#5384/5495 長編
★タイトル (GSC ) 01/01/05 22:53 (136)
ベルタ おいで (盲導犬と共に) / 竹木 貝石
★内容
ベルタ おいで (盲導犬と共に) NO.3 柏木 保行 (竹木 貝石)
6 怒ってはいけない
なんといっても訓練の中心は歩行練習です。AコースからDコースまでカリ
キュラムが組まれており、各コースをほぼ1週間でクリアーする計画となって
います。
あらかじめ地図学習を行い、一人ずつか、あるいは、二人が相前後するよう
にして、犬と出かけます。後ろから先生方が付いて歩きながら、綿密・適切な
注意を加えられ、正しい姿勢と足の運び、ハーネスの持ち方と角度、命令語の
運用とタイミング、褒め方と叱り方、歩道の縁石、家の入り口、歩道橋、踏切、
信号、障害物、雑踏、車などなど、練習することは無限にあります。ほんの僅
かな心遣いで、犬は見違えるようによく働いてくれました。
ハーネスから伝わる微妙な感覚によって犬の動きを知り、それに合わせて歩
かなければなりません。リードだけを持っている時は主人が自由に犬を動かせ
ますが、ハーネスを持った時は犬の責任において主人を安全に誘導しますから、
その使い分けを間違えると、せっかく訓練した犬も崩れてしまう恐れがありま
す。ハーネスは犬からの信号を受ける為の物であり、決して無理な力を加えて
はいけないということです。
絶えず犬を褒めながら注意を集中させることも大切です。もし犬が失敗して
も絶対に腹を立ててはならず、
「叱るのは良いが、怒ってはいけない」
と言われました。叱った後、犬が間違いを改めたら直ちに褒めなければなり
ませんから、前の失敗にいつまでも拘っていないで、すぐ気持ちを切り替える
ようでなければ、立派な盲導犬使用者とはいえません。
「犬に任せ、犬を信頼しなければいけない」
とも言われました。半信半疑で犬に接していると、犬の側でも同様に不安を
持ち、いつまで経っても自信が付きません。盲導犬の性格は主人に似ると言わ
れたことが、この頃やっと納得できるようになりました。
7 順調なときこそ
私どもは夢中で研究しました。ときにはうまくいかずにがっかりすることも
ありましたが、おおむね順調に進歩していくようでした。毎週土曜日には、一
人ずつ歩いて先生方にテストしていただき、合格点に達したら次のコースへ進
みます。歩く距離も次第に増えて、卒業時には一人あたり通算150キロを越
えました。幸い好天が続いたので、訓練の出来なかった日は1日もありません
でした。私ども訓練を受ける側は、毎日キロ数が延びていくのを楽しみに歩き
ましたが、先生達にしてみれば、四人分を歩かねばならないので、さぞ大変だ
ったことと思います。
2週目、すなわちBコースに入ったある日、福井さんが突然膝関節を痛めて
歩けなくなりました。色々手を尽くしたにも関わらず、歩行訓練は無理という
ことで、やむなく舞鶴へ帰らなければならなくなったのは実にお気の毒でした。
そろそろ全員に疲れが見え始めました。
私は日頃小登山や市民歩け運動などに参加して脚を鍛えていたので、全く疲
労はなく快調でした。ところが、そう思っていた矢先、ちょっとしたコンクリ
ートのでこぼこにつまずいて生爪をはがしてしまいました。幸い化膿すること
なく治りましたが、物事に慣れたとき、巧くいっているときこそ、最も注意し
なければならないという教訓を、身をもって味わいました。
8 盲人泣かせの難所
4週目にはDコースを歩きましたが、これは甚だ難しい訓練でした。
盲導犬学校を出て、吉祥寺駅を回って帰ってくるのですが、その間約9キロ、
歩道の幅が1メートル半有るでしょうか! その真ん中に電柱や標識や看板が
立ち並び、路上には、自転車・リンゴ箱・ごみ箱などが置いてあり、それらを
右に避け左にかわしながら、ちどりに縫って歩きます。どうしても通り抜けら
れないと判断したとき、ベルタはぴたりと停まり、仮令私が
「GO」
と命令しても動こうとしません。ふと手を伸ばしてみると、すぐ前に障害物
が在りますから、それをまたぐなり、体をひねって避けるなりすると、ベルタ
は歩き出します。それすらも不可能なほど歩道いっぱいに障害物の在るときに
は、いったん車道へ下りて、一定距離を進み、再び歩道に戻ります。
道路工事やダンプカーやコンクリートミキサー車の騒音で、一人だったら到
底歩けない場所もあります。
特に恐ろしかったのは、人道の無い狭い道をひっきりなしに車の通る、いわ
ゆる〈盲人泣かせの難所〉が2キロ以上、滅多に使わない折りたたみ式白杖を、
このときばかりは伸ばすことを許されましたが、運転手にそれが見えているの
かいないのか、轟音を響かせた大型トラックが、熱風を吹きかけて耳のそばを
走りすぎていきます。ほとんど車の切れ目もありません。
一回りして帰ると冷汗びっしょり、けがも事故もなく無事戻って来たのが不
思議なくらいの難コースでした。この訓練に合格すれば、よほどの道もまず楽
々と歩けること請け合いです。
9 遠足
日常生活においても大変親切にしていただきました。電話・手紙・買い物等、
一切不自由はなく、入浴は毎日、食事は高カロリーでこれまでに食べたことの
ないくらい豪勢でした。食事時の愉快な話題の数々も今は懐かしい思い出です。
みんな楽しく元気でした。
とはいうものの、そろそろホームシックになり始めたのも事実で、吉野さん
は新婚3ケ月、青山さんは初めての赤ちゃんが生まれて1ケ月というのに、盲
導犬をもらう為に、理療業を休んで東京に出てきているのでした。その点、私
の場合は休暇をもらって、留守中の振り替え授業等万事お願いしてきているの
で気楽な筈なのですが、やはり学校のことが気になります。
今や訓練も仕上げの段階に入り、卒業間近い最後の日曜日、思い出の遠足に
行きました。
吉祥寺から中央線で東京駅、山手線で浜松町まで乗り、四十階建てという貿
易センタービルを見物しました。4頭もの盲導犬を連ねて歩くのは壮観で、人
々は好奇の目を見張ります。展望台に上って一時を過ごし、みやげ物を買いま
した。帰りに、塩屋先生懇意の店、インド人の経営するレストランで食事をし、
銀座四丁目の雑踏をかき分けかき分け歩きました。電車内での犬の態度は紳士
的で(ベルタは雌犬ですけれども)、乗り物やエスカレーターを利用する自信
がつきました。
10 東京を去るベルタ
12月19日は、私ども第30期生の卒業の日でした。
朝から綺麗に洗い上げられたベルタをドライヤーで乾かしました。
「盲導犬」と書いたプレートをハーネスに取り付け、「第55号」と彫り込ん
だ大きなメダルをチェーンカラーにぶら下げてもらいました。
「日本盲導犬学校において、規定の歩行訓練を終了したことを証する」
旨の、盲導犬使用者証もいただきました。正に指折り数えて待ちわびたこの
一瞬です。
同期生二人が新幹線で愛知県へ帰っていった後の教室はガランと静まり返っ
てしまいました。ベルタには何事かが分かるのでしょう。悲しそうにしきりに
鼻を鳴らして落ちつきません。私は急に哀愁が襲ってくるのを覚えました。
ベルタはまもなく住み慣れた土地を離れ、雪深い北海道へ行かねばなりませ
ん。繁殖者からパピーウォーカー、そして指導員の厳しい訓練を経て、私は4
人目の主人となります。2歳の幼いベルタは、このようにめまぐるしい境遇の
変化をどのように受けとめているのでしょうか? 私はこの優しくいじらしい
生命に対し、深い愛情で報いなければならないと心に誓うのでした。
羽田発16時10分、塩屋・織田 両先生が見送ってくださいました。盲導
犬が国内航空に乗るのはこれが最初です。
複雑な心境でプロペラのうなりを聴いている私の足下に、すっかり飼い主を
信頼したベルタが静かにうずくまっているのでした。
[1971年(昭和46年)1月20日 記す]
引き綱に 犬の温もり 伝い来る
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