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ヴェーゼ 第6章 前哨戦 14 リーベルG
★内容
14
誰も身動きできないでいた数秒の間に、リーカーレはひらりとテーブルに飛び
乗ると、立ちすくんでいる秘書のフローレンスに飛びかかった。フローレンスは
悲鳴を上げて身をかわそうとしたが、その前にリーカーレにその腕を掴まれ、引
き寄せられた。
「動くな、侵略者ども!」
それまでの礼儀正しさとはうってかわった声で、リーカーレは叫んだ。羽交い
締めにしたフローレンスの喉元にナイフの切っ先を突きつけている。
「ゆっくりと下がれ」
その言葉は、一番近くにいたカイテル特使に向けられたものだったが、彼は驚
愕で顔を凍り付かせたまま、身動きもできないようだった。その腕をアムスドル
フが、丁寧とはいえないやり方で掴むと、数歩下がらせた。
「少しでも近づいたら、この女の喉を切り裂いてやるぞ」リーカーレは歯を剥き
出して笑った。「何もしようとするなよ」
「リーカーレ!」驚愕から醒めたザルパニエが叫んだ。「何をするつもりだ」
「こいつらに思い知らせてやるんだよ」
「バカな真似はやめるんだ。どうしてしまったというのだ!?」
「うるせえ、じじい!黙って見てろ!」
ザルパニエはショックを受けたように黙り込んだ。代わりにミリュドフが躊躇
いがちに口を開いた。
「リーカーレ、一体、どうしたというの?いつものあなたではなくなってしまっ
たようよ」
「これが本当のおれなんだよ」リーカーレは哄笑した。「もう、うんざりしたぜ。
てめえらと付き合うのは。ネイガーベンはおれが支配する。都市評議会は解散さ
せてやる」
委員たちはざわめいた。人質を取られた地球人側よりも、ネイガーベンの人々
の方が、より驚愕し、困惑している。
「とにかく、その女性を離すんだ」
マリガレオスが言いながら、一歩踏み出したが、次の瞬間上がった悲鳴で足を
止めた。リーカーレが、フローレンスの喉の表面に軽く斬りつけたのだ。赤い筋
がフローレンスの白い肌に浮かび上がった。
「フローレンス!」カイテルが叫んだ。
「おっと、動くなよ、特使さん」
「やめてくれ」カイテルは呻いた。「彼女を離してくれ。我々の要求が不満なら
ば、話し合いで解決すればよかろう」
「らちあかねえだろうが、そんなのじゃ」リーカーレの瞳は、熱病にうかされた
ようにギラギラと輝いていた。「おれがてっとり早い方法を教えてやるよ。お前
たちを人質に取って、侵略軍がネイガーベンに近づけないようにするのさ」
「そんなことがうまくいくと思っているのか」マリガレオスは怒りの声をあげた
が、近づこうとはしなかった。「冷静になって考えろ」
「お前だって、本心はそうしたかったんだろうが、え?違うか?」リーカーレは
嘲笑した。「会談の前に、どうせ決裂するに決まっているとか、こちらから先手
を打って奇襲したいだの言っていたのは、誰だったかな?」
「貴様……」
ザルパニエとミリュドフは、互いに解決策を求め会うように、ちらりと視線を
交わした。大勢で飛びかかれば、リーカーレを取り押さえることができるのは確
かだったが、人質とされた地球人の女性は間違いなく死ぬだろう。そうなれば、
和平交渉はあっさりと決裂し、戦いの道しか残されていない。
地球人たちの方を見たミリュドフは、ふと奇妙な違和感に捉えられた。カイテ
ル特使はアムスドルフ補佐官に腕を押さえられ、茫然となったまま、成り行きを
見守っている。メンタートのビルは、口の中で何かぶつぶつ呟きながら、リーカ
ーレの方を見つめていた。そして、アムスドルフと二人の護衛の兵士たちは、じ
っと何かを待っているように動かない。
ミリュドフが注目したのは、最後の三人だった。三人とも、目の前で進行して
いる出来事に対して、驚いているような顔をしていた。が、ミリュドフは、おそ
らくここにいる誰よりも、人間の本質を見極める鋭い能力を持っていた。それは
娼婦として、また娼館を営む女主人として長年にわたって培ってきたものだ。そ
れが告げるところによると……この三人は驚いているふりを装っているだけだ。
何かがゆっくりと、ミリュドフの頭の中で形成されかかっていた。はっきりと
はわからない、ある種の違和感が。だが、それが完全な形に成長するのを待たず
に、事態は急変した。
カイテルがアムスドルフの制止を振り切って進み出たのだ。
「やめてくれ!」カイテルは叫んだ。「彼女を放してくれ。私が代わりに人質に
なる!」
カイテルの伸ばした手が、恐怖で失神寸前のフローレンスに触れかけたとき、
リーカーレは素早く剣を動かした。
誰にとっても幸いなことに、悲鳴はごく短かい時間しか続かなかった。
リエに問い返す時間を与えず、パウレンはいきなりロキス・クパティ山に方へ
動き始めた。リエがとっさに赤毛の魔法使いの手にしがみつかなければ、振り落
とされていたかもしれない。
「パウレン!」リエはほとんど悲鳴のような声で訊いた。「どうしたの?」
「山から受ける感じが、少し違う」パウレンはリエの方を見もしなかった。「何
か、たくさんの異物が混ざっているようだ」
どうして、そんなことがわかるのか、と訊きかけて、リエは口をつぐんだ。パ
ウレンは長い間、ロキス・クパティ山に住んでいたのだし、強い力を持つ魔法使
いである。その二つだけで十分な理由になる。
「異物、というと?」リエは代わりの質問をした。「統合軍?」
「わからないが、おそらくそうだろう」
「でも、あんな山を通るなんて、常識に反してるわ。訓練した小部隊ならともか
く、2000人近くが……」
不意にパウレンが空中で停止したために、リエの言葉は途切れた。
「あれだ」
リエはパウレンの視線の先を見た。そして、自分がいかに愚かだったかを知る
ことになった。
「降りるぞ」
パウレンはやや乱暴に降下すると、一本の高い木の枝にふわりと降り立った。
ロキス・クパティ山の山腹に、大きな穴が開いていた。自然の洞窟でないこと
は、輪郭がきれいな半円になっていることからも明らかだった。
入り口付近の地面は、きれいに硬化ファイバーで舗装されており、簡易対人防
御陣地となっている。巧みにカモフラージュされた対人要撃砲座が4門設置され、
一個小隊の兵士が警備についていた。
人工の洞窟は地表と平行にずっと奥まで続いていて、両側の天井にオレンジ色
のライトが等間隔に点灯している。
少し離れた場所の地面に、幅20メートルほどの穴が開いていた。穴は傾斜路
になり、まっすぐガーディアックの方角に伸びている。おそらく、ガーディアッ
クに設置された建造物のどれかは偽装で、地下からここまで続く搬送路の入り口
になっているにちがいない。ネイガーベンが街道を監視することを予想して、そ
れに捉えられることなく、ロキス・クパティ山まで兵員と車輌を輸送したのだ。
「統合軍は進軍通路を、自分たちで作ったんだわ」リエは唇をかんだ。「たぶん、
あの穴はロキス・クパティ山をまっすぐ貫いていて……」
「それに間違いないな」パウレンの顔も険しくなっている。「このまま、まっす
ぐ穴が続いているのなら、ネイガーベンの北東、8リンドあたりの山腹に出るこ
とになる」
8リンドは32キロ。一個師団で動いたとしても、数時間でネイガーベンに到
達できる距離だ。
「まずいわ。巡回部隊は、ほとんど街道のある南を警戒していたから」
「急いで知らせなければならん。戻るぞ」
「待って」リエは即座に決断した。「あたしを置いて先に戻って」
「何?」
「どれだけ進んでいるかはわからないけど、侵略軍の到着を遅らせることができ
るかもしれない。あの穴から、統合軍を追ってみるわ」
「ばかな。危険すぎる」
「大丈夫。一人なら、なんとでも切り抜けられる。何とか足止めを試みてみるわ。
それがダメでも、反対側の出現位置はわかるから、そこを何とかふさぐことがで
きれば、復旧するまで補給を途絶えさせることもできるし」
パウレンが躊躇しているのがありありとわかった。だが、リエを抱えて飛ぶよ
りも、一人の方がずっと早くネイガーベンに戻れるし、侵略軍の足止めができる
者がいるとしたら、それは間違いなくリエだ。すぐにパウレンも心を決めた。
「わかった」
パウレンはリエを抱えて、森の中へ降下した。山腹の防御陣地から少し離れた
場所にリエをおろす。
「あまり無理をするな」
「あなたもね、パウレン」
赤毛の魔法使いは、リエと軽く手を打ち合わせると、木々の間を縫うように飛
び去っていった。リエはそれを見送ってから、防御陣地の方へ向かって進みはじ
めた。
同じ頃。
西アルノー通りに住む、ある織物商人の屋敷では、いきなりベッドの上に起き
あがった主人に、同衾していた若い愛人がけげんそうな目を向けた。昼間から窓
を閉め切ってふけっていた情事の途中で、何の前触れもなく行為を中断したのだ
から無理もない。愛人はいぶかしげな声で問いかけた。
「え、なに?」
商人はどこか宙の一点を見つめていて、愛人の言葉など耳に入れていなかった。
「ねえ、どうかしたの?」
商人の表情は変化していた。愛人が今まで見たことがないほど冷たい光が、そ
の瞳にはあった。商人はゆっくりとベッドから抜け出ると、枕の下から鍵束を取
り出して、一本を壁の隅にある隠し扉の鍵穴に差し込んだ。長い間、閉ざされて
いた扉がきしみながら開き、商人は中から何かを取り出して床に置いた。
愛人はランプに火を入れて、それに目を向けた。見たこともない代物だった。
金属でできた棒を組み合わせたものである。
「なんなの、それ?何の道具?」
商人は答えず、さらにいろいろな物を取り出しては床に置いていった。
地球の市民がそれを見たら、アサルトライフルやグレネード、ハンドガン、予
備マガジンなどが一式揃っていることに驚いたことだろうが、アンシアンの女性
には、それらが武器であることさえわからなかった。
愛人には見向きもせず、商人は服を脱ぎ捨てると、都市迷彩の戦闘ジャケット
に着替えた。そして、ハンドガン、グレネード、予備マガジンをジャケットの規
定の位置にセットし、最後にライフルを握った。
「ねえ、なんなのよ?」
愛人は裸の胸を毛布で隠しながら訊いた。声が震えていた。理由はわからない
が、商人の放つ雰囲気が彼女を怯えさせていた。
商人はベッドの上には目もくれず、何かを小声で呟いた。クーブ語ではなかっ
た。誰かの話に耳を傾けるように沈黙した後、再び呟くと、ライフルを握りなお
してドアに向かった。
「待って!どこに行くの!」
愛人の叫びは、閉ざされたドアに空しく跳ね返った。
ネイガーベンの各所で異変が始まりつつあった。
家族と食事をとっていた住民、夜の商売の準備をしていた商人、勤務時間が終
わって武装を外そうとしていた都市自警団員、路地裏で客引きをしていた娼婦、
目星をつけた屋敷の下調べをしていた盗賊…………多種多様な職業、年齢の男女
が、突然やっていたことを投げ捨てて、西アルノー通りの商人と同じ行動を取っ
た。家族や友人の問いかけは完全に無視された。
彼らは、最短距離を通って、西大門の近くにある小さな市場に向かった。もと
もと大陸のあらゆる場所からの商人や旅人が集まる街なので、ことさら注意を向
ける住民はいなかった。
市場に集結したのは50人ほどだった。太陽が昇る直前だと、ここには大量の
商人と商品があふれるのだが、今は通行人もほとんどいない。彼らは一カ所に固
まったまま、じっと何かを待っていた。
やがてウマに乗った一人の女が市場に駆け込んできた。薄汚れたマントに身を
包んでいるが、その隙間からは、統合軍の都市迷彩の戦闘ジャケットが覗いてい
る。彼女はマントを脱ぎ捨てると、背中に吊っていたアサルトライフルを掴んで、
ウマから飛び降りた。
「分隊集合」まだ若い女性兵士は、市場に集合した集団に命令した。「キーワー
ドは、ストラディバリ、ダッシュ、376ブラボー。移動する。市民の注意をひ
かないように続け。呼び止められても交戦するな」
女性兵士は走り出し、武装した集団は無言でその後に従った。