AWC そばにいるだけで 45−8   寺嶋公香


        
#5035/5495 長編
★タイトル (AZA     )  00/ 2/29   2: 3  (184)
そばにいるだけで 45−8   寺嶋公香
★内容

           *           *

 土曜の午後、町田は自宅で一人、ワープロを叩いていた。暇に任せて、調理
部の名簿作りに挑戦していたのだ。自分達の学年を中心に前後二年、合計五年
分の名簿。将来、何かに役立つことを期待して作っているわけではなく、思い
出の一つとして。
「――おっと。誰か来た」
 キー操作の音に紛れて気付かなかったが、手を止めた途端に呼び鈴が鳴って
いるのが分かった。文書を保存してから、座椅子を離れる。
「おや、ま」
 玄関戸を開くと、富井と井口が並んで立っていた。
「予告なしに来るなんて、珍しい」
「芙美ちゃん、今、いい?」
「全然問題なし。何かあったの?」
 立ち話も何だからと、招き入れる町田。来訪者二名は遠慮しいしい、上がっ
た。その折、井口が聞いてくる。
「お家の人は? 土曜は家にいるんじゃあ……」
「うんにゃ。この前あった祝日の代わりに今日、出勤」
 緊張を解いたのがありありと分かる二人を、部屋に入れた。脚の短い円卓を
囲み、落ち着いたところで尋ねる。
「で、何? 卒業パーティでもするとか?」
「あ、それ、いい」
 歓声で反応した富井を、井口が服を引っ張ってたしなめる。結局、井口が話
し始めた。
「実は、相談があって……ね」
 富井と顔を見合わせ、うなずき合う。町田は何とはなしに嫌な予感を抱き、
手近のクッションを引き寄せると、お腹の前で抱いた。
「なぁんか、意味ありげだね」
「うーん、結構重たい話だからさぁ……」
 町田は焦れったさを覚え始めた。けれど、早く聞かせてとほしいとは、何故
か思わない。嫌な予感が続いている。相手が話すのをひたすら待った。
「今年に入ってから、ぼんやり、感じてたことなんだけど」
 井口の方も、どこか思い切ったみたいに固い口調で始める。と思ったら、言
葉を切って、富井とまた顔を見合わせた。
 富井はゆっくりとうなずき、井口を促す。自らは唇を固く結び、あくまで、
井口に話してもらいたいらしい。
 井口の目が町田をとらえた。
「純子のことなんだけど」
 その名を耳にした途端、町田は心の中で「そら来た!」と叫んだ。このメン
バーで集まっておきながら、純子が抜けているのは不自然なのだ。
「純子って、相羽君のこと、好きなんじゃないかしら……」
「――」
 返事に窮する町田。どう答えていいものやら、とっさには判断つかない。
「ねえ、芙美ちゃんはどう思う?」
 富井が口を開いた。机を離れて、身を乗り出し、若干、町田ににじり寄るよ
うな感じだ。
「どう思うと言われても。まずは……郁。あんたも久仁と同じように思ってる
のね?」
「うん、まあ、そんな感じかなぁ」
「二人とも、どうしてそんなこと考え付いたの?」
 町田はクッションのカバーの布地を強く握りながら、富井と井口を順番に見
やった。
「だから、今年に入ってから何となく。でも、はっきり思ったのは、この間の
学校で、相羽君の手を取ったとき」
 井口の答のすぐあと、富井も同感の意を示す。
「そうそう。相羽君がアメリカに行かないですむと分かって、感激しちゃった
のかもしれないけれどぉ、それにしたって、ちょっとオーバーだったみたいな
気がしたの。芙美ちゃんはどう感じた?」
「特に何も感じなかったけれど」
 町田は嘘をついた。少なくともあのときの純子の行動を見て、「およよ」と
奇妙な印象を受けたのは確かだ。
「あの子は、感極まると自然とストレートな行動に出るタイプと見てたから、
そんなにオーバーとも思わなかったな、私は」
「そうかなあ……そうかもしれない、芙美ちゃんが言うんだったら」
 でも、納得しきれず、しきりに首を傾げる富井。
「初詣に行ったとき、仲よく並んで、おみくじを結び付けてたのも気になる」
「あれはたまたまでしょ。悔しかったのなら、郁も速攻で結び付ければよかっ
たのに」
「だって、あのとき大吉だったんだよ、私。厄払いなんてもったいなくて」
「そういう問題かいな」
 空気が弛緩してきたので、ほっと一息、苦笑を浮かべた町田。
「あんた達さあ、相談して、どうする気だったのよ」
「それはやっぱりぃ、二人より三人、賛同が多ければ、自信が深まるって言う
かさあ」
「いや、そうじゃなくて。もしも純が相羽君のことを好きだったとしたら、ど
うするつもりなのかって意味」
 富井と井口は口を開いたが、言葉が出て来ず、困ったようにお互いを見合っ
た。しばらくしてから富井が答える。
「そんなの、分かんないよ」
 その声に重なるようにして、井口も、
「純子は前からずっと違うって言ってたから、信じたいけれど」
 と歯切れが悪いながらも、心境を述べた。町田はクッションを横手に放り投
げ、手を二度打った。
「だったら、それでいいじゃない。今のままで。ねえ?」
「うん……」
 どうにかこうにか話を収め、町田は落ち着きを得た。落ち着くと、いつもの
いたずら心が芽吹く。
「それよりも、自分自身はどうなのかな? 卒業式、何かするの?」
「何かって、何?」
 二人揃って目線を泳がせる。町田は歯を覗かせて意味ありげに笑った。
「もち、相羽君に」
「やーん」
 富井はくすぐられたときみたいに身をよじらせ、顔を赤くした。井口は井口
で、うつむき加減になって、畳を指で無意味にいじる。
「何かできたらいいんだけどね……」
 そして聞き取りにくい声で呟く。
 町田は、これなら当分波風立たないだろうと、ますます安心の度合いを強め
ていった。穏やかな大海原が広がっているようだ。
「たとえばの話、相羽君がはっきり、誰々が好きだって言ったとしたら、二人
ともどうするつもりなのかなー?」
 町田の意地悪な問い掛けに、富井も井口も口ごもったが、やがて「そうなっ
てみないと分かんない」と答えた。

           *           *

 信一はその電話をとても意外に思った。
 母からに違いないと信じ込んだ上で、電話に出たせいもある。だが、それに
も増して、国際電話だったのには驚いた。そう、相手はエリオットである。
「あの。申し訳ありません」
 反射的に謝ってしまった。J音楽院進学に対する正式な断りは、以前伝えた
にも関わらず、だ。
「信一。高校では部活動というものがある?」
 電話での聞き取りにくさを慮ってくれたのか、日本語を駆使するエリオット
に、信一は英語でかまいませんと言い添えてから、質問に対する返事――イエ
ス――をした。
「信一は、何か入るつもりだろうか?」
「具体的には決めていません」
 信一は明朗快活に応対しながら、意図を推し量ろうとする。
(音楽に関係のある部に入れ、とでも言うのかな?)
 一つの想像ができた反面、それだけならわざわざ電話してくるほどのことか
なと、疑問が残らないでもない。次の言葉を待つ。
「では、日本の学校では、部活動というものは、生徒の時間を拘束する傾向が
あると聞いたのだが、本当かな?」
「ええ、欧米に比べればそうかもしれません。もちろん、学校によって違うで
しょう。それに、今春から行く学校がどういう傾向なのか、僕はまだ把握して
いませんが」
「部に入らないでくれないかな」
「え?」
 瞬きを激しくした信一。エリオットの笑う気配がほのかに感じられた。
「もし、君にピアノへの情熱が残っているのなら、時間を空けておいてほしい
のだよ」
「それは……どういうことなのでしょうか」
「年寄りのわがままとして、聞いてくれたまえ。私も、信一のわがままを聞い
て、日本の高校行きを承知したのだから。ふふふ」
 冗談めかしたフレーズを付け加えたエリオット。だが、その話しぶりからは
真剣さがいささかも消えない。信一は唾を飲んで、「はい」とだけ返事し、話
の行方を見守った。
「私は四月から、そちらの大学で講座を持つ。最初は忙しいかもしれないが、
じきに余裕ができるはずだ。いや、余裕を作ってみせよう。そしてその時間を、
たった一人に捧げようと思う」
 流れるような口調には、熱意がこもっていた。その熱意の向かう先は……。
「相羽信一。君のために使いたいんだ」
「……」
 英語から日本語の変換は問題ないのだが、言っている意味が十分の一ほどし
か理解できない。ただただ、エリオットの話から迫力を感じる。
「私の心算では、土曜日の数時間をあてがおうと考えている。信一、私のレッ
スンを受けないか」
「え――」
 思いも寄らぬ申し出は、ジョークにしか聞こえなかった。四月一日でもない
のに、僕を引っかけようとしている……。
「J音楽院の授業に比べれば、量的に劣るのはやむを得ない。幅も狭い。しか
し、質的には最高のものを提供できる。私に任せてほしい」
「エリオットさん」
 信一は苦労してそれだけ言って、絶句してしまった。乾いた唇を舐めて、軽
く息をつく。次に出て来た英語は、固くて、単語を連ねたようなものになって
しまった。
「大変、光栄です。びっくりしたけれど、正直に言って嬉しいし、教わりたい
気持ちは強くあります。でも」
「でも? 何か不満が」
「いえ、不満なんてとんでもない。ただ、エリオットさん。――」
 父に対する贖罪、と言おうとして、相羽の口が止まる。
 英語で「贖罪」をどう言うのか知らない。たとえ知っていたとしても、適切
な表現なのだろうか。自信がない。
 考えて、言葉を組み立てた。
「僕の父に悪いことをしたという思いから、あなたが仰ったのでしたら、僕は
辞退します」
「それは違うよ、信一」
 エリオットは覆い被せるみたいに早口で応じた。
「もちろん、君の言う通り、宗二に悪いことをしてしまったという気持ちはあ
る。この気持ちは消せない。消してはいけないもの。だがそれだけで、私は提
案したのではない。あくまで、君の素質を見込んでのことだよ」
「何と言ったらいいか……言葉が出ません」
 感嘆の息をつきつつ、頭を何度か振り、髪をかき上げる信一。
 しばらくして、エリオットの落ち着いた声が海の向こうから届いた。
「ふむ。では、こう言いなさい。『四月からお世話になります』とね。どうだ
ろう? みんながハッピーになれると思うのだが」
 きょとんとした信一だったが、やがてその口元の両端が上向きになった。微
笑とともに、素直な言葉がこぼれる。
「――四月からお世話になります、エリオット先生」

           *           *

――『そばにいるだけで 45』おわり




前のメッセージ 次のメッセージ 
「長編」一覧 永山の作品
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE