AWC そばにいるだけで 51−6   寺嶋公香


        
#5167/5495 長編
★タイトル (AZA     )  00/ 8/31   2:14  (198)
そばにいるだけで 51−6   寺嶋公香
★内容

           *           *

 程なくして、写真は見つけられた。
 昔、ロケ先で、休憩中に撮ったスナップ。フレームの中で、パラソルの下の
椅子に腰掛けた純子が、木製の白い丸テーブルの上で両腕を軽く交叉させ、笑
顔を覗かせている。相羽が最もかわいらしいと感じた一枚だ。この写真の純子
を見ているだけで、元気付けられる。
 後ろの表紙裏に挟んであったそれを、井口が指先で持ち、富井が覗き込む。
 二人とも目を大きく見開き、井口は口をぽかんと開け、富井は逆に固く閉じ、
それぞれ言葉が出ない様子だった。
「これ」
 ようやく聞こえた台詞が、どちらのものだったのか、相羽には判断できなか
った。それほど、かすれ気味の声である。
 やがて井口がはっきり言った。
「ここに写ってるのって、純子よね」
 相羽は黙ってうなずき、次の言葉を待つ。
 だが、井口からも、富井からも、次の言葉は出て来なかった。写真を凝視し
ているのは、この写真がいつ、どこで、どんな状況で撮られたものなのか、見
極めようとしたのかもしれない。
 一分ぐらい経過しただろうか、それとももっと短い時間、あるいはずっと長
い時間だったかもしれない。相羽は仕方なく、口を開いた。
「その写真を持っていると、撮影現場にすんなり入れてもらえるんだ」
 笑顔で、嘘をついた。何故、そんなことを口走ったのか、自分でもまったく
分からない。
 あとになって思い返してみると――同性である唐沢には正直に言えても、富
井や井口には言いたくない、という気持ちだったのかもしれない。あるいは、
富井達が純子の親友であるという事実も、恐らく相羽の心理に影響を及ぼした
だろう……。
「撮影現場?」
 おうむ返しに、富井。目が、きょとんとしている。
「母さんの仕事の関係で、涼原さんの撮影現場に、たまに、僕も行く必要があ
ってさ。でも、僕一人が先に行くと、誰も僕のことなんか知らないから、ファ
ンと間違われて、入れてもらえない場合が結構あるんだ。そういうとき、涼原
さんのスナップ写真を見せたら、すぐ信用してもらえる」
「そうなの?」
 富井と井口の声が揃った。相羽はまた大きくうなずいて、肩をすくめる。
「そう。顔パスじゃないから、色々と面倒なんだよな。やんなっちゃうよ」
 この口ぶりにつられたか、女子二人は表情に笑みを徐々に広げ、くすくすと
吹き出した。
「それで相羽君は、撮影現場にお邪魔して、何をするのぉ?」
 富井が目尻を拭いながら、聞いてきた。
「うーん、主に、ボディガードかな。涼原さんのお母さんから、頼まれてる。
芸能界に染まり過ぎないように、他の芸能人とあんまり接触しないように、見
張っててほしいとね」
「なるほどー。あはは、そうよねえ、純ちゃん、もてそうだから、悪い虫がつ
かないようにって、親が心配するの、よく分かるー」
 すんなり、信じたらしい。富井だけでなく、井口も納得の風情で首をしきり
に振った。
「それで、本当に悪い虫はいたの?」
 興味津々を擬人化したみたいに目を輝かせ、聞いてくる。相羽は、ありのま
まを答えていいものかどうか、逡巡した。
(二人に嘘をついたお詫び代わり、と言ったら変かな。香村が本当のことを知
られて困ろうがどうなろうが、僕の知ったことじゃないし、話してもかまわな
いんだけどな。
 でも……ここで話をして、もし大きな噂になって、ガイアプロの誰かの耳に
入りでもしたら、巡り巡って、ルークに迷惑が掛かるかもしれない。それに、
純子ちゃんも、公にしたくないって言ってた)
 結論が出た。
「名前は明かせないけれどね、馴れ馴れしくする奴はいたよ」
 この言い方では、聞き手二人の好奇心を一層かき立ててしまうのは、必至。
案の定、富井が全身をいっぱい使って、突っ込んで聞いてくる。
「えー、誰だれ?」
「残念ながら、秘密です。さあ、早く帰らないと、ケーキが傷んでしまうなあ」
 手帳と写真を返してもらって、ポケットに元通り仕舞い込むと、自転車を漕
ぎ始める相羽。井口達が、慌てて追い掛けてきた。
 そんなに急がなくとも、充分追い付けるスピードなのに……。相羽は、苦笑
を禁じ得なかった。
「有名な人? 私達でも知ってるような……」
 風に乗って、質問が届く。相羽は楽しくなって、思わせぶりな調子を続けた。
「もちろん。僕にはよく分からないが、人気あるそうだから、彼」
「えー、誰なのぉ?」
「気になるー!」
 二人とも、しばらく気になって、他のことに手が着かなくなるかも――そう
心配したくなるほど、井口も富井も、大騒ぎしていた。

 平日にも関わらず、プールは人、人、人で賑わっていた。夏休み真っ直中と
あって、どちらを向いても子供の姿が目につく。
(予想外の展開だな、これは)
 施設内を大きく一周する形で流れるプールを、相羽は平泳ぎでゆっくり進み
ながら、辺りを見回した。一緒に来た男子達と、離れ離れになってしまったの
だ。と言っても、迷子になったわけではない。
 今日のプールは、元々、白沼から誘われたもの。その際、他の男子を連れて
行ってもいいかと念のため言ってみる(黙って連れて行ったら、また文句を言
われそうだ)と、OKの返事があった。そして、
「その代わり、私も友達を連れて行くからね」
 と言い添えてきた。無論、女友達。
 相羽は、いつもと違う白沼のペースに、不審なにおいをかすかに嗅ぎつつも、
こういうグループデートみたいな形なら、まあいいだろうと油断した。それが
失敗だった。
「ここにいたのね。黙っていなくなるなんて、ひどいわ」
 急に降ってきた声の主は、白沼。朱色のビキニ姿で、軽く腰を屈め、両膝に
手を突いたポーズは、胸が強調される。そうして、プールサイドから滑るよう
に水に入ると、相羽の腕を掴まえて、つねる真似をした。
「鳥越達がいなくなったから、気になって」
 相羽は再度、周囲に視線を飛ばす。
「白沼さんの友達も、いないじゃない」
「小学生じゃあるまいし、そんなの放っておいていいのよ」
 手のひらを口にあてがい、白沼はころころと笑う。本当に楽しそうだ。
「どうせ、みんなして仲よくやっているわよ」
 相羽も、それは察していた。
 白沼が連れて来た友達全員が、やけに積極的だったのを思い出す。相羽の友
達は皆、それぞれ相手を見つけて、白沼の言う通り、仲よくやっているのだろ
う。普通の五十メートルコースプールの他、流れるプールに波の起こるプール
などがあり、さらには遊園地をも有する広大な施設だ。探しても、簡単には見
つかりそうにない。
「私達は私達で、楽しみましょう。――それっ」
 白沼が掛け声とともに、水をはじいてきた。
(ここで、「やったなあ」とか言いながら、同じことをやり返したら、絵に描
いたような……ってやつだよな)
 さすがにやらない。頭を振って、水を払ってから、前髪をかき上げた。
 白沼の方は、逃げるために泳ぎ出していたのだが、相羽が追い掛けてこない
と分かると、不満顔で振り返った。そのまま、歩いて、ずんずん向かってくる。
「ちょっとーぉ、相羽君。今日は乗りが悪いわよ」
「疲れた」
 肉体的には何ともないが、精神的に。
「じゃあ、ゴムボート持ってくるから、乗って、横になっていればいいわ。そ
の間、私が引いて泳いであげる」
 そんな真似はさせられない。相羽はすぐさま首を横に振った。
「だったら、一緒に乗りましょ」
「あのさ。悪いけど、そういうことはしないから」
「どうして」
「どうしてって、言われても」
 ストレートな追及に、相羽は口ごもった。白沼は、さして待つこともなく、
言葉をつなぐ。
「恋人同士に見えるようなことは、したくないわけ?」
「……そうなる」
「私が嫌いなのね」
「どうして、そういう話になるんだよ」
 笑いながら言った白沼に、真剣に応える相羽。
「ふーん。それなら、誰ともしたくないのかしら? たとえば、私の代わりに、
違う女の子だったら?」
「――本当に付き合ってる相手となら、するさ」
「うまく逃げたわね」
 顎先に親指を当て、少し歯噛みする仕種の白沼。
「今、相羽君は誰とも付き合ってないんでしょ」
「ああ」
「でも、片想いの相手くらいはいるでしょ」
「……」
「その子が、ボートに乗ろうとか言ったら、喜んでOKするわよね」
「仮定の話には、答えたくないな。だいたい、前提がおかしい。白沼さんの話
だと、それはすでに片想いじゃなく、両想いに近いじゃないか」
 言いくるめられた格好になった白沼は、口を閉ざし、眉を顰めた。短い沈黙
の後、「理屈を言わないでよ」と抗議調で告げた。
「とにかく、折角一緒に来たんだから、一緒に遊ぶ。それが筋よ」
「遊ばないとは言ってない」
「ボートが嫌なのね」
 白沼に問われ、相羽はうなずいた。正確なところを言うなら、端から見てカ
ップルだと思われるようなことをしたくない。本意でない。
「競泳はどう? 何か賭けて、どちらが速いか、勝負するの」
「申し訳ないけど、勝負にならないよ」
 間違いなく、相羽の方が速く泳げる。白沼も心得たもので、すかさず提案し
てきた。指を立て、にこにこ笑みを見せながら。
「もっちろん、ハンディ付き。距離に差をつけるのはどうかしら。私が五十メ
ートル、あなたは百メートルとかね」
「いくら何でもひどいな。せめて、泳ぎ方にしてくれないか。僕が背泳、君が
クロールという風に」
「だめよ、相羽君、背泳も速いじゃないの」
「クロールよりは遅い」
「何と言おうが、だめ。平泳ぎなら認めてあげる」
 相羽はもう、どうでもよくなってきた。だから、あっさりOKした。五十メ
ートルプールに移って、一往復しようという話にまとまる。
「それで、何を賭けるんだって?」
「こんなのはどう? 私が勝ったら、相羽君は今日一日、私の恋人役」
「……僕が勝ったら?」
 一応、聞く。白沼は両頬に手を当て、嬉しそうに、楽しそうに言った。
「私が負けたら、私は今日一日、あなたの恋人役」
 帰りたくなった。実際にきびすを返すと、白沼が背に声を掛けてきた。
「待ってよ」
「待てない。賭けになってない」
「冗談よ。決まってるでしょう、もぉ」
 相羽は立ち止まり、身体の向きを戻した。白沼がプールサイドで、水を滴ら
せながら立ち尽くしている。
「分かってる。言ってみただけ」
 これには、白沼も物言いたげに口をもごもごさせたが、結局何も言わずじま
い。激しい水音や子供達の叫声が飛び交う中、二人の間に白けた空気が漂う。
 白沼はあきらめにも似た嘆息のあと、反省した素振りを見せた。頭に片手を
やり、目を逸らしつつも、実際的な提案をする。
「負けた方が勝った方に、かき氷をおごるのはどう?」
「焼きそばを付けてほしいな」
 相羽が微笑混じりに答えると、白沼の表情が見る間に和らぐ。珍しくもはし
ゃいで、手を打つどころか、軽く飛び跳ねもした。
「それで決まりね」
「了解」
 相羽が歩み寄ると、白沼はまた調子に乗って、手に手を絡めてきた。
 甘いかなあ、と今日何度目かの後悔を覚える相羽だった。

           *           *

 青空の下、そこここに岩肌の覗く草原で、豪華だが冷たいお弁当を食べてい
ると、真正面から影が差した。
「ん?」
 久住淳の格好をした純子は、箸を止め、面を起こす。新部綾穂が、手に細長
い水筒を持って、微笑んでいた。
「お茶を、忘れていませんでしたか」
「あ、そうだ」

――つづく




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