#5019/5495 長編
★タイトル (AZA ) 00/ 1/30 10: 4 (187)
そばにいるだけで 44−3 寺嶋公香
★内容
「相羽君……」
そのあとの言葉は、クッキーとともに紅茶で飲み込んだ。
(絶対、一緒の高校に行こうね)
思うだけで、ちょっぴり涙がにじんできたような。
目尻をこすってごまかすと、純子は声を高くして言った。
「相羽君、今からでもいいわ、プレゼント、何がほしい?」
「プレゼント? 何で?」
「クリスマスプレゼントよ!」
「もう終わったのに、どうしてまた……」
怪訝な顔をする相羽に、純子は席を離れ、すぐ隣に立った。
「今年のサンタは寝坊したのよ」
「……はははっ。十二月二十六日に来るサンタクロースか。遅刻したとも言え
るし、早く来すぎたとも言えるよね」
相羽は根負けしたように、頬杖をついた。それから冗談混じりに加える。
「ただ、もらうとお返ししたくなるんだよなあ。純子ちゃんのほしい物は?」
「望遠鏡だけれど、そんなことはどうでもいいの!」
「言いたくないけど、今かなり懐具合が淋しいので、期待に添えられそうにあ
りません」
自らの答を打ち消す純子の言葉と、相羽のさも残念そうな返事とが重なった。
「――あっ、分かったわ。外国にまで受験に行ったから、お小遣い、なくなっ
たんでしょ。違う?」
「ま、まあね」
「それじゃ、ピアノを聴かせて。その代わりに、私が何かプレゼントするから」
「純子ちゃんは、僕のピアノを昨日聴いたばかりだろう。釣り合いが取れない」
「気にしなくていいって。さあ、何でも言って」
純子は両腕を大きく広げた。座ったまま、純子へ顔を向けた相羽は、しばら
く呆気に取られた風に見上げてきていた。その内、三たび、耳に人差し指を当
ててかき始める。
純子は閃いた。悪戯っぽく笑って、提案してみる。
「プレゼント代わりに耳掃除、してあげよっか。ささやかすぎるかな」
「ええ?」
「さっきから、よくいじってるじゃない」
純子が指差すと、相羽はその格好でストップ。
「だめだよ。耳の中は……はっきり言ってきたない」
「だからしてあげるの。私、結構上手なのよ。お父さんのをやってあげたら、
ほめられて……耳かき、どこ?」
相羽の片腕をつかまえながら、室内に視線を巡らせた。でも、耳かきなんて
小さな物、すぐに見つけられるはずがない。
「掃除なら、僕の部屋をしてほしい……」
「え、何なに?」
相羽がぼそりと言ったフレーズを、純子は聞き逃さなかった。まじまじと見
返され、相羽は仕方なさそうに目を伏せ、答える。
「年末だろ。大掃除の途中なんだ。お昼、母さんが帰ってくるまでに、自分の
部屋ぐらいはすませておこうと思って。始めてから窓ガラスを拭く洗剤がない
と気付いて、買いに行こうとしたら、階段で君と鉢合わせした」
「それなら、買いに行きましょ」
相変わらず腕をつかんだまま、純子はにんまりと微笑んだ。
「でも、その前に耳かきよ」
「どうしてもしたいの?」
「どうしてもさせたくないの?」
見つめ合い、根比べのような雰囲気に。やがて、ため息と苦笑混じりに吹き
出したのは相羽だった。
「はぁ。変なやつ……」
「失礼ねー、親切で言ってるんだから、素直に受けなさい」
「あとで君の耳掃除を僕がやってもいいのなら、かまわない」
「えっ……それはちょっと」
相羽の巧妙な切り返しに、急に失速した純子だったが、相手のしてやったり
の表情を前に、首を横に振った。このままやり込められるのは悔しい。
「い、いいわよ。一昨日、お風呂上がりに耳掃除したもん。だから見ても、す
ることなくて、つまんないでしょうね」
「……」
相羽は無言で、目を一瞬、見開いた。そして腕を掴まれた状態で立ち上がる
と、形としては純子を引っ張る風にして歩き出す。戸棚にある細口の瓶に手を
伸ばし、白い綿毛の付いた耳かきを取った。
「ほら。ついでに言えば、ティッシュペーパーはあそこ」
純子は耳かきをしっかり握って受け取ると、ちり紙を三枚程度、引っ張り出
した。掴んだまま、リクエストを出す。
「相羽君。ここじゃやりにくい」
「何で?」
「膝枕ができないでしょう」
立った姿勢で、自分の太股をぽんぽんと叩く純子。相羽はわずかに顔をしか
め、「やっぱり、膝枕、するのか……」と小さな声を絞り出した。
「あなたの部屋がいいよね」
純子は相羽の部屋の模様を思い起こしながら、さらに希望した。
「大掃除の途中だから、散らかってる」
「いいじゃない。座るスペースくらい、あるでしょ?」
「それはそうだけど」
煮え切らない相羽に対し、純子はふと思い付きで、意地悪を仕掛けた。
「そんなに入れたがらないってことは、もしかして、エッチな本があるんでし
ょ。きっとそうだわ。隠してあったのを、大掃除だから外に出して――」
「そんなことない」
相羽は怒ったみたいに早口で否定した。表情を見れば、怒りと言うよりも不
機嫌さが顕著だ。
「じゃ、入れてくれてもいいじゃない」
「ああ、いいよ」
何だかあっさりしてる。純子は不思議さを覚えながらも、先に行く相羽に着
いて行った。
相羽は部屋のドアを開けると、ずんずん進んで行く。
(やっぱり、見られちゃ困る物があるんじゃ……)
そんな思いを抱き、部屋の様子には目もくれず、相羽から注意を逸らさずに
いた純子。相羽の肩越しに、その向こうにある物を覗こうと爪先立ちをする。
数秒後、申し訳ない気持ちで一杯になった。
相羽がしたのは、本棚の中ほどにあった写真立てを伏せた、ただそれだけ。
でも、純子にはその写真に何が写っているのか、随分前から知っている。
(お父さんが写っているのよね。相羽君にピアノを教えた、優しいお父さんが、
相羽君やお母さんと一緒に……)
「ごめんなさい」
自然に謝罪のつぶやきが出ていた。頭を軽く下げた純子に、相羽の怪訝そう
な声が返る。
「どうしたのさ? 急に謝るなんて」
「ううん、何でもない。さあ、早くしましょうよ。ほら、寝て寝て」
その場にぺたんと座り込んでから、足を揃え、スカートの折り目を整えなが
ら改めて正座する。すぐそばにちり紙をきちんと重ねて置いた。見渡すと、部
屋は相羽が言うほど散らかってはいなかった。カーペットの上には余裕たっぷ
りで座れる。
相羽はどこからか手拭いを持って来た。二つ折りにして、純子に渡す。
「何、これ?」
「膝の上に敷く物がいるでしょ」
「ああ!」
思わず笑みがこぼれた。その上、手拭いを握りしめた手で、何度か拍手して
しまった。
「これはいらない。遠慮しなくていいから。私はかまわないわよ」
「僕がかまうんだけどな」
額に片手を当て、その手で髪をゆっくり梳く相羽。
結局、純子が半ば強引にそのまま横にさせて、まずは左の耳から覗き込んだ。
耳に触れて、ちょっとびっくりしてしまった。
「……相羽君の耳、固いね」
たとえるのが難しいけれど、強いて言うなら、ビスケットみたいな感触。
相羽は頭を動かすことなく、静かな調子で答えた。
「武道をやってたからだよ」
「ええ、何で?」
「寝技の練習をするとき、道着にこすれるんだ。たまに血も出る。練習すれば
するほど、どんどん固くなって、最後はカリフラワーみたいになる。だからそ
うなった耳をカリフラワーイアって呼ぶ」
「カリフラワーって野菜の?」
「そう。僕は途中でやめたから、まだまだだけどね。道場の先輩には、凄い人
がいたよ。耳が潰れて真っ平らになって、そこここにぼこぼこって盛り上がり
があって、ちょうど煎餅かおかきみたいになってたっけ」
途中でやめてくれてよかったと心底思う純子であった。
「痛かったらすぐ言って」
前置きしてから、見当を付け、耳かきの先をそっと差し込んだ。
瞬間、相羽の息を飲む音が聞こえた気がした。上からでは表情の全ては見え
ないけれども、痛がっているのではない様子。
純子は片目を瞑り、ひとかけら、かき出した。ティッシュペーパーの上に置
いてから再度覗き込むが、もう大したものは残っていない。
「つまんない。ほぼ、きれいなんだもの」
「聞こえにくかったんじゃなく、かさかさして、気になってただけだから」
「それじゃ、ついでに右も」
綿毛で軽く払ってから、反対側の耳を見せるように要求する純子。相羽は一
旦上体を起こし、足の位置を百八十度移してから、改めて頭を純子の膝枕に横
たえた。
「こっちもほとんどないわ。無理にでもほじりたくなっちゃう」
「おーい」
「あははは。冗談よ。ああ、少し取れた」
こちらの耳も綿毛で払っていると、手元が狂って、相羽の耳の後ろ、うなじ
近くまで撫でてしまった。
「くすぐったいよ」
全身をもぞもぞさせる相羽。純子は手を止め謝った。
「ごめーん。もう終わりだから」
純子は言い切ると同時に、耳の穴を指で押さえ、耳全体に軽く息を吹き付け
た。そうすることでより丁寧に払ってあげるつもりだったのだが、相羽はます
ますくすぐったく感じたらしい。とうとう、手で耳を覆ってしまった。
「――」
起き上がる。振り向いた顔が心なしか赤い。
「そんなにくすぐったかった? お父さんは平気なんだけれど……」
「ひ、人それぞれ、個人差があるもんだよ。と、とにかく、ありがとう」
礼を述べ、すかさず手を差し出してきた相羽。立場逆転だ。耳かきを渡すよ
うに求めているに違いない。
「どうしてもやる? しょうがないわねー」
不承不承、しかし約束だからと踏ん切りをつけて渡す。
耳かきを持った相羽はそれを上下に振りながら、上目遣いをした。
「やるんなら、早くしてよ」
「……音楽業界の人の耳をいじるのは、非常に畏れ多い所業だなと思ったもの
で。一歩間違えると、えらいことに」
「ばかね。何冗談言ってるの」
膝枕を作らせるべく、相羽の腕を引っ張り、座るようにいざなう。
「ほんとーに、していいのか?」
片膝をついたものの、まだ聞いてくる相羽。
「それは気が進まないけれど、約束したもの。言っておきますけど、情けは無
用よ」
相羽をついに座らせ、きっぱり告げた純子。
「かわいそうだとか思っても、やめなくていいから」
(こういうところでさえ私、相羽君に甘えていた気がする。つまんないことか
らでも、直して行こう)
裏にはこんな決心があった。
純子は正座したまま相羽の横に滑るように移動し、上半身を傾けた。半ば強
引に、膝枕を求める。
さあとばかり、横目で見上げると、相羽が心配げな顔をするのが分かった。
「ジーンズだから、ごわごわするんじゃないか? 着替えて来ようか」
「そんなことないって!」
純子は左耳を覆う髪を、自分の手でかき上げた。
「見える?」
「そりゃまあ……。じゃあ、行くよ」
耳かきより先に、相羽の左手が純子の耳に触れた。
「!」
――つづく