#4940/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/ 9/29 10:25 (200)
そばにいるだけで 40−7 寺嶋公香
★内容
「いいよ、お喋りしてる暇ももったいないでしょ」
純子が広げたノートの該当個所を、町田がせっせと写し始める。ただし、お
喋りの方もストップしない。
「しかしまあ、大事件だね。あいつが付き合いやめちゃうってのは」
「あいつって、唐沢君のこと? それは確かに……私もびっくりしたけれど、
大事件と言うほどでじゃないんじゃない?」
「これまでの全員を切ったんだよ。一部じゃなく、全部」
「全員……」
やっぱり大事件かも、と思い直した。
(そう言えば夏休みも、私達と一緒に遊んだ回数がこれまでより多かった気が
する。あれって、他の子達と遊びに行く回数を減らしたからかな)
納得仕掛けたが、不意に思考が立ち止まる。
「唐沢君は、私達とは遊んでたわよ。おかしくない?」
つい、町田相手に確認したくなる。
「何がー?」
頭をペンの尻でかきかき、町田が応じる。急に宿題の写しに専念する姿勢に
なったようだ。なるほど、休み時間の終わりが近付いている。
「だって、私達と遊ぶ暇があるくらいなら、元々付き合ってた子達と遊べばい
いと思う」
「多分、唐沢のやつが無理してるわけじゃないわよ。猛勉強しようとしたって
所詮は遊びたくなるから、手近なところで遊んでるだけじゃないかしらね。ま
ーったく、相手する私達の方の身にもなれって、あいつには言ってやりたい」
「そう?」
疑問が消えたわけではなかったが、町田の説明に追いやられる。
「純の考えすぎよ、考えすぎ。余計な心配せずに、あなたはあなたのためにな
ることをやっていればいいの。でないと、緑星、危ないわよ」
「……宿題写してる人に言われたくないんだけどなぁ」
下校路を一人急ぎ、公園の手前に差し掛かったときだった。青みがかった緑
のセダンが慎重な動きで寄ってきた。
ことさらに道の右端に寄った純子だったが、それでもなお接近してくる車に、
異変を感じて振り返る。
運転手のおじさんに見覚えはない。だが、サングラスを掛けた少年が助手席
に収まっているのを視認して、考えること約一秒。
「――あ。香村君」
麦藁帽子を阿弥陀に被った香村は、絵に描いたような田舎の少年のイメージ
を醸していた。一般のファンが見てもまず気付かないだろう。しかし、純子は
香村綸だとほどなく分かった。
香村は純子に気付いているようだが、窓から顔を出すこともなく、右腕を動
かした。肘から折り、後ろを指差している。
(乗れってことかしら)
想像はできたが、確かめようと助手席側に駆け寄った。案外大きな音を立て
て、窓ガラスが下がっていく。
「久しぶり。――かわいいなっ。制服姿を見たの、初めてだ。今、学校の帰り
だよね? 送ってあげるよ」
「あ、お久しぶりです」
香村の言葉の連射に対し、純子はまだ拭いきれない意外感のおかげで、ワン
テンポ遅れた返事になった。それに、香村から告白されたシーンが鮮明に蘇り、
今もエンドレスで続いている。
(……返事を求められたら困る!)
車に乗ったら当然、この話が出るだろう。純子はかすかにうつむき、ドアの
前で二の足を踏んだ。車体に自分の姿が短く縮められて映っている。
「どうしたのさ? 早く乗りなよ」
「でも」
「ははん、いつものいい奴じゃないから気に入らないかな。私用のときはこっ
ちを使うことの方が多いのさ。何たって、目立たないように注意しなくちゃい
けないからねえ」
サングラスの奥で目線を素早く動かす香村。往来を行く人に気付かれると面
倒なことになるのは、確かだろう。
「すぐ近くだから」
「もう、焦れったいな」
香村がドアを押し開けた。その勢いを保ったまま、純子の後ろに回ると、背
中に手を添えてきた。運転手に合図でも送ったのか、後部座席のドアがひとり
でに開く。
「え? あの、えっ?」
純子の戸惑い声も焼け石に水。後部座席に押し込まれる形になってしまった。
外装に比べて内側は立派で、クッションも効いているから痛くはなかった。た
だ、無理に押し込まれたショックが少なからずある。かつてない体験に、胸が
本当にどきどきしていた。
左隣には香村が澄ました表情で収まっている。間髪入れず、車は動き出した。
すかさず加速し、大きな通りを目指す。
「か、香村君!」
「ちょっと強引だったかい? でも、これぐらいしないとさ……時間がないん
だよね」
走り出してしばらくしても、香村は運転手に行き先の指示をしない。そもそ
も、香村が純子の自宅住所を知っているとは考えにくかった。
「あ、道順、言うから……」
「今日、涼原さんに急ぎの用事はあるのかな」
「え……っと。特には」
「それじゃあ、しばらくデート。いいね?」
有無を言わさぬ口調。純子の内から最初の衝撃は去り、今度はぽかんと呆れ
てしまった。
「だったら、こんなことしなくても、前もって電話してくれたら」
「だから、時間がないんだってば。急に決まった休みなのさ。こうして会いに
来た方が早いじゃないか。効率的にしないともったいなくって」
「それにしたって――」
強引だわと言おうとしたが、やめた。いつものことだと思った。
「六時までにして」
「門限はもちろん守るよ。ま、今からじゃあ、ドライブがせいぜいだな。お腹
空いてない? よかったらフランス料理でも何でも」
「あのね、香村君。それって矛盾してると思う」
「えー、どこが」
きょとんとした香村を見て、純子は肩を落とした。窓外の景色は絵巻物みた
いに流れて行くが、どこへ向かっているのだろう。
「私は六時に帰って、家でご飯食べるの」
「……かーわいい」
全然噛み合わない返事に、純子は拳を握った。これが同級生相手だったのな
ら、胸板の辺りを叩いてやったかもしれない。
「何言ってるんですかっ」
「僕の周りの子って、たいていタレントで、親が付き添いでいてさっさと帰っ
ちゃう人か、逆に時間が自由に使える人か、極端なんだよねえ。涼原さんはそ
の中間て感じだなあと、珍しくて」
「……とにかく、お料理はいりませんから」
きっぱり断り、前を向く純子。香村は粘った。
「お茶飲むぐらいならいいじゃない。ね?」
「子供だけだと」
「前みたいに、一人大人がいればかまわないだろ」
運転手を顎で示す香村。運転席の男は、まるで自動制御のロボットのように
運転だけに専念し、一切口を利かないでいる。
「フランス料理のレストランでデザートを食べるか、それが嫌なら菓子専門店
に行こう」
「はい?」
「ようし、レストランは次の楽しみに取っといて、菓子店にしよう。決まりね」
再びペースを握った香村は、さも愉快そうに笑い声を立てた。
(何にも返事してないのに、勝手に決めて……。一度、はっきり言わなくちゃ
いけないかな)
香村のことが別に嫌いになったわけではないが、芸能人である彼に慣れるに
従って、着いていけない部分も見え始めた。そんな具合。
(今さらだけど、こっちの世界には向いてないのかも、私。ああ、普通の中学
生に戻りたい気がしてきちゃったな)
香村へ顔を向けたが焦点を合わさずに、外へ目をやる純子。と、視界に自転
車が入ってきた。純子達の乗る車のすぐ横を走っている。うつ向きがちになっ
て懸命に漕いでいるのは……。
* *
偶然だった。
夕刻、仕事先から電話を掛けてきた母に買い物を頼まれ、自転車に乗って飛
び出した信一は、いつもよりゆっくり走った。そうすることで周りの景色がよ
く見通せる。気分転換も兼ねて。
しかし、リラックスを味わえた時間は、ものの三分もなかったろう。
公園に通じる十字路を行く刹那、その情景が目に飛び込んできたためだ。
「――純子ちゃん」
思わず声に出したのは、純子を見つけたせいではなく、彼女が車に乗せられ
る場面を目撃したから。
一瞬、誘拐かと思い、警察への連絡を考えたが、純子に続いて香村綸の姿を
認めて、それはないと判断できた。
しかし。
(香村の奴、どうするつもりだ?)
信一はハンドルを握る手に力を入れ、自転車を持ち上げるようにして向きを
換えた。漕ぎ出してしばらく続くとろとろした走行が焦りを産む。最高速に早
く達してくれ!
夕方の大通りは徐々に混み合い始めていた。
(よし、何とかなる)
* *
「停めて!」
大声が車内に轟く。運転手の肩がびくりと動いたようだ。
香村もまた唖然とした風に口を開け、純子へ振り向いた。
「何だい、一体……」
「相羽君よ!」
香村はまだ口を開いたまま、窓側へ首を捻った。
相羽は自転車を漕ぎながら、手を車へと伸ばそうとしていた。
「お願いだから、車、停めて!」
「――仕方ないな」
香村の声に、運転手が呼応する。さすがに急ブレーキは掛けずに、ウィンカ
ーを出しながらゆっくりと路肩へ寄せようとする。
相羽も気が付いた様子で、適当な地点で歩道へ自転車を入れた。
「無茶をする人だな」
ドアを開けるや、刺々しい声を投げる香村。ドラマなんかで見る演技ではな
い、本当に腹を立てている表情があった。
純子はそんな香村の背後に降り立ち、不安に胸を押さえながら見守った。
相羽からの応答はすぐにはない。前屈みになり、膝に両手を当てて、肩で息
をしている。息づかいが周囲の者にもしっかり届く。やがて前屈みのまま面だ
け起こした相羽は、汗を右手首で拭いながら、香村を見やった。だが、言葉は
まだ出て来ない。
「それで? 何か用かい?」
香村の口調は苛立たしげで、サボテンみたいに針を尖らせている。相羽はし
かし黙していた。
「相羽君」
無意識に足が前に出た純子。香村を避けて、相羽に駆け寄り、両手を差し出
す。背中に触れて、改めてその息の乱れと汗の量とを感じた。同時に、相羽の
必死さも充分に感じ取れる。
「どうしたの……?」
「君に」
相羽の喉はからからに渇いているらしい。しわがれた声だった。咳払いのあ
と、再び同じフレーズで始める。
「君に、急用があって……すぐに知らせなければいけない伝言が」
ようやく呼吸を整えかけた相羽に、香村がすぐさま反応した。
「じゃあ、さっさと済ませたらどうだい。僕はこれでも忙しいんでね」
「――」
相羽は純子の手をそっと払い、背筋を伸ばした。そして純子の姿を香村から
遮るかのように、二人の間に立つ。
「悪いが、ここで済ませられるような内容じゃない。涼原さんの仕事に関係し
ていてね、特に、同業者がいるとなれば、なおさら。ライバルに明かすわけに
はいかない。――純子ちゃん、帰ろう」
純子は手元に来た相羽の手を見つめ、反射的に握り返した。
香村がつんのめるように、前に進み出た。
「な、何をふざけたことを言ってる? 正気か?」
「ああ」
必要以上の答を返さない相羽。香村の怒りの火に油を注いだかもしれない。
「僕は貴重な時間を使って、涼原さんと過ごすんだ。邪魔しないでくれ」
香村の芝居がかった台詞に、相羽は少々吹き出した。
「涼原さんの時間を無理矢理奪っときながら、よく言うよ。時間は誰にとって
も貴重だぜ」
「……見ていたのか、公園の」
「ああ。運よく」
――つづく