#5113/5495 長編
★タイトル (KYM ) 00/ 7/12 0:31 (156)
はごろも The Mercury armor 第一話(9) ゆーこ
★内容
いままでためこんできた悲しみが、心のあちこちから一気に吹きだしてきた。
涙が、勝手にあふれてくる。
憎しみで煮えたぎってる、僕の心!
これを、ぶつける!
輝く蒼い結晶。
まわりの空気からどんどん水が集まり、結晶ただ一点に集中する。
「これが、僕のおもいなんだ」
それをつかんで、腕を前にだす。
そうしたら、傷ついたみんなと、心がひとつになれたような気がした。
水が、ものすごい速度で発射された。
「なんだ! これは!」
「ぐわあ!」
まるで巨大なミサイルだった。
結晶から何百倍にも広がった水のかたまりを、誰がよけられよう。
スーツたちは、水の直撃を受け、屋上からはじき飛ばされる。
まるで木の葉のように空中を舞い、ふたりの中年は、隣のビルの給水塔に激
突した。
同時に、その頭から鮮血が飛び散った。
拳銃だけが、屋上一面に広がった水たまりに、残されていた。
水を放つと、僕のうらみが、すうっと消えたんだ。
同時に、力が抜けてゆく。
……あんなに僕を駆りたてた激しかったおもいが、きゅうに重荷になるのを
感じた。
なに? この気持ち。
何? ぽっかり空いた心の空洞は。
あれだけ欲しかった力なのに、手に入れてみると、すごく空しくて、悲しい。
僕は、どうしてここに来たんだろう。
僕はどうして、こんなことしたんだろう……。
水たまりの上に、僕は、へたりこんでいた。
「また、思い出させてしまったな……楓」
宗太郎のシャツは仲間に脱がされ、傷口に包帯を巻かれていた。
銃弾は貫通している。
急所は外れたのだ。
血も止まっていた。
楓は、屋上で、そんな宗太郎の腕に抱かれていた。
夕日と雲を映すだけの、彼女の瞳。
そのこけた頬には、何の表情も生まれず。
長い髪が、無造作に風にはためいていた。
「心配するな。みんなといっしょに、病院に行ってるよ」
それは、宗太郎も気が気でならない、仲間の女のひとのことだった。
彼は楓に、ひとつひとつ、話した。
「さっき、電話があった。二、三カ月かかるけど、折れた骨もちゃんと治る」
楓は、何も答えない。
「楓……もう、ここを出る」
まるで、宗太郎のひとりごとだった。
「……すまない……楓」
悔しくて、切なくて、宗太郎は、楓をそのぶ厚い胸板によりそわせ、震えた。
「お前の傷を、全部、消してやりたい!」
僕は、お尻が濡れても、そこを動けなかった。
離れた給水塔の方を、ただ、ぼんやりながめていた。
トドンと呼ばれたグレーのスーツふたりの周りは、血の海だった。
ぴくりとも動かない。
もう、死んだのだろう。
だったら僕は、人殺しなんだろうか。
逮捕され、裁判にかけられ、刑務所に入れられ、自由をなくし、刑務所から
出てきても、犯罪者だって、いじめられ続けるんだろうか。
不安は、僕を深い闇に落とした。
「蔵本クン?」
相生さんがいた。
にっこり、ほほえんで。
「相生さん……」
つらくて、つらくて、僕の声は震えていた。
「……僕は、人殺しを、したんだ」
そう言ったとたん、じわり、涙があふれてくる。
すごく、熱い涙が。
相生さんは僕の横に、半ズボンが濡れるのも構わず、座った。
「キミが悪いんじゃない! 悪いのは、トドン」
正当防衛なんだと、相生さんは力説した。
「いい? 仕方ないことなの。トドンは、あたしたちを殺そうとしたんだか
ら。蔵本クンに罪なんかない。うん、絶対」
冷えてきた夕方の空気をかき消すように、僕を明るくはげましてくれる。
僕は、思いきって聞いてみた。
「……僕自身が助かるために、僕を殺そうとする誰かを、殺す。それは、間
違ってないの?」
「うん。間違ってない」
そう、うなずいてくれた。
「蔵本クンは、あたしたちみんなを助けてくれた。命の恩人よ」
「僕、僕、恐いんだ、こわいんだよ……警察に捕まって、刑務所に入れられ
るんじゃないかって。みんなが僕のことを嫌うんじゃないかって。僕のことを
誰も好きになってくれないじゃないかって……」
「心配しなくたっていい! あたしたちが証拠をい、い、いん……あれ?
何て言うんだったっけ」
「……隠滅?」
「そう、それそれ! 証拠なんて何にも残らないの。トドンだってあたした
ちといっしょで、こっそりトーキョーに来てるんだから」
「でも……でも……」
相生さんは、僕の肩を、そっと抱いてくれた。
お父さんやお母さんにさえ、無意識のうちに僕は身構えていた。
受験競争でひとに勝つことが、この世でいちばん正しいことだと信じきって、
他人を平気で差別する親になんか、僕はこころから甘えられなかった。
相生さんが僕に優しくしてくれるのは、うわべだけじゃないような、気がす
るんだ。
ふと顔を上げると、重岡さんが、おなかを押さえながら、ここまでよろよろ
歩いてきていた。
津田さんを背負って。
涙を見られたことが急にはずかしくなって、僕は涙をふいた。
「俺たちは、『はごろも』の力で、地方にエピグラムを起こす。地方から、
矛盾と暴力をなくすために」
うるんだ視界の中にいる、重岡さん。
僕には、それ(エピグラム)がどんなものなのか、想像もつかない。
でも、ひとつ考えられたのは、たくさんの人が死ぬだろうって、こと。
「ぜひドープに来てくれ。蔵本」
そう言うと、重岡さんは、僕の手をがっちりつかんで起こしてくれた。
僕は、鼻水をすすった。
人形のように体をだらんとさせた、津田さんの姿が見えた。
なぜか、僕は彼女から、目をそらしていた。
「どうした? 蔵本」
「……また、誰かが死ぬんですか?」
重岡さんは、その言葉を否定しなかった。
彼は、津田さんを背負いなおすように、背骨をまっすぐ起こした。
「自由がないことは、人間として死んだも同然だ」
相生さんも立ちあがって、こっちに顔を向けた。
「お願いします! 蔵本クンだけが頼りなの! みんなの、楓お姉ちゃんの
ためにも!」
「はごろも」の力がどんなにすごくたって、トーキョーの警察にかなうわけ
がない。
僕の復讐なんて、うまくいかないに決まってる。
僕はまた、うつむいてしまった。
「蔵本クン?」
相生さんが、そんな顔をのぞきこんだ。
僕は、くちびるを震わせた。
言葉が、でない。
「……あ、あの」
「どうしたの? 蔵本クン?」
「……僕には、できません」
夕日に染められた僕の体……蒼い光は、もうどこにも残っていない。
相生さんは、この大都市の空気を、心にとりこむように、深呼吸した。
それから、肩を落とした。
日は暮れ、ビルはまばゆく明かりを灯す。街は眠ることを知らず、無数の車
やひとの流れは、尽きることがない。
ここは世界一の大都市であり、またひとつの国である、トーキョー。
僕は、黒い車窓に立っていた。
車内の蛍光灯を反射したガラス。その向こうに広がる夜景を、ぼんやりなが
めていた。
電車はカタカタ振動をあげ、高架を進んでいる。
僕は、重岡さんたちに「はごろも」を返した。
重岡さん、水筒を出してきて、その蒼い結晶を、チェーンをつかんで入れて
いた。
がっかり、してた。
胸に残る、水の感触。
春はまだ遠く、暖房と人いきれで、窓は白くくもりだす。
僕は、自分自身が言ったことをゆっくり思いだし、心の中で反復した。
これで終わらせたいのに、もう終わりにしたいのに、僕の心の引っかかりが、
それを許さなかったからなんだ。
(つづく)