#4941/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/ 9/29 10:27 (200)
そばにいるだけで 40−8 寺嶋公香
★内容
「……まじで、僕には貴重な空き時間なんだ。後回しにしろよ」
香村の語勢がいくらか弱くなった。だが、相羽は首を横に振った。
「こっちも本当に重要な伝言だから、譲れない。一刻を争う」
相羽は純子に自転車の後ろに乗るように言った。
「あ、二人乗りは校則で」
「いいから」
そう言ったあと、「少しの間だけだから」と小声で付け足す。相羽がサドル
に跨ったのを見て、純子は足を揃え、腰を後部の荷台に。何も言われない内か
ら、手を相羽の胴に回す。
香村へ肩越しに振り返った相羽は、少しばかりおどけた調子で頼んだ。
「――カムリン。純子ちゃんの鞄を取って」
「何で僕が」
そうつぶやいた香村だったが、純子のためと思い直したらしい。素早い動作
で車の後部座席にあった純子の学生鞄を取り上げ、突き出した。
「サンキュ」
受け取った相羽は、自転車の篭に鞄を丁寧に置いた。斜めを向いた鞄の中身
が、かさこそ短い音を立てた。
「それじゃ、また」
「何が、また、だよっ。早く行けよ」
「そんなに怒るなよ。一ついいこと教えてやる。自分から打ち明けるつもりが
ないのなら、もっと化石の勉強をしておくように――以上」
相羽の口ぶりは今までにないほど、冷たく突き放した言いようだった。
「そ、それ、ど、どういう意味だよ?」
香村の何とも言えない渋面を見つつ、純子は走り始めた自転車の上、腕によ
り力を込めた。
自転車は百メートルと進まずに停止した。片足をつき、純子を振り返る相羽。
「どうしようか?」
「何が」
「校則違反を続けるかどうかってこと」
純子は無言で荷台を飛び降りた。相羽も自転車を降り、ゆっくり押し始める。
「――そうだ。相羽君、用事って?」
「ああっと……ごめん。用事なんてない」
純子から視線を逸らし、上目遣いになって頭を掻く相羽。片手押しになった
自転車の前輪が、動揺からか、ふらふらして定まらない。
「やっぱり」
およそ予想できていた純子は、文句を言うわけでもなく、微苦笑を浮かべる
に留める。
「ばれてた?」
「まあね。今の時期に仕事の話があるなんて、おかしいと思った」
「なるほど。でも……だまされてくれたのは、何故?」
両手でハンドルを持ち直した相羽。横目で純子の反応を待つ。
「それは……答える前に、相羽君こそ、どうしてそんな嘘をついたのよ。そも
そも、あんなに必死になって自転車で追いかけてくるなんて、普通じゃないわ
よ。何もなかったからよかったけれど、危ないったらないわ」
「てっきり、誘拐と思って」
「――あはははっ」
口を押さえつつも、笑わずにはいられなくなる純子。
相羽は不満そうに唇を噛みしめたが、何も言わず、純子の言葉の続きを待つ。
「あー、おかしい。もし誘拐だったら私だって、悲鳴あげてる。あんな大人し
く車に乗ったりしないってば。最初から見てたんでしょう?」
「見てたけど。刃物か何かで脅されて、声を出せない場合だってあるでしょ」
「……それもそうね。でも、警察に言わずに直接追いかけてきて、香村君が乗
ってるのを見たとき、びっくりしたんじゃない?」
意地悪な笑顔をなした純子。相羽は下から覗き込むようにされ、顔を背けた。
「さっきの言葉、取り消すよ。初めから香村だと分かっていた」
「え。そうなの」
「香村が強引に誘ってるように見えたから。純子ちゃんが嫌がってるように見
えたから。だから、つかまえて、急用があることにして……」
「ふうん」
相羽の行動の意味を知り、目を細める。
一方、相羽は純子の表情の変化をどう受け止めていいのか困惑している模様。
眉根を寄せて、探る風に尋ねる。
「もしかして、嫌がってなかったとか? それなら……」
「うふふ、嫌がるほどじゃないけれど、早く帰りたいなぁって思ってた」
純子の答が、相羽の硬い顔付きをほぐした。
「香村君てば、凄く強引なんだもん。波長が合わない感じ。あんまり話題にし
たくないこともあったし……。だからね、相羽君が来てくれて助かっちゃった」
「それは――よかった」
「あ、でも、一つだけ、惜しいことしたかも」
再度、相羽の頬の辺りが強張る。
純子は手を振りながら詳しく話した。
「そんな顔しないで。お茶飲みに行こうって言われてね、お菓子の専門店に向
かってたの。芸能人御用達だから、きっとおいしいわよね。その分、高いでし
ょうけど。どんなのだったのかなと思うと、少し惜しいかな、なんて」
「まったく……食べたいなら、今から僕が連れていく」
すぐにでも自転車に跨り、出発しそうな勢いの相羽。
一瞬だけ、それもいいかもと頭の中で思い描いた純子だったが、次には首を
左右に振る。
「しなくていいっ」
「本当に? うーむ、残念」
冗談めかす相羽は、ようようのことで普段の自分を取り戻した様子だった。
おどけた口調のまま、促す。
「やはり、このまま帰るとしますか」
「そうしましょ」
言って、二人ともくすくす笑った。
運動会は曇天で始まった。
湿度が低ければ運動するのにもお誂え向きなのだが、残念ながら空気はじと
っとしている。単に整列しているだけで、汗が肌ににじんでくるほどだ。開会
式を終えた段階で、早くも体操着が湿ってしまう。
「この調子だと、昼までに飲み切っちまう」
清水がそう言いながら、水筒の底を天に向けて喉を鳴らす。水筒の表面を水
滴が垂れ落ちていった。応援席のシートをわずかながら濡らす。
「飲み過ぎたらあとで汗が大量に出て大変なんじゃないか。……と言わなくて
も、野球部なら分かってるだろうけど」
「その通り、分かってる」
相羽の忠告に、口元を拭ってうなずく清水、そして大谷。
「応援しなさいよー」
純子は清水達と話し込む相羽の腕を取った。引いて、注意をグラウンドに向
けようとする。
「な、何で?」
座っていた相羽は中腰になり、純子を見返した。
グラウンドでは現在、二年生女子による競技種目、十八人十九脚が行われて
いた。確かに、紅白に別れての対抗戦ではあるものの、三年生がそんなに一生
懸命になって応援するものでもない。声の限り応援していたら、かえって変だ
ろう。相羽が不思議がるのも無理ない。
「恵ちゃんが出てる、ほら」
「ああ……。それは分かったけどさ、僕が応援やらなくても、あの子は純子ち
ゃんになついてるんであって」
「つべこべ言わないの。名探偵の生みの親として、責任取りなさい」
見下ろす格好だった純子は、椎名のクラスがもうすぐスタートだと見て、殊
更強く相羽の腕を引っ張った。半ば無理矢理立たされた相羽に、清水から冷や
かしの声が飛ぶ。
「何だかんだ言って――嬉しいんじゃねえの」
相羽は一瞬間だけ考え、小声で答えた。
「まあな」
清水が目を丸くし、やがて負けたという風に苦笑、ついには大谷と揃って馬
鹿笑いになった。
「何がおかしいの?」
しかと聞いていなかった純子。気もそぞろに尋ねる。だが、返事の前に、椎
名の組がスタート位置に着いた。目と鼻の先だ。
「恵ちゃーん! 頑張って! 応援してるから!」
歓声に沸き返る中、それでも椎名の耳には純子の声が届いたらしく、あやつ
り人形みたいなぎくしゃくした動きで振り返る。純子達に笑顔を向けようとす
るも、緊張した面持ちが見て取れた。
「頑張れー」
すっかりその気になった相羽が、大きく両手を振って声援を送る。と、突然、
純子に向かって、「髪、ちょっといい?」と聞いてきた。
「は? カミ?」
戸惑う純子の後ろに回り、今はストレートに垂らした髪を軽く握ってひとま
とめにする相羽。
「古羽相一郎も見てるぞー!」
途端に、椎名の硬かった表情が和らいでいく。
「……あのさぁ」
純子は髪を持たれたまま、これ見よがしに嘆息した。
緊張がほぐれたおかげとすべきかどうか、椎名達のクラスは誰も転ぶことな
く無事ゴール。ただ、記録としては十チーム中三番目に留まった。
念願の徒競走参加、しかも一着を獲得して純子の気分は最高潮に達していた。
「格好よかったです。どうぞ」
退場門を出たところで、椎名がわざわざ来てくれた。タオルを手に載せてい
る。応援のお返しの意味もあるのだろう。
「ありがと。でも自分のがあるから」
「使ってくださいよ。洗わずに取っておきますから」
「――」
動きを止めた純子に、椎名は真顔を一変させ、肘に腕を絡ませて来た。
「冗談ですよー、もう。いくら何でも」
「びっくりした。それじゃあ、いつか言ってた男子とうまく行ってるわけね?」
「……うまく行ってるんでしょうか」
薄いピンク色をしたタオルを弄びつつ、首を傾げる椎名。
「私が男子を苦手なのを分かってるからだと思うんですけど、桐島(きりしま)
君、何でも言うこと聞いてくれるんです。好みとかペースとかも私に合わせて
くれてるみたいだと、この間気が付いて。だから付き合い易いっていうのは確
かにあって、でも、そういうのでいいのかなあと思うようになって。私の理想
とは全然違うし」
「難しいことで悩んでるんだ?」
運動会に似つかわしいとは思えない話題に、純子はたまらず苦笑した。とり
あえず、タオルを受け取って汗を拭く。
「このままでいいんでしょうか。私、まだ涼原さんに、と言うか、古羽相一郎
に未練たっぷりなんです」
「……当の私が答えるのも変だと思うけれど、桐島君との付き合いをもう少し
続けてみるのがいいんじゃないかな。今度は恵ちゃんが相手に合わせてみると
か、桐島君に思い切り頼っちゃうとか、変化を付けて」
「それで何か変わります?」
疑わしげな椎名。純子は自信はなかったけれど、表情を明るくした。
「桐島君の違う面が見られるかも。委員長だって言ってたよね。きっと、普段
から凄く真面目なんだろうけど、頼られたら全く違う、頼もしいところが出る
んじゃないかしら」
「頼もしさっていうのは、理想の一つですね」
二度、うなずく椎名。返されたタオルに目もくれず、やがて大声で反応する。
「はい、分かりました。まだこれからも続けてみます」
「それがいいと思う」
「あの、そういうわけだから、涼原さんへのクリスマスプレゼント、できない
かもしれない……ごめんなさい」
「クリスマス……ああっ、セーター編んでくれるって、去年言ってたんだよね」
申し訳なさげにうつむく椎名の正面で、純子は両手を打った。
「いいよ、気にしてないよ。恵ちゃんも気にしないで」
「いつかきっと編みますから。絶対に涼原さんに似合う物に仕上げますから」
椎名の気持ちは、まだ古羽相一郎へ向けられているらしかった。彼女の瞳を
見ていると、作らなくていいとも言えず、純子はただ曖昧にうなずいておいた。
「見事な走りっぷりだったね」
椎名が立ち去るのを待っていたかのように、唐沢が話し掛けてきた。
「こうと分かっていれば、一年のときからずっと徒競走に出るべきだったのに、
惜しいことをしたもんだ」
「ふふ、ありがと。ところで、相羽君は?」
聞き返すと、唐沢の方は唇を尖らせ妙な表情を作った。
「何で相羽が気になるんだかなあ」
「え、別に深い意味はなくて、たいてい唐沢君と一緒なのが、いないから……」
「知らないよ。俺はあいつのマネージャーでも付き人でもないんだから」
唐沢のこんなぶっきらぼうな口調を、純子はこれまで聞いたことがない。意
外に感じて、息を飲んでしまう。
「ご、ごめんなさい」
「――悪い、そんなつもりはなかったんだ。ただ、俺は俺の用事があって」
「用事。聞かせて」
立ち止まって真剣な眼差しで相手を見やる純子。唐沢は、かえって気後れし
たみたいに言い淀んだ。
「ああっと、そんな改まられると言いにくいな」
「でも、真面目な話でしょ?」
――つづく