AWC そばにいるだけで 50−8   寺嶋公香


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#5127/5495 長編
★タイトル (AZA     )  00/ 7/31  10: 4  (179)
そばにいるだけで 50−8   寺嶋公香
★内容                                         16/06/14 15:44 修正 第2版
 自由時間のあと、短い休憩があった。休憩の間は、もちろんプール内に入れ
ない。自然、生徒達はクラス毎に、プールサイドで甲羅干しのような状態にな
る。
 純子は、やや足を伸ばした形での体育座りの姿勢で、膝に頭を横向きに載せ、
休んでいた。その目は、気が付くと、相羽の姿を探している。
(……いた。白沼さんと話してる)
 純子の座る位置からは、相羽はその背中しか見えないが、白沼の方は嬉しさ
に溢れた横顔がはっきり確認できる。色白だから、よく目立つのだ。
(楽しそう。どんな話をしてるんだろ?)
 純子はわざとため息をついた。そうでもしないと、さらにやきもきしてしま
いそう。
 白沼は、しきりに髪を両サイドからかき上げる仕種を見せた。何度も見てい
る内に、もしかして、しなを作っているのじゃないかしら……と純子には思え
てくるほど。事実、同性の純子から見ても、白沼は色っぽい。
 純子は頭を起こし、自分の胸を上から見た。
(……普通、モデルと言ったら、もう少しあるものなのにね)
 しょんぼりするでもなく、ただ、苦笑いが浮かんでしまった。モデル活動、
あるいは久住淳としての活動を重ねてきたおかげで、胸のサイズに関するコン
プレックスはほとんどなくなっている。
 その代わり、体重と肌には細心の注意を払うようになった。もっとも、気に
する必要ないほど、安定している。
 五分強の休憩時間が終わり、授業は再び二十五メートル泳の繰り返しに入っ
た。クラス別・男女別に順次飛び込んで行く(飛び込みスタートのできない生
徒は、プールに浸かってからだけど)。
「相羽君や唐沢君てさ」
 順番を待つ間、結城が純子の肩を指先でとんとんと叩いた。その視線は、相
羽のいる列の方を向いている。
「何、マコ?」
「いい身体してると思うのよね」
 純子は足を滑らせそうになった。プールサイドの掃除がいい加減だったら、
本当に転んでいたかもしれない。
「今は何の部にも入ってないみたいだけれど、中学のとき、何かスポーツやっ
てたのかな。あ、唐沢君はテニスだったっけ」
 今度は、より近い列にいる唐沢の方をちらりと振り返り、また向き直る結城。
そばでは、淡島が聞いているのかいないのか分からない、超然とした態度で立
っていた。
 立ち直った純子は、髪を手櫛で梳きながら答える。
「そう、唐沢君はテニス部。大会では、結構いいところまで行ってたみたい」
「ふうん。どうしてまた、今はテニスやってないわけ?」
「それは……」
 答えかけて、口ごもった。
(私と同じ部に入りたがってたみたい……なんて言いにくいな)
 どうしようか困って、頬を人差し指でかく純子。
 結城はしばらく待っていたが、急に、分かったという顔付きになった。
「考えてみたら、純子に聞いても、知らないか」
「う、うん」
「じゃ、相羽君の方は?」
「え? ああ、えっとね、相羽君は運動部じゃなかったのよ」
「何と。信じがたいわ」
 純子をまじまじと見返す結城。そんな彼女をさらに驚かせる言葉を、純子は
含み笑いをしながら答えた。
「私と同じ、調理部だったの」
「ほえー? そ、そりゃあ、相羽君は器用そうだから、料理ができてもおかし
くはないけれど」
「結城さん、結城さん。メインテーマからずれています」
 淡島が静かな口ぶりで忠告する。
 結城はその意味を考え、すぐに思い出した。
「そうだわ。相羽君、何にもしてないのに、どうしてあんなに立派な体格なの
よー? 服着てたら、どちらかと言えば痩せて見えるのに」
 純子は答える前に相羽の姿を探したが、見当たらない。すでに飛び込み、今
はプールの中らしい。
「武道をやっていたから」
「ぶどう?」
「グレープ、ですか。家庭菜園でも……」
 淡島が真顔で言ったが、この子は表情の変化に乏しいから、冗談なのかどう
か判断できない。純子は念のため、真面目に受け取った。
「そうじゃなくって、えーっと、格闘技」
「格闘技って、柔道とか空手とか?」
「うん」
 詳しい説明をしたかったが、泳ぐ順番が回ってきてしまった。淡島が最初で、
次に結城、それから最後尾の純子だ。指定された泳法は平泳ぎ。
 スタート台に乗り、足の指で縁を掴む。ちょっと、力が入りすぎたかもしれ
ない。妙な感覚が残った。
 あれ?――と気にするいとまもなく、ホイッスルが鳴り響いた。

           *           *

 相羽がプールサイドへ上がろうとすると、白沼が手を差し伸べてきた。わざ
わざ待っていたらしい。それはいいのだが、胸元を強調するようなポーズを取
るのには参る。
「いいよ、重いから」
 断って、両腕を突っ張って身体を水面から引き抜くと、あとは足を順に掛け
て、上がる。
「さすが、速いわ。二人か三人ぐらい、順番が先だったのに、すぐ追い付かれ
ちゃう」
 待っていたのではないと言いたいようだ。その割に、肌を流れ落ちる水滴は、
上がったばかりの相羽に比べて、あまりに少ない。
 列に着こうと、先に歩き出した相羽を、白沼がつかまえた。そして甘えた声
を出してお願いを始める。
「ねえ、私って、平泳ぎは苦手なのよね。次にやるクロールとか、背泳は得意
なのよ。でも、平泳ぎだけは格好が……。こつを教えてくれたらなぁ」
「こつと言われても、僕は我流――」
 振り返ろうと視線を移していた相羽は、途中で違和感を覚えた。台詞を途中
で放り出して、少し考える。
「どうかした?」
 白沼が、ぴったり横に着こうとする。
 相羽は応じず、違和感の正体を探ろうと、もう一度視線を戻した。プール全
体を見渡す。
 一人の泳ぐ姿に、意を留める。顔は見えないが、純子だとすぐ分かった。
(泳ぎ方が……変だ)
 いつもの純子の平泳ぎなら、足をしっかり後ろに蹴り出し、両手はスムーズ
に弧を描く。なのに今は、その見慣れた姿ではない。足の動きがおかしく、下
半身が沈みがち。その分を少しでも補うはずの腕の方も、何だかぎこちない。
しきりに足を気にしている風だ。
「おかしいな」
「何を見てるのよ」
 相羽のつぶやきに、白沼が反応し、同じ方向を見る。やおら、険しい顔付き
になった。
「また! あの子ばっかり――」
 相羽は右の手のひらを立てて、白沼の話を遮った。
 純子は他コースの生徒に比べて、どんどん引き離されている。順番が最後だ
から、あとに続いて泳ぐ生徒はいない。全員が平泳ぎを終えてから、次のクロ
ールに進むという段取りなのだ。
(誰も気付いていないのか?)
 相羽は改めて、プールサイドをぐるりと見渡した。四名いる先生の内、少な
くとも一人は、今泳いでいる生徒に注意を払っている。だが、それはあくまで
泳ぎ方のチェックに重点が置かれているらしい。純子の泳ぎも恐らく、「下手
だな、あとで教え直さなくては」くらいの感覚で、見過ごされているに違いな
い。
 相羽はブロックタイルを蹴った。
 水面に身体が着く間際、白沼が口を「あ」の形に開けているのが見えた。声
の方は聞こえなくなる。
 水流の淡い影がゆらめき差す中、深く潜っていく。プールの底すれすれに泳
ぎながら、白い線を数えて、純子がいるはずのコースに達した。
 水面下から見上げると、左手に純子の姿があった。明らかに、足の動きがお
かしい。純子が泳ぎながら、右足の甲もしくはふくらはぎへ手を伸ばそうとす
る仕種が見て取れた。
(足をつった?)
 察しをつけると、相羽は底に足を着いた。半ばおぼれかけているようにも見
える純子の横をすり抜けて、彼女の片腕を掴んで支える。
「純子ちゃん、無理に泳ぐな。落ち着いて」
 ところが、純子からの返事はない。水を飲んでしまったのだろう、けほけほ
と咳き込んで、収まらない。目をつむったまま、苦しそうにしている。
「こむら返り?」
 声にならないまま、三度うなずく純子。前髪が垂れてきて、その表情を隠そ
うとする。
「爪先を上向きに反らして。何回か繰り返して」
 純子は顔に残る水を手で拭い、そのまま髪をかき上げてから、相羽の言う通
りにした。片足立ちをして、右足を膝から折って抱えると、両手で甲を掴んで
曲げる。バランスを崩さないよう、支える相羽。
「どう?」
 しばらく待って、相羽は聞いた。すでにプールサイドでは、十数人の生徒が
気付いて、騒いでいる。冷やかしの声もあったようだが、今はかまってなんか
いられない。
「治った、みたい……」
 純子がびっくり目を向けてきた。相羽は純子の手をちょっとだけ引き、上が
るように促した。
「つる癖がつくといけないから、急に動かさないように、ゆっくりと」
 純子が上がるのを見届けたあと、相羽も上がった。何やってんだよーと男子
生徒が集まったが、それをかき分け、先生がやや厳しい口調で尋ねてきた。
「相羽、何をしていたんだ?」
「涼原さんが足をつって、苦しそうだったんで」
 これ以上言う必要はあるまい。相羽が純子の方を肩越しに振り返ると、先生
は慌てた足取りで、純子へと駆け寄っていく。
「そんなことが、見て、分かったのか」
 唐沢の声に、改めて向き直る相羽。同じクラスの鳥越もいる。
「そんなことって、何だ?」
「だから、涼原さんが足つったなんて、俺は全然気付かなかった」
「俺も。そりゃあ、あんまりじろじろ見てるのも気が引けるから、目を離して
いたんだが」
 これは鳥越。言ったあと、悔しそうに口をへの字にした。
 相羽は、自分が純子ばかりじっと見つめていたと思われるのが気恥ずかしく、
それ故、早口で即座に答えた。
「たまたま目をやったら、沈みそうになってる姿が見えただけだ」
「あーあ、俺もじっと見とけばよかった」
 指を鳴らして悔しがる唐沢。手が濡れているせいか、不景気な音だ。
「それでも、相羽。溺れてくれることを期待してたんじゃないのか」
 鳥越が妙なことを言ったので、相羽は若干顔色を変え、次いで、相手の二の
腕を小突く。
「ばーか、何でそんなこと期待するんだよ」
「だって、溺れて意識を失ったとすると、人工呼吸ができる。マウストゥマウ
スってやつ」
「付き合いきれん」
 相羽はさっさと立ち去った。代わりに、唐沢が突っ込んでくれたようだ。

           *           *


――つづく





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