#5079/5495 長編
★タイトル (AZA ) 00/ 5/31 9:27 (192)
そばにいるだけで 48−7 寺嶋公香
★内容
思わず、相羽の両手を取りたくなった。けれど、それはもうやめなければ。
純子がクッションを戻していると、相羽が話題転換をしてきた。
「撮影が始まったら、僕も見に行っていい?」
「私が決められることじゃないけれど、許可されるようだったら、来て」
「ああ。許可が出なくても行く」
相羽は強く言い切った。その目に迷いはもうない。思っていたことを伝えら
れて、気分が楽になった、そんな風情が漂う。
「カムリンともまた会いたいしね」
「え?」
笑顔で言った相羽に対し、どういう風の吹き回し?と怪訝さを覚えた純子だ
ったが、あえて聞き返さないでいた。
* *
ゴールデンウィークが終わって、また学校が始まった。
その放課後、富井と井口は誘い合って、駅に来ていた。普段は立ち寄らない、
それどころか来るのも初めての駅。緑星高校への最寄り駅。
駅構内の大きな柱の陰に隠れるようにして、二人は待っていた。
「遅いね」
「うん」
腕時計で時刻を確かめ、再び視線を出入口に向ける。
「だけど、きっともうすぐだわ」
利用客の中に、緑星の制服を着た人が、ちらほら見え始めた。井口も富井も
目を凝らした。お目当ての相手は無論、相羽。
そしてもう一人、純子を捜していた。
予告なしに待ち構えて、どうこうしようというわけではない。声を掛けられ
るかどうかさえ、不確定だ。ただ、相羽と純子の学校生活の一端を垣間見てみ
たい、それだけのこと。町田に言われた話も、多少気になっていた。
「あ。あれ!」
駅のアナウンスが、プラットフォームに電車が到着すると告げた瞬間、井口
と富井は同時に気が付いた。
駅の外、真っ直ぐに延びる道路をこちらに向かって、何人かが走ってくる。
相羽と唐沢、純子、その他富井達の知らない顔も二人いる。
「残念、間に合わなかったか」
先頭の相羽が駅に入る直前で立ち止まり、後ろを振り返る。彼一人なら間に
合ったかもしれない電車は、たった今、ドアが開き、そして閉まる。唐沢達が
追い付いた頃に、ちょうど発車していた。
「うう、気分悪い」
肩で息をする唐沢。
「休みの間、遊びすぎたかな」
「不摂生が祟ったとか。そう言えば、テニス部に入らないのはどうしてだよ?」
相羽の問いに、唐沢は空元気で胸を張り、
「涼原さんと同じところに入ろうと思ってたら、どこにも入んねえんだもん」
と、純子へ振り返った。
純子はその話が聞こえてなかったらしく、二人の女生徒と何やらお喋りをし
ている。
かと思ったら、突然、相羽に声を掛けた。
「ねえ、相羽君。相羽君が暇なときって、いつ?」
「えっと、今すぐには確かなことを言えない。何かあるの?」
「あ、結城さんがね」
相羽と言葉を交わす純子の表情は、楽しげな笑みに満ちていた。緑星の制服
に身を包んだ五人は、とても仲よさげに見えた。
「……」
黙って窺っていた富井と井口は、どちらからともなく、お互いを見やった。
一度、相羽達の方へ視線を戻し、しばらく見つめていたが、三十秒ほどで井口
は富井の脇を肘でつついた。
「帰ろ」
「……うん」
井口と富井は、柱の影をそっと離れた。
相羽達が気付くことはなかった。
* *
高校生になって初めての定期試験が近付いていた。皆、試験勉強に忙しくな
るのが当然。
しかし、純子はその前に一つ、やるべきことを自身に課していた。
「会ってくれるかな……」
心の中に仕舞い込んでおくはずのつぶやきが、思わずこぼれ出た。
近くにありながら、なかなか足を向けられなかった富井の家を、今、前にし
ていた。以前訪れたときは不在だったが、中間テストが迫ってきた日曜なら、
朝からずっと家にいるだろうと踏んで、足を運んだ。勉強の邪魔をすることに
なりかねないが、こうでもしないと会ってもらえそうにない。
(何て切り出そう。最初にわけを話して、謝って……)
段取りを考える自分が浅ましい。純子は家を前に、うつむき、頭を振った。
最後の一歩を踏み出す勇気を持つには、あとほんの少しの時間が必要。
と――。
「じゃあ、行って来るねー」
玄関戸が開いて、その隙間から富井の声が聞こえた。
慌てて面を起こすと、純子の視界に、ちょうど前に向き直る富井の姿が入っ
た。しばらく下を向いていたのは、履ききっていなかった靴を手直しするため。
やがて富井もまた顔を起こした。
目が合った。
「郁江」
「――」
富井が布製の手提げ鞄を持ったまま、表情を固くするのが分かった。さっき
まであった笑みが消えていく。
純子はもう一度、名を呼びかけ、少しだけ近付いた。
一方、富井は立ち止まったままで、門柱より前には出て来ようとしない。唇
を固く閉じ、じっと純子を見返してくる。
「話をしたいのだけれど……これからどこかに行くの?」
探るような口調になる純子。相手の反応を見極めるため、眼差しもどこかお
どおどしたものになってしまう。
しかし、富井は何も言ってくれない。一瞬、口をもごもごさせた様子が垣間
見えたが、それとてじきに分からなくなった。
「今、時間はいい?」
「……図書館に行くところなのよ」
やっと喋ってくれた。つっけんどんな物言いだったが、純子は糸口を見つけ
た気がして、表情を明るくする。
「忙しいんだったら、別の日でかまわない。いつか、時間を作ってほしいの。
話がしたい。お願い」
「何を、話すって言うの、純ちゃん」
富井の口から、こんな冷たい響きで名前を言われたのは、初めてだった。純
子は喉元を押さえ、声がかすれないように気を付けた。寸前で息を溜めてから、
切り出す。
「――相羽君のこととか」
「聞きたくないよっ」
富井の叫びは、風船が破裂した瞬間を思わせる。
純子は気圧され、後ずさった。富井はそれに呼応したのかどうか、門の外に
歩を進めた。そのまま、行ってしまいそうな雰囲気があった。
純子は引き留めようと、頭を下げた。
「ごめんなさい。許して、郁江」
「……いったい何を謝ってるの」
「私が、相羽君を好きなのに、その気持ちを隠してきたこと」
「そんなこと、謝られたって……すぐには気持ちの整理、つかないよ」
「だから、お話しさせて。言い訳になるかもしれないけれど、とにかく聞いて
ほしいの」
「聞きたくないって、さっきも言ったでしょっ」
「で、も……」
「純ちゃんには、私達の気持ちなんて、分かるはずないもん! 話したって無
駄だよ」
富井はゼロから急に加速し、純子の前を横切って行く。
純子は振り返ることすらできなかった。
井口の家も訪問するつもりだったのだが、気持ちをくじかれてしまった。同
じ苦しみを、再び味わうのはつらすぎる。
(だめ……。芙美にも誓ったのに。どうしたらいいのか、分かんない)
家に帰らず、歩いていたら、いつしか、川べりに出ていた。堤防を下って、
草原になっているところに立つ。
きつくなった風に顔を背けて、上流を眺めると、思い出がよみがえった。こ
の先には、初めてモデルを経験した撮影場所がある。
あれがなかったら、相羽とここまで親しくなることもなかったかもしれない。
今でも好意を持たずにいたかもしれない。すべては、もしも、の話。
(でも。あなたを好きにならなければよかったなんて、全然思えない。たとえ、
もうかなわない恋でも)
地面に腰を下ろし、膝を抱えてから、そこへ頭をもたせかけた。髪が、風に
吹き流される。
ため息がこぼれた。
(私一人が、関わりを断ち切ればいいわけでもないし。相羽君が、誰かとくっ
ついてくれたら、丸く収まるのかな。だけど、郁江か久仁香のどちらかだと、
結局、いつまでもぎくしゃくしたまま……。かといって、他の誰か――たとえ
ば白沼さん――というのも嫌)
結論は、今日も見えない。
(ごめんね、芙美。約束、まだ果たせない。夏休みに間に合わせようと思って
たんだけれど、もっと先になりそう。
それと、マコ。私、あなたにまで、嘘ついてる。ごめんなさい。早く言わな
くちゃ。本当の友達になれない)
押し潰されそう。
どれくらいの時間、考え込んでいただろう。気を取り直そうと、純子は上体
を起こして、川面を見つめた。思わず、目を細めた。真昼の太陽が、流れる水
をまぶしく照らしている。
(試験が終わってから、もう一度、考えよう。できることと言ったら、そう、
手紙を書くとか)
後ろ髪を引かれつつ、何とか踏ん切りを着けた。重い腰を上げて、家路に就
く。風は、向かい風。
「てっきり、白沼さんが相羽君の彼女かと思ってたんだけどなあ」
中間試験最終日の最後の休み時間、結城が前触れなしに切り出した。
「マコ、まだテストがあるのに」
単語帳をめくる純子に、結城は手の平を振った。
「土壇場になって、詰め込むのはもうやめた。それよりか、こっちの方が気に
なるから」
「……前も言った通り、相羽君は今、彼女なんていないと思うわ」
純子は嘆息し、単語帳を閉じた。時計を一瞥し、残り時間を確かめる。
結城が純子を指差してきた。
「そこなのよ。四組の子達にそれとなく聞いたら、白沼さんを彼女だと思い込
んでる人、多かったのよね」
「……ふうん」
「みんなが信じてるってことは、つまり、それだけ親しくしてるってことでし
ょ。しかも、相羽君自身が否定していない」
「そ、それは、相羽君だって、面と向かって聞かれたわけじゃないだろうから」
「そうとも考えられるわね。私も今の段階じゃあ、白沼さんは違うとにらんで
いるの」
「ええ?」
「相羽君が好きな人は、他にいる――とね」
真っ直ぐな調子で言われて、純子はどぎまぎした。両手を合わせて、今思い
出したみたいにして、口走る。
「あ、そう言えば、相羽君の誕生日ね、もうすぐなんだよ」
「どこがどうなれば、『そう言えば』になるのよ」
眉を寄せる結城。すぐさま、付け足した。「でも、気になるから教えて」と。
「うん、二十八日」
答えた瞬間、チャイムが鳴った。ほぼ同時に、先生が入ってくる。テスト開
始まで、あと五分。
椅子にきちんと座り、答案用紙が回ってくるのを待ちながら、純子は気掛か
りを払拭しようと、懸命だった。
(マコったら、何をどこまで勘付いたのかしら?)
そして−−。
相羽の誕生日当日。
純子は何もしなかった。できなかった。
相羽がどのくらいプレゼントをもらったのかは、分からない。今年初めて違
うクラスになったおかげで、目の当たりにせずに済んだ。
――『そばにいるだけで 48』おわり