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ヴェーゼ 第6章 前哨戦 16 リーベルG
★内容
16
ウォン・カイテル特使の顔に剣が深々と突き刺さったのを見た途端、マリガレ
オスが、巨体に似合わぬ敏捷さで動いた。リーカーレに剣を抜く間を与えず、鍛
え上げた拳を叩きつける。若い評議会委員は、部屋の反対側まで勢いよく吹っ飛
んだ。
「この愚か者が!」
マリガレオスは怒号し、倒れているリーカーレに駆け寄った。再び拳を振り上
げたとき、リーカーレの手がツバメのようにひるがえった。
とっさにマリガレオスは、それを払いのけようとしたものの、リーカーレの動
きが上回った。隠し持つのにちょうどいい大きさのナイフが、マリガレオスの肩
に深々と埋まったのだ。
「ぐぅおう!」
屈強なマリガレオスも、たまらず膝をついた。リーカーレはそれには構わず、
またしても別のナイフを取り出すと、手近にいた評議会委員に襲いかかった。ナ
イフが一閃し、初老の委員の喉がぱっくりと裂け、鮮血がほとばしった。リーカ
ーレは、くるりと一回転しつつナイフを持ち替え、無駄のない動きで突きだした。
その先には、チューボー委員の身体があった。ナイフは胸郭にもぐり込むと、心
臓をえぐり出すように回転し、血しぶきとともに素早く離れた。
穏和で真面目な評議会委員の動きではなかった。戦い、それも殺人術に習熟し
た兵士の動きだった。
委員たちは、ようやくそれに気付いた。何人かは会議室から脱出しようとした
が、リーカーレはそれに先んじてドアの前に立ちふさがり、刃をふるった。恐慌
に陥った委員たちの首が、ほとんど切断されんばかりに切り裂かれる。
「リーカーレ!」
苦痛混じりの太い声とともに、血塗れのナイフがリーカーレの背中に突き刺さ
った。マリガレオスが肩に刺さったナイフをナイフを抜いて、投げたのだった。
ほとんど柄の部分まで埋まったナイフは、しかし、リーカーレの行動にほとんど
影響を与えなかった。リーカーレはうるさそうにくるりと振り向くと、手にして
いたナイフを手首の動きだけで放った。ナイフは正確にマリガレオス委員の胸に
命中した。ネイガーベンの防衛責任者は刺さったナイフを掴んだが、そのままず
るずると床に倒れた。
リーカーレは両手をゆっくりと順に見た。どちらの手にもナイフがないのに気
付くと、背中に手を伸ばして、刺さったナイフをずぶずぶと引き抜いた。傷口か
ら鮮血が噴水のように噴き出したが、リーカーレは全く意に介さず、凄惨な顔で
残りの委員たちの方を見た。
ザルパニエは、ミリュドフをかばって、壁の方へ後退した。リーカーレが委員
の一人に躍りかかり、か弱い抵抗をものともせずに、眼窩にナイフと突き入れ、
力任せに横に薙ぐ。
「ミリュドフ」ザルパニエはミリュドフに囁いた。「剣を持っていないか?」
「ナイフを持ってるけど……」
「わしに貸せ。何とか防ぐから、ここから出るんだ」
「ダメよ」ミリュドフはきっぱり答えた。「剣の扱いなら、私の方が慣れている
わ。それに評議会を再建できるのは、あなただけよ」
口早に囁き交わす間に、リーカーレは血に飢えた悪魔のような顔で、別の委員
の喉を切り裂いていた。ザルパニエとミリュドフの前には、もう一人の委員しか
いない。
「ばかなことを言うな、ミリュドフ」焦ったザルパニエが叫んだ。「早く剣を渡
して逃げろ!」
「あなたこそ早く」
彼らの数歩前では、リーカーレが委員の腹を横一文字に切り裂き、さらにナイ
フを身体の奥深くに突っ込んでいた。ものすごい苦痛の叫びが上がり、すぐに止
まった。
「パウレンたちをお願い!」
ミリュドフは躊躇わず、全力を振り絞ってザルパニエの身体を押しのけた。そ
して、足首に隠していたナイフを抜くと、リーカーレに対峙した。娼館を守る女
主人として、単なる護身術以上の剣術には習熟しているものの、あくまでも身を
守るためのものだった。
リーカーレが、必死のパウレンを嘲笑うように、無造作に接近してきた。
往きに要した時間の数分の一で、ネイガーベンに舞い戻ったパウレンは、まず
ロキス・クパティ山をざっと偵察した。しかし、確実に存在しているはずの、入
り口に対応する出口は山腹のどこにも発見できなかった。巧妙にカモフラージュ
されているのか、全然別の場所にあるのか、どちらかだろう。
いずれにせよ、上空から見た限りでは、ネイガーベンの至近距離に侵略軍は見
あたらない。まだ時間はある。それを確認すると、パウレンはネイガーベン市内
に急行した。
予想通り、巡回部隊と傭兵部隊の注意は、ネイガーベンの南側に集中していた。
ガーディアックから至る街道は南門に通じているから、誰もが侵略軍が現れるの
であれば、そちらだと考えていたのだ。方角的に言えば、東門が最短距離だが、
そこに通じている街道はロキス・クパティ山を北方向に迂回することになるので、
大軍が通るには不向きのはずだった。ネイガーベンの防衛責任者も、そちらの防
備は皆無ではないにせよ、薄くしてあった。侵略軍は、それを見越してロキス・
クパティ山を一直線に貫く通路を作ったのだ。
カダロルたちと連絡を取ろうかと考えたが、何よりも時間がなかった。パウレ
ンは評議会館に直行して、入り口付近にふわりと降り立った。委員会の配置した
衛兵が、このあからさまな魔法の行使に、目を剥きながら近寄ってきた。
「おい、ここは……」
「評議会委員に話がある」パウレンはぶっきらぼうに誰何を遮った。「緊急だ」
「お前は誰だ」
「自由魔法使いパウレンだ」苛々しながらも、パウレンは辛抱強く答えた。「大
至急、ミリュドフ委員に会う必要がある」
衛兵たちは顔を見合わせた。
「どのような用件で?」多少、口調が丁寧になっていたが、衛兵たちは警戒を解
いたわけではなさそうだった。
「委員に直接言わなければならないことだ。通してもらおう」
「先日公布された条例で、魔法使いが評議会委員に面会するときは、魔法監視官
の同行が必要となります。監視官は中にいるはずなので……」
「監視官なら中にはいない」
「何ですと?なぜです?」
「さっき、私と一緒にここを出たからだ」
「ほう。して、今はどちらに?」
「知るものか」さすがに、リエが気絶させた、とは言えなかった。
「となると、少々困ったことになりますな」
「いいから通してもらおう」
「それは困ります」
そのまま不毛なやりとりを続けていたら、いかに冷静なパウレンといえども、
怒りが礼儀を上回っただろうが、建物の中から聞こえてきた物音が会話を遮った。
「なんだ?」
「女の悲鳴みたいだな」
「見てこい」
「でも勝手に入るなと言われているぞ」
「そんなことを言っている場合かよ」
すっかりうんざりしたパウレンは、衛兵たちを無視して扉に手をかけた。ティ
クラムがかけたらしい封印が施されているのがわかる。特に魔法使いに対して反
応が敏感になっているようだ。衛兵の誰かが、解除する呪文か何かを知っている
はずだが、素直に教えるはずもない。
「お、おい!」
気付いた衛兵が声を上げた。それを鋭い視線で黙らせておいて、小さなナイフ
を抜く。開門の呪文を唱えながら、切っ先を鍵穴に差し込むと、堅い金属の刃が
ぐにゃりとしなり、まるで生命を吹き込まれたかのように、嬉々として中にもぐ
りこんでいった。事態に気付いた衛兵が止めようとしたとき、複雑な鍵機構がカ
チャリと音を立てて降参した。
「私が見てきてやろう」パウレンはナイフをしまいながら言った。「何か言われ
たら、私が強引に突破したと言えばいい」
「し、しかし……」
「それを事実にしたいのなら、私の前に立ち塞がっても構わないぞ」
「ああ、わかった、わかった!」隊長らしい男が投げやりに答えた。「こんなと
ころで、魔法使いとやり合えるものか。さっさと行ってくれ。何かあったら知ら
せてくれるな?」
「もちろんだ」
パウレンは建物の中に足を踏み入れた。
途端に、短い悲鳴が耳に届いた。
少なくとも聞き覚えのない声だった。その点では、ひとまず安心したものの、
和平会談の場で悲鳴が聞こえるということは、どう考えても尋常ではない。パウ
レンは廊下を走りだした。
いくらもかからず、会談が行われている会議場の前にたどり着いた。すでに女
性の悲鳴は消えていたが、閉ざされたドアの向こうからは、別の叫び声が上がっ
ている。
もはや躊躇している場合ではない。パウレンは、ドアに開放を命じた。こちら
のドアにも、侵入者除けの封印がかけられていたが、それほど強力なものではな
かった。ドアはほとんど抵抗なしで開いた。
とたんに、誰かが放り出されて、パウレンに激突した。
「ザルパニエ委員!」
「パウレンどの!」ザルパニエは叫んだ。「ミリュドフが!」
パウレンは丁寧とはいいがたい動作で、ザルパニエの太った身体を押しのける
と、室内に飛び込んだ。
最初に目に入ったのはミリュドフの後ろ姿だった。ナイフを握っている。対峙
しているのは、リーカーレ委員だった。パウレンも何度か話をしたことがある。
そのときは穏和で、若い情熱にあふれ、才気ある商人と好感を持ったのだが、今
剣を握って薄ら笑いを浮かべている男は、まるで別人のようだった。
「なんだ、魔法使いの女」リーカーレはパウレンを目にすると、歯を剥きだして
にやりと笑った。「邪魔をするなよ。次はお前にしてやるからな」
「パウレン!」ミリュドフが驚きの表情で、思わず後ろを振り返った。
その瞬間、リーカーレが剣を構えて突進してきた。慌ててミリュドフは、防御
しようと、ナイフを身体の前にかざした。リーカーレの剣が上から振り下ろされ
る。二つの刃は激しい金属音を鳴り響かせたが、護身用にすぎないナイフの方は
衝撃を受け止めきれずに、あっさりと折れてしまった。
状況を問い質したり、吟味している時間はなかった。すぐに行動に出ねば、ミ
リュドフは死んでしまう。パウレンは剣を握り直すと、攻撃呪文を唱えつつ、リ
ーカーレに放った。空中で切っ先が鋭く変化し、まっすぐ若い委員に向かう。
パウレンに瞬時の躊躇いがあったのかどうか、剣は心臓ではなくリーカーレの
利き腕側の肩に突き刺さった。獣のような咆哮をあげて、リーカーレは剣を取り
落とし、侵入者をにらんだ。その瞳のどこにも正気の光を見いだすことができな
かったパウレンは、我知らずぞっとした。
「パウレン!」ミリュドフが叫んだ。
「下がれ!」
攻撃本能の赴くままに、パウレンは長身をひるがえして、リーカーレに迫った。
数語からなる攻撃呪文を唱えつつ手を伸ばして、ミリュドフを押しのける。すで
にリーカーレは、体勢を取り戻して、肩に刺さったナイフをつかんでいた。呪文
の効果が残っているナイフが主人以外の手に反発したため、手のひらが煙を上げ
て焼けただれ始めている。それでも、リーカーレはナイフを引き抜いた。
通常、攻撃魔法には焦点となるものが必要となる。剣でもいいし、弓矢でもい
いし、指輪や縫い針でもかまわないのだが、そのときのパウレンは何も持ってい
なかったし、取り出す時間もなかった。従って、赤毛の魔法使い自分自身を焦点
として、指先に力を集中した。音もなく爪がのび、硬く変化し、先端が尖る。
ナイフと、凶器と化した爪が交差する。ナイフの切っ先はパウレンの見事な赤
毛を一筋切り落とし、鋭い爪の先端は正確に心臓を貫いた。リーカーレは戸惑っ
たように、自分の胸を見下ろしたが、そのまま膝をつき、ずるずると床に崩れ落
ちた。口からごぼりと血の泡がもれ、リーカーレは動かなくなった。
パウレンは爪を復元すると、室内を見回した。さんさんたる有様だった。
都市評議会委員は、ザルパニエとミリュドフを除いて、全員が倒れていた。そ
のほとんどが死んでいるか致命傷を負っているようだったが、マリガレオスだけ
は、苦痛に呻きながらも目を開いており、身体を起こそうとしていた。胸にナイ
フが刺さっていることを思えば、驚異的な体力である。
ひっくり返ったテーブルの向こうに、ウォン・カイテル特使と秘書が折り重な
るように倒れていた。どちらも絶命していることは一目でわかった。
残った使節団は、隅の方に固まって立っている。パウレンが目を向けるのを待
っていたかのようにアムスドルフが口を開いた。
「何ということだ」アムスドルフは芝居がかった動作で頭を抱えた。「これが、
あんたたちのやり方なのか。和平の特使を殺すのが、ネイガーベン都市評議会の
返答なのだな」
「待って下さい」ザルパニエが狼狽した様子で答えた。「これは何かの間違いで
す。特使どのの死は遺憾ですが、すでに犯人も死んだことではあるし……」
「もう、どうでもよろしいのです、そんなことは」アムスドルフの言葉は冷たか
った。「我々は戻って、交渉が決裂したと報告せざるを得ません。この問題の解
決は、別の手段によってなされるでしょう。では、失礼」
言い終えると、アムスドルフはさっさとパウレンの横を通り過ぎて、出ていっ
てしまった。護衛兵たちがそれに続く。
使節団を拘束して時間を稼ぐ必要があることは明白だった。アムスドルフのい
う別の手段が、武力を指していることは間違いない。ここで彼らを帰せば、侵略
軍はネイガーベンに殺到するだろう。パウレンは視線で、残った評議会委員たち
に承諾を求めたが、どちらの委員もそれを与えようとはしなかった。