AWC そばにいるだけで 52−6   寺嶋公香


        
#5179/5495 長編
★タイトル (AZA     )  00/ 9/30   1:49  (200)
そばにいるだけで 52−6   寺嶋公香
★内容
「だったら、単刀直入に聞くわね。演技でキスすること、できる? 具体例を
出しましょうか。シナリオに、私を抱き寄せ、口づけを交わすことと記してあ
れば、素直に従えるのかな」
 正面から見つめられ、純子は前髪に右手の指先を突っ込んだ。まともに見ら
れると、落ち着かない。腕を盾にし、それでも一応、問い掛けに対する答を考
えてみる。
(キスなんて、女同士でできるわけないわ。たとえ演技でも嫌……って、そう
いう問題じゃないのよね。加倉井さんは私のこと、男だと思って聞いているん
だから、つまり……)
 手を入れ替え、時間を稼ぐ。
(私が男の人を相手にして、キスシーンを演じられるかどうかってことと同じ。
……だめ、できない)
 結論が出ると、純子は口で答えるよりも早く、両手で×印を作った。
「やっぱり、歌に専念させてもらいます」
「だめなのね」
 がっかりした風に、肩を大きく上下させ、息を吐く加倉井。座ったまま両足
をぶらぶらさせるという、彼女にしては珍しい、子供っぽい仕種を見せた。
「次の仕事の話が持ち込まれていて、その共演に久住淳をと考えていたのに、
残念ね」
「えっと」
 どう反応していいのか分からない。迷う内に、先に加倉井が口を開いた。
「一応、秘密扱いだから、誰にも言ってはだめよ。そう、正確には、次の次の
次ぐらいの仕事になるかしら。私が主演で映画をって話があるの」
「えっと、さすがですね」
「うちのプロダクションが大きく関わっているから、配役に関して結構要求で
きるわけよ。もっとも、私はわがまま言う方じゃない。与えられた役を最高に
こなすだけ」
 言葉を区切り、ためを作る加倉井。
「でも、次の映画では特別に、要求を出そうと思っていた。久住君、あなたの
こと気に入ったから、またやってみたい」
「僕では力不足だということは、よく分かったはずですが」
「その通りよね」
 あっさり肯定される。事実なのだから仕方ないが、あまりにも簡単にうなず
かれると、多少むくれたくもなる純子。
(それだったら、相手役として要望を出さないでよ)
 ところが、加倉井の口から次に出たのは、フォローのフレーズ。
「でも、惹かれる。具体的に言い表すのは難しいんだけれど、演技に気迫を感
じる。幾重にも折り込まれた演技。計算尽くというのではない、天然でもない。
ベールに包まれたような」
「あはは、大げさな」
 純子は手を一つ打った。誰か他の人が寄ってこないかと期待したが、会場内
はざわめきに満ちていて、皆、それぞれのお喋りに忙しい模様。
(あっぶないわ。加倉井さんが感じているのは、恐らく、私が久住淳になった
上で、さらに演技していることから来る違和感。気を付けないと)
「そういう感想は、僕の歌を聴いたときに、いただきたいものです」
「当然、歌手・久住淳の歌には最高の賛辞を送る。そこいらのアイドル歌手が
束になってもかなわない。それとは別に、俳優・久住淳にも魅力を感じたの」
「買い被りです。じゃなきゃ、ビギナーズラックかな。高く評価してもらえた
のは大変光栄ですが、これからは歌に専念させてください」
「仮に、一年後に持ちかけても、だめ?」
 しなを作る加倉井。これまた彼女にしては、希有の仕種だ。純子は、身を引
き気味にした。
「……少しは、考えを変えるかもしれません。可能性はあります、とだけ」
「あきらめたくないわ。やる気が起きたときは、すぐに連絡をちょうだい」
 ようようのことでこの話題を決着し、純子は立ち上がろうとした。加倉井も
立ち上がり、何気ない調子でついでのように聞いてきた。
「そういえば、あの相羽信一という男の子とは、どういう関係?」
「どういう関係って、以前、言った通り、友達……」
 何故、相羽の名を出したのだろうという疑問から来る動揺を隠し、純子は返
答した。足は止めざるを得ない。
 加倉井は、視線をちらっと一点へやった。見ると、新部が映画会社のお偉い
さんに頭を下げている。
「あの子が、あなた達の関係を怪しんでいたようだったけれど」
「な、何を言うんですか、加倉井さん」
 焦りを覚える一方、いちいち反論するのも疲れる。純子はがっくりと頭を下
げ、苦虫を噛み潰したような表情になった。
「あれは誤解です。綾穂ちゃんにもきちんと説明して、分かってもらったんで
すから。間違った噂、流さないでくださいね」
「慌てるところが怪しい」
「加倉井さんっ」
 指差してきた加倉井に、短く鋭く言い返す。
「ふふふ、冗談よ、冗談。すぐに本気にするんだから。撮影中もそうだった。
クールに振る舞っていても、肝心なところは素が出るっていうか。久住君、あ
なた、だまされやすいでしょう? それに基本的に嘘のつけない性格」
 また指差されて、ずばりと言われた純子は、そうかもしれない、と思った。
(相羽君や唐沢君とかによく言われた。すぐ引っかかるって。でも、嘘はつい
てるけどね、男になりすますなんていう大それた嘘を)
 そこまで考え、はたと浮かんだ突飛な想像。
(もしかして、加倉井さん、久住が私――涼原純子だと知ってて、試している
んじゃ?)
 純子は唾を飲み、加倉井を瞬きしながら見返した。視線が合いそうになって、
急いでそらす。
「どう? 勘は当たった?」
「――あ、ああ。半分は当たり」
「半分?」
「いくら僕でも、嘘はつきます」
 免罪符になるわけでもないのに、これくらいは正直に答えておこうと思った。
「だったら、さっきの返事も嘘になることを期待していいわね」
 言い残すと加倉井は足早に離れ、純子の知らない大人の男性と話を始めた。
(さっきの返事って……ああ、次の映画のことね)
 加倉井の後ろ姿をぼんやり眺めながら、見当をつけた純子。
(それまで、久住淳の正体がばれずにいられるかどうか、自信ないんだけどな)

 お開きまであと少しの頃合いになってから、鷲宇を交えて、ある人物と引き
合わされた。大物タレント故、こんな終了間際になって、やっと顔を出せたと
いう事情があるらしい。
「紹介するまでもないだろうが、こちら、蓮田秋人(はすだあきひと)さん」
 鷲宇が腕で示した三十がらみの男性は、背は純子とほとんど変わらないが、
浅黒い肌とやや落ち窪んだ頬のせいで、精悍な印象を発散していた。笑わない
コメディアンとして人気を博し、俳優業に転出、今は劇団の主宰や映像制作も
手掛ける蓮田の名は、全国民のほとんどが知るところに違いない。
「初めまして」
 純子は、意外と冷静に挨拶ができた。単純な意味での大物を目の前にしたら、
物怖じもしようが、蓮田ほどのビッグネームでは、物怖じする余裕さえ失うよ
うだ。テレビ画面を通して対面している、そんな錯覚がある。
「初めまして、久住君。蓮田です」
 握手を交わす。大きな手が、純子の手を包み込んだ。ごつごつして、古傷の
目立つ手の甲なのに、包まれた純子の手はやわらかく暖かい感じを受け取った。
「かねがね、声は聴いていたが、姿をしかと見たのは、今日が初めてなんだ。
あの歌声に似合わない男前だな」
 どういう意味の発言なのか計りかねて、何も答えず、純子は愛想笑いを浮か
べた。その間に、蓮田は一人、捲し立てるように喋り始めた。
「早速なんだが、近々、いや少し先の将来になるかもしれない。何せ、いい加
減だから、俺」
 独り言が挟まり、文脈が乱れて、話が見えてこない。純子は耳をそばだて、
聞き逃すまいと懸命だった。
「現在の俺には、いつになるか約束できないのが残念だが、とにかくいつか、
面白くてでかいことをやろうと思ってるから、そのときが来れば、協力してく
れ。と、頼むために、こうして駆けつけたんだが、いいかな」
「私にできることでしたら」
 具体的なことがさっぱり分からないにも関わらず、純子はそう返事していた。
気付いたときには、勝手に言葉が口から出ていた。半ば無意識の返答だったか
ら、思わず一人称に「私」を使ってしまっていた。
 原因は、蓮田の勢いだ。渦のような勢いに、吸い込まれた。
「――鷲宇さん、大丈夫ですよね」
 我に返って、横に立つ鷲宇に目を向ける。カリスマ性なら蓮田に比肩するこ
の歌手は、腕組みをし、にこにこ笑うだけだった。
「信じなさいって。金儲けになるかどうかは保証できないが、絶対に楽しい思
いをさせてやると約束する」
 粗野な物言いだが、自信に満ちて、人を惹き付ける。純子は、蓮田の魅力の
秘密を垣間見た思いがした。
(テレビだと、こんなに喋らないのに。たいてい、まじめ腐った顔をして、面
白いことを言って、自分は全然笑わない。そういう蓮田秋人しか見たことなか
った。目の前にいる蓮田さんは、全く別の面を見せている……)
 ファンの前では演じているのだろうか。あるいは、ひょっとすると、ここに
いる蓮田秋人も、演技の上のキャラクターかも……そう思うと、純子は何故か
しらほっとできた。自分だけが己を偽って見せているのではない、と。
 そのとき、何も言わないでいた鷲宇が、口を開いた。純子の耳元に囁き調で
告げる。
「サインをもらっておかなくていいのかな」
「あ……言われたら、ほしくなりましたけど、でも、失礼な気がして」
 ひそひそ声で返すと、鷲宇はまた含み笑いをした。
「大丈夫、全然失礼なんかじゃないさ」
 その意味が分かったのは、次の蓮田の行動による。
「ところで久住君。サインを書いてもらえるだろうか」
 サイン帳を取り出しながら、蓮田が無表情のまま頼んできた。

 学校にいると、落ち着く。
 と言うのも、ここ数ヶ月、芸能関係の付き合いが多くて、高校生らしい生活
から遠ざかっていたせい。今も新曲レコーディングに向けて、週に三日から五
日は鷲宇の指導を仰いでいるが、夏休みほどの過密スケジュールではない。
(学校には仕事の話を一切持ち込まないでおこう)
 純子は、ついでにこんな決心もしていた。安心して自分をさらけ出せる場を
確保するため。あるいは。
(仕事の話を持ち込まなければ、相羽君と話す機会もぐんと減るはずだし)
 ピアノレッスンを受けている様子を見せてもらう約束の日が、約一週間後に
迫っていた。富井や井口、それに町田を誘って、みんなで行く話もまとまった。
 それまで、相羽と普通に接せられるようになるため、今から予行演習をして
おくのだ。なるべく距離を置いて、馴れ馴れしい態度を取らないように。
(やっと、昔みたいに四人が揃うんだから。これで仲直りできるんだから。ね)
 そうして自分を納得させる努力をする。
 ただし、今は、相羽と一緒に授業を受ける機会がある時節。体育祭に向けて、
合同体育があるのだ。
 それだけなら、純子も我慢できるのだが、どうしても相羽の方を気にしてし
まう事柄が、一つあって……。
「ねえねえ、相羽君。重たーい」
 白沼の甘えた声に、相羽は無言で振り返り、すたすたと近付くと、彼女が運
んでいた段ボール箱を受け取った。
「ありがと、やっぱり、優しいのね」
 周囲の目を意識しているのかどうか、身体を密着させんとする白沼。相羽は
半ば無視する形で、足早に体育倉庫に向かっている。それでも白沼がつきまと
うので、「あんまり引っ付くなよ。運びにくい」とこれまた早口で言った。
「いいじゃない。元々私の役目なんだから、着いていく」
「先に帰ってていいよ」
 遠ざかると同時に会話の声が徐々に小さくなり、純子のいるサッカーゴール
の位置からは聞こえなくなった。姿も見えなくなる。
(相羽君、白沼さんと前より親しくなったのかな)
 立ち尽くしたまま、ぼんやりと思い描く。見たことないけれど、教室で机を
並べ、仲よさげにお喋りしている二人の様子が脳裏に浮かんだ。やけにリアル
に想像できる。
(ほんとは凄く仲がいいけれど、学校では人目があるから、ああしてつれない
態度を取っている……少女漫画なんかでよくあるパターンよね)
 相羽と白沼がそうだとは思わない。でも、あらゆる理屈を飛び越して、感情
がそんな想像をしてしまう。
「えーと、ペンチペンチ……あ、涼原さーん。ペンチ取ってくれー」
 クラスメイトの一人が言ったが、純子の耳には届かなかった。目の前で手の
ひらを振られて、ようやく我に返る。
「――マコ。何?」
「聞こえてなかった? 男子がペンチ取ってくれって」
「あ、そうなの」
 足元を見回す純子。ペンチはない。
「もう渡した」
 結城が呆れ口調で告げる。純子は状況把握できるまで、時間を要した。
「ごめん、ぼんやりしてた」
「疲れてんの? 顔色よくないみたいだし」
「それはない。ちょっと、気を取られていただけ」
「上の空はいけませんわ」
 いつの間に近くに来ていたのだろう、淡島が突然、するりと話に入ってきた。

――つづく




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