#5178/5495 長編
★タイトル (AZA ) 00/ 9/30 1:48 (200)
そばにいるだけで 52−5 寺嶋公香
★内容
「は、はい」
やけに素直にうなずくと、新部は言われた通りにする。灯台の光のように、
じっくりと見渡す。彼女の動きが止まると、鷲宇は言葉を足した。
「凄い顔ぶれだと思わない?」
「それは思いますけど。私も、好きで女優やってるんですから」
「みんな、君の大先輩で、君のことを知らない。加倉井舞美さんは、君を皆さ
んにきちんと紹介したかったんじゃないだろうか」
「紹介?」
「うむ。加倉井さんがそう思っているところに、君が先走って、話し掛けてき
たものだから、対処のしようがなくなって、機嫌を損ねたのかもしれないね」
新部は押し黙ってしまった。唇を噛みしめ、言葉の意味を考えているのか、
宙の一点を見つめる。
「それに、加倉井さんだって、この面々の中にあっては、まだまだ若手と言え
る――んだよね、久住君? 僕は俳優関係に詳しくないので、自信ないのだよ」
「え? ええ、そうでしょうね」
突如話を振られ、瞬間的に焦った純子だが、そつなく応じる。この頃にはも
う、鷲宇の話の意図が理解できていた。
鷲宇は確信を得た様子で続ける。
「ならば、加倉井さんもまた、先輩に気を遣わねばならない身だ。ずっと新部
さん、君の話し相手になってばかりもいられないに違いない」
「……じゃあ、もとを質せば、加倉井さんは、全部、親切でやってくれたこと
だったってことですか?」
「多分ね」
そう言う鷲宇の口ぶりは、自信に満ちていた。
(鷲宇さんて、年下の私にでも、友達みたいに話してくれるから、同い年の感
覚があったけれど)
純子は微笑みを隠しきれずにいた。
(さっすが、年の功!なんてね――)
自分の笑みが女の子のそれになっていないか、急に気になって、即座に真顔
に戻った。ほっぺたを両手で押さえていると、新部がくるりと振り返った。
「それじゃあ、淳。私達は新人同士、仲よく待ってましょう。先輩方に声を掛
けてもらえるまで」
待っていると、色んな人から話し掛けられた。
「久住君、ちゃんと食べてるか?」
コップ片手に近付いてきて、いきなり肩を抱き寄せたのは、星崎だった。普
段とまるで様子が違う。純子は、アルコールの匂いに鼻を押さえた。
「星崎さん、お酒、飲んでますね?」
「ああ、飲んでる。二十歳になったんだから、誰にも文句言わせない」
どことはなしに、説教じみた口調である。
「それで、食べてるかい、久住君?」
「い、いえ。わ――僕は、立食形式が苦手で」
応じながら、内心、呆れ気味になる。
(あの星崎さんが、こんなになっちゃった。やあねえ、お酒って。星崎さんも
ほどほどにすればいいのに。私、大人になっても、酔っ払うまで飲んだりしな
いんだから)
「だめだなあっ、ちゃんと食って、身体を作らないと」
言って、純子の背中をばんと叩く星崎。セーブしていない力だ。
「こんな華奢な身体では、激しい歌やアクションなんか、できないぞ」
「お言葉だが、星崎君」
咳き込む純子に代わって、応えたのは鷲宇。
「心配無用だね。自分は個人の力に沿って、曲を作っているから」
「――すみません」
少し、酔いが醒めたような星崎。鷲宇は星崎を純子から引き離してから、笑
みを交えて言った。
「それにね、必要があるなら、久住君に体力を付けるよう、僕自身が言うよ。
いや、正確には、命令する、かな。ははは」
「鷲宇さんは、厳しいと有名ですからね」
星崎も二股とは言え、音楽にも情熱を傾けている身。実力者の鷲宇の話とあ
って、真剣に聞こうとする態度が見え始めた。
一方、星崎から解放された純子には、その星崎のマネージャー、柏田翔子に
頭を下げられていた。
「本当に、申し訳ありません」
謝罪の言葉が、ひそひそ声だ。眉を寄せ、困り顔で、しきりに周囲の目を気
にする風が見て取れる。
「星崎は今年二十歳になったのですが、意外とお酒に弱い質らしくて、飲むと、
ちょっと変わってしまうんです」
「はあ……でも、お気遣いなく。特に嫌な感じがしたわけじゃありませんから」
「ですが、実はお願いがございまして」
腰の低い柏田。撮影中にも、二度ほどこのマネージャーと接する機会があっ
たが、ここまで丁重ではなかった。
純子は、ほとんど本能的に警戒しながらも、耳を傾けることにした。
「久住さんと一緒に食事がしたい、と申しておりまして、はい」
「僕と? 何で」
思わず、理由を問い返してしまう。急ぎ、フォローを。
「その、どうして僕みたいな駆け出しと」
「キャリアは関係ありません。気にしないでください。うちの星崎が、久住さ
んを大変気に入って、もっとあなたのことを知りたがっているんです。それに、
繰り返しになりますが、あなたの体格を心配しておりまして……無理な減量を
してるんじゃないかって」
「そんなことないです。これで普通……」
「そうでしたか。では、その、営業的に減量しているのでなければ、問題あり
ませんね?」
「え?」
「ぜひ、食事に同席してやってください。私からもお願いします」
「は、はい、かまいませんけど、いつ頃に……」
「ああ、ありがとうございます。お約束しましたわよ」
純子の手を取ると、強く握りながら笑顔で念押ししてくる柏田。この場にテ
ーブルと椅子がもしあれば、契約書にサインを求めて来そうな勢いだ。
「ええ。それで、いつ頃に」
「いつでも。久住さんのお暇なときに、こちらでスケジュールを合わせます。
ただ、できればディナーがいいんですけれど、どうでしょう」
「お任せします。僕の方が、星崎さんに合わせないといけない立場ですから」
「ですけど、あなたも売れっ子ですし……歌番組でご一緒する機会でもあれば
いいのですが、そういうのも聞いていませんしね」
現時点では、歌番組に出ない方針だから……とは言い出せず、純子は「残念
ですね」とおざなりな返事をした。
「とりあえず、こちらから連絡するということで、よろしいでしょうか」
柏田が話をまとめに掛かる。
純子の側から言えば、どちらでも結果は同じようなものだという思いがあっ
た。こちらから誘えば絶対にキャンセルできないし、逆に、星崎から誘われた
ら受けないわけにいかないだろう。
(鷲宇さんと市川さんには、あとで言っておけばいいわ)
「全て、お任せします」
純子は同じ返事を繰り返すにとどめた。
星崎と柏田が去ってしばらくすると、加倉井が一人で近寄ってきた。ちょう
ど新部がいなかったのは、偶然なのかどうか。
純子は、加倉井の前だと特に緊張する。正体を見破られるとしたら、この人
によってだろうと、直感が教えてくれる。
手にしたジュースで乾杯し、再会の挨拶を交わした後、加倉井が聞いてきた。
「これから先、俳優は続けられるの?」
「いえ、本業に専念したいですね」
「もったいない。映画初主演で、あれほど見事にこなしていたのに」
「ありがとうございます。加倉井さんに誉められるのは、とても光栄で嬉しい
です。けれど、今回の出演は特別ですから。香村さんの件がなければ、回って
こなかった話です」
「カムリンのおかげってわけねえ」
苦笑する加倉井。拍子で、ジュースがほんの少し、こぼれた。
「あら、いけない」
コップを持ち替え、濡れた右手を振る加倉井。
純子は黙って、ハンカチを差し出した。深緑色をした男物である。
「使っていいのかしら?」
「そうじゃなきゃ、取り出したりしない」
言いながら、加倉井のコップを持ってあげた。久住として精一杯振る舞う。
加倉井はハンカチを受け取ると、一度開いて、水分を拭き取った。
「ふふ、このきざな態度は、師匠譲り?」
返すと同時に尋ねてきた。思わず、反復する純子。
「師匠譲り?」
「鷲宇憲親も女性相手だと、こんな具合なのかしらね」
返事に窮する純子。何故って、鷲宇に女の子として扱ってもらった記憶が、
ほとんどないため。比較のしようがない。考えて、適切な答を作った。
「鷲宇さんも優しいですよ。ただ、今のは師匠譲りじゃありません。敢えて言
えば、父親譲りかな」
「ふうん。久住君て、面白いことも言うのね」
本当に面白がっているのかどうか分からない。加倉井は薄く笑って、興味深
げに首を縦に振った。
「もちろん、言いますよ」
のどを潤しながら、純子。
「これでも、コメディやコントが結構好きなもので」
「その割には、撮影の間中、ずっと真面目なお喋りしかしなかったじゃない」
「そうでしたか? もっとも、素人同然でしたからね。恐い先輩に囲まれて、
目立たぬよう身を縮こまらせるのに必死で、笑いを取る余裕がなかったとして
も、無理ないでしょ?」
「誰が恐い先輩ですって」
腰を折って、下から顔を覗き込む風にする加倉井。純子は、角度を変えて見
られるのを危険と感じて、素早く立ち位置をずらした。距離を取ってから、肩
をすくめる。そして、しれっとして言った。
「僕は、名前を挙げてはいません。加倉井さん、自覚あったのですか?」
「――まったく、随分、慣れたようですこと」
嘆息すると、コップの中身を干す加倉井。空にしたコップを手近のテーブル
に置くと、純子の腕を引き、壁際の椅子にいざなった。
「お腹空いてない? お腹にたまりそうな物なら、向こう側にあったわよ。に
ぎり寿司とかローストビーフとかね。取ってきてあげましょうか」
「いえ。わ――僕は、さっきサンドイッチをもらったから、充分」
手を振って純子が断ると、加倉井は隣りに腰掛けた。
「久住淳というのは、本名?」
「……唐突ですね。本名は秘密になってるんです。ごめんなさい」
「先回りするなんて、ずるいわねえ。追及してやろうと思ってたのに」
「すみません」
「謝らなくていいわ。それよりも、今後の活動は、やはりテレビには出ないで
進めていくつもりなのかしら」
「ええ。鷲宇さんに言われました。『テレビを見ているファンは、歌を聴きた
いんじゃない。喋りを聞きたがっている。事実、歌手が唱い始めると、視聴率
が下がる』って」
「ばかばかしくて、テレビなんかに出ていられないってわけ?」
「違いますよ。僕はトークがうまくないから、そんな番組に出るのはまだ早い
と、釘を刺されてしまって」
「じゃあ、レッスンは主に、トークの練習をしてたりして? あははは」
「あながち、外れとも言えないところが恐い」
調子を合わせる純子。加倉井は、一層楽しげに笑った。
「充分、トークも行けるんじゃなくて? 私としては、まだまだ共演してみた
い人だわ、あなたって」
「勘弁してください」
二重、三重に疲れるから、とまではもちろん言わない。
「歌だけに集中したいってわけね。他に趣味は? たとえば……」
加倉井の横顔が、不意に意地悪げな笑みを宿した。
「女の子とかには興味なくて?」
「ありません」
新部からアプローチされて以来、この手の質問には、きっぱりした答を心掛
けるようにした。最初から返事を決めておけば、動揺することもない。
余計な突っ込み防止のため、
「あくまで、現時点ではという条件付きだけどね」
と、フォローしておくのも忘れずに。
加倉井はふんふんと首を振り、「ガードが堅い。鷲宇憲親の授けた売り出し
方針が徹底しているわ」と、したり顔になる。さらに続けた。
「それじゃ、あなたは本職歌手だけれども、こうしてドラマ出演する分にも、
キスシーンやベッドシーンには何の障壁もないのね」
「ベ、ベッド」
思わず、絶句。赤らんだであろう頬の辺りを、右の手のひらで覆い隠し、加
倉井から顔を背ける純子。荒い鼻息が自分でも聞こえて、急いで呼吸を整えた。
単なる言葉に過ぎないのに、鼓動が早くなったよう。
「ふうん、思ったよりも純情なんだ?」
加倉井の囁き声に振り返る。からかうような笑みがあった。
「じゅ、純情とかそうでないとかは、関係ない。どうして、そう飛躍するんで
すか。僕らの年齢でベッドシーンはないでしょう」
「絶対にないとは言い切れなくてよ。まあ、いいわ。ベッドシーンは除きまし
ょ。キスシーンは問題ないわよね? 女性に興味ないんだったら」
「それとこれは、話が違うと思いますが」
――つづく