#5034/5495 長編
★タイトル (AZA ) 00/ 2/29 2: 2 (195)
そばにいるだけで 45−7 寺嶋公香
★内容
週明けの月曜日。学校へ行くのが、何だか久しぶりの気がする。校舎を前に
すると、早くも色んな思い出がこみ上げてきて、懐かしさが芽生えた。
この季節、三年生は授業があってないようなもの。自習に当てられる時間も
多い。故に、純子達五組の教室には授業時間中にも関わらず、町田、富井、井
口が集まってきていた。
「そっかあ、これで遠野さんと一緒に行けるんだね」
遅ればせながら遠野が合格していたことを聞き、富井は無邪気に喜んだ。
「やっぱり、知らない人ばっかりだと、心細いもんねえ。頼りにしてるからぁ」
「それは私も……」
小さな声で遠野。頼られるのは苦手と顔に書いてある。
「さて、親しい顔ぶれについては、粗方決まったようだけれども」
町田が首を巡らせた。目を止めた空席は、相羽の机。
「今日、休み?」
「え、ええ。そうみたいね」
たった今気が付いたみたいな反応をした純子だが、実際はもちろん違う。朝
休みの時間からずっと気になっているのだ。いくら授業がないとは言え、登校
日には違いないのに、相羽が休むなんて珍しい。
「唐沢や清水達ならともかく、相羽君が欠席とはねえ」
見透かしたかのごとく、町田がぽつりと言った。井口は純子の正面に立って、
机に両腕を載せた。
「純子、相羽君から何か聞いてない?」
「どうして私が……。休んだ理由なんて、別に聞いてないわ」
「そうじゃなくて、進路のこと。いい加減、はっきりしてほしい」
首を振り、焦れったそうに机を叩く井口。
純子としては、しかし、同じ返事をするしかなかった。
「そっちも聞いてない」
「受験終わったんだから、モデルの仕事の話を、相羽君のお母さんとしたんじ
ゃないのぉ?」
富井が机の真横に張り付いた。そちらに顔を向け、純子は一応、うなずく。
「うん、電話で。でも、相羽君の話は出なかったのよ」
「こっちから聞かなかったの?」
「……うん」
「何でー?」
不満たっぷりに唇を尖らせ、頬を膨らませる富井。井口もまた、両手を使っ
て机の表面をとんとんと鳴らす。
「当然、聞くべきだよー」
「そう言われても……。あは、他人様の家のことだから、あまり根掘り葉掘り
聞けなくて」
純子は困った笑顔を作って、首を傾げた。そのとき、教室の扉が開いて、相
羽が姿を見せた。鞄を軽そうに小脇に抱えて、やけに晴れ晴れとしている。い
つものぼんやり眼は変わらないけれど、すっきりした顔に見える。
「あ」
目が合った純子は勢いあまって、「あ、いばくん」と言っていた。
「いば君?」
聞き咎めた相羽は、自分の席に行く足を止めて、方向転換。笑いに包まれて
いる純子の机に近寄った。
「呼んだ?」
「な、何でもない」
ごまかしの苦笑とともに慌てて首を振る純子の横で、井口が、「何でもない
ことない」と声を被せる。
「あれ? 井口さん達のクラスも、町田さんのクラスも自習?」
ちなみに、富井は井口と同じクラス。
「そうなの。暇だから、こっちに。それよりも、相羽君こそどこ行ってたの?
てっきり休んだんだとばかり」
「うん、少し遅れて来て、先生のところに行ってた」
「受験結果、報告に?」
「それもあるけれど……」
相羽は純子を見た。
黙ってみんなのやり取りを見ていた純子は、瞬きを何度もした。相羽の意図
を知ろうと、「何?」とつぶやく。
「緑星に決めたよ。今度こそ、間違いなく」
「え」
知らず、腰を浮かせた純子。周りの他の女子四人――遠野、町田、富井、井
口――は、それぞれ違いはあれど、相羽の言葉を聞いた瞬間から、みんな表情
に喜色を宿らせる。
相羽は鞄を抱え直し、さらに続けた。
「先生にも伝えた。四月から同じ高校に通えるね、純子ちゃん」
「……うん」
純子もまた表情に笑みを広げる。そして思わず相羽の両手を取ると、引き寄
せ、頭を傾けた。額が相羽の胸元に当てられる。
「よかった」
純子の目尻に浮かんだわずかな涙を、すだれのように下りてきた自身の髪の
毛が隠す。手早く指先で拭った。
相羽が戸惑ったような調子で言う。
「何か、大げさだなあ。逆だよ、逆。これだと、J音楽院に行ってしまうみた
いだ。あははは」
相羽の笑う声に、我に返った純子は、すぐさま手を引っ込めた。顔を起こし
て、一歩下がる。
「そ、そうよね。つい……。あんたが返事を長引かせるからよっ」
「悪い。やきもきさせてしまったみたいで……みんなに」
相羽が視線を巡らせる。と、眼前の展開に呆気に取られていた風の町田達も、
ようやく元に戻った。
「ほーんと。焦らしてくれたわねえ」
食品保存用のラップの感触みたいにごわごわした感じの雰囲気を、町田がの
んきな調子で言って和らげる。
「挙げ句の果てに、結局は日本国内に落ち着いて。本当にお騒がせだわ、相羽
君。あれって十一月だったっけ? 三ヶ月以上も引っ張るとは」
「ごめんごめん。まさか、こんなことになるとまではね、予想してなくて」
肩をすくめると、恥ずかしげに頬を薄く赤くして、すると今度はその表情を
見られたくないとばかりに、きびすを返した相羽。そうして、背を向けたまま、
手の平を振った。
「というわけで、これからもよろしくっ」
翼があるとは限らない――。
ジュエリー・ルナのティーンズ向け新シリーズ“at”。その広告のキャッ
チコピーがこれ。
モデルを務めるは風谷美羽こと純子。
白いドレスは背中の大きく開いたタイプ。長い髪は背中の肌を隠すことなく、
右に流してある。
背をこちらに向ける形で、純子が左横顔を見せた構図。微睡みから覚めたば
かり、あるいはとりとめもない考えごとに耽っている、そんな物憂げな目をし
て、唇は開くか開かないかの段階で止まっていた。耳には真珠のイヤリングが
光る。
その手の平には、指輪が乗っていた。リング部分に細かな石を散らしたデザ
イン。水滴がほのかに着いており、まるでこの指輪がたった今、生まれたかの
ように見える。
しかし、最も話題を呼んだ点は別にある。純子の背中には、うっすらと翼が
生えていた。もちろん偽物だが。ポスター上に特殊な技法で描かれた翼は、透
し彫りのような効果を演出する。つまり、角度によって、翼が見えたり見えな
かったりするのだ。
ちなみに、テレビコマーシャルではこれと同じ方法は採れない。ために、最
初の予定では、特撮技術を応用して、翼が見えたり消えたりを繰り返す映像が
撮られるはずだった。が、後に出されたアイディアが、単純ながら最も効果を
引き出すという理由から採用された。翼のある映像とない映像、二バージョン
を用意して、ランダムに流すのだ。
「大胆だわねえ」
駅から続く地下通路の壁に貼られたポスター。そのすぐ横に片手をつきなが
ら、町田が評した。しげしげと見ていた視線をポスターから本人――純子へと
移し、にやっと笑う。
「諸肌どころかここまで見せるとは、随分思い切ったことで」
「変な言い方しないで」
早く立ち去りたい一心でそっぽを向く純子。すると今度は、行き交う人達の
注目を浴びているような気がしてきた。
「もう行こうよ」
「何言ってんの。二人がまだでしょ」
みんなで春休みの遊びの相談がてら、ウィンドウショッピングに出て来た。
今は、手洗いに行った富井と井口を待っているところなのだ。通路で待ってい
ると、場所柄悪く、ちょうどポスターがあり、町田の目に留まったというわけ。
「じゃあ、郁江と久仁香が来たら、さっさと行こうね」
「いやいや。あの二人にもじっくり見せてあげなきゃ」
「ええっ、やだなー」
頭を抱えたところへ、くだんの二人が戻って来た。
「お待たせ! どうかしたの?」
駆け足のおかげで息を弾ませる富井に、町田がポスターを指し示した。一秒
の沈黙のあと、気が付かれた。
「純ちゃん、またやったの!」
何だか人聞きの悪い言い種をされて、純子は苦笑した。右の人差し指を唇に
当てて、「しーっ」。
「これ、何のポスター? ああ、宝石」
井口が自分で質問を出して、自分で答を見つけた。純子へ向き直って、
「――っていうことは、何か宝石をもらったとか?」
と興味津々の様子。町田も、「ああ、それはあり得るわね」と同調してきた。
「もらってないって」
「そう? よく聞くけど。ほら、カップラーメン一年分とか」
「物が違うでしょっ。だいたい、ダイヤ一年分なんてどういう計算をしたらい
いわけ? 教えてもらいたいわ」
怒ってみせたら、町田は愛想笑いをして、片手拝み。「ごめん、ごめん。冗
談だってば」と言うけれど、それは純子にも分かっている。
(今また新しく疲れさせないでほしい……撮影のときで充分疲れてるんだから)
ずんずんずんと、モデルで鍛えた歩きで真っ直ぐ、進み出した。
「ああーん、待ってよー」
富井達の声を後ろで聞いて、歩みを遅くした折、純子はとある店のディスプ
レイに目を奪われ、すぐ立ち止まった。
と同時に、背中に軽い衝撃を感じた。
「な、何で急に止まるの!」
ぶつかったのは井口。走って追い掛けていたらしい。振り返ると、町田も手
で空気をかいて、急ブレーキによるバランスの崩れを立て直そうとしていた。
ただ一人、富井だけが、遅れて追い付いた。
純子は謝りながら、ディスプレイの一点をガラス越しに指差した。
「これ、いいなあって」
店は、平たく言えば雑貨屋。文具がメインのようだが、ぬいぐるみやファン
シーグッズも置いてある。店内にはOLらしき二人組に、女子高生と思われる
グループが見られた。
店先を飾って純子の気を引いたのは、グランドピアノの模型だった。揃えた
両手の平に乗るほどのサイズ。開いた蓋が黒光りし、鍵盤は一つずつ象られて
いた。精巧な造りと分かる。ひょっとしたら、音が出るかもしれない。
「おおー、ピアノ」
見たままの感想を述べる町田。
「こういうの、相羽君が喜びそうだね」
富井が言うと、井口が首を捻った。
「そう? 本物を弾く人には、模型なんていらないんじゃないかしら」
「そんなことないよー、きっと」
「いずれにしろ、私らの手の届く値じゃないわな」
さり気なく掛けられた値札を一瞥し、町田。確かに高い。無論、お年玉を切
り崩せば買えるけれど。
「純なら稼いでるから、楽勝かしら」
先ほどのモデル話を蒸し返したいのか、忍び笑いをしながら町田は純子に振
った。
「うん。買えないことないけど」
純子が肯定的に応じたものだから、頭を押さえて防御準備をしていた町田は
拍子抜けした様子だ。腕を下ろしてきょとんとする。
「じゃあ、買う?」
「でも、私が持ってても仕方ないし」
「ん? ほしいんでしょ。だから立ち止まったんじゃあ……」
「ううん。郁江達と一緒のこと考えてた。相羽君のこと」
「……だったら、相羽君にプレゼントする?」
町田は言ってから、富井らを気にする風に、目玉を端に寄せた。
純子の方は、ゆっくりと首を横に振った。
「そんなの、できないよ」
(相羽君がピアノを――J音楽院をあきらめたのに、私からピアノの模型をあ
げるなんて、できない。もう、相羽君にピアノを弾いてと頼むことさえ、して
はいけないのかもしれない……)
――つづく