#5047/5495 長編
★タイトル (AZA ) 00/ 3/30 11: 0 (257)
そばにいるだけで 46−7 寺嶋公香
★内容 05/10/21 00:42 修正 第2版
「だ、だから、友達として、いい人……」
「無意味な返事はもうたくさん。恋人として考えたことあるの? 好きなのか
嫌いなのか、明確にしてもらいたいわね」
語気も強く、白沼は詰め寄ってきた。純子はたじろぎで、言葉が出ない。
「もし、あなたが相羽君を恋人として考えもしないなら、はっきり言ってちょ
うだい。『私は相羽君のことを友達としてしか見ていない』とでもね」
「そんな」
こぼれそうになった本心を、口を押さえて拾う。
純子は富井、井口を振り返った。息を止めたかのように、微動だにせず、聞
いている。
(二人とも、泣きそうな目をしてる……)
白沼へ再度、顔を向けた。
「分かったわ」
決めた。白沼の言う通りにしよう。自分に嘘をつくことになっても、この場
を丸く収めるには、そして、富井や井口達とこれからも仲よくやって行くには、
そうするしかない。最上の選択なのだ。
「私は」
思い切って、そう始めた矢先、白沼の目が微かに動いたことに気付く。視線
が、純子の肩越しに、比較的遠くに向けられたようだ。そして白沼が、にっ、
と改めて笑みをなすのが見て取れた。
「いい感じだわ。彼の前で、答えてくれるわよね」
「え?」
純子は急いで振り返った。
(――相羽君)
相羽の姿が視界に入った。渡り廊下と校舎のちょうど境目に立って、こちら
を見ている。純子達が気付いたためか、こちらに向かって歩き出した。
(嘘っ。どうしてこんなタイミングで)
動揺を覚える純子。それを面に出すまいとするが、うまく行く自信がない。
とりあえず、相羽からは顔を背けた。ただ、それだと白沼は無論、富井や井口
にも表情が丸見えになるが。
短く深呼吸を繰り返し、可能な限り、自分を落ち着かせた。そこに、相羽か
ら名前を呼ばれた。
「純子ちゃん、今、いいかい? 話し込んでいたみたいだけれど」
「え、えっと」
思わず、白沼達の方を見やる。待っていましたとばかり、白沼が返事役を引
き受けた。
「どうぞどうぞ。でも、先に私達の話に付き合ってちょうだいね。相羽君にも
関係あることなんだから」
「ふうん? まあ、いいよ」
四人の女子を順に見て行く相羽。戸惑いが若干、出ている。
「そう、ありがと。――さあ、涼原さん。答を続けて。相羽君を恋人の対象に
入れているのか、それとも極普通の友達に過ぎないのか」
これには、相羽が驚いたようだった。目を見開き、さらに増した困惑を表情
に浮かべ、白沼を見た。
「どうして、そんな話に」
誰ともなしに聞いてから、純子に目線を移す相羽。しばしの沈黙が訪れた。
それを破ったのは、白沼。ペースを握り、満足げな口調で純子に求めた。
「ね、答えてよ。時間がどんどん過ぎてしまうわ」
「……っ……」
声を出そうとして、声にならない。喉に痛みを感じ、手でさすった純子。
相羽の前で答えたくない! だが、最早後戻りできないところに来ていた。
ここで返答を拒否すれば、それは本心を明かしたのと同じだ。どちらを取るべ
きなのか……。
「純ちゃん」
富井の声が小さく聞こえた。先程と変わらず、不安に溢れている。
(は、早く答えなくちゃ)
意を決した。
相羽を視界から外し、白沼、富井、井口に対して口を開く。
「私は、相羽君のことを、友達としてしか見ていないから。今までも、これか
らも。だから安心して。白沼さんも、郁江も、久仁香も――」
名前を口にするのに合わせて、三人の表情をしっかり見届けようと、首を巡
らせた。そうすることで、相羽からずっと顔を背けていられる。
「そう。あなたの気持ち、よく分かりました」
白沼が笑みを交えて言った。それから、何事もなかったみたいに、相羽に話
し掛ける。
「私達の話は、これで終わり。相羽君、あなたの用事を。涼原さんに用がある
んでしょう?」
「あ、ああ」
一段、低い声音で応じた相羽は、口元を拭う動作を挟み、純子の前に立った。
「これ、返すのを忘れていたから。ありがとう」
ややかすれた、しかも固い物腰で言うと、右手を前に。
純子は数秒遅れで、その手の動きに気付き、目を下へ。
黄色いカバーのポケットティッシュが、相羽の手に握られていた。
「あ、そっか」
軽い調子で笑いながら答えようとするも、ひきつってしまう。
「全部、使ってくれてもよかったのに」
そんな風に続けたつもりだったが、相手に届いたかどうかは分からない。
相羽は、ティッシュを純子に渡すと、ぷいと向きを換え、視界から消えた。
「じゃ」と短く言い残して。
純子が口を開きかけたが、間に合わない。足早に去る相羽の後ろ姿を認識す
るだけで、掛ける言葉が見つからなかった。
「ほんとーに? 本当なのね? ねえ、純ちゃん?」
身体が揺れると思ったら、富井が真正面に来て、純子の両肩を掴み、激しく
揺さぶっていた。
「う。うん……」
言葉とは裏腹に身体が反応した。目に涙が溜まり、一気に溢れる。
「じゅ、純子?」
最初に気付いたのは井口。その驚きの声で、富井も純子を見上げて気が付い
た。白沼も三人の様子をおかしく思い、横に回ってようやく察する。
純子の涙に、しばし言葉が失われたが、五秒と経たない間に、白沼が言った。
「ほら。やっぱり、ね」
今日はこれ以上どうしようもないと考えたらしく、白沼は首を何度か横に振
り、足音を忍ばせるようにして場を離れた。そのことに、純子はもちろん、富
井も井口も全く気付かなかった。
「純子、あなたって、やっぱり……」
「相羽君のこと、好きなのね?」
友達二人からのだめ押しに、涙が止まらなくなった。
「どうして……こんなの、違う」
台詞が整理されないまま、勝手に出て来る。「純ちゃん?」「純子?」誰か
が呼んでいる。また身体が揺れ始めた。
「――知らない」
我に返ることなく、駆け出した。富井も井口も呆気に取られて、追い掛ける
ことができない。誰も、追い掛けない。
* *
「うるさいなあ。もう、恥ずかしいから、よしてよ」
町田は両親の祝福と記念撮影攻勢に捕まっていたが、やっと逃げ出した。口
では悪く言いつつも、仕事を休んで駆けつけてくれた両親に感謝しているのは
断るまでもない。
「車で来たんだ。一緒に帰ろうじゃないか。荷物も結構あるようだし」
「ありがたいけど、友達と帰る約束あるから!」
娘の返事に、父親が淋しそうに眉を下げた。母親が、「それなら荷物だけで
も置いて行きなさいな」と言う。こちらの方がまだ元気だ。
「分かった。お願いする」
「気を付けて帰って来るのよ」
「もちろん。こんなめでたい日に、事故に遭ってたまるもんですか」
明るく言い残し、町田は家庭科室を目指して走った。
「――っと」
校舎を入ってすぐ、富井と井口に出会う。
「おおー、今、ちょうど行こうと思ってたのよ」
大きな声で言ってから、二人の様子の不自然さに思いが至る。
「どうか、したの……? そう言えば、純の姿が見えないけれども」
嫌な予感が頭に浮かぶ。脳のスクリーンに手を突っ込んで、くしゃくしゃに
してしまいたい。だが、その予感は消えず、当たっていることを知らされる。
「私達、純子に、聞いてみたのよ」
「……まさか、相羽君を好きどうこうっていう、あれ?」
「……うん……」
富井の肯定に、井口が「それも、相羽君のいるところで」と付け足す。
「ば――」
(ばか! 純をそんなに追い詰めてどうするつもりよ!)
思わず怒鳴りつけたくなった町田だったが、うなだれた様子の井口達を前に
しては、何も言えなかった。それに、まだ全部を聞いていない。
「それで? 純は何て?」
「最初は友達だって言ってたのが、白沼さんが来てから、段々おかしな空気に
なっていって」
井口の説明で、状況の推移もおおよそ掴めた。同時に、最悪の結果に陥った
ことも知らされた。
「純は今どこにいるのよ?」
「凄い勢いで走って行っちゃって……私達もびっくりして、追い掛けるに追い
掛けられなくて……」
「ああ、もうっ」
「どうしよう……大変なことになっちゃったよぉ」
声が震えて、泣きそうになっている富井。
「まさか、こんな風になるなんて、思いもしなかった。私のせいで」
「私もよ。純子の気持ち、分かんなかった……」
井口まで、感情のバランスが崩れつつある。
純子を探しに行きたい町田だったが、この二人を放ってもおけない。しばし
の足止めを覚悟しなくてはなるまい。
(純。お願いだから、気をしっかり持っててよ。あなたのことだから、大丈夫
だよね?)
希望的観測を込めて、祈った。
* *
唐沢は国旗掲揚塔の下に座り込んでいた。
「あーあ。とうとう、第二ボタンまで取られちまったか」
女子大勢から引っ張られ、よれよれになった学生服を脱ぎ、ぼんやり見つめ
る。ボタンを引きちぎられたときの激しさを、ほつれた糸が物語るかのようだ
った。この分なら、女子達も、自分が何番目のボタンを取ったのか分かるまい、
と唐沢は推測し、思わず苦笑した。
「ま、人気あるってのは、いいことさ」
もしもチャンスがあれば、純子に渡そうと思っていた第二ボタン。その計画
の挫折を吹っ切るため、唐沢は前向きに考えることにした。
(高校行っても、人気、維持できるかねえ? 少なくとも、周りの連中は相当
賢いだろうから、俺もかなり頑張らねば。問題はどっちで頑張るかだが。今さ
ら勉強で飛び抜けるなんて無理無理。かーるいイメージを押し出して……ん?)
校舎に沿うような具合でとぼとぼ歩いている冴えない感じの男子生徒が、相
羽だと初めて気付いた。
「何だ、あいつ。元気ねえぞ? ――相羽ぁ!」
唐沢が声を張り上げ、呼ぶと、打ち首スタイルになっていた頭をひょいと起
こした相羽。目を左右にやり、どこから聞こえたのかを探る仕種があって、じ
きに唐沢の方に足を向けた。
「……随分、もてたみたいだな」
唐沢の学生服の状態を見て、相羽が言った。あまり感情のこもっていない言
い回しだった。
「あ、ああ。もててもてて、困るくらいにな。まじで、怪我するかと思ったぜ」
軽い調子で応じた唐沢は、同じことを相羽に問い返した。
「そういうおまえは? 確か、たくさんの女子に取り囲まれていたよな」
「関係ないよ」
「そうかあ?」
(そりゃまあ、おまえにしてみれば、涼原さんがいなけりゃつまらんのかもし
れないが。贅沢言わずに……)
唐沢がどうからかってやろうか思案している間に、相羽が掲揚塔の台の角に
座った。両手を後ろにつき、空を眺める。
「あーあ。何か……すっげー……」
「うん?」
唐沢には、相羽が「すっげー」なんて言葉遣いをするのが珍しかった。スポ
ーツや遊びに熱中している場合ならともかく、今、こんな状況で使うのは特に
違和感がある。
「すっげー、何だよ?」
「――淋しいよな」
「……はあ。ま、確かに、卒業だからな」
意味がよく分からないまま、肯定した唐沢だった。
* *
前田秀康は、期末試験に備えて勉強しようと、家路を急いでいた。
今夜は外食の予定になっている。姉の卒業祝いだ。この“家庭内行事”のお
かげで、夜はかなりの時間を取られるに違いない。
(いい気なもんだ。俺の勉強時間のこと、てんで考えてくれないでやんの。合
格したときも家でパーティまがいのことやりやがるし、日帰り旅行には連れ出
すし……涼原純子さんに会えなかったら、絶対拒否してたぞ)
ぶつぶつ文句言っていたが、憧れの存在を思い描くと、心が和んだ。単純で
あるとは自覚していたが、好きなものはどうしようもない。
(立島先輩も、何で姉貴なんか選ぶんだろ。物好きな……)
身近な存在の長所は、なかなか見えない。逆に、欠点は過剰なまでにクロー
スアップされて印象に残る。そういうことを秀康はまだ知らなかった。
(とにかく、これで晴れて、バスケに打ち込める――)
曲がり角を折れた瞬間、人にぶつかりそうになった。
細身の秀康は、斜め前に転びそうになりながらも、よけることに成功した。
「あっぶないなー」
通常なら走っていた自分の方が悪いのだが、今のケースでは、相手は立ち止
まっていたのだ。角で突っ立っている方にも問題あるんじゃないか。そんな感
情から、非難めいた言葉が口をつく。
だが、次の時点で、秀康は悪感情を引っ込めた。そこに立っていたのは、憧
れの存在――純子だったのだから。しかも、秀康を驚き慌てさせることに、彼
女はうつむいて泣いているようだった。
「ど。どうしたんですか!」
純子から反応はない。
大声を出して駆け寄ってから、秀康は少し冷静になれた。
(卒業式のあとなんだから、泣いてても不思議じゃないか……。でも、何とな
く、様子が変じゃないかな?)
さておき、気付いてもらいたくて、アピールする。
「あの、先輩。涼原先輩。僕です。前田秀康です」
自身を指差しながらしゃがみ込み、純子の顔を覗き込もうとした。長い髪に
隠れて、下からでもよく見えない。ただ、卒業式の涙にしてはやっぱりおかし
いとだけは感じる。具体的に説明はできないが、純子の醸し出す雰囲気がそう
思わせるのだろう。
「あの……」
早くも言葉が尽きた。触れてはいけないような気がする。仮に思い切ったに
しても、先輩を相手に、わけを話してくださいなんて言いにくい。
「涼原先輩。分かんないけど、泣かないでください」
「……」
初めて純子の目が秀康を捉えた。ほっとする。
同時に、こんな状況にも関わらず、「泣き顔もきれいな人だ」と思ってしま
った。激しく頭を振って、不遜な自分を戒める。
「泣かないでくださいよ」
「……秀康君。どうしてここに」
乾いた声で、純子が尋ねてきた。目尻を拭う姿に、秀康はどぎまぎした。彼
女の握る黄色い物が、ポケットティッシュだと気付いたのは、だいぶあと。
「先輩を泣かす奴は、ぼ、僕が許しません」
問い掛けは無視して、秀康は顔を熱くしながら言った。
純子が、脱力したような笑み――泣き顔ではなくなったというだけで、笑み
とは呼べないかもしれないが――を覗かせた。
「誰のせいでもないの」
「え……っと」
「私自身のせい……。もう、おしまい」
言い残すと、純子は駆け出した。
秀康にはどうすることもできなかった。状況が全く掴めないせいもあるが、
それ以上に、壁のようなものを感じる。
(畜生……誰だよ。あの人を泣かせるなよ)
もどかしくて、喉元をかきむしりたいほどだった。
* *
――つづく