AWC そばにいるだけで 46−8   寺嶋公香


        
#5048/5495 長編
★タイトル (AZA     )  00/ 3/30  11: 2  (196)
そばにいるだけで 46−8   寺嶋公香
★内容

 階段を下りながら、涙のあとを隠すために、眠そうに目元をこする。一瞬、
仕種をやめて、母のいる位置を確認してから、改めて目元に手をやった。
「お母さん」
「あら。もう起きたの」
 台所で白い皿を拭いていた母は、手を止めることなしに肩越しに振り返った。
「うん。目、覚めちゃった」
 応じて、洗面所に逃げ込む純子。手早く顔を洗い、タオルで拭う。鏡で目の
周りの状態を見る。よし、大丈夫。
 台所に引き返すと、母が話し掛けてきた。
「帰って来た途端、『疲れた〜』って言って眠ってしまうから、どうかしたの
かと心配したのよ。取り越し苦労だったわね」
「ごめんなさい。卒業式でかなり感極まったから、神経張り詰めてたみたい。
もう何ともないわ」
 いつもの純子の席の前には、おやつが並べられた。
 でも座ろうとしない娘を見て、母は大きな瞬きを一つした。
「お腹空いてない?」
「うん……その前に話があるんだけど」
 立ったまま後ろ手に組み、首を傾けた純子。ポニーテールの先端は、それで
も真下を示す。
「お母さん、私、髪の毛、切ろうと思うんだ」
「はい? 緑星の校則に何かあったかしら」
 皿磨きに戻った母が、今度は手を止めた。純子は首を静かに振った。
「ううん、関係ない。とにかく切ろうかなって。気分転換に、だいぶ短く。高
校生になるのをきっかけに」
「それはまあ、母さんはとやかく言いませんけれどね。あなたの場合、モデル
のことがあるんだから、そちらの方が重要でしょうに」
「……モデル、やめよっかな」
 皿を置き、母は純子の目の前まで足を運んできた。
「え? 本気なの、純子? そんな急に、わがまま――」
 純子はとびきりの笑顔で否定する。
「冗談、です。えへへ……」
「変な子ねえ。とにかく、髪のことは相羽さんに聞かなければいけないんでし
ょう? 早めに確かめておきなさい」
「うん……あんまり、電話したくないんだけど」
「どうして?」
「別に、何でもない」
 聞き咎められたつぶやきを打ち消して、純子は台所を離れた。電話に向かい、
そらで言える番号をわざわざ確かめながら、一つずつ押した。
 呼び出し音は一往復だけ。すぐ、つながった。「相羽です」という第一声。
「――涼原純子です」
 緊張が一挙にほぐれる。聞こえてきたのが同級生の声ではなかったので、安
心して名乗った。
「純子ちゃん?」
 調子を和らげた相羽の母だが、純子に用件を持ち出すいとまを与えず、続け
ざまに言った。
「ちょうどよかったわ。今、ガイアプロから連絡があって、大変なことになっ
ているらしいの」
(ガイアプロって何だっけ……そうそう、思い出したわ。香村君の所属してい
る芸能事務所)
 頭の中でのんびり考えながら、口はリアルタイムで応対する。
「え、大変なこと、ですか?」
「ガイアプロに、ある写真が送られてきて、その対応を協議中とのことなんだ
けれど、それが私達にも関係あるそうなのよ。それでね、純子ちゃん。最近、
香村君と会った?」
「最近と言うか……受験終わってから、一度会いました」
「そのとき写真、撮られたのは気付かなかった?」
「え!」

 迎えの車に乗り込み、純子はルークの事務所が入っているビルに向かった。
 道中、運転をする相羽の母に、どうしてルークなんですか?と尋ねた。
「私と香村君のことなら、hibikかガイアプロに行くのが普通なんじゃな
いでしょうか。ルークだと、どちらかと言えば久住淳……」
「だからよ」
 気が急いているのか、返答が短く区切られている。
「ガイアプロだと、誰かに見張られているかもしれなくてよ。逆にhibik
にガイアプロの人が集まったら、それだけで怪しまれかねないわ。hibik
には風谷美羽一人しかいないんだから。その点、ルークなら同じ一人でも久住
淳、男なら問題なし。幸い、あなたの素性はばれていないみたいだし、話し合
いにはルークがちょうどいいと判断したのよ」
 合点の行った純子は、唇を固く結んでうなずいた。
「あ、ひょっとして、香村君も来るんですか」
「いいえ、彼は忙しいそうだから、代わりの人が。藤沢さんがお見えになると」
 よく分からないが、マネージャーが香村ほどの人気タレントの付き添いを離
れるとは、あまりない事態ではないのだろうか?
(それだけ大事件なんだわ)
 想像して、少し身震いをした純子。目の前に、ビルが姿を現した。
 ルークに行くと、藤沢はすでに来ており、机の間を苛立たしげに動き回って
いた。端整な顔立ちに似合わない、深いしわが眉間にできている。
「ああ、相羽さん。こちらでの話が外部に漏れることはないでしょうね」
 藤沢は相羽の母を見るなり、時間がもったいないとばかり、早口で念押しし
た。無論、それは重要であるには違いない。
「大丈夫、ご安心ください。皆、信用のおける者達ばかりです」
 相羽の母が力強く請け負うと、藤沢は案外簡単に納得したらしかった。ある
いは、緊急の用件を少しでも早く進めたいという背景のためかもしれない。そ
の証拠に、藤沢は大型の茶封筒に手を突っ込み、滑らかな動作で写真を数葉取
り出すと、手近のテーブルに並べた。マジシャンが広げたトランプカードのよ
うに、扇形になった。
「これが問題の写真ですよ」
 立ったまま少し非難めいた調子で言いつつ、一枚を指差す。相羽の母と純子
は、額を合わせるようにして覗き込んだ。
 息を飲む純子。その写真が、自分と香村のキスシーンのように見える構図だ
ったから。
 純子の右斜め後ろから望遠で撮られたものらしい。純子と顔を重ねるような
感じですぐ前に立つ男は、サングラスをしていても香村だと、はっきり認識で
きる。その手が純子の首筋辺りに触れるか触れないかの位置で、止まっていた。
(こんなことしてない!)
 心中で打ち消し、首を振る。いくらか冷静になって思い起こすと、イヤリン
グを着けてもらったときの場面だと気付く。
「あのっ、これは」
 相羽の母と藤沢に、一気に喋って説明した。すると、分かっているという風
にうなずく藤沢。
「うちの香村も同じことを言っている。だから、それは信じるよ」
 穏やかな口調に、純子は気が楽になった。しかし、短い間だけだった。
 藤沢の表情は険しいままで、声も厳しさを若干帯びる。
「事実がどうであるかは、大した問題ではないんだ。この写真を見た人々がど
う感じるかこそ、重要なんだよ」
「……と言いますと」
 やっぱりキスしているところに見えるのねと、気恥ずかしさに顔を赤らめつ
つ、純子はその感情を飲み込もうと問い返した。
「これを送ってきたのは、写真週刊誌の編集部でね。今度、これを載せますよ
と形ばかりのお伺いを立ててきたわけだ。うちは芸能プロの中でも大手に分類
されますからね、向こうにしても最低限の儀礼を通そうっていうパフォーマン
スですよ。まあ、この世界で長くやってるとよくあることで、うちのタレント
も今まで何人かやられているんだが、香村が巻き込まれたのは初めてでして」
 途中から話す相手は、相羽の母へと変わっていた。
「多分、写真の時点ではまだ中学生ということで、配慮されて、かなり甘めに
報じられるとは思いますが、それでもスキャンダルには違いありません」
 相羽の母は申し訳なさそうに目を伏せたが、続いて出て来た言葉には怒気が
含まれていた。
「それで、私どもにこの件を知らせてくださった意図は、何でしょうか」
「話が早い。まず、一つ目。大前提の確認を。あくまで確認ですから、怒らず
に聞いていただきたいのだが……そちらが仕掛けたんじゃないでしょうね」
「と言いますと」
「ルークさんがタレントを売り出すための作戦ではないでしょうね、と伺って
いるのです。香村の相手として写真週刊誌に顔や名前が出れば、一躍知名度が
アップする」
「違います」
 断固とした即答。それ以上は何も付け足さない。
 しびれるような空気の中、沈黙が続き、純子ははらはらした。何か釈明すべ
きだろうか。デートに至った背景とか、香村の方からイヤリングをくれたのだ
とか。だけど、それをさせない緊迫感があった。
 息が詰まりそうになる頃、藤沢が先に口を開く。
「ま、そうでしょう。送られてきた写真では、どれも彼女の顔が鮮明ではない
し、カメラマンは彼女の名前すら掴んでいない節が窺えますからね。念のため、
確認させていただきました。失礼をお許しください」
 そうして、あっさり頭を下げる。
 純子としては、安心と同時に、拍子抜けもした。
「分かっていただけたら、かまいませんわ。では、二つ目を聞かせてください」
 促す相羽の母。純子はすっかり失念していたが、藤沢は一つ目と言ったのだ
から、当然二つ目が(もしかするとそれ以降も)あるのだ。
「まだガイアプロの総意は何もまとまっていないのですが、そちらの方では、
この件をいかように処理するのがいいとお考えでしょうかね」
「処理。すみませんが、私は本来広告が専門です。分かるように、お話を……」
「つまり、掲載しないように頼むか否か。換言すると、金を払うか否か、です
よ。払うとしたら、すぐに決めなければ記事の差し替えに間に合わない。払わ
ないなら払わないで、先手を打つ必要が生じてくるでしょう」
「……その先手とは、どんなことがありますか」
「たとえば、あくまでも仮の話ですが……」
 言い淀み、唇をひとなめする藤沢。再び口を開く直前に、純子をちらと見や
った。
(? 何だろ?)
 訝しんだ純子。疑問はすぐに解けた。
「香村の恋人として、彼女の存在を公表する、という選択肢がありますね。仮
の話ですよ」
 念を強く押す藤沢。
 仮定の話だと分かっていても、純子は赤面しそうになるのを自覚した。頬を
両手で包み、藤沢から顔を背ける。
「どんな形であれ、嘘を認めるのは困ります。賛同しかねます」
 相羽の母がきびきびと応じる。
(おばさま……どうして私が香村君の恋人じゃないと、断定できたんだろう?)
 少し不思議に感じる純子。気になったが、でも事実そうなんだから、この場
はこれ以上口出ししない。
「かと言って、要求に応じるやり方にも感心できません。後々悪い影響が出る
危険性が高まるでしょう」
「我々の常識では、ケースバイケースなんですけどね……。一つ、面白い話を
しましょうか。香村は個人的にこう言っています。今度の映画で、風谷美羽を
相手役にすれば全て解決じゃないか、と」
「……」
 見下ろしてくる藤沢を、まじまじと見返した。ここに市川がいたら、間髪入
れずに飛び付きそうな話だ。
(香村君、あのときも、本気で私を相手役にするつもりだったわよね。無茶苦
茶なんだからと思って断ったけれど、今またこんなことになるなんて)
 返事のしようがないでいると、藤沢が「どうかな」と聞いてきた。
「それで問題解決するとは思えないんですが」
「その通り。全てが丸く収まるかどうかは分からない。うちの香村がこう言っ
てるというだけのことでね」
「香村君の意見に関して、藤沢さん達はどうお考えなんでしょう?」
 相羽の母が口を挟んだ。藤沢は暫時目を閉じ、気取った手振りを交えて応じ
た。
「ん、まあ、香村はこの子を気に入っていますからね。悪くはないと思ってま
すよ。うちの方針に照らして、本物の恋人なら賛成しかねるが、映画の中での
恋人――相手役なら許容できるということです」
「ご意向は分かりました」
「どうでしょう? 映画の話題作りという意味なら、これ以上ない仕掛けでは
ないかと考えているんですがね」
 藤沢らガイアプロは、香村の相手役が純子であってほしいようだ。先の、一
つ目の事項と相反するようだが、彼らにとってはこれで矛盾ないのだろう。利
用されるのは嫌だが、利用する立場となれば積極的に行く主義と見える。
 藤沢は自信満々に言った。
「雑誌が出る前に相手役決定と発表してしまえば、マイナス面は最少に抑えら
れるでしょう」
「オーディションがあると聞きましたけれど……香村君から」
 純子が気掛かりを口にすると、藤沢は軽く笑って、首を振った。

――つづく




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