#5077/5495 長編
★タイトル (AZA ) 00/ 5/31 9:25 (200)
そばにいるだけで 48−5 寺嶋公香
★内容 06/08/28 16:46 修正 第2版
ちらっと、相手の顔を見やった。いっそのこと、町田に打ち明けて、相談し
てみようかとも思う。
(芙美、あなたは気付いている、気付いてない? 考えてみたら、郁江達から
聞いてるかもしれないんだよね。もし知っていて、私に黙っているのだとした
ら、それは優しさから? 嬉しいけれど、辛い)
「何よー、純。まじまじと見つめてきて。ワンパターンな切り返しをするけど、
私の顔に何か付いてるとでも?」
町田が肩を叩いてきた。純子はすぐさま返事した。
「芙美だって、かわいいから、モデルできると思うのに」
「お世辞をどーも。自分でも言うのも何だけど、顔はまあまあとして、スタイ
ルにねえ、自信ありません。いやー、真面目に言うとだね、この辺、ちょっと
ばかし、にきびができたんだよねえ」
と、前髪に手の平をかけて額を見せる町田。ちょうど真ん中当たりに、小さ
な出来物があった。
「これ、気苦労が耐えないせいかしらね、ははは。郁みたいに、ケーキ大量に
食べてるわけじゃないし」
富井の愛称が出て来て、純子は少しだけ肩をびくりとさせた。その前の「気
苦労」という単語にまで、過敏な反応をしそうになる。考えなくていいことな
のに、深読みしてしまう。
(ひょっとして芙美は、私と郁江達との間で、板挟みになってるんじゃあ……)
一旦そう思い始めると、止まらなくなった。脳内の片隅に生まれた小さな風
船は、どんどん膨らんで、今や純子の心の大部分を暗く押し潰さんばかり。
この想像がたとえ外れていたとしても、いずれ打ち明けなければいけない。
「どうしたの? もっと仕事の話、聞きたいな」
町田が催促してくるのへ、純子は唇を噛みしめ、首を振った。次に口を開く
ときは、声がかすれないように注意しなければいけない。
「あのね、芙美」
「う、うん?」
「私――。郁江や久仁香と一緒に遊べなくなったのは、私のせいなの。ちょっ
と喧嘩しちゃって……。ごめんね、芙美にまで迷惑かけてる。私、私……」
相手の反応を確かめず、一気に喋る。少し間を置くと、町田が口を開いた。
「いいよ。私のことは気にしなくていいから。一刻も早く、二人と仲直りして
ちょうだい」
事情は問わず、労るような笑みを見せた町田。
やはり全てを承知しているのかもしれない、と純子は感じた。あえてそのこ
とを質さず、手を取る。涙声になりそうなのをこらえて、言った。
「絶対に仲直りするから、してみせるから、それまで待ってて。お願い」
「――うん。待ってるよ」
町田が握り返してきた。
普段から、町田の手は冷たい。
純子にとってはとても暖かかった。
* *
祝日の昼下がり、町田は植え込みのレンガに腰を下ろし、両足をぶらぶらさ
せながら、時間が過ぎるのを待っていた。
野球帽に長袖シャツ、ジーパンといった出で立ちは、遠目からでは男性に見
えるかもしれない。
(黙って見てられない性分なのよねえ、私ってば)
腕時計を一瞥する。約束の時刻を、五分経過しようとしていた。
(郁ったら、相変わらずだなあ。まあ、怒る気になんないけど)
富井と井口の二人と待ち合わせをしている。
(そろそろお出ましかな)
鼻の頭をかき、左右を見渡すと、右手から井口の走ってくる様が見えた。そ
の後ろを、遅れて富井が息を切らしてやってくる。
「――あ、いたいた。芙美ー、遅れてごめーん!」
井口が声を張り上げ、手を大きく振る。富井の方は、声を出せる状況にない
ようだ。
町田は立ち上がり、軽く手を振って応えると、自ら近寄った。
「大事な話があるって言ったんだから、二人とも、ぴたっと約束の時間に来て
ほしいものだね」
「そんなこと言われたって、郁江が」
「ひどーい……」
指差された富井が、両手を膝につきながら、か細く反論した。いや、反論し
ようとしたが、あとが続かない。
「ま、遅れた理由はどうでもいいのよ。とりあえず、どこか入ろう。校則は?
喫茶店OK?」
三分後、三人は弱い冷房の効いた喫茶店の、奥の席を占めていた。
富井がケーキを注文したのを見て、町田は注意してやろうかと思ったが、や
めた。少し太ったように見えなくもないが、顔の肌はまだきれいなもんだ。ど
ちらかというと、井口の方がそばかすを気にしている。
オーダーした品全てが届くまでの間、学校の話に終始し、町田が本題を切り
出したのは、届いたあと。
「それで、いい男の子は見付かったのかな」
町田はパフェを切り崩すが、口に運ぼうとはせずに、相手からの返事を待っ
た。横目で見やると、富井も井口も、心外そうに首を振っている。
「分かってて、そういうこと言うんだからー!」
「と言うと、やっぱり、相羽君命なのかいな」
内心、ため息混じりで言いたくなる。
(卒業式の前の時点で、純が相羽君を好きだってことを薄々勘付いてたくせに、
どうしてその逆には思い当たらないんだかねえ)
富井や井口が思い当たったからといってあきらめるのかというと、どうなる
か断言はできないけれど。
「そうよ。決まってる」
強い調子で表明した富井に、町田はあえて意地の悪い問いかけをぶつけた。
話の流れを決定づける質問を。
「誰がライバルであっても?」
「それは――」
富井は横を向き、隣の井口と顔を見合わせた。二人とも次の言葉が出て来ず、
スプーンないしはフォークをくわえて、沈黙する。
「じゃあさあ、ライバルとは仲良くなれないのかねえ」
「芙美、遠回しな言い方はやめて。無意味だわ」
井口がつっけんどんな物腰で返してきた。町田は少し反省しつつ、それでも
思惑通りの流れに満足もしていた。
「はっきり言っていいのなら、言うわよ。純をどういう風に思ってるのよ、あ
んた達は」
「どういう風って……」
困ったように顔を見合わせた井口と富井。
「それはまあ、相羽君のことで私達が勝手に盛り上がって、純の気持ちを考え
てなかったのは認める。けど、純子だって、何とも思ってないって言い続けて
きたんだから」
「あのさ、私は責める気は全然ないよ」
必死になって抗弁する井口に対し、町田は穏やかに応じた。両手でテーブル
に触れ、落ち着いた口調で続ける。
「あなた達も、純も、どっちも責めるつもりはないから。どっちも悪くないん
だから。元通りになってほしいだけよ」
「私達だっておんなじだよー」
唇を尖らせ、いくらか不平そうに、富井が言い返した。
「でも、きっかけがないんだもん。仕方ないじゃない」
「そうそう。こっちから謝るのもおかしいでしょう? 純子の方がわけを話し
てくれないと始まらない」
二人とも案外、頑なだ。町田はこめかみに指をやって、次いで頭をかいた。
「……二人に任せるけれど、お互いが待ってるだけなのも問題かなと思うよ。
まあ、うまく行くよう、祈ってるわ」
* *
「なあ、姉さん」
前田秀康は、さりげなく切り出したつもりだった。食後のデザートにメロン
が切られ、テレビはNBAの試合をダイジェストで映している。
「中学校のときの友達と、連絡取り合ってる?」
「ん」
「違う高校に行った人なんかだと、やっぱり気になる?」
「うんうん」
姉はテレビに集中したいのか、生返事をするばかり。視線は当然、画面に釘
付けで、手に持ったフォークはメロンの果肉を刺した時点で止まっている。
「姉さんの場合、彼氏がちゃんといるんだから、男は特に気にならないだろ。
だったら、残るは同じ女子であって――」
「わぉ、滑らか!」
突然、手を打って喜ぶ姉。画面を見やると、黒人の比較的小柄な選手が、時
間を止めたような優雅なスリーポイントシュートを決めていた。
「姉さんっ」
「今の見た?」
やっと振り向いてくれたと思ったら、これだ。秀康はメロンを皮まで刻んだ。
緑のかけらがいくつか出来る。
「見たけど。俺の話、聞いてよ」
「……はいはい」
リモコンを手に取り、ボリュームを絞る姉。映像はバスケットボールではな
くなっていた。
「さっきだって、聞いてあげてたわよ。ただ、あんたの話って、全然変わらな
いからねえ、つい、NBAを優先しちゃうわけ」
「気を入れて聞いてないだろ」
「そうしなくたって、だいたい分かるわ。学校の話を持ち出した時点で、ぴん
と来た。どうせ、“あこがれの先輩”でしょう」
「……」
目を伏せた秀康は、赤くなったであろう頬を隠すために、手で顔をこすった。
「図星ね。気になってたまらないのは、あなた自身じゃないの。純子のことが
心配で、心配で」
「うるさいな。余計な話はいいんだよ」
否定も肯定もしない秀康だが、その外観は彼の感情を明瞭に物語っていた。
まだ赤面が治らない。
(何で、こうも簡単にばれるんだ?)
心中、首を捻るが分からない。姉が苦笑を交えて言った。
「ここひと月ほど、ことあるごとに聞いてくるんだから、聞かなくても分かる
ようになるってもの。まあ、私も弟思いの優しいお姉さんだし、実際、気にな
らないでもなかったから、聞いてみたわ」
「す、涼原さんに直接?」
気負い込んで尋ねた秀康に対し、姉は間を置いて軽く吹き出した。弟の真剣
な様がおかしく映ったようだ。
「何で笑うんだよ。からかって、楽しいのか」
「ううん。そんなんじゃないわ。怒らせてしまったのなら、謝る。ごめんなさ
いね」
姉があまりにも素直に頭を下げたので、秀康はかえって困惑した。どう応じ
ていいのやら分からず、仕方がないので、頭をかいた。
「一つだけ忠告よ。何を聞いても、落胆しないように。と言うより、落胆する
のはかまわないけど、それを覚悟しといてよ」
「もったいぶって――」
「これも弟思い故よ。心の準備は出来た?」
「……いいよ」
この段階で、秀康の頭の中には、もやもやとした想像が形作られつつあった。
その正体ははっきりしないが、輪郭ぐらいは捉えられた。
「秀康も会ったことあるでしょ。町田さんから聞いた話よ」
前置きしてから、姉は語り始めた。そしてそれが終わったとき、秀康はしか
めっ面で口を半開きにしていた。
「素直に受け止めたら、これがどういうことなのか、分かるでしょう」
落胆は思ったほどではなかった。事前の警告のおかげかもしれないし、はな
から雲の上の存在だと決めつけていたからかもしれない。
「……あのさ」
代わりに、憤りが大きくなっていく。下を向き、メロンの欠片をフォークで
突き刺し、口に運ぶ。フォークごとかじる勢いで食べる。飲み込んでから、言
葉を吐き出した秀康。
「どうして一緒にならないのさ」
「ん? 涼原さんと相羽君がってこと?」
「そうだよ。涼原さんと相羽……先輩ってお互い、好きなんだよね?」
「多分」
「だったら」
「そう簡単に行かないの。あんたの目は涼原さんにばかり向いてて気付かなか
っただろうけれど、相羽君も人気あるのよねえ。そこから色々としがらみが」
「……」
納得行かない。でも、秀康は押し黙った。全体像がよく見えてないし、又聞
きをしただけの姉にこれ以上反論を述べたって、大して意味があるようには思
えなかった。
(うー、自分にまるっきりチャンスがなくなるのは悔しいが。でも、あの人に
は幸せになってほしい! あの人を泣かせる奴は許さない!)
と、決意を固めてみたものの、具体的な行動を思い付けず、秀康は考え込ん
でしまった。
姉は小さく嘆息し、わざと気付かぬ振りをするかのように、そっと視線を逸
らすと、メロンをゆっくりと片付けにかかった。
――つづく