#5078/5495 長編
★タイトル (AZA ) 00/ 5/31 9:26 (200)
そばにいるだけで 48−6 寺嶋公香
★内容
* *
写真週刊誌『キャッチ』に問題の写真が掲載されて、ひと月ほどが過ぎてい
た。が、それでもなお、世間、特にファンの関心は衰えていなかった。
(凄い人……)
ワイドショーの映像を自宅で眺めながら、純子はカメラマンとリポーターの
数の多さに、ただただ唖然としていた。
画面の片隅には、LIVEのテロップがマークと共に斜めに出ている。そこ
へ、マイクの束を前に、椅子に腰を落ち着けて悠然としている香村が大写しに
なった。隣には藤沢が影のように控えている。その反対側には、テレビや雑誌
等でたまに見かける若作りの男の人が座っていた。今度の香村の映画を撮る監
督、殊宝美明(しゅほうよしあき)だ。
(ああ。とうとう、こんなことになっちゃったか)
他人事のように思う純子。
(仕事に打ち込む第一歩とは言え、いきなり映画なんて、本当に大丈夫なのか
な。藤沢さんや市川さんに、うまく言われてしまった感じ)
後悔はないが、不安は間違いなくある。
どきどきする胸を片手で押さえていると、いよいよ記者会見のスタートとな
った。純子の母も、台所から飛んで来た。写真週刊誌のことがきちんと片付け
られるのかどうか、気にしているのだ。
「純子はあの場所に座らなくて、本当にいいのね?」
「うん。姿を現したら、かえって火に油を注ぐようなものだからって」
映画での香村の恋人役の発表会見。と同時に、写真週刊誌に載った恋人騒動
にけりをつける場でもある。
ガイアプロは、純子を映画に引っ張り出したい考えを隠しはしなかった。そ
の代わり、純子の気持ちを汲んでくれて、こうして本人が会見場に居合わせな
いスタイルを用意した次第である。
<『青のテリトリー』のヒロイン・双葉役には、まったくの新人を起用すると、
以前から言明していました>
監督が、やけに優しい物腰で始めている。
<当初、大々的にオーディションを開催する考えもありましたが、中止にしま
した。何故なら、我々の求めるイメージに一寸のぶれもなく重なる人物を見つ
け出したから、オーディションは必要なくなった、それだけです>
殊宝のあとを藤沢が受ける。
<えー、香村がいつもお世話になっております、ガイアプロの藤沢です。我々
は『キャッチ』さんに載った写真について、ノーコメントを通してきてました
が、それには理由がありました。今日という日を待つためです。はっきり申し
まして、あの写真は事実であっても、記事内容はほぼでたらめ、話になりませ
ん。『キャッチ』さん、もう少し突っ込んで取材すれば、スクープだったのに、
惜しかったですね>
当の『キャッチ』の取材メンバーを除き、全体が笑いに包まれる。
嫌みさを垣間見せた藤沢は真顔に戻って、場が静まるのを待った。
<察しのよい方々はすでに勘付かれたと思います。今度の映画『青のテリトリ
ー』で、香村と共演するヒロインこそ、あの写真の少女なんですね>
純子はお茶の間で、唇を噛みしめた。隣に座る母が、「遂に言ってしまった
わねえ」と、夢見心地のようなうわずった声で言っている。
すかさず記者から質問が乱れ飛んだ。
<誰なんですか。名前は?>
<どういう経緯で決まったのか、教えてくださいよ>
<あのとき、香村君とその少女は何をしてたんですか>
等々。聞き取れない質問もたくさんあった。
監督と藤沢が何やら耳打ちし合って、やがて互いにうなずいた。場が再び静
まると、藤沢の方が口を開く。
<私のような立場の者がお答えするのは僭越ではありますが、続けさせてもら
います。まず、ヒロイン役の彼女のプロフィールは、一切お伝えできません>
記者席がざわついた。本当にがやがやと言っているかのように聞こえる。一
人がよく通る声で、早口で尋ねた。
<全くの新人なのですか>
<厳密を期すなら経験ゼロではありませんが、新人と言って差し支えないと思
います。もちろん、映画は初めてです>
<どこの所属なんです? ガイアプロなんですか>
<これ以上はお答えできません。映画の宣伝戦略としてね。ご勘弁願います。
それから――何でしたっけね? ああ、ヒロイン決定の経緯か。これも難し
いな。裏話なんて、邪魔でしかない。現代に、シンデレラが一人くらいいても
いいでしょう>
自らの台詞を気に入った風に、藤沢は微笑した。そして滑らかに続ける。
<公園で香村と彼女が何をしていたか、ですが、無論、映画出演を決めてもら
うための、最後の意思確認ですよ。香村本人と直接会って、気持ちを固めてほ
しかった>
この辺は、ガイアプロが用意した嘘の答だ。それを藤沢は、淀みなくすらす
らと語る。
<それじゃあ、香村君は、その子と会ったとき、どういう感じだったの>
砕けた物腰で別の記者が香村をターゲットにした。
香村は待ちかねていたように、椅子の背もたれから身体を起こすと、テーブ
ルに両肘をつき、手を組んだ。
<どういう感じと聞かれたら、いい感じと答えるしかないかな。あのときをそ
のまま映画にしてもいいなってね>
<あの写真は、ラブシーンではない?>
<残念だけど>
楽々かわしていく香村。初めてのスキャンダルだと言っていた割に、場慣れ
している。
その後も軽妙なやり取りが続いていたが、純子の母はリモコンでテレビのス
イッチを切った。
「本当のところ、どうだったの?」
「え」
「あの写真の状況よ」
「やだなあ、お母さん。前にも言った通り、何でもないんだから」
「じゃあ、イヤリングを持って来て」
写真週刊誌が店頭に並んだときに、イヤリングを着けてもらっていたのだと、
説明していた。ただ、あのイヤリングがあまりにも高価だから、現物を見せて
いない。そのせいで、母はまだ納得していなかった様子だ。
純子は覚悟を決め、立ち上がると自分の部屋に行き、上から二番目の引き出
しに入れておいた小箱を取って、引き返した。
「これよ。全然使ってないんだけれど……」
「いいから、見せて」
渡さずに済ませようと思ったが、無理らしい。
母は箱を受け取ると、少し手間取りながらも蓋を開けた。中のイヤリングの
内の一つを摘んで、しげしげと眺め、向きを換えて光を当てる。
「随分立派ね。……この石……本物じゃないの」
「まさか」
とぼける。知らないことにすればいいと気付いた。
娘の屈託のない笑みに、母もイヤリングを元通り仕舞うと、箱ごと返す。
「まあ、普通にお付き合いしている分はいいけれど」
「もう、そんなんじゃないよ」
「ところで、撮影はいつから」
「細かい日はまだ聞いてなくて、とにかく夏休みいっぱい使って撮るんだって」
「大丈夫なの、学校の方は。宿題やら行事やら、色々とあるでしょうに。それ
に、あなた自身の身体だって」
「何とかなるわ」
両手で小箱をしっかり包み込み、純子はリビングを離れた。
「どうせ考えたって、初めてのことなんだから、分かんないしね」
連休明けを待てなかったという。
相羽は朝早くに現れた。電話で、これから行くからと告げられて、まだ十分
経っていない。自転車でも早すぎる。恐らく、相当飛ばしてきたに違いない。
「純子ちゃん。昨日の、見たよ」
あの記者会見のことだというのは、電話をもらったときから勘付いていた。
だからこそ、相羽が来るのを拒まなかった。今回は特別。
(仕事に関係しているんだから、相羽君と会うの、許してくれるよね、郁江、
久仁香?)
希望的観測の色濃い祈りをしつつ、相羽を出迎えた純子だった。
「――おばさまから聞いて、知ってたんじゃないの?」
相羽は「うん」と言いながらも、首を横に振った。
「そういうことじゃなくてさ。もっと別の話がしたいんだ」
「別?」
「香村はあれから、何か言ってきたのかどうか」
「――中、入って」
香村の名を口にするのなら、外で話を続けるのはよくないだろう。そんな判
断から、純子は相羽を上がらせた。
相羽から両親への挨拶が終わると、階段を急ぎ足で行き、部屋へ招き入れる。
ただし、ドアはいっぱいに開け放したまま。
「それで? 香村君がどうしたの」
「えっと……香村と今でも化石や恐竜の話をすることって、ある?」
「ううん。全然」
唐突な問い掛けだと訝しく思ったものの、純子は肩を落として首を水平方向
に振った。
「今の香村君は完全に芸能人しちゃってるから、化石に興味なくしたみたい」
「――それなら、ま、いいか」
「何のこと?」
「こっちの話」
はぐらかす相羽の表情は、幾分やわらいでいた。クッションの上で居心地悪
そうにしていたのが、足を崩して落ち着いた。
「ところで、映画に出る気になったのには、理由があるの?」
「なくはないけれど……」
「けれど?」
「言えないのよね」
負けずにはぐらかしてやった。現実問題として、仕事に打ち込もうと誓った
理由を、相羽に話すのはためらわれる。
「もしかすると、香村から何か言われたんじゃ」
「それはない、ない。義理っていうのかな、色々あるのよね、こういう仕事し
てると。私も初めて知ったわ」
半分方は口から出任せだ。幸い、相羽は信じてくれたらしい。
「それにしても、映画まで引き受けて、身体が持つの? 他にも写真集と音楽
活動、モデルもあるだろ」
「平気。そのために、部活してないんだから」
「だけど、それにしたって」
「あ、相羽君こそ、ピアノレッスンのためにどこの部にも入らないでいるじゃ
ない。レッスン、始まるんでしょう? どうなの?」
「今度の土曜日から、ほぼ毎週……」
相羽の答に、純子は表情を曇らせた。
(仕事がある。聴きに行けない――行けなくていいのよ)
密かに首を振って、相羽に笑顔を向けた。
「こんなことしか言えないけれど……頑張って」
「頑張るよ」
今日会ってから初めて、相羽の表情が明るくなったように思えた。少し、ほ
っとする。
「私も頑張るからね」
「いや。できることなら、映画になんか出てほしくない」
「ん……どうして」
目を細め、純子は首を傾げた。聞き返さなくても、何となく分かる。答を期
待したものではない。
「どうしても」
案の定、相羽の口から、理に叶った返答はなかった。
「理由なんかない」
「手遅れよ。今さら、やめられないわ」
「……分かってるよ、それぐらい」
相羽は純子を見ずに、斜め下に吐き捨てた。
言葉にならない二人の想いが空中で絡んで、消えていく。静かな時間が流れ
ていった。
やがて相羽が純子に向き直り、再び口を開いた。
「無理だけはするな」
真剣そのものの相羽の眼差しに射すくめられ、純子は一瞬、全身を固くした。
でも、次にはもう笑って応じる。クッションを胸元で抱えながら、相羽の肩を
ぶつ真似をした。
「大丈夫だってば。私って、忙しく動いてる間は、疲れを感じないのね、多分。
全部終わったら、ゼンマイ切れたみたいになるけれど」
「……そっちの方が恐い」
「え」
「友達として言うけど、プロである限り、身体を壊してまで頑張ったって、誰
も誉めてくれない。健康を保つのは当然なんだから」
「……」
腕に力が入り、クッションが二つ折りになった。純子は唇を噛んで、自然と
考え込む。
「――と、母さんが電話で話してたのを聞いたことある。参考までに、覚えて
おいてくれないかな」
不意に空気が弛緩した。相羽は両手を後ろについて、足を伸ばした。
「あ、ありがと」
――つづく