#5036/5495 長編
★タイトル (EJM ) 00/ 2/29 17:34 (161)
お題>祭り(上) 青木無常
★内容
「ダルガ、いるか。邪魔するぞ」
かき鳴らされる狂的な旋律を割って、しわがれ声とともに天幕の出入口がもちあ
げられた。ひどい猫背のシルエットが覗きこむ。
傭兵仲間たちがうろんげに視線をやったのはほんの寸時、疲れ果てた車座にすぐ
に向き直って無口な酒宴に興味を戻す。
ダルガはつい、と身を起こす。枕頭におかれた剣を手にしざま、一挙動で立ちあ
がり、年老いた導師とともに夜気のふりそそぐ草むらのなかに歩みだした。
でたらめとも思えるほど激しい律動の、弦の旋律がその勢いを増したように感じ
られた。
「眠っていたか?」
「いや。横になっていただけだ」
「ふむ。それでは酒の席に加わっておればよかったものを。いやいやそもそも、酒
があるのならなぜわしを招ばんのだ。葬儀場のように陰気な酒盛りも一気にもり立
ててやれように」
身勝手な陳述を好きほうだいに口にする。ダルガはわずかに苦笑し――すぐに顔
をくもらせた。
「前線に立って戦わなきゃ、わからんだろうな」
「わからん? はて、何をじゃな」
「おれたちがいま、どういう気分でいるのかってことをだ」
いって少年は、不機嫌にだまりこんだ。
草深い山中に築かれた野営地。かかげられたかがり火は突端に集中している。そ
の近く――夜っぴて敵の襲撃にそなえる見張り役たちにはあまり迷惑にならぬ距離
にふたりはたどりつき、手近の岩に腰をおろした。
よう、よう、と夜泣き鳥が鳴く。夜露に、岩面はしっとりとぬれそぼっていた。
ヒステリックにかき鳴らされる弦の音色が、山上から狂々と反響する。
「将軍がよく解放してくれたな」
しばしの沈黙のあと、ダルガが口をひらいた。
占爺パラン、数年来、ダルガの導師として旅の指針を与えてきた老人は、しわが
れた声音でかすかに笑い声を発した。
「どの方角から、いつ、どういった方法で攻めるべきか――わしが求められた見立
てなどその程度のものであったからな。領主どのはわしのことを高く買っておられ
るが、将軍どのはさほど重視しておらぬ。気休めほどにも考えてはいないだろうて。
領主館ではそうそう自由にあちこち動きまわれるわけでもないが、ここならばその
気になればどうとでも動けるわい」
「そいつァけっこう」気のない口調で少年がこたえる。「ついでだから、こんなく
そったれた戦場なんざとっととあとにして、領主館にでも帰っちまえばいいだろう」
「ばかをぬかせ。そこまですれば反逆ととられかねんわ。それにしても」ふいに真
顔になり、「どうにも、お疲れのごようすじゃの」
ちらりと視線をやりながらダルガは口をひらきかけ――ため息とともに言葉を消
した。
「何の用だ」
「託宣さね」
落としかけた視線を、ふたたびあげる。
禿頭の不可思議な老人が、真正面から少年を見つめかえした。
瞳を欠いた白子の隻眼が、光を放ったかのように感じられた。
一瞬だけ。
それでもダルガは、その見えぬはずの瞳に神秘が宿っていることを知っていた。
神世を見透す混濁した瞳は、これまでも数限りなくダルガを導き――地獄へと叩
き落とし――そしてふたたび現世へとたすけあげてきた。ほかに進むすべを持たぬ
少年に、またとない指針を与えつづけてきた眼であった。
「今度は何が視えた?」
視線をそらし、声だけでダルガはきいた。
と――逆にパランが問いかえす。
「そも、この争いの原因は何じゃと心得る?」
「狂信者どもの集団自殺」
「概要はそのとおり。狂った教祖にひきいられた者どもの、常人には理解し得ぬ狂
宴。ただし、ただの狂徒どもではない」
激しく上下動をくりかえしていた弦の旋律が、高音域に固定されてリズムを刻む。
奏者の腕などいましもちぎれ飛びそうなほどの、律動。
「どういうことだ」
少年はきいた。老人は、からえずきをひとつ、夜にとばす。
「狂うてはいるが、追っているのは幻ではない、ということよ」
「魔物か?」
きらりとダルガの目が光る。
「魔物というより、神属かの」
「神? いにしえの神々か?」
「いいや。ヴァイル十二神につらなるものじゃな」
「その系統にしては、無秩序すぎるんじゃないか?」
「一般に信じられているほど、ヴァイル神群というのは慈悲深くはないよ、ダルガ」
からかうように笑った。
ダルガは憮然とだまりこむ。
「まあ、そう機嫌をわるくするな。ティグル・ファンドラ、ユール・イーリア、ラ
ッハイといった神々あたりはわれわれ人間に同情的で協力的といってよかろうがな。
ほかのものどもは、必ずしもわれわれに益をもたらすばかりともいえん。特に、名
を唱えてはならぬ暗黒神にいたっては――」
「まさか、暗黒神の復活を連中は画策してるってんじゃないだろうな」
「それはない。こたびのこの騒動にはな。だが、もうすこし、謎めいておる」
「謎めいてる?」
「そのとおり」うなずき、占爺はくちびるをちろりとなめた。「クォーナレフ。知
っているか?」
「いや」
「あまり名の知られた神ではないからな。狩人の神と呼ばれる。狩猟者の守護神と
して信仰されておるが、昏い一面を秘めている神でな。クォーナレフ自身が狩人で
あるといわれておるのだが、狩る対象が不吉なんじゃ」
「何の狩人だ」
「魂」
こともなげに、老人はいった。
「魂? 死神マージュの眷属か?」
「いや。魂といっても、ただの魂ではない。戦争で死んだ者の魂を狩る神よ」
「ぞっとしねえな」
「まさにな。で、このクォーナレフは、マージュのしろしめす死界ならず、月神と
0かかわりのある神、とされておる」
「ティグル・イリンか」
「そうじゃ。ティグル・イリンに、神格の変じた四つの陪神がいることは知ってお
ろう」
「ああ。バレエスを照らす月は三つ。これらの月は三つの宝石に擬され、それぞれ
が三人の女神の化身。女神の名前はファロイス、フィリアン、フェルナン。ティグ
ル・イリンの娘たちだ」
「もしくは、ティグル・イリンの変形、化身ともいわれておる。で、四神めは?」
ダルガは一瞬ことばをとぎらせた。
そしていう。
「フェリール。見えない月」
「あるいは、あり得ざる月。暗黒の月。争いの支配者」
不吉な補足を、老人が加えた。
しばしだまりこみ――少年は視線で先をうながす。
「このフェリールというものの正体は、神学をこころざす者のあいだでも諸説いり
乱れてさだかではない。ある者は蝕のことをさすというし、ある者は月をさえぎる
雲や雨の神格化ではないかともいう。星々のあいだに横たわる暗黒の空間そのもの
をさすのだという説もあるくらいだが、あまりピンとはこないな」
「まあな。で?」
「にもかかわらず、神話中においてはこのフェリールも、ほかの三つの月と同様に
月をもち、その世界をもち、宮殿をもち、かしずく陪神を擁しているのだという。
どういうことか、などというのはわしになどわかるはずもない。きくなよ」
「だれがきくか」ダルガは苦笑した。「で、クォーナレフってのは? そのフェリ
ールの陪神のひとりか」
「そのとおり。暗黒の月を護衛し、フェリールの敵を討ち果たす軍勢。それがクォ
ーナレフじゃ」
「それを、あの狂人どもが信仰している、と?」
老人はうなずき、
「そしてな。それだけですらないのよ」
意味ありげにつけ加えた。
ダルガは眉根をよせる。
「クォーナレフは、単独の神ではないのさ」
「軍勢、とさっきいったな。たくさんいるってわけか」
「そのとおり。そして――増殖する」
ぞくり、と戦慄が背を走りぬけた。ダルガは首を左右にふり、狂徒どもがつどう
山上に視線を向ける。
弦の音はあいかわらず、とり憑かれたようなリズムで夜気をふるわせつづけてい
た。
注意深く耳をすませば、その音はひとつだけでないのがわかる。
この三日のあいだに、ダルガたちと対峙してきた武器をふるう狂徒の数は尋常で
はなかった。
そして憑かれた目をして迫りくる狂人たちの群れのなかには、かならずといって
いいほど、三弦琴をかき鳴らす楽師たちがいた。
血しぶきの飛び交う戦場でおそれげもなく楽師たちは、ただただ弦をかき鳴らし
ながら戦士たちとともに進軍し、最後には敵の刃の前にみずからその身をさしだし
息絶えようとする。
楽器とともに肉が裂かれるその瞬間、いちように楽師たちは至福ともとれる恍惚
の表情をうかべるのだ、と傭兵仲間のあいだでささやかれるようになったのは、最
初の戦の直後だった。
むろん、楽師らとともに戦をしかけてきた狂戦士たちも、斬り殺されるのを望ん
でいるかのごとく無謀な進軍をくりかえし――ときに、何とも形容しようのない笑
いをその顔にうかべながら死んでいく。
いったい、かれらはなぜそのような所行をするのか。
「クォーナレフは増殖するのさ」
占爺はくりかえした。重いため息とともに。
「どういうことだ」
「至福を得たい、と思うかね、ダルガよ」
質問にはこたえず、老人は逆にそう問いかけてきた。
こたえあぐねて、少年はだまりこむ。
老爺はかすかに微笑み、そしていった。
「そもそもひとが神を崇めるのは、この世に蔓延するさまざまな苦しみから逃れ、
至福を手にしたいと望むからであろう」
「それはそうだ」
ダルガの答えに、老人はさらににたりと笑う。
「その至福を得る手段が、争いを起こし、戦場を神にささげ、多くの勇敢なる戦士
たちを屠り、あげくにおのれらの魂そのものをも――神のみもとに差し出すことだ
としたら?」
まさか、と声にならない言葉を少年は発する。
「そのまさかが、いままさに起こっているのさ」
占爺パランはため息まじりにつぶやいた。