AWC そばにいるだけで 56−5   寺嶋公香


        
#5402/5495 長編
★タイトル (AZA     )  01/01/31  23:08  (198)
そばにいるだけで 56−5   寺嶋公香
★内容
 きびすを返す鷲宇に引っ付くようにして、純子も外に出た。そのあとを、バ
ンドのメンバーがぞろぞろと着いてくる。
「あの、鷲宇さん」
「何だい?」
 恐る恐る声を掛けたのに、存外、優しい響きの返事があった。拍子抜けしつ
つも、言葉をつなぐ純子。
「立ち入ったこと聞いてすみません。病院の方と、何かトラブルでも?」
「あ? 何故、そんなことを考えるんです」
 肩越しに振り返った鷲宇は、いつもの微妙な丁寧調になっていた。
「いえ、その……鷲宇さん、少し機嫌が悪そうに見えましたから」
「ああ。すまない。唄う前に、つまらないことで不安にさせてしまった。気に
しなくていいよ」
「で、でも、病院の方と会ってたんですよね」
 すっかり久住の声でなくなっている。このときの純子の脳裏には、悪い想像
が色々と浮かんでいたからだ。
「会っていたけれど、不機嫌の原因は、病院とは関係ない。そのあと掛けた電
話の内容がね。ちょっとトラブル抱えてしまって」
 安堵した純子。と同時に、新たな気掛かりも生まれる。
「トラブルって……」
「君は気にしなくていい。仕事をやっていれば、よくあることだから」
 話を断ち切りたいのか、手の平をぽんと打ち合わせた鷲宇。そのかすかに笑
みを浮かべた表情で、確信ありげに言い切られると、純子としても、そうなの
かと納得できる。
「さあ、最高のものを魅せるために、最後の努力をしようじゃないか!」
 ホールの出入口の前に立ち、鷲宇は高らかに宣言した。

(嘘や冗談じゃなかったんだわ……)
 ホールいっぱいのパイプ椅子を埋めたいっぱいの聴衆に、空間の温度は明ら
かに上昇していた。
 ここの患者や医師、看護婦らだけでなく、見舞客らしき人達も見受けられる。
割合で言うなら、後者の方が上回っているに違いない。
「大したもんだ、これは」
 市川が入りを見て、腕組みをしている。昨年、このボランティアコンサート
では蚊帳の外に置かれた市川は、今年こそはと、あとから駆けつけたのだ。
「ちょうどいい練習になるわね。大観衆の前に出ても、上がらないよう場慣れ
するのに」
「そんな考え方はしてません」
 純子が反論したのに驚いたか、市川は丸くした目を向け、腕組みを解いた。
「つまり、誰の前でも、どんな状況でも全力投球ってわけ? そういう心掛け
は立派でいいんだけれど、できれば雑誌の取材か何かで喋ってほしいね」
 純子は、この人にはかなわない、と思った。
(仕事なんだから、売り出しに力を入れるのは分かるけれど、市川さんがこれ
じゃあ、夢も希望もないなあ)
 高まる緊張感をポジティブなものへと変換しつつ、あれこれ考える。
(その点、ファッションショーの方は、おばさまと考え方が合うのかな。やっ
てて私自身も気楽だし)
 相羽の母のことを浮かべると、続いて相羽を連想した。
(どうしてるんだろ。クリスマスイブだけど、誰とも付き合ってないみたいだ
から、やっぱり、おばさまと一緒にいるのかな。はぁ……コマーシャルでも何
でもいいから、モデルとしての仕事があれば、おばさまが来られるだろうから、
相羽君とも会えるかもしれないのに。クリスマスやイブだったら、きっと相羽
君もお母さんと一緒にいたいはず)
 たとえ、単なるすれ違いでもいいから、相羽の顔を見たくてたまらない。元
から抱いていた想いが、病院へ来るまでの間、鷲宇からずっとつつかれて、増
幅してしまったらしい。
(相羽君。相羽君が今この場にいてくれたら、全然上がらないで、気持ちを落
ち着けて唄える自信があるのに。ううん、姿を見られなくても、声だけでも聞
けたら)
 そう考えた次に、閃いた。携帯電話がある。控えの間に引き返して取ってき
て、相羽宅に掛ければ、ひょっとしたら出るかもしれない。私用には使うなと
言われているけれども、純子には魅惑的なグッドアイディアに思えた。
「まだ時間ありますよね?」
 純子は近くのスタッフをつかまえ、尋ねた。「十分ちょっとしかないよ」と
忙しげな返事があった。
「それだけあれば上等!」
 すっかり男言葉で応じると、純子は控えの部屋を目指してダッシュ。目をま
ん丸にして驚く市川の傍らを抜けて、全力疾走だ。途中、廊下ですれ違った数
人から、どうしたの?と怪訝な表情で振り返られる等したが、適当にごまかし
てとうとう自分の携帯電話にありつく。
 引き返してから掛けるなんてもどかしい。歩きながら、ボタンを押した。呼
び出し音が始まると、純子の歩く速さもスピードアップする。
(出て。お願い)
 意識を前方と耳に分散させつつ、念じる。だが、つながる気配が感じられな
い。呼び出し音の繰り返しは、十回を越えた。
(だめなの? きっと、出てくれると思ったのに。何となくだけれど、運命み
たいなものがあるんだと信じてる)
 純子は一度、電話を切った。いよいよ時間がなくなってきた。廊下の角で立
ち止まり、考える。
(……そうだわ)
 先ほどとは別の番号へ。
 携帯電話を耳に当てたとき、スタッフが呼びに走ってくるのが、視野の片隅
で捉えられる。純子は明るい光の射す窓の方を向き、スタッフの存在を精神的
にシャットアウトした。
「久住君! そろそろスタンバイしてもらわないと!」
 その声は、純子の耳に届いていたが、意識にまでは届かない。
 純子は一縷の望みを託し、手のひらに熱を感じるまで電話を強く握りしめた。
 三度のコールの後、不意につながる。
「あっ、あの」
「純子ちゃん?」
 返って来た声に、純子の心が弾む。
(相羽君!)
 実際に叫ばなかったのは、ためらったから。
 最初の一言を聞いて相羽はすぐ、純子の声だと気付いた。つまり、純子はさ
っき、全くの地声で喋っていたことになる。
 今の瞬間は誰もいない廊下とは言え、久住の格好で女性声を発するのはまず
い。スタッフならまだしも、それ以外の、病院関係者や患者さん達に聞かれて
はおしまいだ。
 純子は意識して声を変えた。それは、嬉しいのを隠すためでもあったかもし
れない。
「どうして? おばさまに電話したつもりなのに」
「運転中だから、代わりに僕が」
 相羽は、純子の声の変化に気付かぬ様子で、流暢に答える。
「母さんに用があるのなら、ちょっと待って。どこか停められる場所を見つけ
ないと。母さ――」
「あ、待って! いいの!」
 思わず、再び元の声になる純子。怪訝がる声音が返ってくる。
「え? でも」
「いいの。その、大した用事じゃないから」
「そう?」
「あ、あのね。代わりにというわけでもないんだけれど、相羽君が話し相手に
なってくれればいいから。そっちはいい?」
「僕はかまわないよ。純子ちゃんの方は、どうなってる? 今日は鷲宇さんと
共演で唄うんでしょ、確か」
「え、ええ。これからなんだけどね。すっごく、落ち着けた気分」
「え……これからって、時間はあるのかい?」
「うん、あと少し。それで、どうしてあなたがおばさまと一緒なのよ?」
 最早、自宅から電話するのと変わらない調子である。何にしてもリラックス
できるのは、プラスであるのは間違いない。
「今日はおばさまは、お休みなの?」
「いや、そうじゃないけど……」
 語尾が続きそうで、続かなかった。気のせいか、相羽の話ぶりが、急に歯切
れが悪くなったような。
 純子は詳しく聞いてみたかったが、とうとうタイムアップが迫る。若い男の
人が血相を変えて飛んで来た。
「さ、早くして! もう鷲宇さんの挨拶始まったんだよ!」
 その喚き声が、電話を通じて、相羽に聞こえたようだ。「本当に大丈夫か?」
と心配げに問い返してきた。
「そろそろ危ないみたいだわ。相羽君、ありがとう。話せてよかった」
「え? 何で礼を」
「いいのいいの。またあとでね。年内に会えたらいいな」
「それは――」
 スタッフに電話を取り上げられてしまった。
「頼むから、早くしてください、久住君!」
「分かりました。……あの、電話、切れてますか?」
 瞬時に久住の声を作り、尋ねる。相手は手の中の携帯電話を一瞥してから、
大きな動作でうなずいた。
「切れてる。さあ、早く行って」
 背中を押された純子は、一気に駆け出した。

 二年続けて同じ場所で行ったにも関わらず、コンサートは好評の内に幕を閉
じた。もちろん、二年連続して聴いた人も大勢いる。前年と変わらぬ、あるい
はそれ以上かもしれない大きな歓声を送ってくれた。
 とりわけ、参加者を驚かせたのは、あるベテランの看護婦さんの話。
「去年、ピアノを弾いた彼はいないんですね。今年も来てくださると伺ったと
き、密かに楽しみにしていたんですけど……」
 この人だけでなく、一年前のコンサートを聴いた人の半数以上が、相羽のピ
アノも待ち望んでいたコメントをしていた。
「お株を奪われた気分だよ。これは、来年もここでやって、相羽君を参加させ
なければいけないな」
 鷲宇の台詞は、本気らしかった。
(そうなったら楽しいだろうなぁ。私も聴きたいし、相羽君の演奏で唄うのっ
て、いつも以上に乗れる)
 口には出さなくても、胸の内で強く願う純子。その姿は、コンサートが終わ
った今も、久住淳のままである。
 これも去年と同じで、コンサートを催したホールまで出て来られない患者達
に会うために、廊下を急いでいる。純子は鷲宇と一緒に、吉川美咲の病室を目
指していた。
「僕らが前に来たときに比べて若干、下降線を辿ったらしいが、今は安定して
いるそうだ。気にせず、普通に話していいとのことだから」
「はい」
 やがて、薄く開かれたドアが見えた。鷲宇が軽くノックをして開ける。
 まず目に入ったのは、丸椅子に腰掛けた女性の姿だった。一見して、吉川美
咲の母親だと察しが付く。それほど似ていた。
「お忙しいところを、よくお越しくださいました」
 純子達の入室に、母親は立ち上がって、深々と頭を下げた。
 鷲宇が挨拶を返そうとするのへ、ベッドの上の美咲が、まるで飛び上がらん
ばかりに声を出した。
「本当に、来てくれたんですね!」
 娘へと振り返った母親はまず驚いた風に目を丸くし、次に「これ、美咲」と
小さく叱りつける口調で言った。
「かまわないですよ」
 鷲宇が間髪入れずに言って、美咲に視線を向ける。
「美咲ちゃんは、僕よりも、久住君のファンだったね。興奮しないで聞いてほ
しいんだが、折角の二年目なんだし、二人きりにさせてあげようと思うんだが、
どうだろう?」
「ええ? いいの?」
 横たわっていた美咲が、身体を起こそうとまでした。これには鷲宇ばかりか
純子も、慌てて手を振り押し止める。
「もちろん。その代わり、頼むから落ち着いて」
「平気なのに。近頃の私、調子いいんだから」
 少し不満そうに頬を膨らませる美咲に、母親も苦笑いを浮かべ、眉を寄せた。
「無理はいけませんよ」
「分かってるって。大人しくしてないと、二人きりになれないんだったら、大
人しくなる」
 上体だけ起こして、布団の上で手を重ねる美咲。澄ました仕種が、かわいら
しかった。
「うん、いい子だ。じゃあ、久住君、あとを頼むよ」
「鷲宇さんは?」
 話を聞かされていなかった純子は、ちょっぴり不安を覚えつつ、問い返した。
「僕は吉川さんと――こちらのお母さんと、話があるんだ。なに、済んだら戻
ってくるから」
「長話してていいよー」
 美咲から明るい声が飛んで来た。
 純子は鷲宇の話を了解して、ベッドのすぐ脇に駆け寄る。二人が出て行き、
後方でドアの閉まる音がするのを待って、懐から一枚のディスクを取り出した。
「メリークリスマス、吉川美咲ちゃん」

――つづく




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