AWC そばにいるだけで 40−10   寺嶋公香


        
#4943/5495 長編
★タイトル (AZA     )  99/ 9/29  10:29  (200)
そばにいるだけで 40−10   寺嶋公香
★内容
「ほら、遠野さんが登るのをサポートしてる」
「はぁ?」
「それに、危なくないよう、二段目の人の肩の組み方に指示を出してるのかな、
あれは。さすがだね」
「……すかされたような気がする」
 唐沢がそう言ってもなお、相羽は話を逸らしたままに徹した。
(悪いな。詳しいことは言いたくないんだ、まだ)
 結局のところ、組み体操最後の見せ場は問題なく完成した。
「立島。ちゃんと撮っておいてくれよ!」

           *           *

 純子に限って言えば大きな失敗どころか小さな失敗もなく、今年の体育祭は
最高だった。最後の種目である三年男子の騎馬戦で紅組が勝利した結果、紅白
対抗戦も三年目にして初めて勝つことができた(正確には、勝ちチームである
紅組に入っていた、とすべきかもしれないが)。心配された天気も夕方には晴
れ間が見え始め、いい形でフィナーレを迎えられそうだ。
 最後はフォークダンスだ。閉会式が終わり、フォークダンスの準備が整うま
でに、まだ時間を要する。
「相羽君、見てくれてた?」
 机を体育館へ運び入れる道すがら、純子は相羽をつかまえて聞いた。さっき
の組み体操で入場するとき、相羽の姿が応援席になかったことが気に掛かって
いたのである。
「見てたよ。いつ落ちるんじゃないかと、それはそれは冷や汗もので」
「失礼しちゃうな、もう。でもね、もしもモデルの仕事があとに控えてる、な
んて状況だったら、意識しちゃってかえって失敗してたかもしれないわ。仕事
が休みで、思い切りできた」
「だったら、文化祭も問題なし?」
「――それとこれとは話が別よ」
 演劇の一件が頭をよぎる。約一ヶ月の練習で、本当に形になるものなのか、
不安が大きい。
「こんなところで立ち止まられると、邪魔なんですけど」
 純子の腰の辺りに机の縁が当たった。その机を持つのは白沼。憮然とした顔
付きで立っている。いや、歩みを緩めただけだった。
「あ、ごめん――」
「早く済ませなきゃいけないって、分かってるでしょうに」
 険しい表情だった白沼だが、相羽の方へ振り向いた時点では笑顔になる。
「ダンス、楽しみだわ。よろしくね」
 それだけ言い残し、軽い足取りで行ってしまった。
(相変わらず、目の敵にされてるのよね……)
 腰をさすりながら白沼の後ろ姿を見送る。
(修学旅行のとき、仲よくなれるかなと思ったんだけど)
 息を深くついた純子に、相羽が苦笑混じりに声を掛ける。
「白沼さんの言う通りだね。早く片付けよう」
 結果から言えば、急ぐ必要はなかった。放送部の手違いがあったらしくて、
全ての机を運び終わってもフォークダンスを始められる準備は整っていない。
「あれー? 行き違いになっちゃったかな」
 純子は木の柱に手をつきながら、周囲を見渡した。調理部の三年生みんなと
一応ここで落ち合う約束をしていたのだが、事前に危惧していた通り、各クラ
ス毎の流儀の違いもあって、うまく会えないでいた。無論、同じクラスの相羽
はすでに一緒であるが。
(ま、いいか。会えなければ直接グラウンドに出ることに決めてたし)
 念のため、ぎりぎりまで待ってみることにする。しゃがみ込み、柱から伸び
るコードを指先で弄び始めた。
 運動場では放送部部員だろうか、忙しない雰囲気で十数名が走り回っている。
ぶつかりそうになる人もいた。
「遅くなるな、この調子だと」
 相羽が腕組みしながら言った。膝を抱えた姿勢のまま、純子は見上げ、振り
返る。
「いいじゃない。楽しかった一日の終わりが、それだけ長くなるわ」
「純子ちゃんにとっては、楽しい運動会だった?」
「ええ。相羽君はそんなこと言うからには、楽しくなかったの?」
 他人事ながら納得できず、立ち上がった純子。
「体育祭は楽しかったよ。ただ、来てる人が……」
「そっか。おばさま、来られてなかったんだ」
 理解したつもりの純子が大きく首肯したのに対し、相羽は「いや」と即座に
答えた。
「母さんは確かに来てなかったし、それは残念だけど、今の話とは違う」
「? じゃあ、どういう意味?」
「はっきりとは言いにくいんだけどな。要するに、会いたくない人と会ってし
まったという……」
「もしかして、また誰かと喧嘩――」
「そんなんじゃないよっ」
 相羽は否定の調子の強さとは裏腹に、明るい笑みを浮かべた。純子を安心さ
せたかった故かもしれない。
 純子は好奇心を覚え、少し考えてみた。
(はっきり言いたがらないってことは、説明が面倒ってことかしら? となる
と、それは私が知らない人であって……)
「その人、あなたが小学生のときの知り合いじゃないの?」
「はい?」
 純子が考えをぶつけてみると、当の相羽の反応は目を丸く見開くというもの。
純子はさらに聞いた。
「転校してくる前、一緒のクラスだったとかさ。あ、ひょっとして、泣かせた
女の子なんじゃない?」
 最後のフレーズはもちろん冗談だった。
 相羽の方は、力が抜けたみたいにため息を何度か立て続けにした。
「あのさ、純子ちゃん」
「ん?」
「僕の好きな子が、前の小学校にいたと、今でも思ってるわけ?」
「え、ええ、まあ、何となく。だって、白沼さんとかが言い寄ってきても、ほ
とんど取り合わないじゃない」
 右の人差し指を立てる純子。相羽は再度ため息。
「それ、間違ってると言ったはずだよ」
「ほら、よくあるじゃない。照れ隠しっていうやつじゃないかなーと」
「――もう我慢の限界。言ってやるよっ」
「え?」
 急に相羽の口調が変化した。鋭さと激しさを含んだその声に、純子は気後れ
し、思わず身を固くした。
 相羽は顔をほんの少し赤くして、同じ調子で続ける。
「前から知りたがっていただろ。僕が誰を好きなのか。今、教えるから、よく
聞いててくれよ」
「う、うん」
 空唾を飲み込んだ純子。耳を澄ませる。
 相羽は勢いに任せたように止まることなく続けた。
「僕の好きな人は――」

(何だったのかしら)
 フォークダンスの音楽が流れ出す直前まで、純子は相羽のいる方向を見てい
た。観察していたと言ってもよい。
 先ほどのことが脳裏に去来する。相羽の好きな人の名前がその口から発せら
れる寸前、思わぬ邪魔が入った。
(スピーカーの真下で話していたのに気付かないでいたなんて、お互い、間が
抜けていたわ。いきなり大きな声で『あー、あー。只今マイクのテスト中!』
って流れ出すから、飛び上がっちゃった。
 おかげで相羽君、喋る気をなくしたじゃないの。あと少しで聞けたのに、惜
しいことしたなぁ)
 慨嘆と表現するのは大げさかもしれない。だけど、純子にとって長い間、そ
れとはなしに気になっていたことだけに、聞けなかったのは痛い。
(他の男子が知ってるかも。修学旅行とか林間学校なんかで、そういう話をす
るのが恒例みたいだから)
 正面立つ最初のペアの男子−−唐沢に視線を移す純子。目が合った。
「ん? そんな見惚れるほどかな」
 唐沢が目をそらし、笑いながら顎を撫でる。
「てな冗談はともかくとして、何か話があるなら、ダンスが始まる前に言って
ほしいな」
「うーん。あとでいい」
 純子の返事と同時に、オクラホマミキサーのメロディが流れ始めた。
 唐沢はさすがに慣れていて、ぎこちなさは微塵もなかった。自信たっぷりと
言った風情で純子の手をやさしく握る。女子を相手にして全く緊張していない。
普段の成果が出たようだ。
「さっき、誰を見てたん?」
 踊りの最中に唐沢が聞いてきたので、純子はびっくりして答が一拍遅れた。
「相羽君だけど」
「やっぱり。何で?」
 図らずも、先ほど「あとでいい」と言ったにも関わらず、掘り返す形になっ
てしまった。だが、純子はついでとばかり、ストレートに話した。
「相羽君の好きな相手、聞き損なって。唐沢君、知ってる?」
「――いや」
 肩をわずかにすくめた唐沢。ワンフレーズがもう終わりそうだ。
「んじゃ、またあとで」
 手が放れる間際、唐沢はそう言ってウィンクした。少しでも多く純子と踊り
たいと言って、ダンスの並びを変えてくれるよう頼みに来ただけに、楽しげに
口元に笑みを浮かべていた。
(唐沢君も、よく分かんないとこある)
 次の相手と踊りつつ、そんなことを考える。
(どうして、今まで付き合ってきた子じゃなくて、私なんかと踊りたがるのか
しら?)
 やがて相羽とのペアになった。最前の一件があるせいか、どことなくよそよ
そしい。目こそ純子をしっかり見ているものの、手の握り方が遠慮がちだ。
 純子はだめで元々と、思い切って尋ねてみた。
「言う気はもう失せた?」

           *           *

(今度も言えなかった、な……)
 フォークダンスが始まるまでの短い時間、相羽は周りの男子と言葉を交わす
こともなく、一人で考えていた。
(急に放送が流れたときは、ずっこけそうになったけれど……あれでよかった
のかもしれない)
 思い出し、ほんのかすかな苦笑いをする相羽。
(酒匂川の人が来たせいで、自分、知らない内に焦ってしまってたみたいだ。
それに加えて、純子ちゃんにあんな風に思われていたんだと知ったから……本
当に我慢の限界を感じて……勢いに任せて、純子ちゃんに言おうとしてた。言
えそうだった。
 でも、少なくとも今日は言えなくてよかった。放送に邪魔されたのは、今日
はやめておけっていう暗示だ。そう思うことにしよう。打ち明けるのは、きち
んと心の準備ができたときでいい)
 心に決めると、晴れやかになった。気分も、表情も。
 すると今度は自分の単純さに思わず笑みがこぼれ、一層爽やかになる。それ
は持続されて、フォークダンスが始まったあとも、やさしい気持ちでいられた。
 とは言え、純子を相手にする番が巡ってくると、少しばかり感情の湖に波風
が立つのは仕方あるまい。
 ことさらやさしくしようとして、手に力が入れられないでいた。
 そんなとき、純子の声が聞こえる。
「言う気はもう失せた?」
 一瞬、鼻白んでしまった。だが、すでに心の決着はすんでいることだ。程な
くして笑みを取り戻すと、相羽は囁き声で応じた。
「――いや」
「え。じゃあ」
 純子の目が大きくなったように見えた。相羽はそっと首を振った。
「今は言えないけれど、いつかきっと言うよ」

           *           *

「今は言えないけれど、いつかきっと言うよ」
 相羽の返してきた言葉に、純子はまず、がっかりした。肩透かしをされたよ
うな心持ちになる。
 でも、次には安心していた。
(聞けなくていい。聞くのが恐いような、そんな風に感じる……え?)
 安心している自分に気が付いて、純子は慌てて息を飲んだ。
(どうして私、ほっとしてるんだろう? 恐いって、何が? 郁江や久仁香や
遠野さん、白沼さんのことを思ったから……とはちょっと違うみたいな気が)
 頭の中に急に張り出してきたもやを、なかなか振り払えないでいる。いつの
間にかうつ向きがちになっていた顔を上げる頃には、相羽とのダンスは終わり
を迎えようとしていた。
「あ――」
「もう一回、踊れるといいね」
 相羽が言い置き、つないでいた手が離れた。

――『そばにいるだけで 40』おわり




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