったとき、君は低く呻いて身体をよじ
らせた。可憐な薄い桃色のつぼみを口に含んだとき、君の全身に電流が走ったよう
だった。うっすらと汗が浮かんだ白い裸身が、淡いルームランプに照らされて、か
すかに、しかし艶かしく光っていた。
僕たちは時を忘れて、時には激しく、時には優しく身体を重ねあった。君は何度
も何度も絶頂の叫びを上げ、僕も同じ数だけ頂点に達した。まだ男の身体を知らな
かった君のぎこちない指は、天性のきらめきをもって僕を優しい快楽に導いた。
長い時がすぎて、ようやくベッドから出たとき、僕はそれまでの僕とは違ってい
た。
君が火を点けたんだ。僕自身知らなかったもう一人の僕を、君が掘り出した。
もちろん、僕も何人かの異性と身体を重ねたことがある。愛情抜きのセックスを
求めたこともあった。だけど、君の細く白い身体は、それらの記憶を一瞬で押し流
してしまった。
君の何が僕を変えてしまったのだろう。君のどこに、僕はこれほど魅かれたのだ
ろうか。繊細な指先、透き通ったうなじ、漆黒の髪、薄く敏感な乳首、なだらかな
腰、濡れた恥毛、細い足首。
全てが僕を包み込み、飲み込み、圧倒した。
君は決して、積極的に僕を求めたりはしなかった。ベッドの中で上になるのは、
いつも僕だった。君の全身にくちづけするのも僕だった。悩ましげな吐息をつくの
は君が先だった。だけど、2人が絶頂に達し、荒い息をついているとき、僕は自分
が犯されたような気分になった。
もう、あなたなしでは生きられない。君はそう言った。けれども、僕も君なしで
は、もはや生きていけなくなっていた。君と僕は、何かの間違いでふたりの人間と
して、この世に生を受けてしまった、ひとつの魂だ。そう思った。
君が結婚する。
最初は何かの冗談だと思った。
だが、日が経つにつれて、その噂は具体性を帯び、僕が君に真偽を問おうと決心
したときには、相手の男の名前まで明らかになっていた。
本当に結婚するのか?
信じられないことに、君は笑って答えた。
ええ!祝福してくれるわよね?
僕なしでは生きていけないって言ったじゃないか!
あれは過ちだったのよ。やっぱり普通じゃないわ。
僕を、今の僕にしたのは君だ!こんな僕にしたのは君だ。君が僕の全てを変えてし
まった。それなのに僕を捨てて行くのか!
あなたもいい人が見つかればわかるわよ。
あの男に抱かれたのか?僕の問いかける声は震えていた。僕以外のやつに身体を
任せたのか!
君の否定の言葉が聞けたなら、僕は悪魔に魂を売る事さえ厭わなかっただろう。
そうよ。素晴らしかったわ。
君が僕を傷つけようとしたのでないことはわかっていた。自分の幸福を僕にもわ
かち合ってもらおうと思ったんだ。そうだろ?だけど、その言葉が僕を完璧に打ち
のめしたことも、また事実だった。
あなたとのことは後悔していないわ。だけど、もう終わりにしましょう。
僕はもう戻れない。僕は絶叫した。君なしで生きていた僕には、もう永久に戻れ
ないんだ。
お互い大人になりましょうよ。最後に一度だけ愛し合いましょう。それで、おし
まい。ね。
君との最後の夜は、はっきりと憶えていない。
他の男に快楽を与えられた君の身体は、もう前とは違っていた。僕の愛撫も、キ
スも、効果を表さなかった。ときおり上げる熱くせつない呻き声も、僕への最後の
義務感か、そうでなければ、婚約者を思い浮かべた結果としか思えなかった。
とうとう、僕は泣きながらベッドから飛び出した。
頼むよ!僕のところに戻ってきてくれ!
君は困ったような顔をしていた。
ねえ、もういい加減にしてよ。
始めて君の口からもれた言葉に、怒りが混じった。
困るのよ。あの人に、あなたみたいな恋人がいたなんて知られるのは。お願いだ
から、もう私のことは忘れてよ。
僕は茫然と君の顔を見ていた。君はさっさとベッドから出ると、服を身につけて
帰り支度を始めた。
明日、また来るわ。靴をはきながら、君は言った。きちんとお別れがしたいの。
今日は、あなたも興奮してるみたいだから。
僕は言葉を失っていた。君は、優しい顔になって、優しい声を出した。
ね、お願い。恋人じゃなくて、友達になりましょう。明日が恋人としては、最後
の夜よ。別れる時は、友達として別れるのよ。
君は柔らかな唇を素早く重ねると、猫のように出て行った。
微かな殺意が芽生えたのは、その瞬間だった。
一晩、眠らずに考え続けた。何とか、納得しようと努力した。君が選んだ、君の
幸せを。だが、やはり諦めきれない。僕が君を失うことではなく、君の瞳の中にも
う僕が映らないということ。それは想像を絶する地獄だった。
そんな人生など続ける価値もない。
もうすぐ君がやって来る。
僕が君に、最後の選択を迫らなければならない時が近付いている。
君の答が否定的だったとき、僕は君を殺さなければならない。そして、僕の命も
同時に絶つのだ。
死は恐ろしい。だが、少なくとも君と恋人のまま死ねる。単なる友達として送る
みじめな生より、死の方がずっとましだ。
エレベータの上がってくる音が聞こえてきた。
君は僕を裏切ったという意識を持っていないかもしれない。だが、僕は君を許す
ことができない。僕をすっかり変えてしまった君を。
ドアのベルが鳴っている。
日記はそこで終わっていた。刑事は頭を振って、日記を閉じた。
白衣の男たちは、死体を運び出す準備を終えた。一人が声をかけた。
「解剖室ですね?」
「ああ」 ・
刑事は答えて、運び出される2人の女の死体をじっと見つめていた。
Fin
1993.06.07