AWC そばにいるだけで 56−6   寺嶋公香


        
#5403/5495 長編
★タイトル (AZA     )  01/01/31  23:10  (194)
そばにいるだけで 56−6   寺嶋公香
★内容
「わあぁ」
 それを受け取った美咲の表情が、本当に輝いたようだ。表をしげしげと眺め、
次いで裏面に目を通し、また表をじっくり見つめる。開けてしまうのがもった
いないとばかりに、まずはジャケットで楽しんでいるかのよう。
「待望の新曲ですね」
 小さなディスクを胸に抱き、純子に――久住に夢見心地の目を向ける美咲。
「そうだよ。待たせてしまって、ごめんね」
「ううん、いいんです。これが楽しみで、私、がんばれてるんですよ! いく
ら待たされても、がんばれる気がする」
 純子は微笑みながら、椅子に座ろうとした。そこへ、美咲のささやかな願い
が矢のごとく飛ぶ。
「あ、座るんなら、こっちに来てくれませんかっ?」
 そう言って美咲は、ベッドの脇をぽんと叩いた。
 純子はうなずき、椅子から離れると、美咲の示した辺りにスペースを見つけ、
ゆっくりと腰掛けた。意外と軋まない。
「あれ? 久住さんて、体重何キロですか?」
「ええ?」
 唐突な質問に、瞬きを早くする純子。腰を捻って美咲の方へ向いたものの、
どう答えていいのか分からない。
(そっかあ、男の子になっていると、こういう質問もずばり聞かれちゃうんだ。
しかし、正直に答えることもできないし……)
 純子が口ごもっていると、美咲の顔が曇ってきた。最前までの明るい調子は
消えて、蚊の鳴くような声で恐る恐る、尋ねてくる。
「あのお……怒ったんですか」
「ん? いやいや。そうじゃないよ」
「すみませーん、変なこと聞いちゃって」
 ベッドの上で、必死に身体を折り曲げて謝る美咲に、純子は手を伸ばしてそ
れをやめさせた。
「違うんだ、怒ったんじゃないよ。戸惑っただけ。体重のことなんて、聞かれ
るとは思っていなかったし、僕自身も把握していないんだ」
「そうなんですか。よかったあ」
 ほう……と息をつくと、美咲は胸をなで下ろした。
「ごめんごめん。余計な気遣いをさせてしまって。でも、今日は本当に元気が
いいね」
「うん! 体調はね、そんなに変わらないの。顔色だって、黄色いでしょ?」
 自らの頬を指差しながら、屈託のない笑みをこしらえる美咲。不思議と、無
理をしているような気配は、微塵もない。
「でも、気分がすっごく盛り上がってるんだあ。やっぱり、久住さんにまた会
えるんだと考えてたら、自然に元気づけられたんだと思う」
「お医者さんの先生が頑張ってるからだよ」
「ううん、そんなことない」
「美咲ちゃん。僕の歌を心待ちにしてくれるのは、とても嬉しいよ。それと同
時に、お医者さんを信じて、病気と闘うんだ」
 純子は美咲の手に自分の手を添え、言い聞かせるように、否、お願いする風
に懸命に告げた。
 目を覗き込まれた美咲は、素直に首を縦に振る。
「分かった。約束する。がんばるから」
「よかった」
 思わず笑みがこぼれる。
「美咲ちゃんがそう言ってくれたなら、僕ももっとがんばれる」
「そんなあ、大げさですよお。久住さんみたいなスターの人から、そんな風に
言ってもらえるなんて、何だかもったいない感じ」
「もったいない? ははは。僕も君も、みんな、おんなじだ」
 純子は本当におかしく感じた。一笑に付すと、音楽のことに話題を移した。
「みんなに気に入ってもらえたらいいんだけどね。何しろ、ディスクで発売す
るまで、一切流さないんだから、手応えがなくて」
「安心してください。私は久住さんの歌なら、どんなのでも気に入るわ」
 何故か、自慢げに答える美咲。純子は苦笑しながら、ディスクをプレイヤー
に挿入した。
「この部屋で思い切り唄うわけにもいかないから、これで勘弁してね」
「ああん、小さな声でいいから、前みたいに唄ってほしい」
 懇願する風に言うと、美咲は、再生スイッチを押そうとした純子の手を、し
っかと掴んだ。元気そうに見えても、その力はやはり病人のものだった。
 純子は穏やかに手を引っ込め、頬の辺りを一度だけかいた。
「じゃあ、アカペラでいいかな」
「はい! アカペラの方が貴重だし、久住さんの声がとてもよく聞こえるから、
私、好き」
 純子は自ら軽く手拍子を打ってリズムを取ると、美咲にも同じことをするよ
う、目で促す。最初は戸惑いを覗かせた少女も、やがて呼応し、手拍子を打つ。
 純子は立ち上がり、唄った。

 純子は時間の許す限り、美咲とお喋りを重ねた。来年の春から始まるアニメ
番組で、主題歌と声優に初チャレンジすることになっていると言うと、美咲は
手を打って喜んだ。原作の漫画を愛読しているという。
 時間が来て、他の部屋に回らなければならなくなり、純子は再会を約して、
美咲に別れを告げる。
「今度は、クリスマスイブ以外でも会いたいなあ。無理なんでしょうか……?」
「それはいいね。僕も、そうなるように努力する」
「あ、あの、できれば春までに」
「――そうか。次の新曲が出るとしたら、その季節だね」
 にっこり微笑む純子の前で、美咲は顔をかすかに赤らめ、うつむき加減にな
った。
「じゃ、桜の咲く頃に……いや、桜が美しく咲く頃に」
 言い直した純子の意図が通じたのか、美咲は面を起こして、「ありがとう」
とつぶやいた。
 廊下に出ると、深い息をついた純子。正体がばれないようにという気疲れは
いつものことだが、それに加えて、美咲が時折見せる辛そうな仕種や表情に対
し、感情を抑制し通すのが苦しい。
「終わったみたいだね」
 鷲宇の声に目を起こすと、彼が一メートルほど先に立っていた。その横では
美咲の母親が黙礼をしている。
 純子がお辞儀を返すと、母親は距離を若干詰めた後、「ありがとうございま
す」とか細い声で言ってきた。
「娘のために、わざわざご足労いただいて、申し訳ありません。本当に、何と
お礼の言葉を」
「とんでもない。僕も、こんなに間近でファンの――美咲ちゃんの応援を受け
られて、嬉しいんですよ。お見舞いに来て、逆に元気づけられる」
 純子の答に、母親の顔つきが、少しだけ歪んだように見えた。
(えっ。私、何かまずいことを……?)
 不安に駆られ、鷲宇に視線を移す。
 鷲宇はまず美咲の母を促して、病室に入らせた。ドアが音を立てて、きっち
りと閉じるまで、しばしの間ができた。
「久住君。君には言っておくべきだろうから、そうする。ドアはきちんと閉じ
ているね? 確認してくれないか」
「は、はい」
 さっきまでいた病室のドアに目をやる。防音のしっかりした厚手の扉が、不
気味なくらい静かに立ちふさがっていた。
 鷲宇の顔を再び見る。彼は顔を背け、「念のため、離れた方がいいな」とつ
ぶやいた。
 純子は、某かの嫌な予感を抱いた。鷲宇の口が開かれるまでが、やけに長く
思えたような。
 その階の端っこまで行き、さらに階段を上って踊り場にたどり着いた。よう
やく話を始める鷲宇。
「僕もつい最近聞いたのだが、彼女……吉川美咲は、実は容態が悪くなってい
るそうなんだ」
「え……で、でも、さっき見たら、美咲ちゃん、元気そうでしたよ。去年より
はずっと」
 身振り手振りを交え、必死に語る純子。
「それは、あの子の容態の悪化に伴い、強めの薬を投与するようになったから
らしい。効いている内は元気に振る舞えるが、効き目が切れたときは……」
「そんな」
 両手のひらで、口元を覆う。自らの呼吸音の乱れが、明瞭に聞き取れた。
「医師の話だと、本当なら手術に踏み切るべきところだが、心臓と肝臓を同時
にとなると、まずそれらの臓器をともに提供される機会に恵まれる必要がある。
日本では難しいらしい」
「どちらかだけでも移植するというのでは、いけないんですか」
「おいおい、僕が言ったんじゃないよ」
 鷲宇に忠告されて、純子は自分が相手に詰め寄っていたことを知る。視線を
床に落とし、すみませんとつぶやいた。
 鷲宇は気にした様子を見せず、力強い口調で説明をする。
「二度の移植手術には耐えられないだろうというのが、医師の予測だ。たとえ
一度目を乗り切っても、次が危ない」
「……そうでしたね……」
 一年前に来たとき、おおよそ聞いていた話だ。状況は変わっていない。いや、
手術の緊急性が高まったのだから、悪くなっている。
 純子はうつむくのをやめた。
「日本で難しいのなら、外国ではどうなんですか」
「うむ。僕も調べてみた。欧米は先進国だから、それだけ設備もネットワーク
も整っている。もちろん、優先順位は定められているから、行けば即手術を受
けられるというものではないらしいが、それでも日本よりはチャンスが広がる。
やはりアメリカ合衆国かな。裏を返せば、人口に比例してか、脳死に陥る人達
が多いということなんだが」
「……」
 目を閉じる純子。わだかまりのような、いたたまれないような。それでも、
助かる命を助けずに、手をこまねいてみていることはできない。
「外国での手術にはお金が掛かるんでしょう?」
「日本でも掛かるさ」
「だから、大金が」
 鷲宇の言い方を意地悪だなと感じた純子だったが、次の忠告――「久住君。
声が」――で思い直した。意識したせいか、台詞が変になったけれども。
「すみません、興奮してしまっているようです」
「いや。それで、話の続きは?」
「あの、時間はいいですか」
 時間が気になったが、変な日焼け跡をつけないよう、純子は腕時計をしてい
ないから、分からない。鷲宇は時間を確かめることなしに、首を横に振った。
「ああ、いいさ。このことを伝えるために、少し時間を取ったんだからね」
「――手術費用って、いくら掛かるのか、分かりますか」
「聞いてどうしようと言うんです、久住君?」
 鷲宇はいつもの口調になって首を傾げると、顔を覗き込んできた。純子は当
然とばかり、すぐに答える。
「わ、僕にできることなら、少しでも協力したいんです。全額は無理でも、一
部なら……」
「確かに、君はこの一年間で相当稼いだから、かなりの割合を受け持つことも
可能だろうね。久住君、ギャラは自分の自由にできるの?」
「は、はい。両親に預かってもらってますが、きちんと使い道を話せば、出し
てくれるはずです」
「それはまた……絵に描いたような優等生です。驚いてしまったよ」
「だ、だって、お小遣いにするには、あまりにも大金なんですから」
「きっと、これまでの分も、ほとんど使ってないんだろうね」
「はあ。望遠鏡を買おう買おうと思って、結局買ってないし、あと、化石の発
掘の体験旅行みたいなものにも行きたいんだけど、時間がなくて」
 これだけを聞いていると、いかにも男の子らしい願いだから、まるで不自然
でない。鷲宇はかすかな苦笑を浮かべ、説いて聞かせる調子で言った。
「使い道があるのなら、それに使いなさい。他の人のために使わなくても」
「どうしてそんなこと言うんですか」
 不満を感じる。むくれ顔になった。
「一人を助けたら、みんなを助けようと考え始める。そうしなければいられな
くなる。きりがない。基金を設立したとしても、売名行為だの何だのと外野が
やかましいし、集まってくる人間との関係にも神経を使ってくたくたになる。
そんな心労を抱え込む必要は全然ないさ。自分で稼いだお金は、自分のために
使えばいいんです」
 言い切る鷲宇は、恐らく彼自身の経験を踏まえて、話してくれたに違いない。
 純子は謝意を覚えつつも、違うなと感じた。息を大きく吸い、ゆっくり吐い
た。鷲宇に対して、言いたいことをぶつけるには、これくらいの準備が必要だ。
「私だって、そうしたい」
「『僕』ですよ」
 鼻先に人差し指を当てられる。純子は言い直し、まなじりを決した。
「でも、自分のすぐ身近に、命に関わることで苦しんでいる子がいるんですよ。
どうしようもないわけじゃありません。お金で助かるんだから、助けたい。助
けなければいけないと思います」
「それは、“持てる者”の言葉だね」
「持てる者が行動を起こさなくて、どうするんですか!」

――つづく




前のメッセージ 次のメッセージ 
「長編」一覧 永山の作品
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE