#50/1336 短編
★タイトル (PPB ) 93/ 6/ 3 0: 1 (162)
熊のぬいぐるみを売る青年 遊 遊遊遊
★内容
阿寒湖畔で、青年が熊のぬいぐるみを売っている。
北海道にも初夏がやってきた。
阿寒湖の船着場は、マリモ見物の団体観光客でにぎわっていた。みやげもの
屋が軒を連ね、おばちゃんたちが客を店に引きずり込んでいる。おじさんが大
声で客を引いている。露天で、場違いの青年が商売をしていた。彼は、顔を真
っ赤にして歌をうたい、一人芝居で観光客の気を引こうとしていた。
だが、団体さんは、彼を見て「阿呆かこいつは……」とゲラゲラ笑うのみ。
荷物になってしまう、ぬいぐるみなど買う人はいない。しろうとの青年は辛
抱づよく、演技を続けている。熊のぬいぐるみは売れていない。
N君は27歳、どうしてオレはここに居るのか、なんで、こんな香具師みた
いなことをオレはやっているのか……わきあがってくる疑問を押さえつけ、彼
は精一杯の大声を出し、汗を流していた。
彼の父親は49歳で死んだ。有名な碍子製造会社の研究部の作業員だった。
彼の父親は新素材の試験班に抜擢された。会社の命運を賭けた新製品の開発
とかで、ごく少数の人間が極秘に研究していた。彼の父親は誇りをもって、毎
日々々、材料の試験作業に励んでいた。吸いこんだ有害物が蓄積して、胸や内
蔵がメチャメチャになった。彼の父親は40歳前からもう働くことができず、
あちこちと病院を渡り歩き、入退院をくりかえしていた。会社の人たちは、病
気の原因を知っていたから、彼の父親を解雇しなかった。が、会社の責任を、
決して認めようとはしなかった。密かに、少しづつ安全対策を施し、事件にな
るのを防ぎきった。K党の支部がこれに食いつき、労働基準監督署に持ち込ん
だが、証拠がなく、会社側の責任は問われなかった。
父親の葬式のとき、会社は、退職金のほかに100万円の見舞い金を包んで
きた。
N君も弟も、父といえば、病弱の父の記憶しかなかった。N君の高校、専門
学校時代は、ずうっと、父はふとんに寝ているか、病院のベッドに横たわって
いた。どうして病気になったのかは、兄弟は知らなかった。兄弟の母も、言っ
ても仕方のないことだと、あきらめていた。N君は父の病気の原因などには、
まったく興味がなかった。普通の青年と同じように、何となく専門学校にいき、
時間をつぶし、そこを卒業した。人出不足の時代だった。売手市場でどこへで
も就職できる時代だった。「遠くへ行きたい」ただ、それだけの理由で、N君
は横浜の大会社に入った。出発のとき、父は自宅で寝ていた。「からだに気を
つけて……」という父のことばを背中で聞いた。社会人になって数年、彼は、
どうということもなく、時を過ごしていた。親孝行をする気もなく、親不孝し
ているとも思わなかった。クルマを買った。女の子がほしいのだが、めんどう
くさいことが多かった。父の危篤の電話があった。すぐ、帰郷したが、あっけ
なく、父は逝っていた。大勢の親戚が集まり、通夜、告別式をやった。何が何
やらわからなかった。
「御尊父さまのご逝去をいたみ……」と、会社の弔電が読み上げられたとき、
どうしようもなく、N君の涙は止まらなかった。父よりはるかに歳とった親戚
の人たちが、葬式での再会を喜んでいた。
あれから、おかしくなってきたのだ。涙が不幸を持ち込んできた。N君は帰
社して、まもなく会社を辞めた。「母をひとりにしておけない」というのが退
職の理由だが、母はまだ45歳で、働くから心配するなと言っていた。ほんと
うの理由は急に淋しくなってきたからだ。今度は「地元へ帰りたい」ただ、そ
れだけの理由で、N君はあっさり会社を辞めた。地元で就職していた弟も会社
を辞めてしまった。兄弟が転職を繰り返すようになった。どこへ行っても、長
続きしなくなった。病気の父が居たころは、ふたりとも、こんなことはなかっ
たのに。母だけが勤めている時期もあった。さすがに、N君も自分が嫌になっ
てきた。クルマを売ってふらりと旅に出た。母が反対していたが、オレのこと
に口を出すなと言って飛び出してきた。オレはもうどうなってもいいんだ。N
君は死んでもいいんだという気持ちになっていた。
なぜか、N君は北上して、仙台、青森、札幌と泊まり歩いてきた。カネがき
れてきた。N君は本気で死に場所を求めはじめていた。
阿寒湖は暮れかかっていた。昼間の観光客軍団は消え、みやげ店街は、浴衣
がけの泊まり客のそぞろ歩きに変わっていた。灯りを避けて、N君は木の根元
に腰をおろしていた。寒くなってきた。だが、泊まり代はもうない。林の中に
入っていって、首を吊る度胸もない。N君は途方にくれて座っていた。
「何時かな」
背中から、しわがれた男の声がかかった。
N君はハッとして、時計を見た。暗くてよく見えなかった。振り向くと中年
の夫婦がニコニコと笑って立っていた。ふたりはヤクザのようにも見えた。
「汚いが、うちで泊まるか?」
女が言う。時刻なんぞを聞いているのではないのだ。魔法にかかったようにN
君は無言でうなずいた。N君は立ち上がって、ふたりの後についていった。
「ここは借家でな、商売にくるんだ。札幌に家がある」
古い家の前に着いて、男が言った。
晩飯は夫婦と同じものを食った。風呂にも入って、N君はそのたびに礼を言
った。
「何にもしちゃあいねえ。気にせずに、ぐっすり寝な」
女もぶっきらぼうに口をきく。N君は疲れがどっと出て、その夜はぐっすりと
眠った。物置きもふとんも汚かったが、暖かかった。
その夫婦は香具師だった。映画の寅さんのように、人が集まる場所に露天の
店を出し、何でも売った。カモを絶対に逃さない商売人だった。ふたりは毎日
稼ぎに出ていった。
「あるものを、何でも食っていい」とN君に言って、軽四輪で出ていった。朝
出ていって、夜帰ってきた。N君がまるで居ないかのように、夫婦は何も言わ
なかった。食う、寝る、ぶらぶらで、1日、2日、3日と経っていった。この
夫婦はN君の死相を読み取っていた。N君はどこへいくあてもなかった。
N君が商品の積降ろしを手伝うようになった。一週間後には、夫婦と一緒に
商売にたった。彼は立っているだけだが、男は狙った客を話術で引き止めた。
熊のぬいぐるみは、ぽつりぽつりと売れていく。女は別のものを売っていた。
この夫婦は、N君を弟子にしようとしているわけではない。彼の死相をはぎ
取っているだけだ。N君に声をかけたあの夜から、「放おっておけない」と、
ふたりは思っていた。相談したわけでもないのに、ふたりは同時にN君に声を
かけていた。男も女も、心に深いキズを負っていた。夫婦はN君に何にも聞か
ず一緒に飯を食った。
男が風邪をひいて寝込んだ。女が止めようとしたが、N君は軽四輪に商品を
積み込みはじめた。「おじさんや、おばさんのようには売れないと思うけど、
ボクやってみます」と出掛けていった。阿寒湖の船着場にN君は露店を出した。
おじさんたちの縄張りである。一生懸命、熊のぬいぐるみを売ろうと彼は思
った。観光客たちは、みんな買ってくれそうな気もしたし、誰も買ってくれな
いような気もした。恥ずかしかった。が、N君は冷汗をかきながら、大声を出
して客を呼んだ。
一日目が終わって、疲れ果てたN君が帰ってきた。惨敗だった。熊のぬいぐ
るみは、ひとつも売れなかった。おばさんはニコニコして「ご苦労様」といっ
て、向かえてくれた。熱が下がらず床についたままのおじさんも「よう、頑張
った」とほめてくれた。
二日、三日とN君は頑張った。おじさんは、売れた分は全部お前の取り分に
していいと、言ってくれた。三日間で、小さいぬいぐるみが二つ売れただけだ。
おばさんは、物陰からじっとN君の商売を見つめていた。毎晩、「ゴメン、
売れなかった」と帰ってくるN君を夫婦はやさしくねぎらっていた。
男の風邪は、とっくに全快していたが、N君は知らなかった。
酒を飲みながら、夫婦が話している。
「一宿一飯の恩義を感じて、Nのやつ、一生懸命だな」
「あの子はいい子だよ、体当たりで商売して、うちらに恩を返そうとしている」
「自分ちへ帰る旅費を稼がせてやろうぜ」
「もし、あれを売っちまったら、どうする」
「かまうもんか、もし、あれが売れればたいした商売人だ。いや、あれを観光客
に売り付ければ、商売殊勲賞もんだが、Nの運もそれまで。俺はNの眼力の成長
を期待してえな。Nがあの縫い目の不揃いをみつけられるかな」
「そうだね、どうせ、ヤバイ金なんだから、Nちゃんに使ってもらうのが、いち
ばん、いいかもしれない。うちらは生活に困っているわけでもないし」
夫婦は、一番大きな熊のぬいぐるみの腹の中に、1000万円を隠している。
20万円の値札をつけた、こんな大きなぬいぐるみを、旅先で買っていく観光
客はまずいない。さわるだけの客がほとんどだし、汚れもひどい品物になってし
まっている。売れるわけはないのだ。それに、ぬいぐるみなんて、どうせ、都会
のどこかで作られたものだ。欲しければ、旅から帰っていつでも買えるのだ。
夫婦は招き猫のかわりに、この1000万円懐妊中の熊のぬいぐるみを露天に
つれていくのだ。
「おまえもいい度胸だ。腹の中に入っているものを、Nが見つければ呉れてやろ
うぜ」
「Nちゃんが、あれを、売っちまってもじたばたしない」
「そうだ。Nが商品と客をしっかりと見抜くように、励ましてやるよ」
一番大きな熊のぬいぐるみの腹の中身にNが気づいたら、彼は俺にぬいぐるみ
の腹を裂けと言ってくるだろう。俺は商品に傷をつけてはならねえという。おめ
えにそれを売ってやる。おめえが自分の持ち物を切ろうが裂こうが、俺のしった
こっちゃあねえという。その前に、かかあ、おめえがNに20万円貸してやれ。
いいなっ。うん。夫婦はこんな筋書きを語り合っていた。
「ボイズビアンビシャスやね」
「そうだ、おまえ、あいつを甘やかすんじゃあねえぞ」
物置きでは、疲れ果てたN君がぐっすりと眠っている。
今日も、阿寒湖畔で、青年が熊のぬいぐるみを売っている。大声を出し、汗
をかきながら、必死に売込みをやっている。
一番大きなぬいぐるみの熊の目がキラリッと光り、何かつぶやいている。
「俺だけは、売るんじゃあねえぞ」
数日後の深夜。阿寒湖観光ホテルの大浴場。
湯煙の中で、親娘のような男女がじゃれあっている。
「きみは、衝動買いが多すぎるよ」
「だめよっ、ここじゃあ。いいじゃあない、欲しかったんだから。」
「あんなでかいものを買ってどうするつもりなんだ、クルマには乗せんよ」
「アーさん、ダメッたら。宅急便で送っとくから平気よっ」
1993−06−02 遊 遊遊遊