#5166/5495 長編
★タイトル (AZA ) 00/ 8/31 2:13 (192)
そばにいるだけで 51−5 寺嶋公香
★内容
「そうそう!」
一際大きく、高い声での返事。関心があるのか、井口も富井も、相羽の周り
に近付いた。
「もしかして、白沼さんも、相変わらずって……?」
「うん、まあ、そうなる」
思わず苦笑いの相羽。実際、白沼には中学のとき以上の強引さと勢いでもっ
て、懐かれたり、誘われたりしている。
(この前、白沼さんの家に行ったのは、失敗だった)
夏休みに入ってからのことを思い返す。相羽の家に伺いたいという白沼を断
り続けていたら、逆に「それじゃあ私の家に来ない?」と持ちかけられ、成り
行き上、断れなくなってしまったのだ。
(久しぶりだからまあいいかと思ったのが、間違いの元。いきなり日舞を見せ
られて、感想を求められるとは予想してなかったんだよなぁ)
自宅はまずかったと、改めて反省した。今度もし強引に誘われたとしても、
乗るまい。どうしても断りきれないなら、他の男子も連れて行こう。でないと、
知らない内に、深みにはまることになりかねない。
(誰かに見られたら、どう噂されるか分かったもんじゃない)
嘆息した相羽の横で、富井が嫌々する風に、首を、いや、全身を振った。
「どうして、こんな強敵ばっかりいるのよーっ。――あ」
その悲鳴のような声が途切れた。何かと思って、右手の方を見る相羽。富井
が、口を半開きにして、瞬きを繰り返す目で、一点を見つめている。
「あー、郁江、何やってんの」
左から右に回り込んだ井口が、呆れたようにへし口を作り、騒ぐ。やはり彼
女も一点を指差した。相羽の、右の袖口辺りだ。
脇を少し開け、首を捻って、腕の裏側を覗くような格好を取る相羽。ようや
く、騒ぎの元が知れた。
親指の先ほどの大きさの、白いかたまりが、服に着いている。聞かなくても
分かる、ソフトクリームだ。
「ごめーん、相羽くーんっ」
泣き出しそうな声で言う富井の横で、井口が「早く拭かないと」とせっつく。
おろおろしていた富井が、片手で自分のハンカチを取り出そうとするが、おぼ
つかない。
「いいよ、この程度」
相羽は、自転車の左側に降り立ち、富井の行動を手のひらで制してから、空
いている手を尻ポケットに回し、ハンカチを引っ張り出した。
ハンカチに引きずられ、同じポケットに入れていた何かが地面に落っこちた
が、今はクリームを拭き取ることに専念する。
そうする間に、自転車を挟んで対面する形だった二人の女子は、相羽のそば
まで駆け寄った。
「ほんと、ごめんねー。よく見てなくて」
まだおろおろして、申し訳なさそうに肩をすぼめる富井に、相羽は「いいよ」
を繰り返した。この頃には、クリームはすっかり取れた。ただし、布地に湿り
気が残ったのは、致し方ない。
「こんなもんだ、うん」
芝居がかった仕種で、大丈夫だということを強調した相羽。富井もようよう
のことで、ほっと一息つけた様子。でも、手にしたソフトクリームの残りは、
ほとんどが液体と化し、コーンを染み出し始めていたけれど。
「相羽君、何か落としたわよ。拾ったげるね」
井口は、タイミングを計っていたかのように言った。あるいは、富井がその
落とし物に気付けば、彼女に任せようと考えていたのかもしれない。
「あ、ありがとう」
差し出した手のひらに置かれる間際になって、相羽の落とし物は素早く引き
戻された。
「――これって、緑星の生徒手帳?」
「うん? ああ、そうだよ」
視認し、応じる相羽。興味を引かれて、富井も井口のすぐ後ろに張り付いた。
「見てもいい?」
「いいけど、特別な物は、何も書いてないよ。極普通の生徒手帳」
「私達にとったら、普通のじゃないよねー」
「うんうん。相羽君の行ってる学校のだもん」
二人して盛り上がっている。やれやれと思いつつ、ハンカチを、汚れた面が
内側になるようたたみ、ポケットに仕舞う相羽。
「あー、この写真の顔」
「目つきがクール!」
表紙裏の身分証明の欄には、小さな顔写真がある。それを指差し、何が面白
いのか、くすくす笑う女子二人。
「そうだわ。手帳に写真と言えば」
「あ、そうか」
今度は目配せし合う富井と井口。
「相羽君、好きな人の写真を挟んでたりして!」
そのフレーズを耳にした瞬間、相羽は、はっとなった。
(純子ちゃんの写真を入れてるんだった)
* *
ロケ現場の雰囲気は、必ずしもよくなかった。
新部綾穂と他の俳優との仲が、いつまで経っても打ち解けないでいる。
と言っても、新部の演技が力不足ということではない。確かに、彼女が身に
着けているのは、舞台劇向きの演技だったが、監督らの指導でその問題点は改
善されつつある。才能があるのだろう、新部の飲み込みも早い。フレームイン
の勘所などは、言われてすぐにこなすほど。
ただ、困ったことに、新部は今のところ、他の役者の持ち味を殺してしまう
演技しかできない。恐らく、新部は昔から主役ばかり張ってきたに違いない。
緩急の加減が、まるで飲み込めていないのだ。力量はそこそこあっても、共演
者の光を消すことで成り立つ演技は、独りよがりでしかなく、また作品全体の
レベルを下げる。
その難点を、加倉井が遠慮なく指摘するものだから、現場の空気はどうして
もぎくしゃくしがちだ。言葉で説明のしにくい、感覚に頼る技術だけに、新部
にしてもなかなか会得できず、それが機嫌を損ねるきっかけとなっていた。
まだタレントとしては駆け出し……と言うよりも、むしろガイアプロもタレ
ントでの売り出しを想定してなかったのか、礼儀作法の点でも新部は完璧では
なく、ちょっとした言葉の行き違い一つで、加倉井を始めとする先輩の反感を
買う始末。悪意がないだけに、なおのこと修復しにくい。
また、新部はアドリブ好きで、突如、台本にない振る舞いをすること、しば
しばだった。その全てが作品をよい方向に進めるものであれば、まだいいのだ
が、実状はそうはいかない。新部の独善的な解釈による変更が認められないの
は当然として、よい変更であっても時間の都合からできないケースも多々ある。
撮影開始後しばらく経って、このアドリブ好きは影を潜めたが、初めて一緒
に仕事をする仲間との信頼や協調関係を築くには、甚だまずい出だしと言わざ
るを得ない。
加えて、新部は純子に――久住淳に大変なついていた。これで純子が演技や
礼儀に関するアドバイスをできるのなら、事態の好転も早いだろうが、残念な
がらそれは難しい。純子自身も、新人と変わりないのだから。
「ねえ、久住さぁん」
撮影の合間の休憩中、新部が久住の周りを離れることは、滅多になかった。
純子が木陰で、木のベンチに座っていると、新部は当然の顔をして隣に腰を
下ろし、堂々と腕を絡めてくる。物怖じしない性格らしいということは、撮影
が始まってじきに分かった。
「舞美さんの言ってることって、久住さんは理解できますぅ?」
「――理解はできるけれど、実行するのは難しいね」
腕を穏やかに抜きながら、純子は話を合わせた。
「ですよね! 綾穂も一生懸命やってるんですぅ。それでも、うまくいかない
だけなのに、舞美さんたらがみがみ、がみがみ……もう、綾穂、疲れちゃった」
今度は、頭を傾け、肩へもたせかけてきた。これは退けるわけにいかないの
で、そのままの姿勢を保つ純子。
「久住さんは、これが初めてですよね」
肝心な部分が抜け落ちた新部の質問に、純子はしばし考え、自ら補って意味
を理解した。
「……俳優としての活動は、今度が初めてだよ」
答えながら、これは嘘をついたことになるのかしらと、疑問がふと脳裏をよ
ぎる。
(久住淳としては、初めてなのだから、いいよね? どうせ、女としても一作
だけなんだし)
自分で自分を納得させた。
「私もカメラが回っているのは、初めてなんですよー。言いましたっけ?」
「ええ」
思わず出た苦笑を、顔を背けて新部から隠す。実際、この話を聞かされるの
は、これで四度か五度目だ。新部にも、分かっていて敢えて同じことを言って
いるような節が、見え隠れする。
「でも、僕とは経験が違うな。端で見ていると、羨ましくなるほどうまい」
これは五割以上、本心だ。一人で演ずるときの新部は、そのよさを遺憾なく
発揮し、光輝いているといっても過言でない。一人芝居に限れば、彼女は天性
の役者と言えるかもしれない。
「久住さんも凄いですよぉ。短い台詞を、とても印象深く言われますよね。そ
れに、佇んでるだけで、全身からオーラが出てる感じで。存在感があるって大
切なんですよ」
「ありがとう。助かるよ。自分は、誉められると、その気になってしまうタイ
プなんだ。だから、もっとその気にさせてもらおうかな」
自己暗示をかけるつもりで、純子は言った。
撮影が始まって以来、久住淳の俳優としての評判は上々……のようだった。
直接言われてもいまいち自信が持てないので、青木に頼んで自分がいないとこ
ろでの評判を聞いてもらった。結果、やはり変わらぬ評価をしてくれているら
しいと分かり、どうにか安堵できたのがつい最近だ。
(絶対にお世辞を言わない、正直な意見を聞かせてくれる人がそばにいてくれ
たら、こんな遠回しなことしなくてすむのにね)
その点、新部はどうなんだろう、と考えてみるが、知り合って間もないし、
仕事上での彼女しか見ていないので、分かるはずもない。
「鷲宇さんからも、その気にさせてもらったんですね」
「うん、その通り」
微笑混じりに、純子。
「あの人との出逢いがなければ、久住淳は存在しなかった――これが僕の口癖」
本当はちょっと違うけれど。他にも多くの出逢いがあって、感謝せねばなら
ない人達がたくさんいる。それは、ダイヤモンドの原石が磨かれ、カットされ、
装飾されて、一級の品になるのと似ている。
「私もいつか、歌を出したいな」
ぽつりと言った新部に、え?と表情で問い返す純子。
「女優には向いてないみたいですもん、私って。ああいううるさい先輩がいる
と、やる気なくすわ。感じるままにやりたいのに、窮屈で」
「気持ちは分かるけれど……」
「歌だと、自分一人、自由に表現できますでしょう? ビジュアル的にも色ん
なことが楽しめそうだし、好きな歌を自分で作ることだって。ねえ、久住さー
ん。私に、鷲宇さんを紹介してくださいませんか」
「……新部さん、歌が一人で成り立つものだと考えているのなら、それは大き
な間違いだよ」
咎める内容なのだが、優しい口調で包む。新部の大きな目が、関心ありげに
純子の瞳を覗き込んできた。
「作曲する人、作詞する人、唱う人、演奏する人、そして聴く人。みんなの気
持ちが重なってなくちゃ、いい音楽にならない」
「で、でもー。聴く人はともかくとして、作詞作曲と唱うのと演奏は、一人で
もできるじゃないですか。シンガーソングライターって、たくさんいます」
「そうだね。でも、そんな人達だって、そうなるまでに、周りから色んな影響
を受けているはずだよ。意識している、していないは別にして、だけどね。自
分一人の考えだけで作っても、感動してもらえる曲にはならないんじゃないか
な。何でも吸収してみて、自分に合ったものをどんどん身に着けていく。全て
は、そこから始まるんだと思う」
「……そんな気がしてきました」
頬を染め、うなずく新部。案外、素直だ。
純子は、調子に乗りすぎないようにと自重しながら、もう一つだけ、言いた
いことを付け足した。
「僕の感覚では、歌も演技も同じ。先輩の言うことは聞いて、反論があるのな
ら、その上でしなくちゃ。初めから扉を閉ざしていては、どうにもなんない」
「はい」
「あ、ごめん。僕の方こそ新人なのに、偉そうに言ってしまって。今の話、加
倉井さん達には内緒だよ」
唇に人差し指を縦に当て、目配せする純子。新部は相好を崩して、大きな身
ぶりで首肯した。それから、両腕を胸に引き寄せて、
「じゃ、お互い新人ということで、撮影、がんばりましょう!」
と、元気よく言って、飛び上がるように立ち上がり、とっとっとっ……と駆
けていく。そんな新部の後ろ姿を見送りながら、苦笑を禁じ得ない純子だった。
(私も中三の頃は、あんな感じだったのかな)
――つづく