AWC そばにいるだけで 55−7(文化祭編−後)   寺嶋公香


前の版     
#5370/5495 長編
★タイトル (AZA     )  00/12/31  07:49  (181)
そばにいるだけで 55−7(文化祭編−後)   寺嶋公香
★内容                                         04/04/11 11:16 修正 第2版
 富井はおたおたとコートを脱ぎ、丸めて、空いている隣席に置いた。顔が赤
くなってきているように見える。
「あ、暑くなってきちゃった」
「大丈夫かな。気を付けないと、風邪を引きかねない。火照ってない?」
「な、何で?」
「顔が真っ赤だよ。熱があるんじゃないか。ちょっとごめん」
 左手を自らの額、そして右手を富井の額にそれぞれ当てる相羽。静かに判断
を下す。
「熱はないよね」
 右手を引っ込める。富井が、またもうつむいていた。
「どうしたの。何か、あるみたいだ」
「相羽君、実は、話があるのっ。き、聞いてほしいんだけど」
 折角のきっかけを逃すまいと、富井は相羽の言葉に飛び付いた。早口で言っ
て、うつむき、相羽の反応を待っている状態である。
 一方の相羽は、一瞬間、逡巡した。だが、それだけだった。軽く首を振って、
「もちろん聞くよ」
 と優しい調子で答える。眼差しも穏やかで、見つめられる方は安心できるこ
とだろう。短く顔を起こした富井からも、少し、違和感が抜けたようだ。
「あ、あのね」
 だが、また下を向いてしまっている。消え入りそうな声とまでは行かないが、
こちらを向いていないため、くぐもって聞こえる。
「……」
 相羽は、声を掛けるべきだろうかと考え、口を開いた。しかし、何も言わず
に、閉ざす。適切な言葉が浮かばないのと、真っ赤になっている富井を見て、
彼女がこれから言おうとしている内容が、おおよそ想像できたため。
 そのとき、変な疑問が、ふっと浮かぶ。
(富井さんは、僕が感づいたことに、気が付いているのだろうか?)
 何故こんなことを考えたのか。それ自体を、相羽は考えてみた。幸いにも、
富井が踏ん切りを着けるまでには、まだまだ時間を要しそうである。
(多分……僕は期待している。僕が感づいたと分かったら、富井さんは話すの
をやめるかもしれない、と)
 相羽は、富井が決めるのを待った。黙って、グラスを両側から手で押さえる。
たっぷり浮かんだ水滴が、指の隙間から染み出した。きっと、すでにぬるくな
り始めているに違いない。氷の姿が、ほとんど見当たらない。
 富井が、突然、声を絞り出した。
「ね、ねえ、相羽君。ちゃんと、聞いててね」
「聞いているよ」
 相羽が答えると、富井はレモネードのカップを両手で包み込んだ。まるで、
相羽の真似をするかのように。しかし、彼女は今、相羽の様子を見えていなか
ったはず。偶然に違いない。
「絶対にだよ。私、い、一回しか、多分、言えないと思うから」
「分かった」
 相羽は答えると同時に、グラスから手を引いた。
 返事に元気づけられたか、いきなり顔を起こした富井。まだ赤みを残したま
ま、相羽をじっと見返す。唇が離れようか離れまいか、迷っていた。何度か逡
巡し、離れたと思ったら、またくっついて。苦労して離れても、声が出て来な
い。
 そんな繰り返しの末に……三分間は経過していただろうか。
「相羽君。好きです。私と付き合ってほしい」
 富井がとうとう、打ち明けた。大きくもなければ小さくもなく、普段通りの
声量で、いつも以上に落ち着いた調子だった。時間をかけた成果で、覚悟がで
きたのかもしれない。
 顔色も普通になっていたのだが、言い終わってから、再び赤の色を濃くして
いく。急性の赤面症という病がもしあるとしたら、今の富井がそれだ。
「……」
 相羽は返事できずに、前髪をかき上げるのみ。緊張しきりの富井を前にして、
どんな返事ができるだろう。
 相手が望んでいる言葉は、嫌でも分かる。そしてその言葉を口にすることだ
って、肉体労働としての側面から見れば、苦もなくできる。
 でも、心理的には、全く違う。
(表面だけ優しくするのは、容易いよな。しかし……僕は今でも、純子ちゃん
をあきらめていない、忘れられない)
 何度目になるかなと、ふっと思った。
 意中にない女子から告白されたのは、純子と再会を果たしたあとに限っても、
二度あった。これで三度目。いくら経験を重ねても、相手を傷つけず、優しく
断る言葉が見つからない。
 それでも、今までなら、もっと早くに断りの返事を示せた。今回は、ほんの
少しだが、事情が異なる。
(富井さんは、純子ちゃんの親友。なおさら、言いにくい気がする)
 言うべき台詞を考えた。が、何も浮かばない。
 真向かいでは、富井がいつまでも顔を伏せている。時間の感覚を失ったかの
ように、じっと同じ格好をしていた。
 相羽は、もう限界だと判断し、決心した。
「薄々感づいているとは思う」
 富井の肩の辺りが、ぴくりと動く。表情までは見えない。相羽は、思い切っ
て告げた。
「他に好きな人がいる」
「……それって……」
 富井が顔を起こし、ゆっくりとした動作で、背もたれに身体を預けた。顎を
引き、上目遣いで相羽を見やってくる。
 相羽は、富井が喋りきるのを待った。けれども、彼女の口から、文を形作る
語は出て来なかった。もう言わなくては。
「だから、富井さんの気持ちに応えることはできない」
 穏やかな口調で告げて、相羽は相手に真摯な視線を向けた。同時に、富井の
目から、涙が溢れるのを見た。手は膝上に置かれて、動かない。
 富井はそのまま、背筋を伸ばした姿勢で、笑みを作った。作ろうと、必死に
努力していた。
「……ありがと……」
 やっと振り絞ったような、か細い声だったが、富井は確かにそう言った。涙
を流していることに気付かないみたいに、満面に笑みを広げる。無理をしてい
るのが、恐いくらいに明らかだった。
「これで、けじめ、ついたから……すっきりしたから……気持ちの整理ついた
から……ごめんね。相羽君。長い間、ありがとう。さよなら」
 最後のフレーズで、心の堤防が決壊してしまった富井。とうとう両手で顔を
覆い、泣き始めた。声を殺しているが、それでも漏れてくる。
「富井さん」
 名を呼ぶと、富井は席を立とうとした。察した相羽もすぐ立ち上がり、止め
ようとして、富井の手を掴む。
「どこへ行くんだ?」
「……だ、だから、さよなら。もう会わない」
 相羽がハンカチを取り出し、渡す。富井は思わずという風に、受け取った。
「拭いて。まず、泣き止んで」
「……うん」
 広げたハンカチで、顔全体を覆う。表情を隠したいかのように。
 相羽はしばらく間を置いてから、富井を座らせ、自分も元の席に収まった。
そして尋ねる。
「聞いていいかな」
「いいよ」
 まだ泣きはらした様子の抜けきれない富井であるが、即答してきた。
「もう会わないって、どうして。どういう意味?」
「……終わったから。もう望みなくなったんだし……分かってたんだけれど。
それで、会わない方がいいかなぁって」
「応えられなかったのは……ごめん。でも、富井さんは、友達もやめてしまう
気か?」
 富井は答えず、下を向いた。フォークを手にし、ケーキの小片を食べるでも
なく、細かく刻んでいく。
「さっき、気持ちの整理がついたとか言っていたよ。それなのに、もう会わな
いっていうのは、変じゃないかな」
 極めて静かに、相羽。
「僕の顔なんか見たくもないのは、理解できるけれど」
「ううん。そんなことはないよぉ」
 相羽を見上げ、富井は嫌々をする具合に首を振った。フォークを置き、レモ
ネードを飲んだ。
「相羽君と……誰か女の子とが、二人で幸せそうにしているのを見るのが、つ
らくなると思うから。だから、もう会わない」
 気持ちの整理がついたというのが真実なのかどうか、相羽には分からない。
それに、たとえ真実だとしても、富井の言っていることに矛盾はないように思
えてきた。
「富井さん、約束してほしいことが一つあるんだ」
「なぁに?」
 かすれ声で応じる富井。おしぼりの水分を目の回りに当て、涙の痕跡を消そ
うとする。
「ずっと友達でいてくれないかな」
「――」
 手の動きが止まる富井に、相羽は続けて言った。
「残酷な言い方になったのなら、謝る。でも、僕はこんなことで友達をなくし
たくない。しばらく顔を合わせられなくなっても、いつかまた普通にお喋りが
できるようになると信じている」
「……いつになってもいいかなぁ?」
「もちろん。友情に期限はない」
 少し芝居がかって、気取った調子で答える相羽。唇の端に笑みを覗かせた。
 富井が、やっと笑った。さっきと違う、無理のない笑顔だ。
「それなら、何とかなりそう」
「ハンカチを返すのは、そのときでもいいよ」
 相羽はひょいと指を出し、富井に握りしめられたハンカチを示した。すると、
富井が目を大きくして、そしてまた笑う。
「私も、そうしたぁい。けれどぉ……やっぱり、今、返すね」
 ハンカチの両端をつまむと、ぴんと引っ張り、それから折り畳む富井。ハン
カチを相羽に差し出す。黙って受け取った。
「こうしないと、いつまでも相羽君のことを考えちゃいそうだから。ハンカチ、
ありがとう。泣き止んだよねえ、私?」
 自らを指差し、富井は目を見てほしいとばかり、相羽に顔を近付けた。
「ああ、大丈夫みたいだ」
 相羽は本当にそう思った。

           *           *

 道を急ぎながら、繰り返し、感じ入る。
(久仁香達の方から、誘ってくれるなんて)
 何日か前、一緒にショッピングでもしないかとの連絡をもらったとき、純子
は戸惑うと同時に、嬉しくもあった。後者が前者の何倍も大きい。
 えんじ色をしたベレー帽を手で押さえ、ロングスカートの裾を多少気にしつ
つ、駆け足で待ち合わせ場所のアミューズメントビルに向かう。
 到着してみると、約束した時間より十分も前。歩いて来ても、充分に間に合
ったようだ。
 エントランスホール右手にある、大きな案内板の前に目を走らせる。富井と
井口の姿はまだない。純子は改めてほっと胸をなで下ろし、案内板に駆け寄っ
た。出入口の自動ドアへ向き直り、両手を揃えて待つ。
(芙美も来たいと行っていたけれど、どうなったのかしら。結局、電話がなか
ったから、都合つかなかったのかなあ)
 もしそうだとしたら、ちょっぴり残念――純子はため息をついた。その拍子
にずれかけたベレー帽に、手をやり、取り去った。黒髪が流れる。今日はポニ
ーテールをやめて、真っ直ぐ下ろしてみた。間接的に、風谷美羽であることを
脱ぎ捨てたかったのかもしれない。今日は、小学生の頃に戻ってみたい。
 上着を脱ごうか、少し迷う。暖房が効いているのだが、出入口に近いこの場
所は、風がたまに吹いてきて、ひやっとすることもしばしば。純子はコートの
前を開けるだけにとどめた。ついでに、腕時計をポケットから取り出し、時刻
を確かめる。あと五分あまりある。
「ねえねえねえ、一人?」

――つづく





前のメッセージ 次のメッセージ 
「長編」一覧 永山の作品
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE