AWC そばにいるだけで 52−4   寺嶋公香


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#5177/5495 長編
★タイトル (AZA     )  00/ 9/30   1:46  (199)
そばにいるだけで 52−4   寺嶋公香
★内容                                         16/11/10 02:47 修正 第2版
 純子は大きな伸びと同時に、深呼吸をした。町田には、リフレッシュするた
めの動作に見えただろうか。
「あ、私の方も、芙美のとこの文化祭に行っていい?」
「もち。大歓迎よ。何を当たり前のことを言うかね、この子は」
 頭を撫でる仕種をした町田。
「とにかく、中学のときみたく、みんなでぱーっと騒ぎたいね。ああいう楽し
さなら、何回あってもいいもんだわ」
 町田の言に、純子は無言で強くうなずいた。
(口に出して約束したからには、絶対、元通りになってみせる。もうこれ以上、
芙美に迷惑かけたくない)

           *           *

(おかしいな)
 駅から自宅への道すがら、相羽は何年か前の正月のことを思い出していた。
それに、この四月の出来事も同様に思い出した。全ては、今日の純子の態度か
ら、連想した結果。
(避けられている気がする)
 もちろん、クラスが異なるのだから、接するチャンスは多くはない。そんな
わずかな機会を捉えて、以前より避けられているか否かを判断するのは、難し
いかもしれない。その日その日の相手の気分によっても、違ってくるだろう。
 だが、それでもなお、相羽は今日の純子の態度に、違和感を覚えずにはいら
れないでいた。かつて避けられたときのことを思い起こしたのも、原因を探る
ために他ならない。
(これまでのとは、ちょっと違うようにも思えるんだよな)
 信号待ちの間に、首を傾げた相羽。
(今までの二回は、あからさまに避けられたんだけど、今日は何て言うか、雰
囲気がおかしかったような。話をしていても、気もそぞろって感じがした。た
とえば……エリオット先生が下旬に戻って来て、大学が始まるまでは都合がい
いから、練習を見に来ないかって言ったときも、心ここにあらずだった気がし
てならない。喜んでくれると思ったのにな)
 自分の言葉が、相手の身体を通り抜けてしまうような、頼りなさ。耳に届い
ていても、心にまでは届いていない。
 昨日までは違っていた。話し掛ける度に、そう、手応えがあった。
「――そうか」
 信号が青になる。漕ぎ始めた瞬間、相羽は思い当たった。
(今日、純子ちゃんの笑ってるところを、一度も見ていない?)
 改めて、思い出してみることにする。
 学校での出来事を、朝から順に、日記のページをめくるみたいにして、再生
していく。最後までめくっても、純子の笑顔は、出て来なかった。
(僕と話すとき、たいてい、笑みを返してくれてたはず。……自惚れているか
な。いや、勘違いなんかじゃない)
 自信があった。
 純子の言葉や態度に、度々戸惑わされてきたけれども、だからこそ、彼女の
細かな仕種一つにしても、見逃さずに感じ取ってきた。普通に会話をやり取り
すれば、ときに膨れ面をされたり、眉を寄せられたりしても、少なくとも一度
は楽しげな表情を見せてくれた。
(どうして急に、笑わなくなるんだよ)
 相羽の自転車の速度は、極端に遅くなっていた。
(たまたま、気分が落ち込んでいたという風でもなかったし、体調が悪いよう
でもなかった。何なんだ、一体)
 ふてくされたようなしかめっ面になり、考え込む。とうとうストップしてし
まった自転車を、サラリーマンや学生、篭を提げた主婦ら歩行者が迷惑そうに
避けて行く。
(それとも、僕に原因があるのか?)
 自転車を下り、押し始めた相羽。歩きながら、斜め下を見つめ、しばらくの
間、記憶の再生に費やす。ここ数日、純子の機嫌を損ねるような出来事があっ
たかどうか。
(……心当たり、ない)
 相羽は首を捻った。逆に、この前までは必ず笑顔を見せていたはずとの確信
を得た。今日、初めて会った時点で、すでに変だった。
(まさか、今日会った瞬間に、不機嫌になられたってこともないだろうし……。
クラスが違うと不便だ。純子ちゃんが他の人と話すとき、どんな様子なのか、
見られないもんな。それが分かれば、僕に原因があるのかどうか、ある程度は
判断できると思うんだけど)
 もどかしくなって、頭を激しく振った相羽。往来であれこれ考えていても仕
方がない。
(直接聞けば、話は早いのに。それができない、だめな俺……はは)
 自嘲のあと、ひとまず吹っ切り、再び自転車に跨ると、力を込めてペダルを
漕いだ。風を切って進むのは、心のもやもやを忘れるのに、少しだけ効果があ
ったようだ。

           *           *

 ウィグを付け、念入りに化粧をして、服装はもちろん男らしく決め、発声練
習もした。純子は、久住淳になってから、ルークの事務所を出た。
「しっかり、自分を売り込んできてね」
 市川が強い期待を込めて、送り出してくれた。思わず、苦笑いするしかない。
 鷲宇とともにエレベーターに乗り込んでから、ため息をついた。
「どうしたの。急に元気がなくなったみたいだ」
「そんなことないです。これからのパーティで、また緊張を強いられるかと思
うと、それだけで気が重くなるだけ」
 延び延びになっていた映画『青のテリトリー』の打ち上げを兼ねた完成記念
パーティが、本日の夕刻から都内のホテルで催される。そこへ鷲宇と一緒に向
かうところ。
「正体のこと? 気にしない、気にしない。今まで大丈夫だったのだから、こ
れからもきっと大丈夫さ。自信を持っていい」
「鷲宇さんは、現場に居合わせなかったから言えるんですよぉ」
 弱気な物言いは、エレベーターが一階に着くと同時に、棚上げ。ここからは、
誰が聞いているか分からない。気を引き締めた。
「ロケでの秘話を、ぜひ拝聴したいね。色々、小耳に挟んではいるんだ。なか
なか面白いことがあったようで」
「ちっとも面白くなんかありません」
 憮然とした物言いで返しつつ、駐車場へ向かう。キーを取り出し、ドアを開
ける鷲宇に、
「鷲宇さんに運転させるなんて、もったいないな」
 と告げる。すると鷲宇は、「久住君のエスコートができるとは、実に光栄で
ありますよ」とジョークで切り返してきた。気分が、いくらかほぐれた。それ
からも道中、鷲宇は純子をリラックスさせようとしてか、芸能界に入ってから
の四方山話をしてくれた。おかげで、ホテルに着く頃にはリラックスできすぎ
て、緊張感を取り戻さなければいけないほど。
 ホテルの周囲には、芸能記者やカメラマンが大挙して押し掛けてきていた。
他に大きなニュースがないという点を差し引いたとしても、大した数だ。やは
り、出演者に人気タレントが揃ったことに加え、今夜は鷲宇憲親が姿を見せる
のが大きいに違いない。
 純子はだから、鷲宇に盾になってもらって、その隙にさっと建物の中に入ろ
うという思惑だった。入ってしまえば、部外者をシャットアウトしているから、
安心だ、という読み。
 なのに……目の前に、緑や黒や茶色の丸い物をいくつも突き出され、当てが
外れたことを知る。レポーター達がマイクを向けながら、様々な質問を飛ばし
てきた。
「初めての映画出演は、どうでしたか」
「やはり、歌とは勝手が違いますか。鷲宇さんから何か言われませんでした?」
「香村君の穴を埋められたと思いますか」
「共演者の人達とは、仲よくやれました?」
「相手役の新部綾穂さんは、どんな感じでしたか」
 際限がなく、しかも聞き取りにくい。慌ただしさの中、一つもまともに答え
られず、ホテル内に滑り込んだ。
「大丈夫?」
 慣れた様子で佇む鷲宇。悠然と、服の乱れを直している。
「あんまり、大丈夫じゃありません……。すごいな、レポーターって」
 振り返ると、ガラス戸越しに、うろうろと動き回る記者達が見えた。照明が
いくつもあって、まぶしい。急いで背を向けた。
「鷲宇さん」
 純子は声を潜めた。鷲宇が耳を寄せてきたので、半ば耳打ちするような形に
なる。
「髪、おかしくなってません?」
「――ああ、何ともなってない」
 言ってもらって、安心できた。意識せずに頭にあてがっていた手を、これで
下ろせる。そこへ、ホテルの従業員が静かに歩み寄る。折りを見計らっていた
らしく、そつのない動作で、案内をし始めた。
 あとについて歩きながら、鷲宇が問うてきた。
「久住君は、こういうの、初体験だったっけ」
「はい。ファンに囲まれたことならありますけれど、あのときだって、こんな
に多くはなかったなぁ」
「今後、何度でも経験する。早く慣れたまえ……と、先輩として言っておくよ」
 にっと笑う鷲宇に、眉を寄せる純子。そうこうする内に、会場である一室に
たどり着いた。結婚披露宴などにも使うのであろう、広く立派な“間”である
のは、ドアを開ける前から想像できる。
 従業員に礼を言って、返し、扉をぴたりと閉じた。その瞬間、背後から誰か
に抱き付かれた。細いが割に色の濃い両腕が、純子の腰にぐるりと巻き付いた。
新部だと勘付く。果たしてそうだった。
「綾穂ちゃん、いきなり、何だい?」
 表情がひきつらないよう留意しつつ、向き直る。新部は、旧いタイプの少女
漫画さながらに、潤ませた目で見上げてきた。
「綾穂、淋しかったの」
「淋しかったって……こんなに人がいるじゃないか」
 純子は男っぽい大きな動作で、場内に腕をかざした。
 とぼけるつもりはなかったのだが、この当たり前の答が、新部は気に入らな
かったらしい。「もう!」と言って、脇腹の辺りを軽くつねってきた。
「痛いっ」
 小さくつままれたおかげで、結構痛い。あとが残らなきゃいいんだけどと心
配しながらも、平気な顔をして応じねばならない純子。
「加倉井さんたら、私のこと、はなからばかにするんです」
 声の小さくならない新部に、純子は冷や冷やした。鷲宇に目で合図を送り、
壁になってもらう。
「加倉井さんは厳しいけれど、そんな人じゃないと思うよ。どんな風だったか、
教えてくれるかい?」
「はい。私が話し掛けても追い払う仕種をして、そうかと思ったら、逆に私が
他の人と話していると、邪魔をしてくるんです」
「ほんとに? おかしいな」
 小さく首を傾げる。鷲宇の背中越しに、加倉井の姿を求めて視線を走らせて
みるが、参加者があまりに多くて見つからなかった。出演者や撮影スタッフだ
けでなく、映画会社の人や有名な映画評論家達も招いたらしい。試写会でもな
いのに、大変なにぎわいだった。
「この分なら、少々悪口を言っても、聞こえないようだ」
 苦笑を浮かべながら、鷲宇が振り返る。そして新部に自己紹介をした。
「君が噂のシンデレラガールか。まさしく、お姫様だ」
 鷲宇が続けて言うと、新部は曲がりなりにも頭を下げて、礼を述べた。一介
の新人から主役クラスに抜擢された新部は、ご多分に漏れず、シンデレラガー
ルと呼ばれている。
「いや、悪い」
 唐突に謝る鷲宇。新部だけでなく、純子もその行動が理解できずに、目を見
開いてしまった。
「お姫様っていうのは、世間知らずという意味で使ったんだ」
「ま」
 口に手を当て、唖然とする新部。皮肉を言われたことはあるだろうが、今の
鷲宇のような言い種には慣れていないと見える。
「鷲宇さん、何を……。失礼ですよ」
 冷や汗を覚えつつ、純子。芸能界という大きな枠で眺めれば、鷲宇の方が新
部よりも遥かに各上であるけれども、映画やドラマに限って言えば、新部――
否、ガイアプロダクションの力は大きい。下手を打てば、ガイアプロとルーク
の関係がこじれてしまう。
 だが、鷲宇は、心配無用とばかり、首を左右に振ると、純子から新部に目線
を戻した。表情は笑うでもなく怒るでもなく、さりとてからかうようなもので
もない。とにかく、真剣だ。
「新部さんも、人のために何か親切なことをした経験、あるだろうね」
「それはもちろん、ありますよお」
「その折角の親切が、相手のせいで無になったら、どう思う?」
 謎かけのような口ぶりで、鷲宇。新部は何度も瞬きをして、助けを求める風
に純子の方を見やってきた。しかし、純子も分からないので、肩をすくめただ
けにとどまる。
 新部は首を傾げつつ、探りを入れるかのようなゆっくりした口調で答えた。
「当然……気分悪いですよね。私がこんなにしてるのに!って、きぃーってな
っちゃうわ、恐らく」
 鷲宇はこの返事に首肯すると、「ところで」とつないだ。
「まだ素人だった頃を思い出して、もう一度、この会場にいる人を見てご覧」

――つづく





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