#5386/5495 長編
★タイトル (GSC ) 01/01/05 22:53 (194)
ベルタ おいで (盲導犬と共に) / 竹木 貝石
★内容
ベルタ おいで (盲導犬と共に) NO.5 柏木 保行 (竹木 貝石)
15 三つの条件
市バスに乗るときの条件というのは、
1 乗車日時と乗車区間を、五日前までに届け出て置くこと
2 口輪をはめること
3 ラッシュアワーには乗らないこと
以上三つです(注5)。
ここでいささか私の要望意見を述べさせていただきます。
第1の条件については、交通局に乗車届けを出すことはさし支えないのです
が、なかなか予定した通りの時間に間に合わせることは難しいもので、職場や
家庭の事情は無論のこと、ベルタのコンディションや私の準備状態、乗客の混
雑やバスの遅れ、道路工事や天候にも左右されます。十日も前から予定し、そ
の日は30分前に準備していても、どんな突発事態が起こるか分かりません。
良くないこととは知りつつ、時折一バス遅れて乗ることがあり、これまで一度
も苦情を言われたことはありませんが、届け通りの時間に乗っていないという
後ろめたさはいやなものです。
ちなみに、国鉄では最近規則が改正されて、フリー乗車が認められるように
なりました。何処でも乗車したい駅へ行って、駅員の方に証明書を見せさえす
れば、いつでも列車に乗れるのです。
第2の条件である口輪についても、国鉄では規定してありません。盲導犬協
会の見解に寄れば、口輪をはめることは、却って「危険な犬である」との印象
を与えるので好ましくないとされています。元来犬は乗り物に酔いやすいのに、
温度の高い車内で、身動きを封じられた上に口輪で締め付けられるのは非常な
苦しみです。
第3の条件として、ラッシュアワーを避けるというのは当然の常識であり、
犬にとってもそれがどんなに望ましいか改めて述べるまでもありません。従っ
て、現在時差出勤を行っていますが、これとても甚だ不便なことがあります。
例えば、夕方4時前のバスに乗れないと、次は6時半すぎまで待たねばなりま
せん。家に帰り着くのがいくら遅くなっても、翌朝は7時前のバスに間に合わ
せなければ、ラッシュアワーにくい込んでしまいます。
私が以前からお願いしたいと思っていることは、ラッシュアワーもかまわず
しゃにむに犬を連れて乗り込むということではなく、1台か2台はバスを見送
ってもよいから、先頭に並んで順番に乗せてもらえたら、それがたまたまラッ
シュアワーであっても、おじゃまにならずに奥の方の座席に入れるのではない
かということです。
以上、これらは私の身勝手な言い分かもしれませんが、ゆくゆくはアメリカ
並に条件を緩和していただけるものと信じています。とにかく、他の都市に先
だって、札幌の市電・市バス乗車を快く許可していただいたことは、感謝に耐
えません。
(注5:乗り物を利用する場合、現在は25年前のような条件(制限)は一
切ありません。)
16 優れた犬もまず健康から
盲導犬に適する犬とは、利口な犬・忠実な犬・勇気在る犬・優しい犬・機転
の利く犬・物事に動じない犬…。しかしながら、一頭一頭に個性があって、同
じ盲導犬でも、おっとりしていて落ちついた犬と元気で快活な犬、剛胆不敵な
犬と優しく明るい感じの犬、用心深い犬と人なつこい犬、脚の遅い犬と速い犬
…、勿論極端に偏っていては盲導犬として不適当ですが、それぞれに多少の違
いはあるもので、ベルタはどちらかというと後者に属します。
ベルタは昭和43年11月2日生まれ、犬の3歳は人間の27〜28歳くら
いに当たるといわれますから、これからが働き盛りです。
シェパード犬は、忠実・大胆・明朗・活発・沈着・鋭敏等、その優れた性質
の故に広く作業犬として活躍し、また、その上品な表情と表現は多くの人から
愛されています。盲導犬としては、大型よりも中型犬が適し、ベルタは今23
キロです。
毎月1回は健康診断を受けます。ロータリークラブのご厚意により、一切無
料でお願いしていますので、私の安月給には大変助かります(注6)。そのう
え、いろんな病気、例えば、フィラリア、ジステンバー、寄生虫、皮膚病、耳・
眼・内臓の疾患等、全て安達先生に見ていただけるのは本当にありがたいこと
です。
学校の帰りに歩いて2キロ、途中歩道橋を渡ったり、市場やパチンコ屋の前
も通ります。歩道の段差では、ちょうど私の歩きやすい位置に上手く停まりま
す。心地よい微風と陽射しの中、鼻歌を歌いながらベルタに全てを任せて歩く、
この一時のなごやかなこと! 冬は少し速く、夏は遅めに歩いて、ほんのり汗
ばむくらいが快適です。信号を幾つか越え、電車通りを右に曲がって暫く進む
うち、やがてベルタが軽く頭を私の膝に寄せてきて停まる所は、まさしく安達
獣医科医院の前です。
「GOOD GOOD. DOOR GO」
と命令すると、ベルタは曲がりくねった通路を巧みに誘導し、診療室の階段
の下に到着します。
(注6:当時は公務員(教員を含む)の給料が甚だ安く、私ども一家はその
日の暮らしにも困る有り様でした。)
17 出来ることと出来ないこと
いかに賢いといっても、ベルタは犬ですから、犬以上の仕事は出来ません。
例えば、複雑な言葉を幾つでも自由に使い分けるというのは不可能で、今ベ
ルタに解る英語は単語で28です。また、私の考えていることなら全てベルタ
が判断して、何も言わなくても何処へでも連れていってくれるという訳にはい
きません。あらかじめおよその道順を頭に入れていなければ、盲導犬を使いこ
なすのは無理です。しかし、数回来て見覚えのある場所なら、ベルタは曲がり
角で停まったとき、目指す方角へ自然と首を廻します。
よその犬はベルタを見ると間違いなく吠えますが、ベルタは一度も吠えたこ
とがありません。けれども、ついその犬の方に気を取られそうになるので、私
は即座に叱ります。ベルタにしてみれば、よその犬を見る度に叱られるので、
やむなく犬のそばを通る際は多少早足で行き過ぎることになります。
犬好きの人が呼んだりなでたりしてくれると、ベルタは尻尾を振り振り寄っ
ていきます。これがハーネスを着けて停留所で待っているような場合だと、本
来強く叱らなければならないのですが、せっかく可愛がっていただけると思う
と、ついリードをゆるめてやりたくなります。しかし、誰かがリードを持って
向こうへ連れて行こうとしても、ベルタは素直について行きません。その人が
リードを手放すが早いか、いっさんに私のそばへ駆け戻ってしまいます。誰に
でもなつくように見えて、主人の私とはちゃんと区別しているのです。
食事は決まった時間に決まった食器で、私が与えます。そうしないと、人の
物や落ちている食べ物をほしがるような悪い癖が付くからです。どうしてもベ
ルタに食べ物をくださる方があるときには、私がもらって帰って家でベルタの
食器に入れてやります。
排便のときは鳴いて教えますし、かなりの時間我慢も出来ます。けれども、
落ちついて歩行する為には、外出の前に用便の時間を取るようにしています。
屋内で粗相することは決してありません。
盲導犬は人に吠えたりかみついたりしないように訓練されていますから、番
犬の役を兼ねることは出来ません。それでも、こっそり近づいてくる人や、無
断で私の持ち物に触れる人には、希に吠えることがあります。一度など、ベル
タのハーネスを別の盲導犬に装着しようとしたら、大層興奮して鳴いたことが
あり、そういう区別はしっかり出来ます。
ですから、私以外の人がリードを持って引っ張ったりハーネスにつかまって
歩いたりするのは無理です。道を教えてくださるときは、右・左を言葉で指示
してもらうか、または、私の手を引いていただくようにお願いしています。
18 ベルタはわが子
家に居るときのベルタは、屋内用犬舎で眠っています。この小屋は、ある犬
好きの洋服屋さんに寸法を計って作ってもらった物で、大きさは90×70×
85センチ、最近一回り大きくなったベルタにはやや窮屈そうですが、わが家
の広さからみて、これ以上のスペースは取れないので、我慢してもらっていま
す。そのかわり、なるべく外で遊んだり運動させたりするよう心がけ、差し支
えない限り、台所を自由に歩かせておきます。今ではすっかり家族の人気者に
なりました。
面倒なこともない訳ではありません。1日に2、3回の排便は、外出の前に
裏庭で済ませますが、雨や吹雪の日でも必ず連れ出さねばなりません。私が病
気のときは、家族の誰かが連れて出ます。盲導犬をみだりに手から放してはな
らないということで、ベルタもそのことを心得ていて、うっかりリードを手放
しても、私から数メートル以上遠くへ行くことはありません。便は、よそでは
ビニール袋を使い、家ではスコップで取って、便槽へ捨てるか畑に埋めます。
ドッグフードは、盲導犬友の会の斡旋で安く買っていますので、肉や魚を混
ぜて与えても、月3000〜4000円で済みます。便の回数が多くならない
ために、食事は夜1回だけですが、空腹を訴えて鳴くようなことはしません。
雨降りに外を歩いた後では、足跡がつかないように、玄関に新聞紙を敷いて、
その上を暫く歩かせてから床上へ上げます。犬小屋の新聞紙や敷物も頻繁に取
り替え、清潔に保ちます。
ブラシを丹念にかけないと、毛が飛び散ったり斑に抜け落ちたりします。ブ
ラシに着いた毛は、紙袋に集めてごみ焼き場へ捨てます。
私の住む市営住宅には風呂場が無いので、度々洗ってやれないのが何より残
念です。それで、毎晩蒸しタオルでベルタの体をよく拭いてから、オーデコロ
ンを振りかけておきます。
休みの日の散歩は私の体をも鍛えます。とかく運動不足になりがちですから、
犬の世話をすることで、否応なしに体を動かし、外気に触れる機会を多くして、
健康上すこぶる有益です。
人間の子どもと同じく、ある程度手をかけて育ててこそ本当の愛情が湧いて
くるもので、そのかわり、自分に足りない面をベルタが補ってくれるのですか
ら、いわば相互協力の喜びといえましょう。
19 夢は広がる
勤務先の盲学校では、職員室の私の机の脇につないでおきます(注7)。慣
れないうち、私の姿が見えないと不安そうに鼻を鳴らして呼んだものですが、
今では1日中黙って待つようになりました。
帰りには町中を通るので、楽器屋・電気屋・金物屋等で買い物が出来て便利
です。今まで目の見える人に頼んでいたのが、一人で何でも用が足ります。白
杖だけを頼りに街を歩く時間の三分の一で済み、たまたま犬を連れずに歩いて
みて、改めてその違いを痛感させられます。
全盲者が一人で歩くとき、多少のけがは覚悟の上、それを恐れていては生涯
一人歩きは適いません。視覚障害者の独歩は、勘と度胸と経験です。無鉄砲に
名古屋や東京を歩き回っていた学生時代の私は、打ち傷や擦り傷の絶えたこと
がなかったといっても大げさではないでしょう。そんな私でも、近頃のような
路上の障害物や車の増加には閉口します。曲がりなりにも妻子を養う身となっ
てみれば、いにしえの度胸は何処へやら、ひたすら安全第一を考え、杖を引き
ずってのろのろと歩くしかありません。
しかし、それがベルタと一緒なら勇気百倍、絶対にぶつかる心配が無い上に、
歩くスピードは素晴らしいもので、後ろからどんどん人を追い越して進むなど、
以前には思いも寄らないことでした。
学校の遠足にもベルタを連れて行きました。丸山グランドまで片道3キロ、
暖かい日を浴びて、1日いっぱい芝生で遊んできました。慣れるに連れて、も
っと遠くへ旅行したいと思っています。
盲導犬と一体になるまでには少なくとも1年はかかるといわれますが、もは
やベルタは完全に私のパートナーとなりました。今後活用範囲を広げていって、
例えば、デパート、食堂、音楽会等、気軽に出入り出来るようになればと考え
ています(注8)。社会の皆様方の一層のご理解をお願い申し上げます。
(注7:近頃では、私と同じ教員で、毎時間の授業に教室へ盲導犬を伴って
行く人も居ます。「盲導犬は視覚障害者の目であり、片時もそばを離れてはな
らない」という気持ちも分からなくはありませんが、私はそこまで固く考えて
いません。盲導犬の役目は当然ながら歩行介助ですが、持ち主や犬の性格、建
物や部屋の様子、職場や社員の意識等により、ケースバイケースで良いと思い
ます。)
(注8:近頃では盲導犬に対する理解が深まり、乗り物は勿論、デパートも
食堂も音楽会も、ほぼ自由に入場させてもらえます。)