#38/1336 短編
★タイトル (WJM ) 93/ 5/17 19: 2 (144)
火星にいきたい けい
★内容
夜に寂しくてベッドの中でひたすら電話を待っていたが、起き上がって目をつむりジ
ャンプしてみた。髪がフワッともりあがり、体、宙に浮いた。
何か異様な感じが心身に入り俺の気分は瞬時にしてハイになったよう。
運命的なものに出会える予感によって興奮。
耳が引っ張られるように痛んだ。瞳をあけると、そこは火星であった。紛れもなく火
星であった、俺にはよく判った。
ふと、小さな岩山の脇からノソノソと奇妙な歩き方をしてこちらに近づいてくるもの
がある。人でない。形は熊のようだが、全身がダラダラとどす黒い大量の液体でぬめ
りただれていた。後ろに一筋の黒い川をひいていた。俺よりも二まわり以上大きい、
まるでキングコングだった。
全身濡れた長い毛で覆われていて、しとしとと黒い油のようなものが滴っている。
グロテスクなそれに、俺の目は開き続ける事を拒む。ハイな気分は瞬く間に変質して
ブルーになる。
それが、俺に近寄って来ている。俺の目は硬く綴じられたまま。
足は気持ち悪いぐらい震えている。すぐ目の前に気配を感じた。白と青の縞パジャマ
が音をたててこすれている。
何かが俺の肩におかれる。薄い上着が、ショワショワと湿ってゆく、それは広がって
ゆく。なま暖かく粘を帯びていた。
そいつの体が動く度にベチョリベチョリと背筋凍る音がする。
死の恐怖が、空から落ちてきて強く頭をうった。モウモウとしたそいつの暖かい空気
が俺の鼻から肺にはいる。
極限の恐怖によるストレスも併せて、俺はおう吐した。
俺の頭の思考回路はすでに断ち切られている。脳裏には純白な世界があった。
ふと肩が軽くなったような気がした。
おもむろに瞳を開けると、グロテスクなそれはトボトボと、そびえたつ大きな山の向
こうに去っている。
呆然と立ち尽くしていた俺は、あの生物が見えなくなると、大きく逆転した立場から
歓喜の叫びをあげた。死から生へと。
そしてふと、自分が見えない事に気付いた。透明人間になっていた。
自分の足の甲を見るべく視線を下げても、ただそこには赤土と小石があるだけ。しか
し俺は確かに存在している。
透明な人間という事は、誰にも気付かれないで好きな事が出来る。力を入れて両手を
弾いてみた。火星にそれはよく響いた。
このうえなく血の中の興奮が体中を駆け巡り始めていた。聞こえるぐらい心臓は大き
く脈打った。抑えられず暴れた。
俺は再度目をつむり、ジャンプをしてみる。強い重力を胸に受けた後、瞳をあけた。
そこは人がまるで洪水のごとく流れている繁華街であった。もとの地球。地元。
モゴモゴと溢れかえりながら、騒がしすぎる人々をみていると、ふとある衝動が湧き
出てきて、俺はそれに負けてしまった。
ラグビーをやっていた俺は、そのタックルのようにして、めちゃめちゃに通行人にあ
たりまくった。
最初は、マクドナルドの前で入ろうかどうしようかと迷っている二人の少女に。彼女
の背骨の感触は俺の頭にはっきりと伝わり、その肩に下げていたカラフルなリュック
が宙に飛んだ。彼女は前のめりになり、派手に転んだ。ひきつった顔で辺りを見渡す。
俺は右手を伸ばして、看板を持ち上げるとそれを投げつけた。
罪悪感を覚えるよりも先に興奮が高まり、さらに俺は暴れ回った。
祭日で、親子づれなどで賑わっている。突如衝撃をうけた人々は次々に倒れてゆきそ
の場はパニックになった。子供がわあわあ泣きだした。俺の興奮にとってそれは油に
等しかった。
燃え上がる興奮は、隣のショウウインドウを拳で殴らせた。高い音がして、ガラスが
崩れる。拳から真っ赤な血は飛び散り、ガラスに吹き付けられる。
止めていた自転車を隣のガラスに向かって投げた。
恐怖におののいた女性の叫び声がする、俺の頭に痛く響いた。それさえも心地よい。
ボールはもうすでに急な坂道を転げ落ちている。
理性などは一度分解され、組み立てるのに失敗しゴミと一緒に燃やされていた。
俺は、露店を手あたり次第に蹴りあげていった。当たるもの全てを破壊するかの如く、
両手をふりまわした。砕けた右拳に、人の頬が何度もあたった。
スネをひどく打ち激痛を感じた気がしたが、狂った精神にそれは快感であった。
仕上がって置かれてある、幾つもの回転焼きやとうもろこしをつかみ逃げようと必死
になっている中年男性にきつく投げつける。
破裂した回転焼きのあんが、白いワイシャツに染みついた。とうもろこしは、隣の女
性の頭にあたり、溢れている叫び声をあげた。何が起こっているのか、認知出来ずに
人々は狂っていた。
中年男性は足をからませて大きく転んだ。
その時右手で前を走り逃げる人溜まりを押したため、ドタドタと地響きをたてて、大
勢が将棋倒しになった。うめきごえと叫び声だけ。
大惨事を目の前にして…透明人間である喜びが、ふと悲しみに変わった。
燃えたぎっていた興奮も、酸素がなくなれば冷たく消える。熱が消えると、鉄の世界
の温度は容赦無く下がっていった。
俺は、これだけの事態を起こしてなお、誰からも気付かれない。
ただただ、俺は、怪奇現象の要因である何か不気味な存在でしかない。広すぎる空間
に孤独。今日のテレビではこういう
「ここYY通りで大変な事が起こりました。ポルターガイストです!それも大勢の人
の目の前で起こった世紀末を感じさせる出来事!」
雑誌などあらゆるマスコミは今日の事を騒ぎ立てて、学者がテレビでもっともそうな
事をいう。
「自然現象でしょう。説明します、まず異常気象によって………」
「いや、違う。そんなものじゃないでしょう。私は霊の存在を信じています。何も根
拠の無い事をいってるわけじゃない。霊は存在します。実例をあげますと………」
「そういえば、この通りで6年前、悲惨な事故死を遂げた人がいます。なんでも、結
婚式を3日前にひかえていたそうで………」
NO!! 俺がやったんだ!!
透明人間の声は、人に聞こえない周波数で、荒れたこの場に響きわたる。誰も気付い
てくれない。
俺は精いっぱい透明な声を張り上げて、おそすぎた謝罪をすべてのものに行った。
その間、人々は恐怖におののき、腰を抜かしたばあさんをかつぎ、迷子になった子供
の名を叫び、ただやみくもに、俺のいる地点から遠ざかってゆく。
すぐに俺は独りになった。急に恐ろしい静寂が漂った。何も聞こえない。
膝は脆く、俺は全身の力が吸い取られたようにその場に倒れる。
冷たいアスファルトに転がり、薄暗くなった空をみつめる。右手の小指にいっぴきの
蟻を感じた。ちょこまかとうごめいている。悔恨が降ってきた。
涙ながら、まだ血の止まらぬ拳と、全身の痛みに歯を食いしばった。平行感覚を失い
グルグルと自分がまわりながら下に堕ちていくよう。たまらなくさみしかった。
でも……
これでいい。火星にいこう。初めに触れたグロテスクであったあれに会おう。彼はき
っと俺と同じく、寂しがってる。彼なら、俺がみえる。
彼はまた、俺の肩に手を置いて精いっぱい温かみをくれる。
中の寂しさは、暖かみとかして掌から。容姿の違いなどちっぽけな事、帰ろうまだ未
知である親友のもとに……
醜いがたまらなく愛しい生物。俺は、彼のぬめった頭を撫でて、どこだか判断できぬ
頬に、何度もキスしよう。手を握ってやろう。握ってもらおう。
その大きな体でもって、俺を包み込んでもらい、したたる油のような黒い液体を一緒
にあびてやろう。俺も真っ黒になろう。そうなりたい。
そして感激の涙をありったけ流したい、泣きじゃくりたい。
何もない火星で、あれと語り合おう。言葉なんて通じなくていい。通じないほうがい
い。俺は無を背負った。俺は、透明人間になって全てを手にいれていたのだ。
失うもの無くして、俺はいったい何に恐怖できよう、何に心配できよう、何に不安に
なれよう。
疲れ果てた足で、すべてを越えやっとたどり着いた平安の地。念願の領域。俺はすべ
てを失いたかった。
背に乗せられた地位と名誉と財産と名声と可愛い彼女と自分と少しばかり見栄えのい
い容姿と、その他沢山のもの。いつの間にだか重すぎて、イライラしてた。
ずっと優しくなりたかったんだよね。きっときっと俺は。
Keiichiro☆彡
1993.05.14
1993.05.17