AWC そばにいるだけで 40−6    寺嶋公香


        
#4939/5495 長編
★タイトル (AZA     )  99/ 9/29  10:24  (200)
そばにいるだけで 40−6    寺嶋公香
★内容
「おい、もう終わったんだぜ?」
「……どうして」
「うん?」
 目で尋ねる相羽。坂祝はどうにか落ち着いたらしく、深い息をついてから続
きを言った。
「どうして、そんなに恐い? 前、試合で見たときと全然違った」
「そんなことか」
 相羽は坂祝の二の腕をぽんぽんと叩いた。そして肩越しに純子のいる方を一
瞬見やる。
「涼原さんを恐がらせたから、お返しだよ」
 離れ際、気抜けした渋面と言えばいいのか、何とも表現しがたい顔になる坂
祝を見ておかしかった。
 当の純子は、手を握り合わせた格好のまま、ずっと見守っていた。が、相羽
が不意に笑むのを見て、手を下ろす。やっと安堵できた。
(よかった。これで本当に落着よね――あ)
 他の道場生や柳葉と二言三言、言葉を交わしていた相羽が、急に純子へ振り
返ると、駆け足でやって来た。
「えっ、え?」
 やっぱり気付かれてた!と思うと同時に、それでもなお身を隠そうと慌てて、
左右をきょろきょろ見回す。当然、道場に適当な物陰なんてないし、今さら隠
れたって手遅れ。
「来てくれて、あり――何してんの」
 真ん前に立ち止まり、怪訝そうに口をすぼめた相羽。腰に手を当て、目は笑
っている。
「べ、別にっ」
 赤らんだ顔を必死に振って、純子は否定した。
「心配で来たんじゃないからね!」
「……そっか。心配してくれたんだ」
 相羽は眉を寄せ、それから表情をほころばせた。相手をにらみつけていた試
合中とはまるで違う。たった今闘い終えたばかりとは思えないくらい、穏やか
に笑っている。
「ち、違うって言ってるでしょ」
「じゃ、何で?」
「それは……そうよ、心配してたのよっ」
 言って、横を向く純子。嘘をついても始まらないと思い直した。
 相羽が一段と柔和な顔付きになる。
「ありがとう。それで心配はなくなった?」
「……まあね。坂祝君と握手してくれたら、完全に安心できたんだけれど」
「僕はしたかったのに、向こうが逃げちゃってさ。うーん、試合でやりすぎて
しまったらしい」
「……ねえ、随分早く終わったけど、坂祝君て、強くなかったの?」
「そんなことはないよ、多分ね。ルールに不慣れだったのが大きいんじゃない
かな」
「じゃあ、私の気のせいか。何か、今日の相羽君は恐い感じがした。凄みがあ
ったって言うの? ぴりぴりしてたように思えたのよね。勘違いしちゃった」
 純子は後頭部に両手を回し、ごまかす風に笑みを作る。
 対する相羽はまずきょとんとし、次に肯定の意を示した。
「よく見てるなぁ。当たってる」
「え」
「試合では一秒でも早く、あいつを参ったさせようと思ってた。……これでも
怒ってたから」
 そう言い置くと相羽は、純子に問い返すいとまを与えず、きびすを返した。
床の板が音を立てる。
「あ」
「着替えてくる。時間あるなら、待ってて」

 試合をこっそり見て、こっそり帰るつもりだったのが、今、相羽と並んで歩
いている。
 何でこうなるのかしらという思いがなくはなかった。
 けれども、歩き始めてしばらくすると、そんな疑念は跡形もなく消え去って
いた。消え去ったこと自体、意識しなかったかも。
「あの、坂祝君は?」
「気になる? 一人で帰ったよ」
 言って、スポーツバッグを振る相羽。
「柔斗に入らないかって誘ったんだけど、返事もらえなかったな」
「……いくら何でも、試合の直後にそんなこと言っても、うまく行くわけない
わよ。うまく行ったら、ドラマか漫画だわ」
「それもそうか。ははは」
 笑うようなことかしら――純子は前を向いたまま小首を傾げた。
「相羽君。それで、さっきの続きだけれど……何を怒ってたって言ったの?」
「その話は、もういいでしょ」
「よくない。気になる言い方しといて、途中でやめられたらたまんない」
「気になって、勉強も手に着かないって?」
 また笑う相羽。
 純子は大真面目にうなずいてやった。
「そうねっ。そうなるかもしれない。だから、早く答えること」
 相羽は最後の踏ん切りを付けるかのように、遠くを見やりつつ、頭に手をや
った。「まあいいか」とつぶやき、答え始める。
「つまり……意味もなく女子を恐がらせる奴は嫌いなんだ」
「……はぁ」
 どんな話が聞けるのか期待していた純子は、気が抜けて、頼りない応答をし
てしまった。
「君の目の前で坂祝の奴、江口に喧嘩を仕掛けただろ」
「あ。あのときのこと。……そんな理由で試合受けたわけね」
「うん」
 合点が行った純子。確かに恐かった。相羽が有無を言わせぬ勝ち方にこだわ
ったのは理解できるし、自分のためにそうしてくれたのも多少は嬉しい。
「気持ちは分かるけど、ほどほどにしてほしいな。私、気が気でなかったんだ
から」
「試合で喧嘩するはずないから、安心しててよかったのに」
 相羽が気楽な調子で言った。バッグの振りが大きくなった。
 純子はしばしうつむき、言葉を考えた。
「――私は武道の試合してる相羽君よりも、ピアノや手品をしたり、料理作っ
たり、サッカーで走り回ってる相羽君の方が好きよ」
「――」
 相羽はバッグの動きを止め、純子を見返した。まじまじと、まさしく凝視す
るような。
「あ、あのっ」
 両手を振って訂正を加える純子。少し、焦る。
「武道をやってる相羽君がだめって言うんじゃないのよ。試合のときも格好よ
くていいんだけれど、それ以上に、ピアノとか手品とかしてるのが、あなたら
しいというか……」
「ふむ」
 表情をいつものに戻し、相羽は淡々とした体でうなずいた。次に一転、含み
笑いを浮かべつつ、斜め前方を見上げる。髪をかき上げながら言った。
「だったら僕は、タレントをやってる純子ちゃんよりも、普段の純子ちゃんの
方が好きだな」
 途切れる。
 間ができた。
(何、この沈黙は……)
 純子には、この静かな間が必要だとは思えない。
 今度は純子が相羽を見つめる番だ。
 相羽は見られているのを明らかに意識し、台詞を付け足した。
「……と言っておくよ。なお、タレントしてる君も格好いい――」
「もうっ」
 純子は皆まで言わせず、相羽の背中をきつく叩いた。前のめりに数歩進んだ
相羽に向かって、さらに言葉をぶつける。
「冗談言うために、そんなに長くとぼけないでよね。小さな子供じゃないんだ
から、まったく!」
「全部が全部、じょ……ま、いいや」
 バッグを持つ手を替え、バランスを取り直した相羽が、純子へ振り返りざま
語尾を濁す。
「とにかく、僕もこれで集中できる」
「何に?」
「あ? ああ、受験に、だよ。当然」
 戸惑いをかすかに覗かせた相羽だったが、すぐにそれを笑顔で覆い隠し、念
押し口調で答えた。
「いいわねえ。できる人がさらに余裕あるなんて、不公平な感じ」
「別に余裕があるわけでは」
「いいの。私の方は忙しくてたまんないんですから」
 ため息を交え、投げやりな調子の純子に、相羽は訝しげに眉根を寄せた。
「おかしいな。モデル以外で忙しくなることってあった? 写真撮影は一区切
りついたはずだろ?」
「演劇に出ることになったのよ。おばさまから聞いてない?」
「いや。演劇ってどこの?」
 相羽の次から次への質問に、純子は苦笑をひとまず返した。
 気負い込んでいたことに気が付いたのか、相羽は咳払いをして、一息入れる。
またもやバッグを持ち替えた。
「どこかの劇団の劇とは考えにくいから……学校の演劇部か!」
「当たりよ。推理通りね」
「当てずっぽうだよ」
 純子が小さく拍手したのに対して、へし口を作る相羽。純子の劇出演が気に
入らないのがはっきり分かる。
「どうしてそんなことに」
「ほんとは引き受けつもり、全然なかったのよ。舞台劇なんて経験ゼロに等し
いから、引き受けるなんておこがましい真似できない。だけど、部長の飛鳥部
さんにうまく乗せられたみたい」
 自覚はあるのでそう答えておく。
「乗せられたって、おだてられたのか。テレビドラマに出て、上手だったとか」
「違うわよ」
 さすがに口調がつっけんどんになる純子。
「確かにお世辞は言われたけれど、それに乗せられたという意味じゃないわ。
えっと、泣き落としにやられたのよっ」
 相羽が目をしょぼしょぼさせた。二秒後、吹き出す。
「何て? 泣き落とし? あはははっ、それはすごいな」
「わ、笑いごとじゃないっ。これでも私、焦ってるのよ。今さら断れないし、
下手なことできないし」
「飛鳥部さんと言った? その人に負けない演技で、うまく断れば?」
「それができたら、どんなにいいかしら。ううん、それ以前に、引き受けて悩
む必要なくなるじゃないの!」
 落ちが付いたところで、この話はひとまず棚上げ。でも文化祭の話題は続く。
「それじゃ今度の文化祭、大変だ。クラスの出し物に演劇。調理部の後輩達の
活躍も見守らないといけないしさ」
「忘れかけていたけれど、喫茶店でウェイトレス役をやんなきゃいけないのよ
ね……演劇が忙しいからなしにしてもらえないかな。逆でもいい、喫茶店が忙
しいから演劇なし」
 大きく伸びをする風に天を仰ぎ見た純子。そのそばで、相羽が小さく笑った。
「何がおかしいのよ」
「おかしいんじゃないよ。ただ、君のことだから、どうせ全部引き受けて、何
だかんだ言いながら結局はこなしちゃうんだろうなと思ったから」
「プレッシャーかけないでよ、お願いだから!」
「――そうだ。調理部のために、またまたあの格好になるかも」
「もしかして、それ、フラッシュ・レディ? そこまで面倒見切れないよぉ」
「その前に運動会もあるね」
「やめてー」
 両手の平で耳をふさいだ純子の隣で、相羽は幸せそうに笑っていた。

 唐沢にも変な噂が立っていた。正しく言うと、噂ではなく、れっきとした事
実に関する評判、である。
「まあ、俺達としちゃあ、ありがたいことではあるかな」
「そうそう。不公平の解消だ。唐沢ばかりに集まっていたもんな」
「それに、女子のためにもなるんじゃないんじゃないか」
 順に、清水、大谷、柚木の会話。その輪へ町田が首を突っ込む。
「その話って、あれが――唐沢君が付き合い全部切ってるっていう?」
「ああ。女子も知ってるとなると、いよいよ本物なんだなあ」
 柚木の表情が信じられないと言っている。大きな身体を縮めるように、首を
振り、傾げた。
「私も話には聞いてたけれども。うちのクラスの女子にも、『唐沢君て急に勉
強家になって、遊んでくれなくなったよー』なんて、大げさに騒いでるのがい
たから。でも、まさか本当だったとはねえ」
「芙美」
 一緒になって腕組みをし、首をひねる町田に、純子が背後から呼びかける。
「立ち止まってないで、早く。古文の辞書とテキスト」
「そうであった」
 妙な口調の受け答えをして、町田が歩き出す。古文の用意を一切合切家に忘
れてしまった彼女は、純子を頼って五組にやって来たところだった。何でも昨
晩、宿題を苦労して片づけたあと、鞄に仕舞わずに眠ってしまったらしい。
「ついでに写していい? 今から自力でやってもとても間に合いそうにない」

――つづく




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