AWC そばにいるだけで 40−1    寺嶋公香


        
#4934/5495 長編
★タイトル (AZA     )  99/ 9/29  10:16  (200)
そばにいるだけで 40−1    寺嶋公香
★内容
 夏休みも終盤の金曜日。雨上がり後の晴天のおかげで、外の空気は湿気てい
た。が、スタジオ内ではそんなことは無関係。温度・湿度とも快適で、空調の
ありがたさが実感できる。
 純子は久しぶりにモデルの仕事をした。
 仕事と言っても、服を取っ替え引っ替え着るのではない。コンポジットなど
の宣伝資料作成のためだ。後日、新曲ディスク用のジャケット撮影も控えてい
る。活動休止に入ったとは言え、細々としたこなすべき仕事は残っているのだ。
(あれは……)
 一通り終わったところで、ふと視線を移すと壁際に相羽の姿を見つける。
 向こうも撮影が終了するのを待ちかねていたみたいで、壁を離れると純子へ
駆け寄って来る。
「お疲れ」
「お疲れじゃないわよ。どうしてここにいるの? 勉強とか練習とか色々ある
んじゃ……」
 問われた相羽は、そっぽを向いて左手で首筋をもんだ。上目遣いになって、
早口で答える。
「あるけど、関係ないよ。来たいから来た、それだけ」
「……まったく。友達が写真撮られてるのを見て、面白いのかしら」
 相羽の素っ気ない様子から、これ以上突っ込んで聞いても無駄と判断し、冗
談混じりに答えた純子。
 相羽は顔の向きを戻し、言いにくそうに答える。
「いや、ちょっとさ。噂を聞いたものだから……」
「はい? どんな噂?」
「母さんが言ってたんだけど、写真集を作るために、今の内から少しずつ撮り
溜めておくと」
「写真集……って誰の?」
「えっと、風谷美羽の」
「ふうん――えっ」
「だから、純子ちゃんのだよ」
 空気が固まったような。時間も一瞬止まったかのごとく、会話が途切れた。
 純子は口を半開き程度にぱくぱくさせ、右手の人差し指を立てた仕種でしば
らく絶句。相羽の方はぼんやり目つきのまま、何も言わない。
「――ちょ、ちょっと。聞いてないんだけれど」
 声が出せたときには、相羽の母と市川がそばにやって来ていた。
「純子ちゃんに先に言ったの?」
 母の問い掛けに息子が黙ってうなずく。
「どこまで?」
「写真集のことだけ」
「それじゃあ……純子ちゃん」
 相羽が傍らに退き、代わりにその母と市川が純子の前に立つ。突然の話に状
況を理解できていない純子は、とにかく二人の表情を窺った。
「写真集のこと、私は反対なの」
「――詩津玖、抜け駆けはずるいわよ」
 市川が早口で遮る。それだけでは足りないらしく、腕までかざして会話を中
断させた。
 相羽の母は横目で市川を見つめると、普段よりもきつい調子で返す。
「私には、あなたの段取りの方がよほどずるいと思えるわね。先に話を進めて
おいてから、当人に知らせるやり方はよくないわ」
「あら、そうかしら? 売り出し方法については、全て私に任されているのだ
から」
「モデルとしての純子ちゃんをどうこうする権利まではないはずよ」
 自分の名前が出て、びくりと肩を震わせる純子。よく分からないが、写真集
に関して二人がもめている状態にあることだけは飲み込めた。
「だいたい、モデルとアイドルタレントそれぞれの要素を一緒くたにして売り
出そうなんて、聞いたことある? 私はないわ。モデルとしてある程度有名に
なってからタレントに進出するなら、実例もあるでしょうけれども」
「前例がないからこそやるのよ。ありきたりなことしてても、埋もれるだけ。
挑戦していかなくてはね。芸能畑は私の方がよく知っている。大船に乗ったつ
もりで任せなさい」
「……あなたと今ここで議論する気はないわ。せめて、純子ちゃんにありのま
まを伝えてから、話を進めてちょうだい」
 これ見よがしにため息をつくと、相羽の母は二歩下がった。それでも聞き耳
はしっかり立てているようだ。
 市川は小声で「分かってるわ。ありがと」と言い置くと、改めて純子に向き
直る。これからいい知らせをするわよとでも言いたげな、喜色満面の笑み。目
を細くしていて、相手が見えるのか心配になるほど。
 それさておき、市川の説明によると、来年の夏から秋にかけての出版を目処
に、写真集を作りたいという。コンセプトは成長の記録。過去の写真で使える
物があればなるべく収録したいとまで言い出した。
(それって、アルバムなんじゃないの……)
 そんなの第三者が見て面白いのかしらという疑問が浮かぶ。しかし、それ以
上の疑問があったので、面白いかどうかは脇に退けておこう。
「市川さーん、あの、全然売れないのが大問題だと思うんです」
「またそんなこと言う。自信持ってくれなきゃ困るなあ」
 両手を腰に当てて頭を傾ける市川。純子は遠慮気味に首を横に振った。
「その前に、誰も私を知らないわけだから、写真集も誰もほしがらない……」
「それまでに売れてもらいましょ。高校に合格したあとなら、完全復帰できる
んでしょう?」
「は、はい。お仕事があれば、そうするつもりですが……」
 横目で相羽とその母の方を見る純子。この場合の仕事とは、モデル業も当然
含んでいる。そのことを忘れてはいないと相羽の母に伝えたくて、つい視線が
動いた。それに。
(何故だか知らないけれど、相羽君は反対してるようだし)
 相羽の反応が気になったのも理由の一つ。
(そう言えば……清水も反対してたみたいなんだよね。どうしてみんな、引き
留めるの? 関係ないと思うのに)
「仕事に打ち込めるようになったら、世間に知られるよう売り出すからね」
 市川が言った。この人の辞書には不安なんて言葉は載っていないのだろう、
そう思わせる口調だ。
「すぐに人気が出る。間違いなく。あなたなら大丈夫。保証付き」
 景気のいい言葉がぽんぽん飛び出す。が、純子には何の拠り所もない楽観的
な意見にしか聞こえなかった。
「歌の方はどうなるんでしょう?」
「歌? あっ、そのことは今、詳しくは無理」
 二本の人差し指でばつを作る市川。恐らく、この場には久住淳の正体を知ら
ない者が多くいるから、という意味であろう。
「続けてもらうのは言うまでもないけれど」
「あの、私の方までよく知られるようになったら、ばれやすくなるんじゃない
ですか?」
「ははぁ、それは仕方のないことよ。私としては、二年間保てばいいと思って
いるから。そのためもあって、素のあなたを売り出したいのよ」
 ちゃんと見通しを立てているようだ。それも極めてドライに、計算高く。
 ルークが久住淳の結末まですでに考えているとは、純子にとって少なからず
ショックだった。
(もちろん、久住淳はいつかは消えなきゃいけない運命だけど、今の時点で決
められるのはちょっとやだな。ファンになってくれた人達に無責任すぎる)
 不満がわいてきたが、主張をしている暇はなさそうだ。
「ともかくね、年齢的にできる限り幅広く、あなたを撮っておきたいわけ。そ
れには受験が終わるまで待ってられない。はっきり希望を言えば、今日この場
で数ショットでも早速撮りたい」
「ストップ」
 先走る市川を、相羽の母が鋭い調子の声で制した。
「そこまでにしてくれる? 考える余裕を与えてあげて」
「――私としちゃあ、与えているつもりなんだけどな。まあ、しょうがない。
いい返事をくれると信じてるから」
 市川は純子に目配せをし、相羽の母と位置を入れ替わった。
 純子は、市川の言葉を聞いて納得したことが一つあった。
(道理で、スタッフの人達が誰も帰らないと思った……)
 スタジオの奥や出入口は、何人もの関係者がうろうろしていたり、雑談に花
を咲かせていたりとにぎやかだ。
 純子はその様子を見渡し、またもため息をついた。つかざるを得ない。
「今日は帰りなさい。その方がじっくり考えて結論を出せるでしょうから、い
いと思うわ」
 相羽の母が言っている。その通りであろう。
「でも、みんなに迷惑が。無駄足と言うか……」
「そんなの気にしなくていいの。お母さんお父さんともよく相談しなくちゃい
けないんじゃない? 写真集よ」
「それはそうだと思いますけど」
 スタッフの人達を振り返る。どうしても気にしてしまう。
 そんな純子の仕種を見て、市川は気持ちが揺らいでいるものと判断したらし
く、すかさず口を挟んだ。
「試し撮りという形でもいいんだけれどな」
 純子と相羽の母の視線を集めてから、さらに続ける市川。
「今日のところは試しに何枚か撮影して、できあがった物を見て、どうするか
決め手もらおうってわけ。どうかな」
「……おばさま」
 純子は相羽の母を仰ぎ見た。お願いするような上目遣いに、相手は小さく息
をつく。
「決めるのはあなたよ」

           *           *

 奥寺は手帳を開くと身体の向きを斜めにし、さも面倒臭げに背もたれに片方
の肘を載せた。
「最初に、あなた方の居所を酒匂川家に伝えるとどうなるかをお話ししましょ
うか」
 コーヒーカップから昇り立つ白く細い湯気が、奥寺と相羽親子との間を遮る
ように漂う。
「言うまでもないでしょうが、あちらはあなた方を家に戻らせようとしていま
す。特に、信一君をね」
「……」
 沈黙で応じた母は隣に座る信一との距離を縮めた。
「今、信一君は中学三年生でしょう? 進路をどうなさるのかは存じ上げてい
ませんが、酒匂川家に戻れば将来は約束されたような物なんじゃないですかね
え。あ、これは私の個人的な感想ってやつです」
 唇の両端を吊り上げ、気味悪いほどの笑顔を作る奥寺。
「結論は決まっています。戻るつもりは一切ありません。このことをそのまま
酒匂川に伝えてもらって結構です」
 母が凛とした態度で言い切った。
 大人の話し合いの場に無理矢理着いて来た信一は、無言に努め、ただ相手を
じっと見据える。
「それは相羽さんの決めることじゃない。決定権は私の方にあります。どちら
にするかは、私の胸先三寸。どうせ、強がっているんでしょう?」
 半分がた飲んだコーヒーのカップ、その取手を指先で弾く奥寺。
「できることなら知られたくないと思っているはずだ。でなければ、身を隠す
ような真似はしまい。違いますか?」
「答える義務はありません。どうぞお話を続けてください」
 相羽の母の返事に、奥寺は短く口笛を吹いた。手帳を音を立てて閉ざし、大
げさな動作で背広の胸ポケットに滑り込ませる。
「分かりました。では、私の用件に入りましょうか。なに、短く済みます。あ
なた方の居所を酒匂川家に知らせない代わりに、褒美が欲しいんですよ」
「……お金なら向こうの方がよほどたくさん持っていますわ。私達を見つけ出
した報酬に、いくらもらう約束になっているのか知りませんが」
 息子に聞かせたくないのか、声を小さくした相羽の母。
 奥寺はまたも大きな動作で手を振った。
「お金じゃありません。情報が欲しい。相羽さんの仕事場って言うのは、芸能
界に含めていいでしょう? 近しい関係にある芸能プロダクションも確認しま
した。そこら辺から流れてくるモデルやタレントのスキャンダルを、漏らさず
私に回してもらいたい」
 奥寺の話を聞いた信一は、内心、唾棄したくなった。
(どこかに売り込むのか、脅迫するのか……。冗談じゃない)
 知らず歯ぎしりしかける自分に気付いて、力を抜く。水を飲んで頭を冷やし、
改めて耳を澄ませた。無論、目は相手を静かににらみつけている。
 母もまた、冷静な口調で告げた。
「そう言うことでしたら、考えるまでもありません。お断りします」
 とりつく島のない即答に、奥寺もたじろいだらしかった。わざとに違いない
咳払いを何度か続けざまにして、コーヒーで口中を湿す。そのあと指先で唇を
拭った。
「何故ですか。何故、断るんです。悪い話ではないはずだ」
 言葉遣いは最初から一貫しているが、やけに丁寧な響きになっていた。
「お答えしても奥寺さん、あなたには分からないでしょう。鼻で笑うだけで」
「……なるほどね」
 気が抜けたような笑みを浮かべ、頭をかく奥寺。
「しかし、私もこれで生活してるものでして、引き下がるわけにいかないんで
すよ。あなたが断るのであれば、私は酒匂川家に報告をする。忠実な調査員と
してね」
「私達の気持ちは、最前から何度も明らかにしていたつもりですがご理解いた
だいてなかったようですね。報告なさってもかまいません」

――つづく




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