AWC そばにいるだけで 55−6(文化祭編−後)   寺嶋公香


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#5369/5495 長編
★タイトル (AZA     )  00/12/31  07:48  (197)
そばにいるだけで 55−6(文化祭編−後)   寺嶋公香
★内容                                         04/04/11 11:15 修正 第2版
「え」
 短い叫びを吐いたきり、町田は富井をただただ見返した。富井は、町田の真
っ直ぐな視線に、目をそらすことなく応じる。そのまなじりや、強く閉ざされ
た唇が、意志の固さを表明しているかのよう。
「久仁ちゃんはすっぱりと手を引く、みたいなこと言ってたんだよねえ。私も
一瞬、そうした方がいいかなあって思った。だけど、あきらめられなくって。
よく考えて、決心したわ」
「どうしても、するの?」
「うん」
「そう……」
 気が進まない。ふられるのが目に見えていると思えるから。
(郁だって、頭の中では分かってるはずなんだけどな……。ふられることであ
きらめがついて、丸く収まる方向に進むかもしれないけれど、そういうのって、
できれば避けたい)
 正面に座る富井の様子からして、翻意させるのは難しそうだ。そもそも、他
に良策があれば説得もできようが、今の町田の胸の内には何もない。
「これで、あきらめがつくと思うんだ」
 町田はずきりとした。富井本人の口から、こんな明確な台詞が出て来るとは。
(郁自身も玉砕覚悟なら、このままでもいいか。決着の最後のチャンスになる
かもしれないんだし)
 町田も決心した。後押ししよう。そして、あとのフォローも考えなければい
けない。
「告白するのは、いつ?」
「十二月に入って、すぐするつもり」

           *           *

 この土曜日は、朝からずっと緊張していた。
 舞台袖で待つ間は震えが来そうで、恐ろしかった。でも、一旦客前に出てし
まえば、不思議と度胸が据わる。
「――周りの方達のおかげで、どうにか最後までやり通せました」
 映画『青のテリトリー』の公開初日。主要出演者達には、大劇場での舞台挨
拶のお役目があった。無論、純子も含まれる。
 順番にマイクが回ってきて、コメントする。二言三言でいいとは言え、久住
淳として人前でインタビューに応じるのは、初めての経験。それでなくても、
今日は初めて尽くしなのだが、純子の緊張感はもう収まっていた。
(物を投げられるのかと思っていたけど、そんなことなくてよかった)
 久住は、香村綸の代役として起用された身。ひょっとすると、挨拶のときを
狙って、カムリンファンが集結し、罵詈雑言の嵐を浴びせられる……そんな覚
悟さえしていた。
 だが、現実は全く違った。久住のファンとおぼしき人達が、たくさん詰めか
けてくれていた。もちろん、星崎や加倉井のファンも同じように大勢いたに違
いないのだが、歓声の大きさや多さでは、久住が一番だった。その意味で、か
えって恐縮してしまったほど。
 滅多に生で見られない希少価値があることを差し引いても、久住人気は本物。
そして根強い。それを一番分かっていないのは、当人かもしれない。
「このあと映画がありますが、今はこれが僕の精一杯です。もしも次があれば、
そのときは、自分の力で魅せられるように頑張ります」
 事前に考え、用意しておいたものとちょっと異なるコメントを終えて、純子
は深々とお辞儀をした。激しい拍手と黄色い声を浴びる。少し、恐くなるほど
だ。
 とにもかくにも大役を果たし、隣に立つ加倉井にマイクをパス。彼女の方は、
さすがに慣れていた。聞きほれて、知らない内に横顔を見つめていた。気付い
て、慌てて前を向く。
(お客さんがみんな笑顔で、よかった。でも、観終わってからの拍手なら、も
っと喜べるのにな)
 贅沢な要望が、内心でちらと覗く。純子は他の出演者やスタッフらとともに
退場しつつ、超満員の観客席に手を振った。
 見納めとばかり、ひときわ大きく俳優の名を呼ぶ声、声、声。「久住ーっ」
という叫びの中には、若い女の子の金切り声だけでなく、男の物も混じってい
た。
「大した人気ねえ」
 完全に引っ込んでから、加倉井が妬ましげに言ってきた。純子は身構えなが
らも、にこやかに応じる。
「冷や汗ものです。演技のうまさに直結してくれたら、こんなに気重にならな
くてすむんでしょうね」
「じゃあ、唄って、あれだけの声援を受けたら、自信満々でいられるってわけ
か。いいわよね、久住君には誇れるものがあって」
 加倉井の甘えるような調子の声は、なかなか聞けるものではない。純子は目
を白黒させたいのを我慢していた。
(加倉井さんてば、私のことを、ううん、久住を年上だと思い込んでいるんだ
もん。参ったわ。この程度ならまだいいとしても、悩み事を相談されでもした
ら、困っちゃう)
 すっかり受け身になっているところへ、星崎が助け船を出してくれた。
「加倉井君にも、誇れるものはあるだろう。演技力という」
 対して加倉井は、余計なことを、と言わんばかりに嘆息した。大きな動作で
髪をかき上げ――今日の加倉井はショートヘアだが――、首を横に振る。
「上には上がいるから、嫌になりそうよ。比べるものではないと分かっていて
も、ああ、この人にはかなわない、と思ってしまう」
「今日はえらく素直だね」
「いつもよ」
「君の年齢で、それだけできれば充分だよ。伸びる可能性は、先輩方を遥かに
凌駕しているんだから」
「……可能性だけならって、誰にだって当てはまる理屈ね、それって」
 嬉しそうに頬を緩めつつも、ぷいとそっぽを向く加倉井。
 それをいいことに、星崎は話し相手を、純子に換えた。
「久住君。この間は無理に付き合わせて、すまなかったね」
「とんでもない。僕の方こそ、お礼を言わなくちゃ。ごちそうさまでした」
「何よ、二人とも。私にも分かるように話をして」
 さっきから、加倉井は子供っぽく振る舞っているようだ。これでもし、新部
綾穂までこの場にいたら、と思うと、少なからず恐くなる。収拾がつかなくな
っていたかもしれない。いや、きっとそうに違いない。現実には新部は今頃、
別の劇場――彼女の地元の――に出向いているのだ。
「知りたいかい? 二人で、いいことしたんだよ」
 星崎の言い回しには、加倉井も純子もびっくりした。
(な、何て言い方するの、星崎さんたら!)
 内心だけでなく、表情も露に慌てる純子。
 が、これのおかげで、加倉井は徐々に普段の彼女になっていく。
「おあいにく様。私も子供じゃないんだから、そういう思わせぶりな言い方を
されたって、全然引っかからない。正直に話して、星崎さん」
「そんな風に言われると、話したくなくなる。久住君に聞けばいい」
 そうして星崎は、マネージャーに呼ばれて行ってしまった。取り残されて、
加倉井は当然のごとく、久住淳へと振り返る。
 純子は縮み上るような思いで、聞かれる前に即答した。
「大した話じゃありませんよ。一緒に食事しただけなんだから」
「ふうん。いいわねえ。私もしたい」
「だったら、星崎さんに頼めば……きっとOKしてくれるはず……」
 早くこの話題を断ち切ろうと、純子は適当なことを言った。すると、目の前
で、加倉井が大きく首を横に振る。
「ち・が・い・ま・す」
「え?」
「そうじゃなくて、私も、久住君と一緒に食事がしたい、という意味。星崎さ
んとなら何遍でもあるわ」
 純子は加倉井の前で、がっくりと膝をつきそうになった。すんでのところで
踏みとどまって、「どうして僕なんかと」と問い返す。
「何で理由がいる? 久住君とは、これからも一緒に仕事してみたいから、そ
の話でもしながらということで、かまわないかしら」
 細かい点を気にしない加倉井の答に、純子は呆気に取られた。
(俳優さんにとって、歌手と食事するのが、そんなに珍しいことなのかな?)
 自分でもおかしいなと思いつつ、純子は考えてから答を出した。
「大先輩と二人というのは、緊張します。星崎さんとの食事で、こりました。
だから、もっと大人数でなら」
「私の方も、それでかまわない」
 にこにこする加倉井であった。

           *           *

 試験勉強でどうしても教えてほしいところがあるから来て、と富井に頼まれ、
相羽はこれまでと同様、図書館前まで出向いた。
 相羽は元々、今日は映画を観に行くつもりだった。無論、純子が出ている映
画を。試験前で暇を作るのにちょうどいい日だったのだ。それを富井からの急
な頼みによって変更したのは、映画は後回しにできるという思いから。
 天気はよくなく、雨が落ちてきそうな曇り。これで気温が下がれば、雪にな
るに違いない。無論、陽射しがない分、今でもかなり肌寒くはある。風がない
のが救いだ。
 折りたたみ傘と鞄を持って、待ち合わせ場所である図書館前の噴水を目指す。
遠くから人影を確認できた。
(……あれ?)
 富井が一人で立っている。
 相羽は、一度に三つほどまとめて驚かされた。
 今までなら、約束の時間までに着くのは相羽だけで、富井と井口の二人は二
回に一度の割合で、遅刻したものである。特に、富井の方が顕著だった。
 相羽は思わず、足を止めて懐中時計を見た。まだ一分余りある。
(はっきり言って、珍しいな)
 それに加えて、富井一人というのは、どうしたわけだろう。記憶を辿ってみ
ても、井口の方だけが遅れて来たのは、なかったように思う。
(まあ、それも起こり得ない事態ではない。決め付けはよくないよな、うん)
 自らを納得させ、駆け足になった。
「待たせたみたいだね」
「あ、相羽君」
 顔を伏せがちにしてた富井は、声を掛けられ、びっくりしたように起こした。
「私の方が、早く着すぎたんだよぉ。えへへ……」
 舌先をちらと出し、笑う富井。
「寒くなかった? 中で待っていてくれてよかったのに」
 近くで見ると、富井の服装が、やけに暖かそうなのが分かった。一番上にふ
わふわしたコートを着て、その中は窺いしれないものの、たくさん着込んでい
るのは外見からして間違いない。
 富井自身、「これだけ着てきたから、大丈夫だった!」とはしゃぎ気味に答
えた。普段以上に、テンションが高いようだ。
 どことなく違和感を覚えた相羽だったが、気にしないことにした。
「それじゃ、入ろう」
 先に歩を踏み出した相羽だが、服が突っ張る感じがして立ち止まる。振り返
ると、富井の手が、相羽の服の背の部分を、しっかり掴んでいた。
「どうしたの?」
「……」
 すぐには返事がない。見れば、富井はまたうつむいている。
「もしかして、今日は図書館、臨時休館かい?」
 思い付いて、建物の方へ向き直る相羽。もし想像が当たっているとしたら、
貼り紙らしき物が出入口にあるはずだが、見当たらなかった。
 富井に視線を戻す。ちょうどそのタイミングで、彼女は口を開いた。
「……やっぱり、身体が冷えちゃったから、どこかでお茶が飲みたい。温かい
飲み物が」
 相羽に再びの違和感。しかし、彼は吹っ切って、提案する。
「それじゃ……館内の喫茶店でいいかな」
 図書館一階の一画には、喫茶店がある。メニューはありふれていて数も乏し
いが、図書館利用者であるなしを問わず、誰でも入れる。たいていの客が本を
読んでいるため、静かなのが特徴的だ。
 富井が「それでいい」と言ったのを機に、喫茶店に足を向ける。近付くに従
って、現在の客は数えるほどだと知れた。ドアを相羽が引く。暖められた空気
が、丸い固まりのような感じで、顔に当たった。
「ホットレモネードと……レモンとチーズのケーキを」
 メニューから選ぶ富井の様子は、いつもと変わりがないように見えた。相羽
は、気のせいだったかなと思いつつ、自分の注文をミックスジュースに決める。
冷たい飲み物にしたのは、店内が意外に暑く感じられたからだ。
 客が少ないおかげか、ほとんど待たされずに、皿とカップ、グラスが届けら
れる。それぞれ、手前に置かれたところで、話を始める。
「私は初めて入ったけれど、感じのいいところだね」
「僕も、あんまり利用したことはないんだ。ここで出費するなら、家で紅茶を
飲む方がいいよ」
 相羽が肩をすくめてみせると、富井は少しだけ声を立てて笑った。彼女が何
口かレモネードを飲んだのを見計らい、相羽は尋ねる。
「もう暖まった?」
「え? あっ! ええ。うん」
 富井の慌て気味の返答に、相羽は三度、怪訝な思いにとらわれた。どう見て
も、様子がおかしい。

――つづく





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