#5125/5495 長編
★タイトル (AZA ) 00/ 7/31 10: 1 (184)
そばにいるだけで 50−6 寺嶋公香
★内容
「……許してほしい」
事態を全て飲み込んだ香村は、途端に申し訳なさそうに肩を小さくした。目
を伏せ、神妙な顔付きになり、こうべを垂れる。
「気を引きたくて、嘘をついてしまった。でも、すぐに本当のことを言うつも
りだった。それが、涼原さんの話を聞く内に、僕が考えていたより、ずっとず
っと重要なことなんだと分かって……言い出せなくなって」
「分かったのなら、そのときすぐに、本当のことを言ってほしかった」
抑えた調子で告げる純子。喉の奥が、心理的に痛くなる。そんな感覚を意識
しながら、琥珀を元通りにした。大事に仕舞う。
ようやく山を一つ越えた。もう一つ、乗り越えなければいけない。
再度、謝る香村を制して、純子は二つ目を切り出した。でも、いきなり話す
のはためらわれて、ワンクッションを置く。
「実は、まだあるの」
「え、何が」
すっかり萎縮した香村は、乾いた声で返事した。おびえた子犬のごとく、目
を落ち着かなくきょときょとさせ、警戒心を露にしている。
「香村君が、私に隠していること、まだあるよね……?」
「何のことだか、ぼ、僕には分からないな」
「香村君、お願い。思い当たることがあったら、あなたから言って」
「そう言われても……」
香村は首を傾げた。ストローに当てた指が、短い間、小刻みに震え、やがて
ストローの口を潰した。そのあとも、忙しなく動いている。
「お願いよ」
純子は知らず、涙目になっていた。それに気付いて、急いで指をあてがう。
香村はまだ何も言わない。
やむを得ない。純子は、ため息混じりに口を開いた。流れ出た言葉は、途切
れ途切れになる。
「三月頃――二人で出かけたとき――公園で。それで……写真、撮られてた」
香村の顔色が、明白に変化した。息を飲む、という表現がぴったり来る。
「まさか、君」
純子を指差してから、やっとそれだけ言った。純子は先手を打った。
「どうやって知ったかは、言わない。だから、聞かないで」
効果はあった。証拠云々の話になると、ややこしくなると危惧していたのだ
が、どうやらそれは避けられた。
「……誰かに喋ってないよね?」
「そんなこと、してないわ」
マスコミに漏れることは決してない、という意味で、純子はこう答えた。
「あれは、向こうから持ちかけてきたんだ。君の気を引きたくて、乗ってしま
ったけれど、本心じゃなかった。信じてほしい」
「……」
純子が黙って見返すと、香村は思い出した風に頭を下げた。
「ごめん。悪かったと思ってる」
「ん」
「でも、一つだけ、分かってくれよ。涼原さんに振り向いて欲しいからこそ、
写真を隠し撮りさせたってことを。琥珀のことも、写真のことも。相手が君じ
ゃなかったら、こんなばかな真似、絶対にしない。君に対する気持ちは、嘘じ
ゃない。頼むから、信じて」
饒舌な香村。それは、気まずさを取り除くために違いない。顔付きも、いつ
の間にか普段の自信を宿らせつつある。演技力なのか、あるいは自己暗示が巧
みなのかもしれない。
純子は、香村のこの言葉に、返事をしなかった。香村のした行為を許すこと
はできるけれど、これから先、彼に百パーセントの信頼を置くのは、非常に難
しい。どう転んでも無理、と言っていいかもしれない。
それよりも、純子にとって重大な決断を迫られているのは、香村との仕事上
での付き合いだった。
この場に臨むまでは、いや、香村と実際に話をする直前までは、香村が全て
を素直に認めてくれるのなら、水に流して、仕事を続けようと心に決めていた。
だが、いざ香村と話をしてみて、その言動を目の当たりにしてみると、決意
が揺らぐ。
予想していたよりも、香村の態度に誠意が感じられなかった。理由を付ける
とすれば、その程度。言葉では説明しづらい、ただただ感覚的な理由。
(おばさまには、ああ言ったけれども。市川さん達から、大目玉を食らうかも
しれないけれども。私、もう、香村君と一緒に仕事したくない)
純子は息を整え、改めて口を開いた。
「今度の映画、降ります。ごめんなさい」
「ちょ……早まったこと言わないでよ」
辺りを気にして頭を巡らせながら、香村が腕を伸ばしてきた。肩の一つでも
抱いて、落ち着いて考えさせようという目論見だったのかもしれないが、純子
は身体を背もたれに押し付け、それを拒否した。
声を小さくして、純子の目を見つめて、香村は言った。
「よく考えてくれ」
「ううん、よく考えた結論よ。しばらく、香村君と仕事したくない」
よほど「金輪際」と言いたいところを、「しばらく」に置き換えたのは、優
しさか、お人好しなのか。
それでも香村は、思いも寄らないきつい口ぶりに虚を突かれた格好となり、
またもや慌てざるを得なかった。
「冗談だろ? 冗談だよね?」
肯定の返事を強制するかのような言い方だ。
純子ははっきり、首を横に振った。
その無言の返事が、香村を納得させるのは難しい。
「何で? そりゃあ、僕がひどい仕打ちをしたのは認める。だから、謝った。
それ以外に、どうしろって」
「……私って、顔に出てしまう方だから」
言葉を選び、回答する純子。
「香村君とこんなことがあったとあで、平気な顔をしてカメラの前で振る舞う
なんて、とてもできない」
「し、かし……。じゃ、じゃあさ。わだかまり解けたあとなら、また一緒に仕
事してくれるのかい?」
「先の話は、分からないわ」
「ううーん。それなら……そうだな、契約をした分だけでも、ちゃんと役目を
果たそうとは思わないかい? こんな土壇場に来て、降板なんかしたら、大勢
に迷惑が掛かるよ」
香村は熱っぽく語り掛けてきた。口説くときと同等くらいに、力を入れて。
「映画のスタッフだけじゃない。君の所属事務所も、違約金が必要になるし、
君自身のイメージダウンも避けられない。これからの将来、仕事が回ってこな
くなるかもしれないんだぞ」
熱弁を聞き流す純子。アイドルは、珍しいしかめっ面を作ってから、続けた。
「どちらが得で、利口な道か、涼原さんなら分かるはずだよ」
「そんな風には、割り切れない」
気持ちを理解してくれないの?と詰問したくなるところを、寸前でこらえた。
この場で大きな声を上げると、他のお客が香村の存在に気付き、騒ぎになるか
もしれない。
「どうしても、降りると言うんだね」
「……香村君と、一緒にやりたくないだけ」
「どういう意味だい? 僕の方こそ、降りればいいと? そうしたら、心おき
なく仕事できるってか」
香村も苛立ちを見せ始めていた。奥歯を食いしばった表情は、ドラマだと、
必死で努力する様を表すものだ。
「そんなこと言ってないわ」
「じゃあ、何なんだ」
「同じ場面には立てない。立ったら、ほら、こうして不機嫌になってしまうに
決まってる」
「はん! 主役と恋人役が、ツーショットにならないなんて、そんな映画があ
るもんか。それとも、合成でもしろと?」
可能なら、そうしてもらいたい。純子は思った。
どちらにしろ、純子にとって、映画云々は二義的なことに過ぎない。極端な
言い方をすれば、どうでもいい。
それよりも琥珀と写真、二つの大きなことについて話しているのに、映画の
ことばかり気にする香村を、信じられない。
「映画のことは、またプロダクションや監督の人を交えて、話をしてもらいま
しょうよ。私達だけで決められるものじゃないわ。今はとにかく、私の気持ち
を伝えただけ。分かって」
「気軽に言うなよ。時間がないんだぜ」
「だから、それは私達だけで話し合っても、無意味よ」
堂々巡りから脱するため、純子は用意してきた物を、傍らから取り上げた。
ビニール袋に入ったそれは、イヤリングだった。香村からもらった、オパール
のイヤリング。よい思い出は、何もない。
「返します」
「な、何を言ってるんだ。それは、君にプレゼントしたんだから、返してもら
う謂れはないよ」
プライド故か、申し出をはねつけようとする香村。純子はオパールを袋ごと、
指先で前にやると、静かな調子できっぱり言った。
「私がいらないの」
「しかし」
「手元にあっても、恐らく、嫌なことを思い出すだけだわ」
「……分かった。じゃあ、君の方で処分すればいいさ」
オパールを手のひらで覆って、純子の方へ押し返す香村。
「どういう意味?」
「捨てるなり売り払うなり、涼原さんが決めてくれよ。僕は受け取らないから」
「そんなこと、できない」
純子は、財布から自分の飲み物の代金分を出して、テーブルに置くと、素早
く立ち上がった。
「あれ? 待ってよ」
面食らった香村の顔が脳裏に浮かんだが、純子は立ち止まらなかった。今こ
のタイミングで店を出ないと、話し合いがずるずると長引くのは間違いない。
外に出て、しばらく歩いてから振り返った。香村が追ってくるようなことは
なかった。
青空の下の空気は、少しだけ気持ちよかった。
* *
「で、その後、どんな感じ?」
夜は少し遅かったけれども、町田は気になって、久しぶりに自分の方から富
井に電話を入れてみた。そして、聞こえてきた富井の声が、予想外に明るく弾
んだものだったので、内心、安堵すると同時に、驚きも感じた。
「うん、それがねえ、禁断症状が出て来ちゃって、耐え切れそうになかったん
だよぉ」
一転し、泣き声――泣き真似声になる富井。町田は送受器を掴んだまま、眉
を寄せた。次の瞬間には、富井の声は元に戻っていた。
「だからあ、久仁ちゃんと二人で、相羽君に会いに行ったの!」
「家まで?」
「まさかぁ! いきなりそこまではできないよぉ。駅よ、駅」
「……前と同じく、こっそり覗いてたわけ?」
それでどうしてこんなに明るくなるのかしらと訝しく思いつつ、聞き返した
町田。富井からの返事は、明瞭だった。
「違うよぉ。私達、勇気を出して、声をかけたの!」
ほんの数ヶ月前まで同じ中学に通っていた友達に声を掛けるのに、勇気が必
要なのか……町田にはいささか奇妙に聞こえたが、特段、追及するほどのこと
ではない。
(いや。逆に、それだけこの子達の、相羽君に対する思いが強いってことか)
またちょっと憂鬱になってきた。半紙に垂らした墨が広がっていくのにも似
て、暗澹たる気分が町田の内を占めていく。
「それで、相羽君、嫌な顔一つしないで、私達を喫茶店に誘ってくれたんだぁ。
お店の名前はね、『セレス』って言って、広すぎてあんまりロマンティックじ
ゃなかったけれど、きれいな感じだったわ。そこで色々お話をして、夏休みに
なったら会おうって」
嬉々として語る富井。その表情が、目に浮かぶ。町田は密かに嘆息した。
(参ったわ。前より、状況は深くなったみたい……純、早く動かないといけな
いよ。無理矢理にでも、郁と久仁に会って、話をしなきゃ)
* *
――つづく