#5383/5495 長編
★タイトル (GSC ) 01/01/05 22:52 (170)
ベルタ おいで (盲導犬と共に) / 竹木 貝石
★内容
ベルタ おいで (盲導犬と共に) NO.2 柏木 保行 (竹木 貝石)
第一部 東京編
1 沢山の励まし
北海道第一号の盲導犬を、しかも札幌盲学校代表として寄贈して頂くことは、
まことに光栄ですが、それだけに責任もまた重大で、盲導犬について何も知ら
なかった私には色々な不安がありました。
「狭いわが家に子どもが大勢居て、犬の世話が行き届くだろうか? 片道1時
間半、市営バスを乗り換えて通勤するのに、はたして盲導犬の活用が許される
だろうか? ……」
しかし、動物好きの私のことでもあり、次のような理由も在って、寄贈をお
受けすることに決めました。理由と言うのは、盲導犬による視覚障害者の独立
歩行を実践・研究して、生徒や卒業生にその範を示したいという大それた望み
でした。
同僚は勿論、小野寺健男校長からも、
「もし、盲導犬の適当な置場所が無いときは、校長室に置いてもかまわない」
と励まされて決心を固め、早速、獣医の安達満留先生をお訪ねしました。先
生は、このたびの盲導犬寄贈に際し、ロータリークラブの役員として、随分お
骨折りくださった方で、
「全て手はずは整っているから、あとは東京へ行きさえすればよい」
とのことでした。
2 豊かな経験 溢れる情熱
昭和45年11月18日出発……。
リュックに長靴・雨合羽という奇妙な出で立ちは、左手に犬・右手にステッ
キを持って、雨降りや遠距離の歩行練習をする場合の備えでした。
札幌からの長距離列車に一人で乗るのは慣れています。途中格別のこともな
く、翌昼すぎに上野着…。
車で出迎えに来ていただいた見習い指導員の人の案内で、練馬区にある日本
盲導犬学校(今の東京盲導犬協会)に着きました。
応接室に入ると、庭の方からのどかな犬の鳴き声が聞こえてきます。
校長の塩屋賢一先生は、日本で最初に盲導犬訓練を手がけられた方で、この
道30年、豊かな経験と溢れる情熱に、強く心を打たれました。
担任として直接指導してくださる織田敏雄先生は、6年前にテレビで盲導犬
訓練を知って感ずるところがあり、親の反対をよそに、会社をやめて上京、塩
屋先生の下で立派な指導員と成られました。他の職員や家族の皆さんにも紹介
され、色々な話をお聞きしました。
その後だんだんと解ってきたことですが、1頭の盲導犬に要する費用は、訓
練費その他を含めてざっと百万円、それらは塩屋先生の経営になる愛犬学校の
収益と寄付金によってまかなわれ、職員は給料が安いばかりか、70頭の犬の
世話は、昼夜を問わず多忙きわまるものでした。
一方、盲導犬を希望する視覚障害者は400人を越え、年間30頭を目標に
しても、まだ不足とのことでした(注1)。
今回、私が特別のはからいによって訓練を受けられるのも、ひとえに札幌西
ロータリークラブ、日本盲導犬学校および札幌盲学校のお陰と、改めて感謝す
ると共に、期待に沿わなければならないと心に誓うのでした。
(注1:近年各地に盲導犬訓練所が出来て、当時よりは需要と供給のバラン
スが良くなってきているようです。)
3 自然な姿に感動
翌日はいよいよ訓練第1日目になります。
その朝、私の同級生(同期生)として一緒に訓練を受ける3人の視覚障害者
が到着したので、教室は急ににぎやかになりました。荷物を納め、付き添いの
人たちが帰ると、早速授業に入りました。
まず、盲人用地図を使って、校内のおよその配置を学びました。地図という
のは、ビニールを切って板に貼り付けた物で、指で触れてよく分かるように作
られています。教室・七つの犬舎・グランドと排水溝・犬の炊事室・水飲み場
など、全て塩屋校長個人の敷地だそうですが、なかなか広くて、最初は戸惑う
ほどでした。
次に、盲導犬用の装具や部品を見て、その操作法を学びました。チェーンカ
ラー(首輪)・リード(引き紐)・ハーネス(胴輪)、いずれも良質の材料
(皮やステンレス)で頑丈に作られています。早く犬に装着して実際に使って
みたくなりました。
訓練第2日目は、まず命令語の色々を学び、その使い方や抑揚を繰り返し練
習しました。
言葉は20数語に上ぼり、さらに必要に応じて幾つかをつけ加えていくこと
が出来るとのこと、それらを聞き分ける犬の能力に感心しました。
その日は、初めての歩行練習も行いました。リードとハーネスを持って、織
田教官の誘導で付近を一回りしてきます。角角で停まる度に、
「STRAIGHT」
「RIGHT」
「LEFT」
を指示し、褒め方や叱り方のコツも教わりました。
教官の使命感に燃えたひたむきな努力に頭が下がるとともに、犬代わりにな
って盲人を引っ張りながら、道で顔見知りの人に会えば、ごく気軽に挨拶を交
わされる、その自然な姿に、私どもは強い感動を覚えました。
4 初めて呼んだベルタ
訓練三日目は日曜日に当たり、午前中自由に休息しました。
校内の様子も分かり、同級生ともすっかり親しくなりました。犬独特の匂い
が漂う教室の雰囲気にも完全にとけ込みました。
午後、待望の犬をもらうことになりましたが、このときの模様は今もはっき
りと記憶に残っています。
訓練生4人の体格や性格に合う4頭の犬が教室に連れてこられると、その足
音や息づかいが、ある種の期待を呼び起こします。
さて、チェーンカラーとリードを着けてから、犬の名前が紹介され、これよ
り新しい主人に引き渡されます。豊橋市の青山さんにはクローネ、江南市の吉
野さんにはクラータ、舞鶴市の福井さんにはルナ、そして私にはベルタ…。
「ああ、なんとすてきな名前だろう!」
私が、
「ベルタ」
と呼ぶやいなや、1頭の犬が走り寄ってきて私の顔をペロリとなめました。
「オー、ベルタ…!」
私はリードを手繰って自分の傍らに座らせました。
一般にシェパード犬(注2)は気が荒く、飼い主とその家族以外の者が触る
ことなど出来ないのが普通です。私は内心かみつかれるのではないかと案じな
がら、そっとなでてみました。長い胴体、豊かな尾、とがった口、とりわけぴ
んと立った形のよい耳……。幼くして失明した私にとって、シェパードを触れ
てみるのはこれが初めてでした。
けれども、そのときはまだ本当に可愛いという実感が湧かず、ちょうど生ま
れたての赤子を抱いた父親のように、照れくさいようでそれでいて嬉しいよう
な、一種名状しがたい心境でした。
これより訓練終了までの1ケ月、ベルタと私は片時も離れませんでした。夜
はベッドの下に、食事中は椅子の足下に、道を歩くときは傍らに、いつもベル
タは神妙に控えています。ときには私の命令がうまく伝わらず、ベルタの気持
ちが飲み込めないこともありましたが、それらを一つ一つ反省し、その都度、
織田教官や塩屋校長の経験に照らしての教えを受けつつ、文字どおり一喜一憂
の毎日を過ごしたのです。日が経つに連れて、深い愛情と信頼が増し、意思の
疎通が楽になっていくのを感じました。
(注2:最近はシェパードの盲導犬がほとんど居なくなりました。その大き
な理由に、健康問題があると思います。シェパード犬は胃腸が弱く、その点ラ
ブラドール犬に比べて管理しにくいのではないでしょうか? しかしながら、
私は個人的にシェパードの盲導犬が大好きです。)
5 犬の声の中に眠る
本格的な訓練に入ってからの日課は次の通りです。
7時半 朝食、8時半 地図による歩行コースの学習、9時 歩行訓練、11
時半 犬の排便、12時 昼食、13時 午後の歩行訓練、16時半 犬の食事と
排便、17時 入浴、18時 夕食、19時半 反省と講義、21時半 犬の排便、
22時 消灯。
これらの合間を見て、服従訓練、ブラッシング、その他身の回りの用事を済
ませます。
無論、この日課は訓練の為の時間割ですので、自宅へ帰ってから以後現在の
日課はもっと簡略になっています。
風呂場、食堂、グランド、雑貨店等は、各々教室から離れていて、一般道路
を数十メートル歩いて行くようになっています。白杖は一切使わず、いつも犬
と歩きます。その都度ハーネスをはめたり外したりしなければなりませんが、
これもまた練習の一つです。
犬の餌は『ゲインズ』というドッグフードに、鶏の頭を加工した物を混ぜて
与えます。
排尿を「ONE」、排便を「TWO」と呼んで区別し、犬をグランドへ連れ
ていって、リードを長くゆるめて行います。ベルタの動作や姿勢から、ONE
なのかTWOなのかを察知することが肝要です。便の後始末は、ビニール袋を
使えば全盲者でも簡単に処理出来ることを教わりました。
毎日1回は、櫛とブラシを使って汚れを取り、毛並みを整えてやります。毎
月2回は、湯と薬用石鹸でベルタの体を洗い、バスタオルとドライヤーで乾か
します。
歩行以外の服従訓練、例えば、
「SIT」
「WAIT」
「COME」
等も練習します。犬が英語を聞き分けるというのも、つまりは言葉の調子を
聴き分けるのですから、新しい主人の声の色や言葉の抑揚に慣れさせる必要が
ある訳です。
夜のミーティングは、その日の歩行訓練について反省や質問を行い、その後、
塩屋先生の講義に移ります。犬の性格、犬種の色々、盲導犬の歴史、盲導犬の
適正、犬の健康管理等々、大層有意義でした。
北海道の暖房生活に慣れた私には、朝夕の寒気が身にしみます。
数十頭の犬の呼び声に目を覚まし、犬の声の中に眠りました。
そうするうちに、ベルタがまさしく自分のものであるという実感を深くして
いったのです。