#5371/5495 長編
★タイトル (AZA ) 00/12/31 07:52 (198)
そばにいるだけで 55−8(文化祭編−後) 寺嶋公香
★内容 04/04/11 11:17 修正 第2版
突然、しゃがれ声で話し掛けられ、純子はびっくりして目を起こした。髪を
赤っぽく染め、両耳にピアスをした男だった。身長は純子と同じぐらいで、年
齢は向こうの方が上のようだ。線みたいな眉をしている。
「一人ですが、あとから友達が来ます」
返事をし、相手をそれとなく観察する。
全体にすらっとしていて、格好いい部類に入ると言えるかもしれない。ただ、
個性的ではないようだ。芸能界にも首を突っ込んでいる純子にとって、ファッ
ション雑誌を切り抜いた見本のようなスタイルの子は、どこに出もいる人とし
か捉えられない。
「友達って、男、女?」
男は、外見に自信があるのだろう、軽い調子で喋り、手振りを加え始める。
「何分ぐらい待ってんの? どうせ来ないって。時間の無駄だからさあ、こん
なことしてても。だから、俺達と一緒にどこか行こうよ」
純子の返事を聞く気があるのかどうか、疑いたくなるほど、早口でどんどん
まくし立てる。
純子は純子で、気分を害されて、少なからずむっとしていた。
「約束の時間には、まだまだあるわ。もっと待たないと」
「ほんとにー? 疑わしいなあ。じゃあさあ、じゃあさあ、電話番号だけでも
教えてよ。あ、もちろん、携帯の方ね。自宅だと掛けにくくてさ」
「無理よ。個人的には持ってないから」
角が立たないよう、当たり障りのない答をする純子。個人的に携帯電話を持
っていない、というのは事実である。あくまで仕事用に渡されただけだ。
男は名残惜しそうな目つきをしたが、これは脈なしとあきらめをつけたか、
ため息混じりに肩をすくめた。
「残念だなあ。携帯の番号教えとくからさ、気が向いたら、連絡してくれる?」
「いらない。しないから」
最後の望みも絶たれ、男は「ちぇ、空振りか」と舌打ち。他の女の子を物色
する風に頭をきょろきょろさせながら、純子に背を向けた。
やっと行ってくれた……と安堵したのも束の間、男が足を止めて、一点を見
つめている。その視線の先には、水色の大きな柱。ポスターが貼ってある。
(――あ、まずいかも)
気が付き、純子はどうしよう?と思った。貼ってあったのは、連続してイメ
ージキャラクターを務めている口紅のポスターだったのだ。よくよく見れば、
あちこちにある。
男が振り返る気配を見せる。
「あれって君じゃ……あれ?」
純子は素早く場を離れ、案内板横の柱の陰に隠れた。「おっかしいなあ」と
つぶやく声を背中で聞きつつ、再びベレー帽を被る。用心して、少しでも目立
たないようにしよう。
(モデルの子だと気付いてもらえたのは、嬉しいような気もするけれど……や
っぱりまずいわ。だいたい、どうして髪型を変えたその日に、分かってしまう
のよ)
昔には戻れないことを示唆されたように感じられて、暗然たる思いが広がる。
(万が一、モデルをやっているせいで歯車が狂ったというのなら、やめればい
い……ううん、何言ってるのよ、自分は。関係ない)
消極的な考え方に支配されそうなところを、首を振って抗う。そして帽子を
取った。隠しても仕方がない。
純子は柱から顔だけ覗かせ、友達を探した。やむを得ずとは言え、待ち合わ
せ場所を離れてしまったわけだから、気が急く。
「じゅーんこっ!」
いきなり呼ばれ、背中にタッチされた。びくりとして振り返ると、井口が間
近に立っている。すぐ後ろに、隠れるようにしている富井の姿も確認できた。
「いないと思ったら、こんなところにいたの?」
「あ、うん。ごめん。ちょっと知らない人から声を掛けられて、逃げてた」
「えー? 危なそうな人ってこと?」
極端な解釈をする井口に、純子は慌てて両手を振った。
「そうじゃなくて、普通のナンパだったんだけど、そこの……ポスターに気付
いたみたいだったから、隠れたの」
「はぁ、大変だわね。余計な気遣いをしなければならない」
「そんなことないよー。気付かない人が圧倒的に多いもの。その方が、私も助
かるんだけれどね」
「うーん、私達からすれば、純子には、サングラスするくらいの有名人になっ
てほしいな」
「恐いこと言わないで」
結構、現実味のある話になってきているだけに、身震いする純子。話題を換
えようと、富井に顔を向けた。
「二人とも、何時頃に着いたの? 私がいなくて、探し回ったんじゃあ……」
答えるのは、井口。
「ううん。じきに分かったわよ」
「よかった。あ、それと、芙美は結局?」
「今日はパスだって。用事が重なったみたいだったよ」
結果的に、井口とばかり話している。純子は、改めて富井を見やった。
「ねえ、郁江。最初はどこ行こうか?」
「……ベンチがいい」
と、ベンチのある方向へ腕を真っ直ぐ伸ばした富井。
脈絡のない発言に、純子は何故か、息を飲んだ。自分の問い掛けを無視され
たのかと思った。
だが、実際は違ったようだ。富井から井口に視線を移すと、彼女は言う通り
にしてやってという風に目配せし、両手を合わせた。
純子は井口からも視線を外し、唇をゆっくり、固く結んだ。しばし黙考する。
推測は意外と容易だった。
(単に買い物をしようっていうわけじゃないみたい。恐らく……相羽君に関係
した話があるんだ)
相羽に対しては、純子なりに、気持ちを抑制してきたつもり。少なくとも、
面に出さないように心掛けてきた。
と言っても、胸を張って、私はもう相羽君のことを何とも思っていません、
と宣言するのは難しい。いや、無理なのだ。琥珀をくれたのが相羽だと知って
以来、純子の想いは、好きだという想いは、あたかも純度の高い鉱物として結
晶し、揺るぎないものとなったのだから。
蒸し返されるのを拒絶することも、もちろんできない。逃げたくない。
「分かった」
答える純子の手に力が入って、帽子が握り潰された。
「他の人に取られない内に、ベンチにダッシュよ」
三人が座るとちょうど満員になるベンチは、金属製で、最初、肌にかなり冷
たかった。思わず、座り直す。
端から順番に、井口、純子、富井という並びで腰を据え、短い沈黙のときが
流れた。周囲の人の往来が途切れたのを機に、それは破られる。
「私から言うね」
真っ先に口を開いたのは、井口だった。そばかすの跡が残る顔を、半分だけ
純子の方に向け、若干、寂しそうに始める。
「最初に何を言えばいいのか、分からないんだけど……そう、これからの話は、
相羽君と私達のことだよ」
「うん」
「それで……私、今ではもう、相羽君をあきらめたから」
「え……」
前を見つめ、聞き耳を立てていた純子は、はっとして振り向いた。井口は相
変わらず、寂しげな笑みを浮かべている。
純子は反射的に、富井のことが気に掛かった。息を弾ませんばかりの勢いで、
振り返る。両手を膝の上に置き、落ち着いた様子だった。井口の話を聞いてい
るのかどうか、判然としない。あるいは、先んじて聞いたのかもしれない。
「あれは九月だったよね」
井口の声に、純子は忙しく首を動かし、反対を向く。井口は、ぽつりぽつり
と続けた。
「純子、あなたが私達を呼び出して、相羽君に振られたようなことを言って、
身を退くって」
「う、うん」
「あれは、嘘だった?」
「え? ううん、本心から言ったわ」
心を読まれたのかと、驚く。だけど、あのとき、喫茶店で井口達に言った台
詞は、嘘偽りのない気持ちなのは確かだ。純子が嘘をついた相手がいるとした
ら、それは相羽であると言えるかも……。
井口は顔から寂しさを消し、微笑を浮かべた。
「一つ、嘘があるでしょう? 相羽君があなたを振ったんじゃなくて、あなた
の方から相羽君の告白を断った……」
「――聞いたんだ?」
かすれ気味の声で、それだけ返すのが精一杯。
井口も、「芙美から」と短く答えるのみ。代わりに、周囲のざわめきが甦っ
た。多分、さっきからずっとざわざわしていたに違いない。黙り込んで、初め
て気付いた。
「や、やだなあ。芙美も、お節介なんだから」
純子が沈黙を破ったが、あとが続かないし、二人からの声もない。再度、静
まり返る。
「言っておくけど、芙美は悪くないよ」
間欠泉のように交わされる会話。井口が言った。
「私達のためを思って、話してくれたんだから……」
「ええ、分かってる」
(恐らく、一番苦しんだのは、板挟みになっていた芙美かもしれない。ううん、
今もまだ板挟みなんだわ)
純子は自己嫌悪の息をついた。しかし、自分には現時点で言える言葉がない
ような気がした。何を話そうと、言い訳に聞こえてしまうのが恐い。
「それでね」
井口がトーンを高めた。自らを鼓舞するかのように、元気よく純子の方を振
り向く。
「芙美からその話を聞いて、よく考えたんだ。すぐには結論出なかったけれど、
やっぱり、純子に悪いことしたなあって」
「久仁香……」
「そういうわけで、さっき言った通り、あきらめましたっ」
吹っ切るように宣言する。そして表情を曇らせた。
「遅いかもしれないけれど……。ごめんね、純子。気を遣わせるだけ遣わせて、
私の方はあなたの気持ち、全然考えていなかった」
「な……何を言うのよ。私は別に、今は」
台詞の途中で、井口が純子の手の甲に、自らの手を重ね合わせた。話すのを
やめた純子に、井口は首を横に振った。次いで、やや前屈みになり、富井に話
し掛ける。
「郁江」
「……うん」
富井が返事すると、井口は純子から手を離した。自然、純子は富井へと視線
を移す。富井の目が充血しているのを認識させられる。
富井は時間を掛けて、純子を真正面から見ることができた。それから、憑か
れた風に喋り出す。
「じゅ、純ちゃん! 私はさあ、久仁ちゃんみたく、あきらめよくなくてさ。
えへへ……この間ね。相羽君に告白してみたの。これが最後のつもりで、だめ
でもともとって思って」
「ちょ、ちょっと待って」
話が急すぎて、純子は止めにかかった。事態を即座に理解できない。
郁江は一旦うつむき、大きな深呼吸のあと、顔を上げて話を再開する。
「最初から分かってた通り、断られちゃった。でも、いいんだ。これは、私が
気持ちに整理をつけるため、終わりにするためにやった、何ていうか……儀式
みたいなものなんだよね。相羽君、困った顔してただろうなぁ……涙で、よく
見えなかったのよねえ」
「郁江……」
「相羽君に悪いことしちゃった。それに、純ちゃんにも。ずっと迷惑掛けてき
た。――ごめん、許してね」
「そんなこと、言わなくていいよぉ」
泣き声になりそうなのを、懸命に我慢する純子。
(ばか、みんなばかよ。こんなに、仲がこじれるまでになって、それで結局は、
みんなあきらめるだなんて、ばかみたい。一番ばかなのは、私だ)
目頭が熱くなって、瞼を指で押さえた。意外と、涙は出ないものだ。あまり
に愚かしくって、出て来られないのかもしれない。
富井は謝り続けていた。文章としてはなっていないが、気持ちがこもる。
「ごめんね。私もほんとは、心の底では、感じていたの。それに気付かないふ
りをして、相羽君と少しでも長く一緒にいられるのが嬉しくて。ずっと、純ち
ゃんに辛い思いさせてきたのに、見ないようにしてた。これぐらいまでなら、
いいわと思って……間違ってた」
「いいよ、郁江。もういい。長い間黙っていた私の方がいけないのよ」
それでもやめようとしない富井の両手を取り、純子は目で語りかけた。
「じゃあ、許してくれると言ってよぉ。でなきゃ、不安でたまらない……」
「そんなの、当たり前じゃない! 私も郁江や久仁香に許してもらえるなら、
凄く嬉しい」
富井の手を取ったまま、井口へも振り返る。自分のこととオーバーラップし
たのか、井口は目尻をごしごしこすっていた。
「これで、本当に、元通りになれたよね」
「うん、うん」
純子達のいるベンチの前を、買い物客が何事かと振り返って、通り過ぎてい
く。そんな視線、かまうものか。
長く続いたわだかまりが、真に解けた瞬間を迎えたのだから。
――『そばにいるだけで 55』おわり