AWC そばにいるだけで 50−7   寺嶋公香


        
#5126/5495 長編
★タイトル (AZA     )  00/ 7/31  10: 3  (200)
そばにいるだけで 50−7   寺嶋公香
★内容
「ふむ。意外と、大丈夫のようです」
 鷲宇が、宙でついていた頬杖を崩し、指でOKサインを作った。唇の両端が
満足げに上を向く。
 純子は高校の期末試験を目前に控えて、香村と会う機会も得られず、わずか
な時間をもう一つの仕事に当てていた。そう、久住淳としての仕事。
「大丈夫って、何がですか?」
 調節をした声で、尋ねる純子。かつらを被った上に照明がきついけれど、汗
をかかなくなったのは、モデル修行の成果と言える。一流のモデルは、どんな
ことがあっても首から上には汗をかかない――そんな伝説がある。
「高校生になった君を見るのは、これが初めてだったからね。少し、心配して
いたんだ。久住淳になれるのかどうか」
「はあ……」
「でも、取り越し苦労だったね。思っていたほど、女性らしくなっていなかっ
たのだから」
「それって、素直に喜べない気がするんですけど」
 すねると、勝手に女声に戻ってしまう。はっと気付いて口元を手で覆ったが、
さすがに鷲宇もお目こぼししてくれたようだ。何も咎めず、微笑を作って、再
び宙で頬杖をついた。
「無論、僕としては、声の方に関心があるし、より重大だ。早速、聴かせても
らえるかな」
「はい」
 今日は肩慣らしだが、夏休みに入ってすぐに、久しぶりのレコーディングが
控えている。通算三曲目になるけれども、まだまだ緊張感たっぷり。それでも、
声のピークが本番に重なるように、徐々に調子を上げていくこつは、何となく
掴めた気がする。
 かつらをしたままなのは、いずれ人前で唱う機会を迎えたとき、違和感なく
声を出し、動けるよう、少しでも慣れておくため。
「力を抜いて、行きますか」
 順調な滑り出しを見せた。

* * *

 鷲宇の口から新たな提案がなされたのは、この日の予定を全て消化してから
だった。控えの部屋に二人きりで雑談をする合間に、それはひょっこり、飛び
出した。
「素の方でも、唱ってみないか?」
「す……と言いますと?」
 応じる純子は、あまり気のない風。と言うのも、やっとかつらを脱ぐことが
でき、空気の涼しさを感じていたからだ。
「風谷美羽でも歌手デビューしてみるのがいいとね、僕は思うんだよ」
「……えっと」
「もちろん、君の本名でもかまわない」
「あの……女の子として唱えるんですか?」
 その一点が魅力的に響いた。男の格好をして唱うのは、罪悪感が多少とは言
え、どうしてもつきまとって、完全に乗り切れてはいない。女として唱えるの
であれば、気兼ねしなくてすむ。
「ああ、その通りですよ」
 鷲宇は笑いを噛み殺しながら言った。よほど、純子の返事がおかしかったら
しい。口元に右拳を当てて、うつむく。しばらく肩が震えていたかと思うと、
突然咳き込み出してしまった。
「だ、大丈夫ですか、鷲宇さん……?」
 椅子を離れて、駆け寄る。鷲宇は、大丈夫と答える代わりに、片手を上げて
純子を制した。程なくして、咳も収まる。
「いやはや、あんまり面白いことを言うものだから、危うく喉を痛めるところ
だった。はは」
 言って、喉元をさする鷲宇。明らかに冗談だ。
 さすがにこの頃になると鷲宇のペースに慣れてきた純子だから、真剣に取り
合うような無粋はせず、大げさに胸をなで下ろしてみせる。
「よかったわ。鷲宇さんの歌手生命を奪わなくって」
「――女の子の声も、悪くないね」
 鷲宇は一つ、髪をかき上げると、背を丸めるようにして両膝に肘を置いた。
その目が、品定めでもするかのごとく純子を見つめる。
「人気が出る出ないは確言できないが、君のような歌手がいたら、少なくとも
僕は一も二もなく、応援しよう。仮に、第三者的立場だったとしてもね」
「あの、お受けするかどうかは、まだ言えません。でも、一つ気になることが
あるんです」
「何かな?」
「当然、久住淳も続けなければいけませんよね」
「続けなければいけない、とは言いません。でも、僕は続けてほしいし、他の
人もきっと同じ気持ちだと思うね」
 これだと、久住淳としての活動をやめないようにと激励されているに等しい。
純子は話を続けた。
「男と女、両方の歌手活動を同時期に行うのって、喉に負担が掛かるような気
がするんですけど、どうなんでしょう」
「もちろん、やり方次第だ。酷使すれば、一つの声を出しているだけで、喉を
だめにする。事前に適切なメニューを組み、適切なスケジュールで動けば、何
ら問題なく活動できるに違いない」
 具体的な根拠はないに等しい理屈でも、鷲宇が言うと、説得力を持っている
ように聞こえる。それは恐らく、彼の経験から滲み出るものなのだろう。若い
とは言え、充分すぎるほど様々な経験をしてきたからこその。
「とりあえず、市川さんや相羽さんにこのことを伝えてだね、相談しておいて
ほしい。結論は早い方がいいが、急かしはしないよ」
「分かりました。でも、市川さんはともかく、おばさまは反対するかな」
「どうして?」
「おばさまは、モデルに専念させたがってるの。あは、実は私も、本心は同じ
なんですよね」
 そう言って笑うと、純子は舌先を覗かせた。

 水泳の時間は、複数のクラスの合同で行われるが常である。さすがに十クラ
スいっぺんになると多すぎるので、一組から五組までと、六組から十組それぞ
れに別れての授業だ。
 クロールや平泳ぎ、背泳など、種目こそ変わって行くが、二十五メートル泳
の繰り返しは、泳げる者にとっては単調で退屈。そんな中、小中学校の頃ほど
ではないが、自由時間もきちんと取ってくれるのは楽しみが増えてありがたい。
 仕事を抱えた純子は、なるべく疲れを溜めないようにするため、プールサイ
ドに腰掛け、結城や淡島達とのお喋りに徹していた。
「淡島さんは、純子の正体、知ってた?」
 結城が淡島に聞いた。風谷美羽のことを知っていたかという意味だ。
 淡島は抑揚を欠き、間延びしたいつもの調子で答える。
「もちろんですわ」
「え、純子から聞いたの?」
 結城が顔色を変えて、純子へと振り向く。除け者にされたのかと、焦りの色
がありありと浮かぶ表情に、純子は急ぎ、首を横に振った。
 そんなただ中、淡島は平然と言った。
「違います。占って、分かったことですの」
「嘘っ!」
 結城ばかりか、純子まで驚きの声を上げる。淡島はあっさり、「嘘です」と
認めた。力が抜ける。
「種明かしをしますと、占い研究会の先輩方が、涼原さんのアルバイトについ
て噂なさっていた、というだけのことですわ」
「なーんだ」
 肩で息をつき、ほっとする結城は、不意に純子の手を取り、
「忙しいのに、私らに付き合ってくれて、嬉しいよ。よよよ」
 と、おふざけで、感激の泣き真似を始める始末。
「わ、私はそんなに忙しい部類じゃ……」
 気恥ずかしさから手を引こうとする純子。そこへ唐沢と、そのあとについて
相羽が近付いてきた。
「何してんの? 女同士で……」
 相羽が普段のぼんやり眼で、唐沢の肩越しに、何気ない口調で聞いてきた。
 また少し背が伸びたみたいと、純子は思った。以前はわずかながら唐沢の方
が高かったのに、今は同じに見える。
「別に大したことじゃありませんの」
 相羽の問いに答えたのは、淡島だった。結城は相羽の前だと、まだ少し緊張
してしまうらしい。
「女の友情を確かめ合っていたところ、といった感じです」
 この台詞にただうなずいただけの相羽に対し、唐沢が乗った。
「それじゃあ、ついでに、男女間の友情も確かめ合って――痛っ!」
 相羽が唐沢の両肩を、強く揉んでいた。そのまま体重を掛けて、座らせる。
無論、相羽も腰を下ろした。
 その折りに、結城が思い切った風に尋ねた。
「……ねえ、相羽君や唐沢君は、純子の正体、知ってたの?」
「正体、と言うと?」
「モデルのことよ」
 首を傾げた男子二人に、純子自身が口添えする。
 唐沢が先に答えた。
「ああ。そりゃまあ、知ってたぜ。中学、同じだったしな。相羽は小学校のと
きからか」
「そうなる。六年のときから」
「小六から?」
 結城が目を丸くしている。リスかウサギを想起させて、愛らしい。
「純子って、いつからやってたのよ?」
「だから、六年のときが最初よ。相羽君の紹介で――紹介というのも変かな」
「へえ? 相羽君が一枚噛んでるの? 意外!」
「僕じゃなくて、母が」
 訂正する相羽だが、結城にとっては些細な違いに過ぎない。ほとんど無視す
る形で、うんうんとうなずくと、一際声高に言った。
「そうかあ、そんなんじゃあ、純子と相羽君、親密になるのも無理からぬこと
よね、はははは」
「親密って、その表現はちょっと」
 相羽が言い、同時に、純子は顔をほんのり赤らめた。結城はプールの水に漬
けた足先を、二度三度と往復させ、話を続ける。
「これはもう、私は手遅れですかね。何たって、純子は相羽君を――」
 瞬間、勘が働く。
(マコったら、私が相羽君を好きだってことを、言うつもり?)
「わー!」
 純子は結城の上半身にしがみつき、台詞を中断させた。勢いがつきすぎて、
バランスを崩し、プールサイドに折り重なるように倒れ込んでしまった。
 相羽達が「いきなり、どうしたの?」「大丈夫か?」と聞いてくる。
「ててて……どうしたのよー、純子?」
「しーっ。秘密、秘密」
 互いに半身の姿勢のまま、囁き声でお願いする純子。結城の方は、暫時、目
をしばたたかせていたが、じきに意味を飲み込めたらしく、「ああ」とうなず
きながら身体を起こした。
「ごめんね。私が軽率だったわ」
「ううん、いいの」
 小声でやり取りをしつつ、共に体勢を元通りにした。
(相羽君の方から告白してきて、私が断ったことを、マコは知らないんだから、
言おうとするのも無理ないわ)
 多分、親切のつもりだったに違いない。確かに「降りる」と言ってはいたが、
結城はまだ相羽のことを好きなはず……そう思うと、胸が痛む。
「考えたら、純子の隣にいると不利だわ。離れとこ」
 急に元気を取り戻し、結城が言った。実際に、距離を置いて座り直す。
「え?」
「あなたの横だと、私のスタイルが悪く見えちゃって」
「そんなことは」
 このときの純子はよほど困り顔をしていたのだろう、結城はこらえきれなく
なったようにくすくす笑い出した。手を叩いてさえいる。やがて純子の鼻先を
指差し、言った。
「そんなことあるの。でも、離れとこうってのは嘘よ。安心した?」
 黙ったまま、うなずく純子。本当に安心した。
(郁江や久仁香のときの二の舞は、絶対に嫌っ)
 強く思い、その直後、首を振った。
(郁江達との仲も、終わってしまったわけじゃない。仲直りするのよ!)
「まーったく、二人だけで喋ってないで、ちょっとは一緒に泳がない?」
 唐沢が焦れったそうに足をばたつかせると、水しぶきがたった。
「私もご一緒していいですか」
 聞いたのは淡島。彼女が一人になることを嫌うのは、珍しい。唐沢は快くう
なずいた。
「もっちろん、歓迎するよん。折角五人もいるんだから、そうだなー、水中鬼
ごっこってことで――頼むぞ相羽、鬼」
 言うが早いが、プールに飛び込む唐沢。先ほど以上の激しい水しぶきに、残
された四人の内、三人が腕をかざした。残る一人、淡島だけは頭から水を被っ
て、なお、平然としている。
「――ということだそうだから、みんな、早く逃げるように」
 相羽が促す。
「急げ。十五秒後に追い掛け始めるから」
「え」
 慌てて飛び込む女子三人。さすがに淡島も急いでいた。

――つづく




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