#4998/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/12/25 9:59 (198)
そばにいるだけで 43−12 寺嶋公香
★内容 18/06/11 01:55 修正 第2版
午後からは介護施設に行き、やはりコンサート。病院とはプログラムを変え、
選曲はクリスマスソングの他、お年寄りが一緒に唄えるような曲を多くしてい
た。さらに、楽器の演奏も随所に取り入れていた。目の前で演奏すると、みん
なとても嬉しそうにする。演じる側も、楽しくなってくるのだった。
そのあと、場所を鷲宇のマンションに移して、鷲宇に近しい者が集まっての
クリスマスを祝うパーティが催された。
「さっきまでボランティアでコンサートをして、寄付をして、今度はこんなパ
ーティをするなんて」
素に戻った純子は、青木にこぼしていた。
鷲宇の切り替えの早さに、純子は着いていくのがやっと。多分、相羽もそう
だろう。パーティについてはあらかじめ知らされていたものの、何となく矛盾
を感じてしまう。初めて実感のあるボランティア活動をしたせいで、一時的に
感化された部分が大きいのだが。
「気にしないでいいの。鷲宇憲親にかかったら、毎度のことだから」
「でもね、たとえばパーティするお金も寄付に回したら、手術費用が足りなく
て困ってる人、少しでも助かるかも……」
美咲の顔が脳裏に浮かぶ。青木やそばにいた他の関係者らが一斉に苦笑した。
「できることならそうしたいところだろうけど、きりがなくなるんだな。知り
合った順に全て援助していくのは逆に不公平ってもんさ」
「残念ながら、自分達も飯を食べなきゃいけないからね」
分かってる。美咲を何とかしてあげたいという思いも、感情的になっている
のかもしれない。美咲と同じような境遇の子は、他にもいっぱいいるだろう。
順番は着けられない。
(でも、知り合ったんだから、まずは美咲ちゃんから何とかしてあげたいよ)
考え込んでいる純子へ、グラスが差し出された。わけも分からず受け取ると、
オレンジ色の液体を注がれた。
「当然、ジュースよね」
「あ、はい。ありがとう」
「飲み終わったら、他にも色々並べてあるから、ほしいのを自由に取ってね」
女性が指差した先には、壁を背にして、白布のかかったテーブルがあった。
その上にはずらりとボトルやグラスなどが並ぶ。料理の方は、部屋のあちこち
に皿があり、立食形式で取っていく。大きなクリスマスツリーもある。日本流
と違うのは、カラオケセットが用意されていないことか。もっとも、今日はす
でに充分唄い尽くしている。
やがて、鷲宇ではなく、もっと若い男性スタッフの音頭でパーティ開始。
鷲宇は主宰とあって忙しげにしていたが、しばらくして、純子に話し掛けて
きた。どうやら、パーティ前の純子のボランティアに関する疑問を聞きつけた
らしかった。
「僕も君と同じ考えだった。今もそうかもしれないな、心の底では」
グラスを傾ける鷲宇。
「昔ね、アメリカで、クリスマスボランティアをやっていたときの話なんだけ
ど、あれは確か二年目だったな。僕自身がサンタクロースの格好をして、ある
施設に――伏せても意味がないな、孤児院に行ったんだ。プレゼントをたっぷ
り抱えてね」
「はい」
今日サンタの格好をしなかったのは、さすがに日本だと恥ずかしいから?な
んて感想を抱きつつ、相づちを打った純子。
「『今年一年、いい子にしてたかい? おおそうか、じゃあ、プレゼントを。
きっと幸せになれるよ』とまあ、こんな台詞を言って、子供達に配った。みん
な喜んでいるように見えたよ。施設を切り盛りする人達からも感謝された。翌
日の一部の新聞には、小さいながらも記事が載った。すっかりいい気になって
いた僕は、三日後、打ち砕かれた」
「え。何故ですか?」
「別の孤児院やダウンタウンでね、トラブルが起きたんだ。特にショックを受
けたのは、自殺未遂があったこと」
口調は軽かったが、真剣な顔付きを崩さない鷲宇。
純子は意外な展開に口を挟まず、ただ聞き続けた。
「あとで分かったんだが、その子が自殺未遂を起こしたのは、サンタが来なか
ったからなんだよ。『僕らのところにサンタが来なかったのは、僕がいい子じ
ゃなかったからだ』って思い詰めてね。僕はもう、こてんぱんにやられた。身
につまされたよ。こんなやり方じゃだめだって。サンタになるのはやめたし、
公にされるのも極力避けてきた」
「……難しい」
率直な感想だ。
「私、できることからやっていけばいいって思ってた。でも、そんな単純じゃ
ないみたい……。けれど、鷲宇さんは悪くないです。絶対に悪くない」
「サンクス」
純子が握り拳を作って力説すると、鷲宇が微笑した。今日、鷲宇が病院や老
人介護施設を回り、児童福祉施設を回らなかったのは、苦い思い出が障害にな
っているせいかもしれない。
「あの女の子の症状に関しては、時折病院に連絡を入れて、聞いてみることに
するよ。いくら公平を期すべきとは言っても、見過ごせない」
「――お願いします。私もできること何でもします」
心に引っかかっていたもやが、少し晴れた。
純子はその後、徐々に暇を持て余すようになった。気心の知れた人達ばかり
とは言え、中学生は浮いてしまう。最初の内は話し相手になってもらっても、
大人の方にお酒が入るに従って、段々と噛み合わなくなる。唯一、同世代の相
羽とは、相変わらずの状況だし。一時間も経過する頃には、純子は疲れもあっ
て、壁際の椅子に一人腰掛けていた。
(相羽君は?)
何だかよく分からないゼラチン状の塊を食べながら、首を伸ばす。
相羽は立って、男の人と話をしていた。十メートルほど離れており、声は聞
き取れない。近くにいたとしても、会話の内容はほとんど理解できなかったで
あろう。何故なら、相羽の話し相手は、外国人なのだから。
髪は白と言うよりも銀色で、大きな鉤鼻をしていた。丸っこい眼鏡を掛け、
その奥で目を細めて談笑している。欧米人にしては小柄な方だが、堂々として
いて貫禄のある人だ。純子の初めて見る人だが、午後からのコンサートに姿を
見せていたように記憶している。
(あんなに英語を話せるのね……英語とは限らないか)
どうでもいいことまで考えてしまう。相羽の選曲の意味は、依然として純子
を戸惑わせていた。
(私のことだよね)
いくら思い悩んでも、結論は一つ。
(私をまだ好きなのに、白沼さんと付き合ってる? そんなの、信じられない)
二通りの意味を持つ、「信じられない」。
そんなことをする人を、信じられない。
相羽がそんなことをするなんて、信じられない。
(やっぱり、好きなんだ。私、相羽君を)
相羽が誰と付き合おうとも、どんな道を選ぼうとも、彼を信じようとする自
分に、隠せない想いを見出す。
ぼんやりしていると、相羽が先の外国人を先導する形で、目の前に立った。
「紹介してほしいと頼まれたから……」
相羽が遠慮がちに切り出した。
こんなときまで拒絶する理由はない。純子はグラスと小皿を脇に置くと、静
かに立ち上がった。
先に確かめておくべき点を思い出し、相羽に囁く。
「この人、私が久住淳だと知ってるの?」
「何にも言ってないけれど、多分、気付いてると思う。耳のいい人だし」
「どういう意味?」
問い返す純子に、相羽は外国人の紹介を始めた。
「アルビン=エリオットさん。J音楽院でピアノの指導をされているんだ」
「え……」
唖然とする純子を置いて、相羽はエリオットに純子のことを紹介した。英語
の早口で、全然聞き取れない。辛うじて、自分の名前と同級生だというのだけ
把握できた。
エリオットから手が差し出された。つい、まじまじとその大きく、赤っぽい
手の平を見つめてしまったが、握手を求められたのだと気付き、急いで手を出
す。お目にかかれて嬉しいです、とお決まりのフレーズを言って、頭を下げる。
エリオットは純子を軽く抱き寄せ、何やら囁いた。それから相羽に対して、
しきりに話し掛ける。誉め言葉らしい。
「何て?」
「えーと、簡単に言えば、素晴らしい歌声だってさ。やっぱり、気付いている」
「それ、私のこと? つまり、久住淳だと」
「そういうことらしい。お世辞じゃないと思うよ」
慌てて礼を述べる純子。知っている単語を駆使し、身振り手振りを交えたが、
気持ちは果たして伝わっただろうか。
見れば、エリオットはにっこり微笑んでいる。どうやら、ボディランゲージ
の方が奏功したみたい。
エリオットはまた相羽に話し掛けた。相羽の顔が赤らむ。彼が顔の前で手を
振ると、エリオットの方は頬を緩めてうなずいた。
「それでは、お幸せな時間を過ごしてください」
最後に変わったアクセントの日本語で言い置くと、エリオットは黙礼をして
立ち去っていった。
相羽は名残惜しげな眼差しを純子に向け、エリオットを追う。
「待って」
呼び止め、立ち止まるのを待たずに訪ねる純子。
「あの人に、エリオットさんに教えてもらうの? J音楽院に行くの?」
足を止めた相羽は、振り返ったが、そのときは答えなかった。前を向き、再
び歩き出すのに合わせて、短くつぶやいた。
「分からない」
何杯目のジュースになるのか、覚えていない。
純子はグラスを高めに掲げてから、ため息とともに液体の色を眺め透かす。
縁に口を当てると、中身を半分ほどいっぺんに流し込んだ。味わう余裕もなく、
息をまた長くつく。
(相羽君のやりたいことだもの。口出しできない)
しばらくすると、思考が同じところを回り始めていた。瞼が重たくなって、
頭の中もぼーっと霞が掛かる。
(熱っぽい)
グラスを持っていない方の手を額に当てる純子。額が熱を持っているのか、
手の平が冷たいのか、よく分からない。
(それに、何か、変な、気持ち)
* *
「相羽信一!」
突然の叫び声に、壁際の椅子に座って一息ついていた相羽は、弾かれたよう
に立ち上がった。
驚いただけではない。それが純子の声だったからだ。
小皿とコップを左右の手に持ったまま、目線を会場内にさまよわせる。そう
する合間にも、同じ声が続けざまに叫ぶ。
「こっちよ! ばかぁ!」
騒がしいパーティの席とは言え、徐々に気付く人が出始めている。芸能記者
連中をシャットアウトしてはいるものの、変に目立つ行為はまずい。
相羽は小皿とコップを近くのテーブルに放置し、意識を集中した。
いた。
やや大股気味に仁王立ちし、両手を突っ張るようにしている純子の姿が目に
入る。ドレスに大きなしわが寄っていた。その周りの大人二、三名が、何ごと
かと訝しげな表情で純子をちらちら見るのが分かった。
「純子ちゃん」
小声で言って、走る相羽。約一メートル手前で立ち止まる。
「どうしたの、急に叫んだりして。それに、呼び捨て――」
不意に純子の顔が大きく見えた。純子が一挙に近付いてきたのだ。
そしていきなり相羽の両手を取ると、強く握りしめる。
「相羽君……行っちゃやだ」
「え」
まともに見つめ合う格好になる。相羽は何か言わなくてはと思うのだが、言
葉が出ない。
純子の方は呂律こそ怪しいが、永遠の泉のごとく言葉はとどまるところを知
らない。涙声が流れ出る。
「外国なんかに行かないで、ずっといて……」
「……」
「お願い」
言葉を継げないでいた相羽は、息を飲み、彼女の名前を口にした。
「純子ちゃん……」
「行かないで。ねえ」
純子の瞳が潤んでいるように見えた。
奥歯を噛みしめ、相羽は緩く首を振った。
「純子ちゃん、それは――」
「だめなら、一緒に連れてって!」
純子が普段に倍する力で相羽の腕を引っ張り、その胸に飛び込んでいった。
相羽は手を左右とも浮かせ、純子の肩の高さまで持って行く。しかし触れる
ことはしない。
「純子、ちゃん」
「行かないで。あなたがそばにいないこと――考えられない」
頬を赤く染めた純子は、何の躊躇もなく相羽の胸で泣き始めた。
――つづく