AWC そばにいるだけで 56−4   寺嶋公香


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#5401/5495 長編
★タイトル (AZA     )  01/01/31  23:07  (195)
そばにいるだけで 56−4   寺嶋公香
★内容                                         16/06/14 21:35 修正 第2版
 真剣に答える相羽に、唐沢は笑い声を短く立てた。直後、受付カウンターの
方から咳払いが上がったような気がしたので、二人とも音量を落とす。
「……実際問題、純子ちゃん、人気あるのに、誰とも付き合ってないんだから、
そうでも考えるしかないじゃないか。あるいは、これまで知り合った男子の中
には好きな奴なんていなかった、という見方もできるけど」
「急に悲観的になったな」
「だから、考えたくないんだよ」
「相羽。おまえ、涼原さんのモデル活動にかんでるだろ」
「そこまで深く関わってない」
「いや、だから、事情をある程度知ってるわけだろ。それなら、ひょっとした
ら涼原さんは、恋人を作るのを事務所から禁じられてるっていうようなことは
ないのか」
 人差し指を胸先に突きつけてくる唐沢。相羽はゆっくりと首を横に振った。
「それはないみたいだった。まあ、恋人がいないままでいてほしいと願ってい
る人は多いようだけど、規則で縛ってはない」
「じゃあ、やっぱり――」
 指を引っ込め、得心した風に首肯する唐沢。ところがそれきり、口を閉ざし
てしまった。
「やっぱりって?」
「ん? 何でもねえよ。とにかくな、おまえ、もう一度ようく考えて、どうす
るか決めろよ」
「……」
 目配せする唐沢を、相羽はじろりと見返した。
「考えて、違う結論が出るものか?」
「さあな。最後くらい、自分で考えて決めな」
 言い置くと、すっくと席を立つ唐沢。そのまま相羽に背を向け、手を振って
歩き出した。

           *           *

「……相羽君と全然会えないな、最近……」
「え、何だって?」
「はいっ?」
 純子は大慌てで頬杖を解き、鷲宇に顔を向けた。心の中で思っただけのつも
りが、つぶやいていたことに気付き、赤面する。
 クリスマスイブ、鷲宇のボランティアライブに参加するため、純子は車に揺
られていた。もちろん久住としての参加であるが、車中ではまだ女の子のまま
だ。去年と異なり、病院に着いたら機材スタッフみたいな顔をして中に入り、
控えの間で着替えることになる。
「相羽君の名が出たようなんですが」
 鷲宇の口調が、面白がるそれになる。純子は上目遣いに、恨めしげに相手を
見た。短い時間を精一杯使って、考えに考え、答える。
「忙しいんです。鷲宇さんのせいもあって」
「ほう」
「この前の期末テストも、成績下がりましたし」
「それはいけない。家庭教師を紹介してあげようか」
「そういう問題じゃないんですけど」
「今までの話を聞く限り、こういう問題だと思うけど」
 笑い声を立てる鷲宇。純子は、遠回しに言ってごまかすのはやめた。
「大したことじゃありません。文字通り、相羽君と会ってないだけ」
「そうかな? ため息ついていた。これは、僕としても気にせねばなりません」
「ど、どうしてですか。プライベート……」
「僕ってほら、そういうことで歌に悪影響が出るのは、許せない質ですから」
 にこにこ、太陽みたいに笑いながら、芯の一本通った声で言う。
「出てもらうこと自体には大変感謝しています。でも同じステージに立つから
には、当然、僕なりの指針を当てはめる。君に調子を落とされては、そう――
嫌ですから」
「すみません。だけど、私だって、唄うようになって、何年か経ちました。プ
ライベートが原因で、調子を落とすようなことはないです」
 言い切ってから、大口を叩いてしまったかと、後悔が訪れる。恐る恐る、鷲
宇の横顔を見やった。
 目元が笑ってる。
「言うようになったね。結構結構」
 弾んだ調子で言うと、鷲宇は片手で純子の肩を二度、叩いた。
「来年辺りから、そろそろ単独でコンサートをやっていい頃だと思う。そうい
う自信溢れた台詞が吐けるというのは、頼もしい。師匠として嬉し涙が出る」
 袖口を目元にあてがう鷲宇。無論、ジョークに違いない。
「鷲宇さん、ちゃんと運転してください!」
「してる」
「そ、それに、単独でコンサートって、何なんですか。初めて聞いたんですが」
「そりゃ、僕も初めて言ったから、当たり前だね」
「そうじゃなくて、突然すぎて……来年からだなんて。もっと時間を掛けて、
準備するものとばかり」
「密かに準備を進めていたから。君は動員力がある。大きな器でも、充分、行
けるよ。ただし、宣伝は必要だ。名前だけぱっと出して、チケットを買ってく
れるのはファンだけだ。一般の人まで買ってくれる段階には達していない」
「はあ」
 他人事のように生返事する純子。当事者なのに、まさしく他人事にしか思え
ない。唄うのも好きになってきたが、大観衆の前での経験はないから、鷲宇が
どんなことを言おうとも、実感がまるで湧かなかった。
「折角の機会だ、話を蒸し返そう。相羽君とはどうなっているんだい?」
「会ってないので、よく分かりません。ちゃんと唄うから、もう、いいじゃな
いですか」
 口調が固くなる純子。この話にしろ、コンサートの話にしろ、今の自分には
あまり楽しいものではない。
 鷲宇は、「噛み合わないなあ」と苦笑を浮かべ、言葉を換えた。
「君は彼と会えなくて、胸が苦しい」
「私、そんなこと――」
 赤くなったであろう頬の辺りを隠しながら、抗議して振り向く純子。鷲宇は
軽快に車を走らせていた。
「僕が見るに、彼も君を気にしているし、君の気持ちは君自身が一番よく知っ
ている。何故、こうなるのかね。大人にも分かるよう、説明してほしいな」
「別に、付き合ってるんじゃ、ありませんから」
「付き合わない理由は?」
「……」
 口ごもった純子に対し、鷲宇は首を傾け視線を送ってから、口元に小さな苦
笑いをこしらえた。
「ま、いいか。とにかく、会いたいと思ってるのは間違いない」
「さっきも言いましたけど、会えないのは……私も相羽君も忙しいんです。彼、
委員長だし、ピアノや武道の練習があって、最近、知らない内にアルバイトま
で始めたみたい」
「アルバイトは、君へのクリスマスプレゼントを買うため、だったのかな?」
「それは絶対に違うわ。今日も明日も、私と会う約束はしていませんから。買
うんだとしたら、誰か他の人のためのプレゼント。ああ、きっと、お母さんに
だわ。相羽君て、凄くお母さん思いなんだから」
 口調が沈んだものにならないよう、声を大きくしてみたり、大きな身振りを
入れたりと、努めて気丈に振る舞おうとする。果たしてうまく行っているのか
どうか、自分には分からない。
「仲がよくて、クッキー焼くのも、お母さん直伝で。お父さんに対する思いも、
負けないくらい強いらしく、だからピアノにあんなに一生懸命で。それなのに、
武道をするなんて、よく分かんない」
「よく知っているね、彼のことを」
 鷲宇の指摘に、純子は目をいっぱいに開く。はっとさせられる。何か喋って
おかなければという思いから、独りでに口が動いていた感じがする。
 純子は前を向くと、その横顔が抜けたような笑みになった。
「――親友ですもん」
 道が真っ直ぐ、どこまでも続いているかのように広がる。

 一年ぶりの病院は、ほんの少し、くすんだような。それは、この一年間、た
くさんの人達を救ってきた勲章のように見えた。
「準備、終わったかい?」
 スタッフの一人が、控えの間としてあてがわれた部屋のドアを、廊下からノ
ックした。純子のために、男性陣がみんな外に出て、着替え終わるのを待って
いたのだ。
「終わりました! でも、出入りは迅速にお願いします!」
 応えたのは、メイクの人。無論、女性。スタイリストも兼ねてくれる。きび
きびとした動作で飛び回り、ドアの鍵を解いた。そして舞い戻り、久住淳の顔
を作っていく。
「これだけの人数がいると、迅速は難しいから、壁を作るってことで」
 言いながら、鷲宇お抱えのバックバンドの面々が、ぞろぞろと入室。純子に
気を使ってくれたのか、距離を置いてめいめい、パイプ椅子に腰を下ろす。そ
の中に、鷲宇の姿はない。多分、病院長か理事長か、ここの責任者と会ってい
るのだろう。
「一回こっきりだけど、段取り確認、やれるから」
 一人がそう知らせてきた。メイク中で振り返られない純子は、そのままの体
勢で、明瞭に応答する。
「リハーサルじゃないんですね?」
「うん。リハーサルは無理無理。あくまで、段取り確認だけ。まあ、ほんの肩
慣らし程度の練習なら、できるだろうがね」
「はい、分かりました。ありがとうございます」
 できることなら、本番前に一度声を出してみて、調子を確認したかったな。
そう思わないでもない。ここへ来る車中で言われた鷲宇の言葉が、ちょっぴり、
気に掛かる。
「去年よりも多いそうよ」
 仕上げに掛かるメイク。
「多いって、聴かれる皆さんがですか?」
 前方を見つめたまま、純子は問い返した。いつもなら大きな鏡があるのだが、
今日はない。
「もちろん。ちょっとしたライブハウス並みだって」
 メイクの女性は笑っているが、純子は喜んでいいのかどうか、戸惑いを覚える。
何故って、ここは病院で、聴衆の多くは患者さんなのだから。
「一丁上がり! 今日も男前に仕上がった」
 威勢のいいメイキャッパーに肩を叩かれ、純子は席を離れた。この時点です
でに、男らしい声を出すように努める。「どうも」と礼を述べてから、軽く発
声してみて、喉の調子を確認。
(……ん。これなら大丈夫かな)
 ようやく人心地つけた。胸をなで下ろす。建物の内装を見渡す余裕も、ちょ
っとずつ出て来た。
 もっと見て来ようと思って、廊下に通じる扉のノブに手を掛ける。すると、
バンドメンバーの一人が、「あ」と声を上げた。振り向く純子。
「有名人は、出歩かない方がいい」
「は?」
「どこかから噂が広まったらしい。見舞客と称して、外部の人間が大勢詰めか
けている。ほぼ全員が、鷲宇さんと君目当てだぜ。大騒ぎさ」
「はあ……」
 大げさなことを言って、と感じた純子に対し、相手の男性は立ち上がり、右
人差し指を振った。
「その顔は、甘く見てるな。外に出て、ファンに見つかりでもしたら、どうな
るか分からん。引っ張られ、かきむしられても、知らないぞ」
「……この部屋はホールに通じる控え室みたいなものだから、こんなところに
関係者以外が入って来ることはないんじゃあ……」
「ただの病院に、そこまで警備を期待しちゃあいけない。こっちがばかを見る」
 腕を組み、目を閉じて、したり顔でうなずく。
(そんなものかしら。自覚を持てと言われたばかりだし)
 純子は一人、うなずいた。
 と、そのとき、目の前のドアが開いて、風が起こる。鷲宇が立っていた。そ
の姿を見た瞬間に、純子は閃き、思わず叫ぶ。
「あ!」
 鷲宇を指差し、次いで身体の向きを換え、先ほどのバンドメンバーを指差す。
「嘘つきましたね。ひどいですよ」
「おー、よく分かったな。どうしてばれた?」
 相手はしれっとして言う。
 純子は、またもや指差してしまいそうになるのを抑え、鷲宇を見やった。
「鷲宇さんは、平気で歩いているからです」
「なるほど」
 笑いながら退散し、椅子の背もたれを抱え込むようにして座る。
 鷲宇が「諸君。一体、何事かね」と、多少苛立ったようにつぶやいた。髪に
五指を突っ込み、旧きよき時代の名探偵みたいに、頭を掻く。
「あの人が、凄く人が集まってるから、ファンに捕まらないよう、出歩くなっ
て、大げさなことを」
 純子の大雑把な説明に、鷲宇は嘆息した。何だか不機嫌そう。純子は、こん
な鷲宇を見た記憶がない。
「くだらない。よほど暇と見えるな。よし、さっさと練習を始めるか」

――つづく





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