#5076/5495 長編
★タイトル (AZA ) 00/ 5/31 9:23 (200)
そばにいるだけで 48−4 寺嶋公香
★内容 16/06/14 00:03 修正 第2版
純子は強くかぶりを振った。ちょうど吹いてきた強めの風と相まって、その
長く伸びた髪の毛が、ふわり、広がる。
(私が悪いんだから、私から動かなければいけない。会えなかったのなら、会
えるまで、努力しないと。久仁香や郁江と前みたいになれるよう、一生懸命頑
張らないと!)
両手でガッツポーズを小さく作って、歩む足に力を込めた。
(そう言えば、芙美ともあまり会わなくなった)
下校時、たまに一緒になることもあるが、それとて数えるほどだ。
(行ってみようかな。いるかどうか分からないけれど)
方向転換。距離があるが、今日は時間もたっぷりある。ゆっくり進みながら、
取り留めもないことを考える。その内に、ふと、一つの疑問が浮かんだ。
「もしかして、芙美」
最初だけ口走って、残りは心の中の呟きへ。
(郁江達から、卒業式のときの私のことを聞いてるんじゃあ? 芙美にまで知
られていたとしたら)
知られていたとしたら――だから、どうというわけではない。
ただ、恐いのだ。
(芙美、私を軽蔑する? 芙美から聞かれても、相羽君のこと何とも思ってな
いって、散々、嘘ついてきた私だもの。軽蔑されても仕方ないんだけれどね。
でも、してほしくないよ……)
次第に下を向く純子。アスファルト道の表面にある小石を、無意識の内に数
えていた。それでいて、数え上げた瞬間、その数を忘れているという始末。
そんな状態にも関わらず、町田の家に行く意志は変わらなかったようだ。自
然に足が向いていた。気が付いたときには、もう見通せる場所まで来ていた。
顔を上げた純子が、この期に及んで躊躇することはなかった。
ただし、心理の大部分を占めていたのは、「そういう話題にならないように
気を付けていればいいんだわ」という消極的な考え方だったけれども。
とにもかくにも、町田の家の前に差し掛かった。最後の迷いを吹っ切って、
呼び鈴のボタンに指を伸ばそうとする。
そのとき、思わぬ横槍が入った。
否、思わぬというのは違うかもしれない。何しろ、横槍を入れてきたのは唐
沢であり、この近所に住んでいるのだから、出くわしても不思議でない。
「――涼原さん。奇遇だねえ」
歩いてきた方角から考えて、唐沢はどこかからの帰りらしい。洒落たジャケ
ットにハンチングと、めかし込んでいるところを見ると、デートの帰りか。
(それにしては、時間が早すぎるような)
いくらか不思議に感じつつ、純子は挨拶を返す。
「おはよ、唐沢君。奇遇って、唐沢君の家、このすぐ近くなんでしょう」
「いやいや、そういう意味じゃなくって、こんな時間にここで会うなんて、偶
然だなってことさ。実は、デートの予定が急遽中止になって、引き返してきた
ところでして」
肩をすくめ、大いに嘆息する唐沢。帽子を手に取り、胸元で握り潰す仕種の
おまけ付き。
デートにしては早すぎる帰宅という謎が解けて、純子は納得しながら、事情
を聞いてみた。
「あんまり言いたくないんだが……」
「え、じゃ、いい」
純子が気兼ねして言うと、唐沢は慌てぶりも露に、ぶるぶると首を振った。
「――そんなこと言わずに、聞いてくれー」
「はあ」
「誘った相手は例によって複数、三人いてさ。その内の二人は、高校入ってか
ら知り合った子。仮に――XさんとYさんとする」
唐沢の手際のよさには、いつも感心させられる。
「残りの一人のZさんは、中学のときからの友達。で、まあ、皆さん仲よくや
りましょうってことだったんだが……ZさんとX、Yさんが知り合いだったと
は、さすがの俺でも読めなかった」
「知り合い?」
「小学校のとき、一緒だった頃があるんだとさ。しかも、仲があんまりよくな
い。と言うか、今朝見た限りじゃあ、仲悪かったらしい。予想外の出来事に、
折角のセッティングが水の泡だよ」
「ほんとの話、それ?」
「嘘言ってもしょうがない。あーあ、今度から、もっとリサーチしておかねば」
懲りた風にため息混じりに言った唐沢だが、どこまで本気で考えているのか、
他人にはよく見えない。
「それとも、俺もいい加減、一人に絞るべきですかねえ」
「うん。そうした方がいいと、私も思う」
本心から同意した純子。
「だって、唐沢君、人気あるから、いつまでも長引かせていると、それだけた
くさんの子を泣かせちゃうわよ。罪作りなことしちゃだめ」
「はは。まあ、たいていは遊び友達と割り切ってるつもりだからね。やっぱ、
俺には、真剣な付き合いってのは重たくてしんどいんだよなあ」
只今、真剣な恋愛を望んでも叶わない純子には、どういう反応がふさわしい
のだろう。何ら応じられない。
「ところで涼原さんは、何しに来たの? 芙美のやつのとこ?」
「え、ええ。特に用事があるわけじゃないんだけれどね。何となく。最近、会
ってないし」
「会ってないと言えば……」
「うん?」
唐沢の台詞の続きが出て来るのを待ったが、一向に聞こえてこない。純子が
唐沢の顔を見やったときには、彼はもう首を横に振っていた。
「いや、何でもない。そうか、芙美の家に行くのか。俺を訪ねてきたんじゃな
いのね、よよよ」
「そ、そんな、悲しまなくっても」
見た目にも、しょんぼりと肩を落とした唐沢に、純子は即フォローに回った。
本当のところ、これはいつもの唐沢の手なんだと頭では分かっているのだけれ
ども、身体が反応してしまう。
「ほら、高校生になって最初のゴールデンウィークを迎えるから、記念として、
やっぱり女子だけの方がいいかなと思って」
「あれ? 連休中の相談をしに行くの?」
素に戻った唐沢が、怪訝そうに目元をしかめた。
「さっき、特に用事はないと言わなかったっけ」
「え、うん。だから、私の方から芙美に持ちかける……」
語尾の声音が小さくなる純子。
一週間もしない内に大型連休突入なのだ。遊びに行く相談を今から始めるの
は、いかにも遅い。その不自然さに気付いた純子だったが、もう訂正は利かな
いので、自ら注釈しておく。
「ちょっと遅いんだけどね」
「――もし、遊びに行く話がまとまらなかったら、俺に付き合ってくんない?」
「え」
返事して、そのまま表情を固くした純子。
(どうしよう。本当は休みの間、色々と仕事が入っているのに)
何の気なしについた嘘――嘘とも言えないような嘘が、後々に影響を及ぼし
かねない。
「で、でも、唐沢君は大勢のガールフレンドがいて、忙しいんでしょ」
「そんなことはない。ほとんど一からのスタートだもんな。そりゃあ、中学の
ときからの子も何人かいるが……いやいや、何でもない」
これ以上は、口は災いの元だとばかり、唐沢は自らの人差し指を唇に当てた。
それから話の軌道修正を試みる。
「実はさ、いっぺんでいいから、撮影現場を見学してみたいと思ってさ。涼原
さんに頼めば、何とかしてくれるんじゃないかなと期待してるわけで」
「撮影……現場?」
「そう、CMとかドラマの撮影現場。スタジオ撮影がいいな。無理?」
「無理、じゃないけど……それなら、相羽君に頼んだ方が早いかもしれない。
相羽君のお母さんが、そういう関係のお仕事されてるから」
「できれば、涼原さんが出てるところを見たいなー。休みの間に、一回くらい、
撮影ない?」
「それは」
正直に返事しようかどうか、迷った。
「何してんのー、人の家の前でー?」
突然届いた声の主は、町田だった。道路側に面した窓を開け、手でメガホン
の形を作って、呼びかけてくる。
「おや、そこにいるのは、女たらしの唐沢君!」
「何を言う。この、ばーか」
唐沢は悪態をついたが、表情を見ればすでにあきらめているのか、甘んじて
聞き流すかのように、涼しい様子。
純子が、家の方へ向かおうとしたら、先に町田の方がサンダルを突っかけて
出て来た。サスペンダータイプのジーパンのポケットに両手を入れ、純子と唐
沢の様子を探る風な目つきを向ける。
「どんな話をしてたのかな」
純子にだけ聞こえる口調で、町田が尋ねてきた。
「全然、大した話じゃないのよ」
「そお? 結構、話し込んでたみたいだったけれど」
人が悪い。気付いてから、しばらく黙って見ていたらしい。
「そうよ。だいたい、ここに来たのだって、芙美と話がしたくて」
「そりゃあ、助かったわ。実を言うと、さっき私、純のうちに電話したところ。
いないってことだったから、あとで掛け直すつもりだったんだけれど、手間が
省けちった」
歯を覗かせ、にこにこと笑う町田。
(どうやら芙美は、私の気持ちを知らないみたい)
胸の内で、そっと息をつき、純子は安心した。元気が復活しつつあった。
「電話って、何かあったの?」
「別にない。ただ声を聞いてみたくなって。用がなきゃ、電話しちゃいけない
って法もないでしょうが」
「うん」
「この間もね、久しぶりに郁と久仁と話したんだ」
純子の反応が一拍遅れる。
「――会ったの?」
「いんや。電話」
さらりと答えた町田の前で、純子は小さく吐息した。自分一人が仲間外れに
されたわけではないんだと知って、救われた気がする。
「最初、久仁の方から電話をくれてさ、向こうの学校のことを色々と聞いたわ。
もちろん、私からも話したんだけど」
楽しげに説明してくれる町田。純子の表情は自然にほころんでいた。
ふと気付くと、唐沢がいない。町田との会話を一旦止めて、背伸びするよう
な感じで、辺りを見回す。
すぐに見付かった。すでにその姿は小さくなっており、純子は大声を出さな
くてはいけなかった。
「唐沢くーん!」
振り返った唐沢は、「あ、気が付いたか」という風に口を半分開けていた。
それからおもむろに両手を掲げ、振った。
「お邪魔のようだから、俺、帰るわ! ばいばい!」
「ごめんねー!」
純子は、唐沢が角を折れて見えなくなるまで、じっとしていた。
それを見ていた町田が、「何か大事な話でもしてたん?」と聞いてくる。
「ううん。最初に言った通り、あれこれお喋りしてただけ」
「何か変なこと言ってなかったでしょうね、あいつ」
「? そんなことなかったと思うけれど、心当たり、あるの?」
純子が小首を傾げるのへ、町田は肩をすくめた。
「ないのなら、いい」
「変なの……」
「そんなことより、純、調子はどう?」
「調子って、学校のこと?」
「学校の話は、前にある程度聞いたからね。モデルの仕事のことを聞きたいな
あ。だいぶ本格的になるんでしょ」
リクエストしながら、純子の腕を取り、自宅へ誘う。
「お家の人は……」
「今日はいるわよ。気にしなくていいから」
純子に有無を言わさず、家の中に引っ張り込む町田。
土間で挨拶する余裕もない。廊下を行く途中で、おばさんおじさんと出くわ
した。初対面ではないけれども、多かれ少なかれ緊張する。町田の「友達連れ
て来たよ」という言葉に引っ付けるみたいにして、純子は急いで言った。
「あ、あのっ、お邪魔します」
「はい、ゆっくりして行ってね」
笑顔で出迎えられて、ほっと一息。改まって、お辞儀をしてから、町田の部
屋に入った。
襖が閉じられると同時に、純子は小声で不満を表明した。
「ほんとに、芙美ったら、強引なんだからぁ」
「あら、そう? まあ、今日はとにかく、あんたが来てくれただけで嬉しくっ
てさ。話をしたくなっちゃった。往来よりここの方が、話をしやすいでしょう」
「そうかもしれないけれど」
円形の座卓に、両頬杖をつく純子。町田も同じようにした。
「そんで、モデルはどうよ?」
「ああ、まだそんなにね、ないよ」
実際は、忙しくなりつつあった。と言っても、久住淳としての活動だが。風
谷美羽の方は、問題の映画出演の件がどう転ぶか分からないため、しばらく停
滞気味。
(こんなことよりも、郁江や久仁香との間にできた溝を、早く何とかしなけれ
ばいけない。芙美にも迷惑かけてしまう)
――つづく