#5112/5495 長編
★タイトル (KYM ) 00/ 7/12 0:30 (190)
はごろも The Mercury armor 第一話(8) ゆーこ
★内容
理由はすぐにわかった。
最後に、屋上に姿を現したもの。
それは、グレーのスーツを着た、おとなだった。
そのひとが、黒い拳銃を手にしてる。
絶対あれは、おもちゃなんかじゃない。
緊迫した雰囲気が、本物にちがいないと、僕に教えてくれるんだ。
おとなは、重岡さんたちのさらに親の年代の中年。
その中年は、こっちに向かって、怒鳴り声を響かせた。
「そこのお前! 銃なんぞ持ちおって! 捨てんか!」
傲慢なおとな。
その中年をキッとにらみつけながらも、重岡さんはそれをゆっくり、コンク
リートの床に置いた。
彼女だけじゃない。相生さんもほかの人も、憎しみの顔を向けている。
津田さんは、重岡さんの背で、ぐったりしていた。
「奴らが、トドンだ。二十五年前からドープを支配し続けた、狂気の集団だ」
重岡さんが、そうはき捨てた。
あれが、トドン?
思ってたような凶悪な外見じゃない。いま目の前にいるのは、どう見ても、
サラリーマンふうのただの中年。
誰かが階段をのぼってくる音が、また聞こえた。
部屋にいた、ふたりの男のひとが、手を頭の上に乗せていた。
グレーのスーツを着た中年は、もうひとりいたのだ。
その中年も、やはり、拳銃でふたりを脅している。
彼は、怒鳴りつけた。
「全員横一列に並べ! 手を頭の上に乗せろ。乗せんか!」
いやいやだが、みんな、したがっている。
トドンって何者なんだ?
「蔵本クンも、はやく。はやくして」
「え……う、うん」
相生さんが小声で教えてくれた。
僕が最後に手をあげ、これで全員が降参の姿勢になった。
「用意できました!」
女のひとが置いた銃を拾ってから、中年のひとりが、もうひとりに敬礼して
報告する。
「うむ」
地位が上らしいもうひとりは、軽くうなずいてから、拳銃をふところにしま
い、グレーのスーツの衿をただし、六人の前に立った。
彼はカッと、目を見開いた。
「お前ら! ふざけた真似もいい加減にせんか!」
それはまるで、テレビで見た、厳格な学校を舞台にしたドラマや、どこかの
軍隊のような口調だった。
圧倒的な威圧感で、中年はもう一歩、前に出る。
重岡さんの仲間の男のひとの、ぴったり正面だった。
「何がエピグラムだ。何が自由だ」
中年は鬼の形相でそのひとをにらみつけ、次の瞬間。
「お前らのような連中がドープを滅ぼすことが、まだわからんのか!」
すさまじいパンチが中年から繰りだされ、男のひとが、後ろにふっ飛んだ。
重岡さんたちが動揺した。
「じっとせんか!」
しかし、後ろでいたもうひとりのグレーのスーツが叱りつけると、みんな動
けなくなって、すごすご、手を頭の上に戻す。
彼が、拳銃を構えなおしていた。
「ぐっ……」
ゆっくり起き上がった男のひとの顔が、みるみるはれあがってきた。
口から血を流し、すごく痛そうだった。
「次はお前だ!」
中年は、僕たちに「このこと」を教えてくれた女のひとの足を、横から蹴っ
た。
彼女は、その場に転んだ。
起き上がろうとした女のひと。でも、スーツはそのおなかを思いきり蹴飛ば
した。
声にならない、重いうめきが聞こえた。
さらに、おなかを片足で踏みつけた。
もうひとりのスーツが、落ちていた鉄パイプを拾い、やってきた。そして、
それを両手で握り、足は女のひとの右のてのひらを、押さえつけた。
ぐいぐい、おなかと手にくいこむ硬い靴。苦痛と恐怖で動けない彼女に、スー
ツは言った。
「これから教育を行う! 独歩、独立(ドープ、ドーリ)!」
「いや! やめて! やめて!」
女のひとが、あお向けのまま暴れ、必死になって逃げようとした。
何がはじまるのかを、若者たちは悟っていた。
重岡さんも相生さんも、ほかのみんなも、脅されてるにもかかわらず、声を
あげて、彼女を助けようとした。
「やめろ!」
「やめてくれ!」
「いやぁぁ!」
しかし、おなかに乗せた足に力をかけ、スーツは、みんなに銃を向けた。
誰も、それ以上近づけない。
津田さんは重岡さんの背中で、まるで人形のように、生気を失っていた。ガ
ラスのような瞳は、まばたきひとつぜず、その光景を、ただ映すだけだった。
「よく聞け! 我々トドンは、お前らの両親たちとともに命がけでドープの
独立をつかんだ! 二十五年間我々を搾取し続け、生活を困窮させたこのトー
キョーからだ! それなのにお前らは、トーキョーの堕落した文化を崇め、ドー
プを破滅させようとしているのだ! いままで育ててくれたドープを裏切ろう
とした! それは正しいことなのか! 真の正義が何なのかを言ってみろ!」
「くそう! 自分勝手なことばかり!」
「彼女を離せ!」
スーツは、そんな若者を一喝した。
「バカ者どもめ!」
「間違いを正すのが、トドンの使命! お前らを更正させ、地方に平和と安
定をもたらすのが、トドンのすべてなのだ!」
鉄パイプがふりあげられた。
「やめて! やめて! いやァァァァァ!」
「独歩、独立!」
ふり落とされた鉄パイプは、鈍い音とともに、彼女の腕に突き立てられた。
あたりのビルに彼女の絶叫がこだまして。
白目をむいて、女のひとは気絶していた。
その腕は、血をしたたらせながら、折れ曲がっていた。
「いやぁぁぁぁぁー!」
津田さんが悲鳴をあげのは、生気を取り戻したから。
でも、人形のままのほうが、津田さんにはよかったのかも知れない。
重岡さんたちは、憎しみで体を震わせていた。
ふたりのスーツは、ふん、と女のひとを一瞥し、その場に放置した。
そしてまた、スーツの衿を正した。
「これはお前らのためにやっているのだ! お前らを育ててくれた地方、ドー
プに、精神誠意謝らせるために! 腕を折れ! 足を折れ! 正義を理解でき
ない者はその体で覚えろ!」
スーツは、これが当然の罰だと、若者たちを見下している。
その傲慢さに、正面きって敵意をぶつけたのは、重岡さんだった。
「なにが教育だ! この暴行魔め!」
拳を構えた彼に、スーツたちは、冷やかな視線を向けて迫った。
「……貴様、いまなんて言った」
「お前らトドンは自分勝手に法を変える犯罪者だ! 死んでいったひとたち
のために、必ず俺たちがトドンを裁く! 裁判にかけて、罪をつぐなわせる!」
「バカ者め!」
消音器(サイレンサー)のついた拳銃は、わずかな発射音だけで、巨体を誇
る重岡さんを、一瞬にしてその場に沈めた。
津田さんが、彼の背から崩れ落ちた。
あたりに火薬のにおいがただよう。
今度こそみんな、命を構わず駆け寄った。
「宗太郎さん! 宗太郎さん!」
重岡さんにしがみついた津田さんの指に、血が伝わった。
「だ、だいじょうぶだ……楓」
「しっかりして! 宗太郎さん!」
津田さんのパジャマの袖を染める、赤い悲しみ。
泣いた、津田さん。
でも、彼女も。
「宗太郎さん……きゃっ!」
「さあ! 次はお前だ!」
後ろから、津田さんの長い髪が、グイとつかまれた。
涙が、ぱっと散った。
そのまま乱暴に引っぱられ、コンクリートの上にあお向けに倒される。
さっきと、同じだ。
おなかを思いきり蹴られ、ぐったりしたところを、靴で押さえつけられる。
ひとりが、僕たちに拳銃を向けて牽制し、もうひとりが鉄パイプを構える。
さっきと、同じだった。
「イヤ! イヤ! 離して! 離して!」
「……楓……楓ぇぇぇぇぇ!」
「楓お姉ちゃん! お姉ちゃん! お姉ちゃん!」
仲間に抱えられた重岡さんが、ありったけの声を、痛みをこらえ、低くふり
しぼった。
津田さんの名を呼ぶ相生さんの声は、枯れていた。
「教育」という名の暴力が、津田さんの腕を、へし折ろうとしてる。
叫び。恐怖。おそれ。
残酷で、鉛のような重苦しい空気に、僕の心は押し潰されそうだった。
トドンというスーツの中年たちは、こんなひどいことを、何の躊躇もなくやっ
ている。
それが、正義だと言い切っている。
いまここに警察がきたなら、このふたりはすぐに逮捕されるだろう。
ここは、法律で守られた街、トーキョーなのだから。
それなのに、お構いなしで暴力をふるい続ける中年。
「お前たちの腕も足も、みんな折ってやる。動けなくなってから、ドープに
強制送還だ。帰ったら、もっともっと厳格な教育を行う! ありがたく思え!
ドープに生まれたことを感謝しろ! 独歩、独立!」
狂ってる。
このひとたち、絶対、狂っている。
「くそう! くそう!」
夕日と同じ色の血が、重岡さんのTシャツを染めあげ、白く乾いたコンクリー
トの上に広がってゆく。それでも彼は、ずるずる、はってでも前へ進もうとし
ていた。
「楓ぇぇぇぇぇ!」
「楓お姉ちゃん!」
「宗太郎さん! 由岐ちゃん! みんな! 助けて! わたしを助けて!」
「津田さん!」
僕の胸の蒼が、よみがえった。
結晶は夕日でさえ蒼く隠し、誰もの目をくらませた。
そうだ。
あいつらだ。
あいつらと同じだ。
僕を殴った奴ら。
僕を、蹴った奴ら。
お金を奪い、お金が足りないと、また殴って。
そのうち、僕はボロボロになって、死んでいく。
そんなの、嫌だ。
絶対いやだ。
僕が生き残るため、僕が助かるため。
僕がしあわせになるため。
ただ生きたいがために、生きたいひとが、生きるための努力をして、何がい
けないんだ。
僕が生き残るために、僕を殺そうとする奴を、僕は、殺す。
殺すしか、ないんだ。