#5046/5495 長編
★タイトル (AZA ) 00/ 3/30 10:59 (179)
そばにいるだけで 46−6 寺嶋公香
★内容
「あのね、恵ちゃん。一生のお別れになるわけじゃないんだから」
「そんなこと言ったって! 中学生と高校生になってしまうじゃないですか!」
同学年には共感してもらえた言葉も、この思い込みのきつい後輩には効果が
薄いらしい。
「じゃ、じゃあ、せめて、『最後の』だなんて言わないでくれる? これから
先も、長く長く、友達でいるために」
「……はい」
突然、素直になる。椎名の様子に、純子は翻弄されつつ、内心で苦笑した。
「それで、恵ちゃんのお願いって何かしら」
「涼原先輩。私を抱きしめて――」
「え」
思わぬ頼みに、純子は辺りを見回した。町田がこっちを見ている。
かまわず続ける椎名。
「そして、耳元に囁いてください。『君を待ってるよ』って」
「……それはその」
何となく、純子には分かった。一応、確かめようと思う。
「古羽相一郎の声で、ってことね?」
「もちろんです」
「格好は、こんなのでいいの?」
肩をすくめ、スカートの襞を摘んで少し持ち上げる。椎名はかまわないと返
事した。
「仕方ないわね。一瞬で終わりよ」
この子には何を言っても聞かないだろうと思えるだけに、純子が踏ん切りを
着けるのも早かった。辺りに男子の目がないことを再確認し、町田の方へは他
言無用のサインを送った。
町田は腕組みをして、壁にもたれかかり、鷹揚にうなずいた。分かってくれ
たのかどうか……。
純子は椎名に対して三たび向き直り、少しだけ意地悪を言った。
「緑星高校で待ってるよ、にしようか?」
椎名は暫時、唖然としてから、頭を激しく横に振った。
「そんな現実的な言葉はだめです! 名探偵らしい台詞でお願いします!」
「分かってるってば」
くすりと笑い、純子は椎名を抱き寄せた。長引かせるのもまずいので、一気
に、流暢に喋った。
『椎名恵ちゃん。僕は君のこと、ずっと待っているからね』
そして距離を取る。椎名は顎を引いてわずかにうつむき、目を閉じて、さっ
きの台詞を記憶に染み込ませていた。
両手を胸の前で合わせ、息を長く吐いて、やがて目を開けた。
「――ありがとうございましたっ。これで、頑張れます」
「何を?」
「決まってます、受験ですよー。緑星なんてすっごい難しいところに行くなん
て、ひどいなあって思ってたんですけど、努力に努力を重ねてみます」
「恵ちゃん、頑張るのはいいけれど、そういうことだけで決めちゃだめだよ」
苦笑いに冷や汗を覚えつつ、純子は一応言っておいた。椎名の成績がどのぐ
らいなのかまるで知らないが、自分を追って受験してもし失敗されては困って
しまう。
「迷惑ですかー?」
「ううん。とにかくね、時間さえあれば、いつでも会えるんだからね」
「はい。あの……受験勉強、少しぐらい教えてもらえたりします?」
「教えてあげたいけれど、高校の勉強が大変じゃなかったら、かな。あはは」
「できる限りでいいですからっ」
「うん、分かった。恵ちゃんも頑張ってよ。さっき、自分で言ったんだからね」
最終的に、椎名の緑星受験を後押しする格好になってしまった。
名残を惜しむ別れの言葉が終わって、椎名は最後にもう一度礼を言ってから、
去って行った。
「何ともはや、大変ねえ」
町田が寄ってきて、純子の後ろに回ると肩をもむ。
「凝ってないよー、芙美」
「いやいや、精神的にさぞかしお疲れだろうと。純も苦労が絶えないわね」
「絶えないってほどじゃないと思うんだけど」
お喋りの内容はともかくとして、肩もみが意外と心地よかったので、される
がままにしていると、急にやめられてしまった。と言うのも、町田の名を呼ぶ
声が廊下に響き渡ったから。
「芙美ー、まだこんなところにいたのか」
声の主が唐沢だったものだから、町田の目つきがやや険しくなる。
「何よ。勝手でしょ」
「そりゃ、俺には関係ないけどな。おまえんちのおばさん、待ちかねてるぜ」
小走りでやって来た唐沢は、やけに息を切らしている。言い終えると、身体
を折って膝に両手をつく始末。
が、そんな様子にはかまわず、町田は背筋をしゃんとした。「しまった」と
呟くと、礼もそこそこに飛び出していく。
「芙美ったら」
くすっと笑って見送る純子。続いて唐沢に意識を向けて、息が上がっている
わけを尋ねようとした。
と、先んじて、唐沢が口を開く。
「涼原さん、ぜひともゆっくり話をしたいところなんだが――あ、来た!」
唐沢は肩越しに背後を見やると、慌てて身体を起こして走る。ちょっとした
つむじ風だ。
「な、に」
目で唐沢の背を追い、次に反対方向を見ると、女生徒の大群が駆け足で追い
掛けてくるのが分かった。皆、口々に「唐沢君」とか「ボタン」とか、楽しげ
に叫んでいる。
おおよその状況を把握した純子は、壁際に寄ってやり過ごす。念のため、ス
カートを手で押さえていると、先ほどよりも激しい風が起こり、過ぎ去った。
(唐沢君も凄い人気ね。芙美はどう思ってるんだろ)
考えていると、富井と井口が戻って来た。二人ともどことなく、思い詰めた
表情をしている。
「なーに? 相羽君のボタンがもらえないかもしれないからって、そんなに暗
い顔をしなくても。チャンスはあるって」
元気づけるつもりで、おどけた口調になる。
しかし、富井が発した声は正反対に重々しかった。
「ねえ、純ちゃん。聞きたいことがあるんだけど」
「うん?」
小首を傾げ、井口の方を見る。どうやら井口と富井、同じ意志らしいと分か
った。富井が立て続けに言う。
「純ちゃんは相羽君のこと、どう思っているの?」
「――」
息を飲む。目を見開く。寒気を背中に感じたかもしれない。完全に意表を突
かれた質問。心構えができていれば笑って切り返せるものを、こんな状況では
とっさに言葉が出て来ない。
「正直に答えてほしいの」
井口が急いだ風に付け加えた。彼女と富井の四つの眼が純子をじっと捉える。
(正直に……言うのなら、今が)
一瞬、思った。でもすぐに、打ち消したい気持ちが湧き起こる。
(何も今日じゃなくても。それに、言ってしまったらどうなるのか――分から
ないじゃない)
迷った。どちらの答を示すか、決めかねる。しかし、間を空けてしまうこと
も恐い。
「……友達よ。前にも言ったじゃない」
強張りそうな顔で精一杯笑みをなし、肩をすくめた。それでも二人の凝視す
る目は変わらない。純子は今度は声に出して笑った。
「やあねえ、いきなり聞いてくるから、びっくりしちゃったじゃないの。一体
どんな脈絡で」
「今年になってから気になって、聞こうと思ってたの」
富井の物腰が、いつになく厳しい。一旦視線を外してから、改めて見つめて
きた。
「すぐに返事してくれなかったのは、何故? 純ちゃん?」
「だから、それはびっくりして」
「本当にそれだけ? おかしい感じがした」
井口も疑っているようだ。純子は演技を続けるほかない。
「何をそんなに怪しんでるの? 郁江も久仁香も卒業式が終わって、ナーバス
になってるんじゃあ……」
「かもしれないけど、それとこれとはきっちり区別できてるわ」
毅然として答えた井口に続き、富井が再び問う。
「純ちゃん、相羽君のこと、好きなんじゃないの?」
あくまでも、もう一度純子の口から答を聞きたい様子が見える。
純子としては、同じ返答をするだけ……と思っていたところ、予想外の第三
者が加わった。
「私も聞きたいわね」
白沼である。いつの間に現れたのか、純子の後方約一メートルのところに立
っていた。腕を組んで、高みの見物を決め込むつもりが、我慢しきれずに口を
挟んだ。そんな感じである。
「し、らぬまさん……」
純子は身体の向きを換えた。富井・井口と、白沼の間に立つ格好になる。
「相羽君に会えると思って、家庭科室を覗きに来たら、こんなことになってる
なんて。面白そうな話ね。私も混ぜてくれない?」
「あなたには」
関係ない、と言おうとしてやめた。どう考えたって、関係なくはないのだか
ら。だいたい、ここで純子が白沼を拒絶したら、かえって富井達が不審に思う
のではないだろうか。
純子は覚悟を決めて、同じ答で押し通す。
「分かったわ。でも、何度聞かれたって、一緒。相羽君と私が仲よく見えたと
したら、それはモデルのことがあるからよ」
「そんなことはいいわ。聞き飽きてる」
人差し指を立てた右手を振り、口元でにやりと笑う白沼。目線を富井と井口
に送った。
「ねえ、お二人さん。面白い話を聞かせてあげるわ」
富井達二人は、少なからず警戒しているのか返事はしなかったが、身を乗り
出す風に身体を揺らした。興味を持ったのは明白。
(何を言い出すつもり?)
純子の脳裏に疑問符が渦巻く。白沼は腕組みを解くと、今度は腰に両手を当
て、胸を反らした。また指を振る。
「去年のクリスマス前のことよ。私が美術館に行ったら、涼原さんとばったり
出くわしたのよね」
同意を求める目つきで見やってくる。純子は黙ってうなずき、事実を認めた。
「そのとき、私は“たまたま”相羽君と一緒で、涼原さんの方は唐沢君と一緒
だった」
「ああ、芙美ちゃんが言ってた……」
白沼の説明に、富井が思い出した風にうなずいた。
「涼原さんは私と相羽君を見ると、どうしたのか、凄くショックを受けたみた
いな真っ青な顔になって、私達に背を向けて、駆け出してしまったわ。唐沢君
をほっぽりだしてね。そうだったわよね?」
「……ええ」
「あのとき、どうしてあんな凄い勢いで逃げ出したのか、その理由がとても気
になるんだけど。恐らく、そちらのお友達も知りたがるんじゃないかしら」
指差された富井と井口は、純子を見つめてきた。これまで以上にきつく、強
く、そして疑念を含んで。
純子は口に溜まったつばを飲み込んだ。
「あれは……思いも寄らなかったから。白沼さん達と美術館で出会うなんて想
像もしてなかった」
「分かんないわね。それだけの理由で、走り出すもの?」
「唐沢君と二人のところを見られて、誤解されると思ったのよ。私は唐沢君と
は、何ともないんだから」
「突然逃げたりしたら、逆にますます変に思われるとは考えなかったのかしら。
ああ、気持ちにそんな余裕はなかったとでも答えるのね、きっと」
先回りする白沼。絶好の機会とばかり、追い詰めにかかっている。
「涼原さん。あなたね、相羽君のこと、本当に何とも思ってないの?」
――つづく