AWC そばにいるだけで 43−11   寺嶋公香


        
#4997/5495 長編
★タイトル (AZA     )  99/12/25   9:57  (198)
そばにいるだけで 43−11   寺嶋公香
★内容
 鷲宇の話の途中で、ホールに新たに一人、入ってきた。「噂をすれば、来た
来た」と、鷲宇が軽く手もみし、出迎える。相羽がいた。
「な、何で」
 無意識で二歩後退。表情が硬くなる。急な事態に、気持ちとは裏腹に笑みが
出た。
 驚いたのは相羽も同様らしかった。うつむき加減に歩いていたのが、純子に
気付いた途端、足取りが重くなった。視線は逆に純子へ釘付けになる。すぐに
でも話がしたい思いを飲み込み、鷲宇の方へ近寄る。
「相羽君、今日はよろしく頼む」
「僕でいいのなら……。ところで、久住淳が参加するとは聞いてませんが」
 硬質な響きで問う相羽。鷲宇は純子を見やって、手を広げる。
「聞いてなかったと?」
「はい」
「そうだろう。言ってないのだから」
 鷲宇の答に、相羽は目つきを悪くした。
「怒らないでくれよ。何ごとも秘密裏に運ぶ必要があったのだから。出演者の
顔ぶれに関しても、外へ漏れる可能性を可能な限り低く押さえるため、こうい
う方法を採らせてもらった。無論、彼女――久住も君の参加を今初めて知った」
「……鷲宇さんは、何も知らずにこんなことを?」
「うん?」
 とぼけたのか否か。鷲宇は目で問い返してきた。
「いえ、いいです。何でもありません」
 相羽は黙礼すると、純子の方へ足を踏み出そうとした。だが。
「着いたばかりで悪いけれど、リハーサルをしておきたい。準備を急いで」
 鷲宇から命が下った。

「今、いいかい?」
 隣に座った相羽が小さな声で言った。
 控え室としてあてがわれた部屋は、普段、会議室として使用されているよう
だ。それでも、出演者全員で使うので、広さは充分とは言えない。
 純子は前方を見つめ、テーブルの上で手を組んだまま、身じろぎせずにいた。
「話がしたいんだ」
「……みんながいる。聞こえるわ」
 ある程度深刻な内容になるのは、純子自身、予想できている。こんな場で言
わなくてもいいじゃない、と思う。
「あとになったら、聞いてくれるのか?」
「……分からないわ。あとのことなんて、約束できない」
「じゃあ、今、聞いてほしい」
「……」
「純子ちゃん」
 相羽へ振り返った純子。
「そんな呼び方しないで。――今の私は久住淳なのだから」
 相羽は静かになってしまった。
(こんな調子で、うまく行くはずない。さっきはあいつも私もぼろぼろだった
し……鷲宇さん、罪作りですっ)
 リハーサルを思い起こしながら、嫌でも不安を増してしまう純子だったが。
 本番になると違った。
「――どうも。正直に言いますと、初めて日本でこういうイベントさせてもら
うことで、不安がありました。アメリカの人達と比べると、大人しくおしとや
かな人が多いんじゃないかなって。でも、始めてみて、関係ないと分かった。
みんな乗りがいい。逆に、こちらが乗せられてしまった」
 曲の合間に話す鷲宇。それは出演者全員の思いだったろう。
 観客はバラエティに富んでいた。大多数は患者だが、他にも、手の空いた医
師や看護婦、事務の人達がいるし、食堂で配膳する女性もいる。
 患者の年齢層も様々だ。
(お年寄りがほとんどなのかなって想像してたけれど、全然違ってた)
 純子が驚くほど、若い人や子供が多い。
 片足をギブスで固定されているのに、立ち上がらんばかりに拳を振り上げる
少年。パジャマ姿のほっそりした身体で、手拍子を取ってくれる幼い双子の姉
妹。髪を金色に染めて、外見は恐そうだけれど点滴を受けながら足をむずむず
させているおにいさん。
 そういった、言わば鷲宇ファンの世代の患者に引っ張られる形で、年配の患
者達も楽しみ方を掴んでいくのが、舞台からよく分かった。
 久住淳を知る人もいた。看護婦に至っては、しきりに声援を送り、名前を呼
び、手を振ってくる。途中で、婦長らしき女性から注意されるほどだった。
(楽しい! 嬉しい! 最高!)
 まともな文章にならない、感情を表す言葉が、純子の内面で飛び交った。事
前は、病院でのコンサートと聞いて寒々としたイメージを抱いていたが、完全
に払拭された。憂鬱なことも風邪のことも忘れて、思い切り唄う。
「――張り切って、立て続けに唄ったおかげで、疲れてしまいました。お医者
さんから喉の薬をもらわなくては」
 鷲宇のトークが笑いを誘う。
「えー、この辺で僕らは休憩に入ります。が、中断するわけではありません。
彼の演奏に耳を傾けてください」
 鷲宇の腕が示したのは、ピアノ。相羽がすっと立ち上がった。彼一人だけ、
学生服−−と言っても詰め襟は脱いでいるが――というのに、違和感なく舞台
に溶け込んでいる。
 鷲宇が簡単な紹介を始めた。
「最初に見たとき、何だあのピアニストはと驚かれた方もいると思います。正
直にね。その感想は間違っていたと、もうお気付きのはず。ですよね?」
 これまでのところ、相羽は無難にこなしていた。目立つパートはほとんどな
く、サポートの役どころに徹した感がある。それでいてなお、聴く者にそこそ
この好印象を与えているのだから、大したものなのだろう。
「種明かしをすると、彼はとある外国の名門音学校に合格し、実力は折り紙付
き。しかし、言葉で説明しても意味がない。耳は言葉を聞き取るほかに、音楽
を味わうためにも役立つのだから。これからしばらく、彼、相羽信一君のソロ
をどうぞ」
 相羽が一礼する。期待感を示す拍手が起きた。他の出演者は舞台袖に下がっ
た。鷲宇が腕組みをして見守っている。純子も腕組みの代わりに、手をお祈り
の形に組んで、倣った。
 相羽は緊張を微塵も見せず、穏やかに、日常生活の延長のように弾き始めた。
静かになったホールに、まずクラシックの音色が響き渡る。外から入り込む雑
音があるにも関わらず、それを失念させる、自然でやわらかなメロディが流れ
ていった。
 クラシックは、シューマンから二曲を演奏しただけで切り上げた。拍手のあ
と、相羽は「少し、感じを変えます」と言って、全く違うジャンルの曲を始め
た。ギルバート=オサリバンだ。先ほどとは打って変わって、力強さに溢れた
曲。一瞬、同じピアノから奏でられているのを疑いたくなる。
 続いてもポピュラー。ビリー=ジョエルの有名な曲。これをまた、楽しそう
に弾く相羽。満足に動けない人にまで、リズムを取らせてしまう。たとえ音が
聞こえなくても、見ているだけで、つられて楽しくなってくるかもしれない。
(凄い)
 純子は思った。何度同じ感慨を持ったことか、数え切れない。
(実力も凄いけれど、今日はもっと……。始まる前はぼろぼろだったのに、ピ
アノ弾いてると、あんなに楽しそうになれるなんて、凄い。やっぱり、J音楽
院に行くべきよね……)
 目を閉じ、全身で聴いた。これが、身近で聴ける最後になるかもしれない。
「節操のない選曲ですみません。最後はクラシックに戻りたいと思います。た
だ、少し風変わりな人の作品にしてみました。エリック=サティの」
 そこへ鷲宇が出て行き、口を挟んだ。意外な行動に、純子はびっくりしてし
まったが、他の出演者やスタッフの面々は笑って見ているだけ。
「焦れったい前置きは抜きにして、相羽君、誰に捧げる曲なのか、発表しなさ
い。君が言わなきゃ、おにーさんが言ってしまうよ」
 相羽はしばし唖然として、ピアノのそばまで来た鷲宇を見上げていたが、や
がて意を決したように口を開く。
「……それは、曲名を聞けば、誰もが分かると思います」
「その曲名は?」
 マイクを差し向ける仕種の鷲宇。相羽はうつむいていた顔を起こし、しっか
りと言った。
「エリック=サティの『きみがほしい』」
 少しばかり、ざわめく場内。純子の心が、ぴくんとした。
「なるほど。捧げる相手は当然?」
 皆まで言わせたいのかと、相羽はあきらめの苦笑を浮かべていた。
「――僕の好きな人です」
 大人しくしていた聴衆から、二、三の冷やかしや口笛が上がる。
 相羽は観客席へ向き直り、
「皆さん、ごめんなさい。僕は、この場に来ている彼女一人のために弾きます」
 と言い切った。後押しする拍手が返って来た。
(え?)
 純子の身体の中を、冷たい風が吹き抜けた。
(この場に来てるって……)
 思わず、白沼の姿を客席に探した。いない。いるわけがない。
(じゃ、じゃあ、好きな人って)
 純子の戸惑いを包み込むように、音が満ちていく。

 コンサートが終わって即、御役御免とはならない。特に鷲宇や純子――久住
淳――のように歌手として名の知られる者は、各病室を回るのだ。聴きたくて
もホールまで行けず、館内放送の音で我慢した入院患者も多数いる。
「吉川美咲(よしかわみさき)です」
 精一杯の元気で、ベッド上の少女は自己紹介をした。小学三、四年生くらい
だろうか。もう少し上かもしれない。心臓と肝臓に障害があるとされ、顔に黄
疸が出ていた。
「久住さんの大ファンです。ディスクは二枚とも持ってるし、テレビに出たの
は録画して、何度も何度も観てます」
 個室には、見舞いの品やお人形などの他に、備え付けのテレビに接続された
ビデオやディスクプレイヤーが並べてあり、親のできる限りのことをしてやろ
うという愛情が形として見て取れる。
「ありがとう」
 純子は美咲の手を取り、握りしめた。
「どうしてもっとテレビに出てくれないんですか? お見舞いに来てくれた友
達が、出し惜しみだって言ってるんだけど、そんなことないですよね?」
「それはもちろん」
 勢いで答えてしまった。実際は、間違いなく出し惜しみの売り出し戦略。
「でも……その割に、新しい曲も出ないし……」
 少女の疑問に対し、まずいなと言葉に詰まっていると、鷲宇からフォローが。
「ごめんな、僕のせいなんだ。僕が彼の曲を作っているんだけど、なかなかい
いメロディが思い浮かばなくてさ」
「じゃ、どんどん作ってください」
「でも、君は大好きな久住淳が、つまんない曲を歌うの、嬉しくないだろう?」
「もちろんです!」
「それなら、待っててよ。ほんのしばらくだから、辛抱できるさ」
 美咲は一度は大きくうなずくも、すぐに表情を曇らせた。どうしたのかなと
純子、否、久住が首を傾げて覗き込むと、相手はゆっくりと目を合わせてきた。
「なるたけ早くして、久住さん。だって……私、手術しないといけない」
 事前に母親から聞いた話では、心臓の方だと言う。小さい内はよかったのが、
成長するに従い、今の心臓では保たなくなる恐れがある。現にその兆候が出始
めているらしい。手術するにしても、肝臓の病気との兼ね合いやドナー提供者
の問題から、国内では難しく、さりとて外国でとなると費用面が重くのしかか
る。そして、仮に費用面をクリアーし、手術を受けられたとしても成功確率は
五割に届かない……。
 新曲を早く出してくれないと、聴けないまま死んでしまうかもしれない。少
女はそう言っているのだった。
「――うん、分かった。頑張って早くいい歌を出す」
 語尾を噛みしめる純子。思わず普段の言葉遣いになりそうだった。
「本当? 久住さん、約束よ」
 小指を出してきた美咲。すぐにその意味を理解した純子は、同じく小指を立
てて指切りげんまんをした。
「次の曲も、その次も、ずっと聴かせてあげられるよ。手術は絶対に成功する
んだから」
「――あは、不思議。久住さんに言われると、そんな気がしてきた」
 美咲の顔色が、若干でもよくなったように見えた。輝きを感じる。
「私、将来は久住さんのような人のお嫁さんになりたいな」
 笑顔に心が痛んだ。偽ることの苦しさを、ただあやふやな反応を返してごま
かそうとする。
(今このときだけ、男の子になりたい)
 拳に力を込めた純子。かなわないなら、せめて男になりきろう。もちろん具
体的な返事はできないけれど、再び手を取り、強く握った。
「美咲。調子に乗って言うんじゃありません。困ってらっしゃるじゃないの」
 少女の母親が言った。初見ではどこかやつれていたのが、今、小さくではあ
るが笑っている。しょうがないわねえと、娘の肩をさすっている。
「久住さん、お願いがあるんですけど、いいですか」
 美咲が可能な限り、上体を起こした。反射的に手助けする。
「何でも言って。僕にできることなら」
「あの、歌を聴かせてほしい」
「何がいい? 僕の曲は二つしかないけれどね」
 美咲は二曲ともリクエストしてきた。

――つづく




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