AWC そばにいるだけで 40−2    寺嶋公香


        
#4935/5495 長編
★タイトル (AZA     )  99/ 9/29  10:18  (200)
そばにいるだけで 40−2    寺嶋公香
★内容
「連れ戻されてもいいので?」
「昔々のどこかの王家ならともかく、私達の身にそんなことは起こり得ません
し、させません」
「では……仕方がない」
 奥寺は不意にあきらめよく言った。ただ、右の拳で手の平をぽん、ぽんと叩
く動作が気になる。脅迫行為に未練を残しているのか、他の道を模索してるの
ではないか。相羽はそう思った。
「酒匂川家にお伝えしたい言葉があれば、承っておきましょう」
 伝票を持ち、席を立ちながら奥寺が言う。
 相羽の母は先に自分達の飲み物代をテーブルの端に置いた。課税分を含め、
一円の過不足もない額を。
「あなた方の信条というやつですか。では、これは受け取っておくとしましょ
う。それで伝言は?」
「奥寺さん、あなたが私達に接触したことを、酒匂川の人間は快く思わないで
しょう。ですから、あなたは私達の言葉を向こうに伝える気はないんじゃない
ですか」
「……あなた、普通の奥さんとは違う」
 通路に突っ立ったまま、小さな拍手をする奥寺。信一は嫌悪感から若干鼻白
んだ。
 奥寺は肩をすくめて言葉を続けた。
「私の言葉を鵜呑みにしない。そこまで読まれているとは、参りますね。まあ
確かにその通りで、伝言する気はありません。接触したことを依頼者に知られ
ると私の失点になってしまう」
「伝えなくても結構です。ただ、聞くだけ聞いてもらってもいいわ」
 ほんの少し、挑戦的な感情を覗かせながら、相羽の母は押し殺したような口
調で言った。
「あなた達は身勝手すぎる、と」

 嫌な時間を過ごし、店を出た直後、信一は母に尋ねた。
「よかったの?」
「あれ? 信一は反対?」
 駐車場に入り、愛車へ向かいながら母が苦笑する。
「反対じゃない。僕も同じ気持ちだよ。でも、あんな簡単に、報告していいな
んて言ってしまって、大丈夫かな……」
「同じことよ。あの男の要求を受けたとしても、酒匂川家にこっちの居場所が
伝わらないという絶対確実な保証はないもの。そうでしょう?」
 鍵のキーホルダーが音を立てる。ドアが開いた。乗り込み、「うん」と返事
する信一。
 母は先ほどまでの厳しい表情を緩め、冗談を言った。
「それに要求を受けていたら、真っ先に純子ちゃんの秘密を話さなきゃいけな
くなるわよ。久住淳の正体をね」
「……それなら別にばれてもいいさ」
 半分の本心と、半分の強がり。
 母が首をわずかに傾け、信一に問う。
「どうして? 大変なことよ」
「僕は、純子ちゃんに早く辞めてほしいんだ。ばれたら、引退できる」
「ふふふ、それなら信一がばらしちゃえばいいじゃない」
「――早く帰ろうよ」
 言って、窓の外に視線を向けた信一。目元付近がかすかに赤くなっていた。

           *           *

 学校からの帰り道、純子が一人になるのを待ちかまえていたかのように、女
生徒が後ろから話し掛けてきた。
「すみません、いいでしょうか、涼原純子さん?」
「――はい、何ですか」
 穏やかな物腰につられて、純子も同じような口調になり、振り返る。そこに
は、目鼻立ちのはっきりした、西洋のお人形みたいな女の子が立っていた。制
服や鞄で同じ学校の生徒だと知り、緊張感が和らぐ純子。
 相手が形のよい唇で名乗った。
「初めまして、涼原さん。三年七組の飛鳥部と言います。演劇部の現部長です」
「あ、はい、思い出した」
 手の平を合わせた純子。文化祭の劇で見たことがある。二年生にして大きな
役をもらって、うまくこなしていたから印象に残っている。
 純子の台詞をどう受け取ったのか、飛鳥部のきれいな表情に、わずかながら
しわが寄った。
 この時点で二人とも足を止めていたのだが、奇妙な間ができた。
「あの」
 純子から口を開くと、それに覆い被せる風に、飛鳥部が話を切り出した。
「ぶしつけだと承知の上で、お願いがあるんです。聞いてもらえます?」
 丁寧な口調が続くが、態度は毅然としている。それが逆に純子の不安をかき
立てた。
「あ、それは……とにかく話を聞いてみなくちゃ」
「我が部が毎年文化祭で劇をやるのは、知っていると思いますけど……?」
「もちろん。去年、王女様の役をしていたでしょう、飛鳥部さんは? 同じ学
年で凄いなあって、とっても印象に残ってる」
「どうもありがとう。演劇部では、三年生は文化祭での出し物を最後に引退す
る形を取っていて、私達もいい劇を作りたいと考えているの」
 段々と口ぶりがほぐれてきた飛鳥部。その代わり、舌の回転も速くなった感
じがする。
「例年以上によくするにはどうすればいいか、考えて出した結論が、プロの人
に加わってもらうこと」
「プロ……って、まさか!」
 こんと乾いた音がした。鞄を膝で蹴飛ばした音だ。
 全身を強張らせる純子の目の前で、飛鳥部は微笑を作って静かにうなずいた。
「噂で知りました。同じ学年に、テレビドラマに出演した人がいると。残念な
がらその番組自体は、私は見逃しましたけれど」
 見逃してくれてよかった……などと喜んでいる場合でない。
「そういう凄い人に、今年の劇にぜひ出てもらいたいなあって考えたんです」
「す、凄くないよ、全然。たまたま縁があって出させてもらったようなものだ
から」
「でも、プロの方達から演技指導を受けたんでしょう?」
「それは……うん。だけど、短い間だけだし、身に付いてないと思うし」
「プロの俳優と一緒に演技したというだけで、大変な経験をしたと言えるわ。
うらやましい。その経験を、私達にも分けてほしい、それだけのこと。簡単じ
ゃありませんか?」
「……」
「ひょっとして、涼原さんもプロだから、出演料が必要ですか」
「ううん! それはないっ」
 激しく頭を振って、必死に否定。
「ただ、劇に出るのは……他の部員の人達が嫌がるわ」
「いいえ、とんでもない。私の言葉は部員の総意と受け取ってくださいね。み
んな、涼原さんを歓迎します。まあ、中にはミーハーな子もいますけど。いい
でしょう?」
「あ、あの、受験があるから忙しくなる……」
「そんなもの、三年生はほとんどみんな同じ条件よ。それでも演劇部では毎年
見事にこなしてきたんだから」
 そんなこと言われても。
 純子は出かかった台詞を飲み込んだ。相手の口が止まらないため、そうせざ
るを得なかった。
「忙しいんだったら、演技指導だけでもかまわないんです。涼原さんがドラマ
撮影のときに受けたレッスンを、私達に伝授してくれれば、演劇部にとって財
産になるわ」
「伝授。財産」
 笑ってしまいそうになった。あまりの大げささに、驚きを通り越して唖然と
する。
 飛鳥部の表情を観察すると、口元は微笑んでいるが、目はそうでなかった。
どうやら本気らしいと窺えた。
 どうしようと悩んで、純子の返答が遅れると、飛鳥部はさらに重ねて言った。
「引き受けてもらえませんか? これだけ頼んでもだめということは、あれな
んですね。中学の演劇部なんて馬鹿馬鹿しい、子供のお遊びに付き合うような
暇はないって。そう思ってるんだ」
 言うだけ言って、斜め下に視線を送る飛鳥部。眉間にしわができて、目尻が
下がり、今にも泣き出しそうな顔に見える。その上、片手で口を覆った。
「そんなこと思ってないわ。ただ――」
「じゃあ、引き受けてくれる?」
 飛鳥部の間髪入れぬ要請に、純子は反射的にうなずいてしまった。
 あっ、と開けた口に手の平をあてがったがもう遅い。飛鳥部は手を打って喜
んでいた。
「決まりね! それじゃあ、詳しいことはあとで連絡するわ。待っていて!」
 演劇部部長の名演技にしてやられた、のかもしれない。

 クラスの中で相羽だけ、個人面談や親を加えた三者面談が臨時に行われてい
る。それも何度も。
 そのことは以前よりちょっとした話題になっていた。はっきり表面化したの
は、臨時面談の回数が三度となった昨日今日のこと。
「やっぱ、かしこいと、他とは違うのかね」
「だけど、それなら白沼さんとかも面談回数が増えていいんじゃない?」
「白沼さんは早くから緑星一本に絞っているから……」
「うん? 俺の聞いた話じゃ、相羽も緑星らしいぜ」
「もしかして、他のもっと凄いところを受けさせよう、なんて話になってたり
して」
 勝手な憶測による噂が立ち昇り始めていたが、まだ本人に聞いた者はいない。
「ねえねえ、純ちゃんはどう思う?」
「ん?」
 髪留めのゴムを口にくわえていたため、純子の返事はくぐもったものになっ
てしまった。この日最後の授業である体育が終わり、髪をまとめ直そうとして
いた矢先、富井と井口がやって来たのだ。
「何のことよ、いきなり?」
 ゴムを机に落とし、髪を一旦振りほどく。
 富井の先の問い掛けに、井口が焦れったそうに言い足した。
「相羽君のこと。面談の回数が異常に多いと聞いたんだけれど」
「ああ……」
 純子自身、気になってはいた。直接本人に聞いてみようかなと思ったことも
何度かあるが、立ち入るのも悪いと心にブレーキを掛けていた。さらに、夏休
み中の出来事が拍車を掛ける。
(ああいう意味深な言い方をされちゃうとね。関係あるのかどうか知らないけ
れど、相羽君が話したくなるまで待つしかないじゃない)
「分からないわ」
「それだけ? 一緒のクラスなんだから、具体的に何か知ってないの?」
「相羽君も牟田先生も何も言わないし、根掘り葉掘り聞くのもどうかなって思
うもの」
 ゴムを手に、再び髪を結わえようとする純子。今度はうまく行った。
「思うんだけどさあ、志望校を変えようとしてるんじゃないかしら、相羽君」
 富井が複雑な表情で述べる。そう言えば、彼女も多少の無理は承知で緑星レ
ベルに追い付こうと悪戦苦闘しながらも頑張っている身だ。相羽が目標変更す
るなら、富井や井口にとっても重大事。
「そう思う根拠は?」
「根拠なんてないけれど、今の時期、面談を何回もしてるってことはぁ、進路
についてもめてるんじゃない? 相羽君の成績でもめるからには、志望校のラ
ンクを下げようとしているとかさあ」
「それを先生が引き留めようとしているわけ」
 井口が言い添えた。当たっているか否かは別として、辻褄のあった推測では
ある。たった一点を除いては。
「何で志望校のランクを下げる必要が?」
「うーん、そこなんだよねぇ」
 途端に口調が滑らかでなくなる。富井と井口は仲よく腕組みをして首を捻っ
た。やがて富井がにんまり笑顔になり、
「私の成績に合わせてくれたのかな、なんちゃって」
 と軽い調子で言う。聞いている方は力が抜けた。
「ねえ、同じ緑星を狙える純ちゃんとしては、何か思い当たる節はない?」
「うーん……正直言って、人の心配をできるほど余裕ないのよー」
 相羽が何かで悩んでいるらしいことをも言い触らすまいと心に決めている純
子。だから本当は心配していても、その気持ちを隠さねばならない。
「急に忙しくなった感じで、一応は勉強の計画立てていたのに、色々と予定変
更を強いられそうな状況なの」
 これは事実だ。写真集のこと、歌のこと、それに演劇部からの依頼の件と、
こなすべき用事が次々と思い浮かぶ。
「そっか。純ちゃんでも分からないのね」
 富井は突然声のトーンを落とした。花が急速にしぼんだかのようだ。井口も、
富井ほどではないが、どことなく気が抜けた風に嘆息した。
「ど、どうしたの、二人とも?」
「えっとね。そろそろ決めなくちゃいけないと思ってたからぁ……志望校。私
じゃあ緑星はとても無理」
「私も同じく。かなり厳しいわ」
 富井も井口も、見た目にも明らかに肩を落としている。
「相羽君がもし万が一、別の高校にするなら、緑星より少しでもやさしいとこ
ろを志望校にするなら、そっちを目標に頑張ろうかなって考えたんだけど」

――つづく




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