#4942/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/ 9/29 10:28 (200)
そばにいるだけで 40−9 寺嶋公香
★内容
相変わらず真剣さを崩さない純子に、唐沢は頭をかいた。
「そりゃまあ……。この体育祭終わったら、そろそろ俺も受験勉強に本腰を入
れようと思ってまして、つきましては涼原さん」
「はい?」
「同じ緑星を目指す者として、情報交換というか、要するに、分からないとこ
ろを教えてもらえないものかと。一緒に勉強がしたい」
「なあんだ。そんなこと? もちろん、かまわないわよ」
力が抜けた風になる純子へ、唐沢は念押ししてきた。
「まじでOK? 俺としては、図書室とかにも付き合ってもらいたいんだけど」
「うん。私も図書室使ってる。ちょうどいいんじゃない?」
「よっし。じゃ、約束ね。嬉しいなっと」
急に砕けた感じになった唐沢に、純子は半ば警戒しながら尋ねた。
「あの、またこんなこと聞いてごめんね。緑星目指してるのは相羽君も同じな
んだから、相羽君に教えてもらった方がためになると思うんだけど……」
「同じ教えてもらうのなら、女子と一緒の方が楽しい」
もはや完全に軟派モードに入っている。唐沢は両手を握りしめながら続けた。
「女子で緑星を目指してるのは、白沼さんもいる。が、白沼さんより涼原さん
の方が断然いい」
「……唐沢君てば、白沼さんとは反りが合わないみたいだもんね……あはは」
冷や汗混じりに苦笑いする純子だった。
* *
その人物達の存在に、相羽は体育祭の途中で気が付いた。以来、競技への集
中力をいささか欠いている。
逆に、相羽にとって歓迎すべからざる人物達については、否が応でも注意が
向いた。あの奥寺が先導する形で、やせがちな女性と顎髭を蓄えた男性の二名
を案内している。
(ひょっとすると、あの黒塗りの高級車に乗ってきたのかな)
体操帽の庇を上げ、ブロック塀の隙間の向こうを見通す。大きな車があった。
運転手が椅子の背もたれに身体を預けて退屈そうにしている。
(当然、酒匂川の人は僕の顔を知ってるんだろうな。ということ、向こうから
接触してきてもおかしくはない)
合間を見て応援席を離れ、帽子を取って、母の姿を探す。時間が空けば来る
と言っていた母に、酒匂川の人間が来ていることだけ伝えておきたい。母にシ
ョックを与えたくないのだ。
方々を見て回った相羽だったが、母の姿は発見できなかった。恐らく、まだ
来ていないのだろう。
(来てないのなら、とりあえず安心か。電話して知らせておきたいところだけ
ど、さすがに校舎内に入るのは難しそうだ)
部外者が自由に校門をくぐれる今日は、校舎内への立入は厳重に管理されて
いる。不審者が校内荒らしをするのを未然に防がねばならないからだ。ついで
に言えば、生徒のさぼりも。
相羽は一旦自分のクラスに戻ろうと、身体の向きを換えた。被り直そうと、
帽子を広げる。
そのときだった。
「信一君。私のこと、覚えているかしら」
手の動きを止める。
確認するまでもなく、相羽には誰なのか分かった。
先ほど見かけたやせがちの女性は、こんなはっきりしない天気にも関わらず
日傘を手にし、レース編みの手袋まで着けている。肌が弱いのかもしれない。
「名前は忘れました。元々知らなかったのかもしれませんが」
相羽は押し殺した声で返事をした。愛想笑いもできない。
「でも顔は覚えています」
「それは嬉しいことね」
笑うと女性の顔には幾筋ものしわができた。目立たないが、顎の下や耳元辺
りには染みがいくつかある。
「詩津玖さん――お母さんは元気にされているかしら?」
「健康状態のことを言っているんでしたら、少し働き過ぎかもしれないな。精
神状態は、僕にも正確には分からない」
いつもの調子で肩をすくめる相羽。
(どうせ、奥寺の報告で、おおまかなところは掴んでいるくせに)
詰問してやりたい気持ちがなかったと言えば嘘になる。だが、現段階は相手
の出方を見るべきだ。
「それだと、酒匂川に戻る気があるかどうかも、分からないわね」
落胆した風に息を吐いた女性。どことなく、わざとらしさが漂っている。
相羽は反発した。
「それなら分かります。戻る気は全くない、と」
否定的な答を意に介さぬ様子で、女性は質問を接ぎ穂してきた。
「あなた自身はどうなのかしら。酒匂川の、私の孫として」
「……答えるまでもないと思います。違うでしょうか」
そう言って、相羽信一は酒匂川愛理(あいり)を見た。
「分かったわ」
酒匂川は初めて表情を変えた。しわがより深く刻まれ、ショックが面に出る
のを見られたくないのか、顔を横に向ける。
傘を半回転ほどさせて、自らを取り戻し、再び口を開く。
「関わりたくないというわけね。それでも、宗二(そうじ)と同じ道を信一君
が行くのなら、否応なしに交わらざるを得ないんですよ」
(あの調査員、結局はありのままを伝えたんだろうな)
どの程度知られているのかを探りつつ、受け答えを考える相羽。端からは、
祖母と孫とが普通にやり取りしている構図に見えるかもしれない。
「当たり前でしょう。酒匂川のみんながそうなるようにしているんだから。離
れようとしている僕らの前に、わざわざ回り込んで立ちふさがってくる」
「あなたをそれだけ必要としている証よ。感じ取ってちょうだい」
「必要、ですか。分からなくはないけれど……気が進まない」
もうこれで切り上げたい。相羽は帽子を目深に被った。
「もっとよく考えてくれないかしら」
「変わりません。――僕、戻らないといけないから、これで失礼します」
形ばかりの礼をして、相羽はきびすを返した。
「いずれ近い内に、詩津玖さんを交えて話をするつもりだから――」
酒匂川愛理の台詞は、運動会のにぎわいに紛れて途中で聞こえなくなった。
相羽は駆け足の速度を緩め、体操帽の具合を直した。そして思った。
(せめて残りを楽しもう)
戻ると、すでに三年生女子の入場は済んでいた。
「お楽しみが始まっちまうところだぜ。どこ行ってたんだ?」
清水の問いに相羽は返事を濁しながら、運動場へ目を走らせる。目印を付け
ていたみたいに、純子の姿を簡単に捉えた。
(……元気いっぱい、だね)
後輩達に両手を振り、自然にこぼれてくるような笑顔をしている純子を見て
いると、相羽も先ほどささくれだった気持ちが瞬く内に和んでくる。
「どうして女子が組み体操なんだろ」
「どっちだっていいじゃん。俺の小学校、六年のとき、女子が騎馬戦やった」
「それはまた激しそうな。爪で引っかかれるんじゃねえの?」
「騎馬戦に比べたら、組み体操なんて大人しい方」
周りで他の男子が話している。
(大丈夫かな。純子ちゃんて、運動神経いい割に、意外とどじなところあるよ
うな気がする)
昔のことを思い出しながら、心配になってきた。
(林間学校のとき、崖から滑り落ちたし、この前の試合のときは、積み上げた
マットから……。てっぺんを引き受けたんだから高所恐怖症なんてことはない
だろうけど、何となく嫌な感じだ)
不安をよそに演技が始まる。最初は倒立や肩車、扇など、簡単なものが続く。
「あれ? 立島、何でこっちに」
六組の立島が腰に手を当て、ぶらぶらとした足取りで席を移動してきている。
「いや。何となく」
はっきりしない返事をし、前を向いたままの立島。その視線の先を追って、
すぐに理由が飲み込めた。
「−−ああ、前田さんが見やすいわけか」
「……実は、写真を撮っておいてくれと頼まれてて」
後ろ手に隠していたカメラを前に持ってくると、開き直った風に構えた立島。
「……あのさ、立島。フィルムに余裕があるならの話でいいんだけど」
「涼原さんか?」
ファインダーを覗いたままの立島の口元が、にやりと上を向く。
相羽は素直に肯定しておいた。
「うん。カメラ、用意してなかった」
「この組み体操じゃ、涼原さんは目立つ役だから、個人的に撮っておかなくて
も大丈夫だと思うぜ」
学校側の用意した撮影係に加え、写真部の活動もある。それをあとで注文し
て買えばいいのだが。
「念のために頼む。なるべく早く見たいしさ」
「分かった。ちょっと待ってろ」
カメラから一旦顔を離し、純子の姿を探す立島。位置を確かめそちらの方角
へ向け、二、三、シャッターを切る。
「やっぱ、心配になるのか?」
「何が」
立島の問いの真意を尋ね返す相羽。
「万が一、怪我でもしたら……ってことさ。涼原さん、モデルだし」
「それはもちろん、ある。ただ、モデルかどうかは関係ないよ。立島だって、
前田さんに対して同じ気持ちだろ」
「まあな。でも、彼女は」
と、前田の方を見やった立島。
「背が特に高いから土台役がほとんど、少なくとも落っこちるような目に遭い
はしないさ。涼原さんも結構身長あるくせして、遠野さんと替わったって?」
「そうなんだよなー。ほんの少しでいいから、自分を大事にしてほしい……」
嘆息する相羽の眼前で、女子の組み体操は徐々に難易度が上がっていく。二
段、三段のタワーが作られ始めた。
「あうー、よくも踏んづけやがって。いくら同じ女子でも、少しは気を遣えよ
な――とか言ってみたりしてな」
一番下で支える前田を見守りながら、立島が冗談ぽくつぶやく。土台となる
者は皆一様に下を向くので表情は分からないが、外からの印象として苦しそう
に見えるのは間違いない。
相羽も軽い調子で返す。
「替われるものなら替わってやりたい、とか? ――ぐっ」
その背中へ突然の衝撃。唐沢が膝を当てるようにしてのしかかってきていた。
見逃したくないのに邪魔をされて、相羽は勢いを着けて跳ね起きた。
「唐沢っ」
「前見ろ、前。涼原さんが倒立するぞ」
「もう倒立は終わった」
そう言いながらも、一応はちらと振り返る相羽。ちょうど人間タワーを崩し
たところだった。
「何で押すんだよ」
「特に意味なし。強いて言えば、見やすい場所を確保したくて、つい」
けろっとして言い放つ唐沢は、すでに体育座りをしていた。
横に立つ格好となった立島が、唐沢に聞く。
「唐沢ぁー、おまえは誰か撮っておきたい子、いる?」
「ん? おおっ、いいカメラじゃん」
本当に今初めて気付いたらしい。立ち上がってカメラをしげしげと眺める。
「いるんなら早く言えよ。フィルムの枚数を考えないといけない」
「ふむ……」
唐沢は相羽の方を窺うように見ると、やがて小さくうなずいた。
「いや、俺はいい。どうやら必要ないみたいだな」
「そうなのか?」
聞き返した立島だったが、よいシーンに差し掛かったのか、会話を放り出し、
改めてグラウンドへ向けてカメラを構える。
唐沢は今度は相羽へと接近した。
「相羽」
「また邪魔する気かな」
ともに組み体操を見物するため、真っ直ぐ前を見つめたまま、言葉を交わす。
「違うって。おまえさあ、涼原さんと一緒に勉強することあんの?」
「何だ? これまで何回かあったけど。おまえがいたこともあったぜ」
「そういう意味じゃなくてだな。受験に向けては、どうよ? 緑星対策を練る
というような」
「ああ、受験ね……。分からんてのが正直なところでして」
ため息のような返事をした相羽。視界の隅に、何とも言えない妙な風に顔を
歪めた唐沢が映る。
「分からんて、どういうこっちゃ? 折角のチャンスだぜ、涼原さんと机並べ
て勉強したくねえの?」
声量を抑える唐沢。
組み体操はクライマックスを迎えつつあった。号令に合わせて、一番の下の
土台となる大きな円ができあがり、今、二段目のための数人が登っていく。
相羽は、円の外で待機する純子の動きを目で追いながら、「したいけど」と
答えた。
「けど? 何か煮え切らないと言うか……」
「あっ」
「どうした?」
相羽の不意の叫びに、唐沢もはっとなる。相羽が指差していたのは、やはり
純子の姿。
――つづく