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★タイトル (FJM ) 99/ 9/11 3:29 (200)
ヴェーゼ 第6章 前哨戦 13 リーベルG
★内容
13
「お待たせして申し訳ありませんな。いろいろ片づけねばならないことがありま
してね」
ザルパニエは表面上は礼儀正しく言いながら、席についた。地球からの使節団
は、すでに座っている。彼らを数分待たせたのは、どちらが主役なのかをわから
せるための、ささやかな作戦だった。
「いいえ、お忙しいところにお邪魔しまして」カイテルが皮肉抜きで応じた。
「お食事はいかがでしたか?」
「たいへん結構でした」カイテルは目を輝かせた。「生まれて初めてですよ、あ
のような味の濃いサラダを食べたのは。それに、あの薄切り肉の香ばしさときた
ら!」
「ワインはいかがでした?」リーカーレが訊いた。
「実に素晴らしいワインですな、あれは!」ほとんど泣き出さんばかりの答えだ
った。「今まで地球で飲んできたワインなど、くず同然に思いますよ。あれは、
あなたが?」
「ええ。私が個人的に経営しているブドウ畑がありましてね、そこの当たり年の
一本です。気に入っていただけてよかった」
「彼は、いくら金を積んでも、そのワインを売ろうとしないのです」委員の一人
が笑いながら言った。「市場に出回って価値が下がるのを恐れてね。こういう時
でもなければ、テーブルに並ぶこともない。その点では、特使、あなたに感謝し
なければなりませんな」
「とにかく、満足いただけてよかった」ザルパニエが言い、ワイン談義を終わら
せた。「さて、午前中の話の続きに戻るとしましょうか」
「失礼」アムスドルフが口を挟んだ。「リエがいないようですが」
「ああ。彼女は、別の任務があり、そちらで手が離せないのでね。手が空き次第
こちらに参加してもらうことになっています」
アムスドルフは、この会談以上に重要なことなど思いつかない、とでも言いた
げな顔をしたが、何も言わずに頷いた。
「午前中に申し上げたとおり、ネイガーベンを明け渡すなどということは、いか
に巨額の賠償金を積まれたところで不可能です。ただし……」ザルパニエは、や
や躊躇いながら続けた。「……周辺の比較的小さな町や村のいくつかを、それな
りの値でそちらにお譲りすることはできるかもしれません」
「申し訳ないが、委員どの」アムスドルフは冷静に答えた。「それでは、当方が
必要とするだけの移住先にはなり得ません。ネイガーベンを譲って頂けるのであ
れば、周辺の町は諦めましょう」
「仮に、仮にですよ、ネイガーベンの支配権を手に入れたとしたら」ミリュドフ
が訊いた。「ここは、どのように変わるのです?」
「まず全住民に対し退去命令を出します。むろん、十分な予告期間を設け、財産
の移動に対する補償もするつもりです」
アムスドルフがこう言っただけで、ほとんどの委員の顔に怒りと反感が浮かん
だ。補佐官はそれを無視して、事務的な口調で続けた。
「次に全ての建物を撤去します。こちらの専門家に見積もらせたところ、3日も
あれば、ネイガーベンをきれいな更地に変えることができるとのことです」
「…………」
「それから、新しい住居を建設します。これも、あらかじめ組み立てるばかりに
した施設一式を搬入し、専門家が計画的に組み立てを行えば、7日から10日程
度で、数百万人の生活の場が完成するでしょう。同時に、地下にも居住空間を展
開します。概算では、五千万人程度の移住先が10日程度で完成する予定です」
委員たちは声もなくアムスドルフを見つめていた。カイテルも同様だった。
「さらに、ネイガーベンそのものを拡張する工事も平行して行います。外壁は撤
去し、周辺の森林を切り開きます。数週間でネイガーベンの面積は6倍以上にな
り、どんどん居住空間と各種設備を追加していきます」
アムスドルフは言葉を切ると、呆気にとられた委員たちを、馬鹿にしたように
見回した。
「2ヶ月後には、我々は2億人以上の生活環境を確保しているでしょう」
「あなたは10億人の移住を考えているとおっしゃいましたね」ミリュドフが皮
肉な口調で指摘した。「2億では足りないのではないですか?」
「なに、ご心配には及びませんよ。それ以後は、ネイガーベンを中心に、我々の
領土を拡張していきますからね。まずは、北のイグランティーノ王国の領土を割
譲していただく予定です」
「どうやって?金ですか?それとも武力?」
「必要なものは何でも使いますよ」
はったりではないことを委員達は悟った。その手に行使できる力を持った者の
みが口にできる、根拠のある自信に満ちた言葉だった。
「先にも言ったが、ネイガーベンはクーベス大陸の経済と流通の要です」ザルパ
ニエが発言した。「それが短い期間に消滅すれば、大陸全土に大混乱が沸き起こ
ることは必至です。混乱はやがて戦乱に発展するでしょう。そのような地で、あ
なたは自分の子供を育てたいのですか?」
「こちらの世界にも、経済と流通の専門家は、何万人も存在しています」アムス
ドルフは即座に応じた。「彼らは、より複雑な経済機構について、何世代にもわ
たって研究し、改良し、新たな理論を付け加えてきたのです。あなた方がやって
いたことが、彼らにできないと思わせる理由はありませんな。付け加えるなら、
そちらもすでに気づいているとは思いますが、我々はアンストゥル・セヴァルテ
ィをネイガーベンを含めて、何年にもわたって、あらゆる方面から観察し、研究
してきました。今、あなたが言われたような事態は、とっくに想定され、対応策
が何通りも用意してあります。多少の混乱が起こるであろうことは認めますが、
大混乱に発展することはない、と断言できます」
「その対応策に、マシャは入っているのかね?」マリガレオスが訊いた。
「魔法使い協会ですか。どういうことです?」
「ネイガーベンが一時的にせよ、その機能を失うことがあれば、マシャは黙って
いまい。必ず、代わって経済と流通を支配しようとしてくるに決まっている。そ
の勢力との戦いになることは必至だぞ」
「魔法使いなど恐るに足りませんな。我々の世界の科学技術を持ってすれば」
「それはウソでしょう」乾いた笑い声を上げたのは、ミリュドフだった。「あな
たがたが、本当にマシャを恐れていないのなら、10年も待つ必要はどこにもな
かったはずでしょう。何とかマシャの強力な魔法使いたちに対抗できる力を手に
入れようとした結果、ガーディアックの悲劇が発生したのです。ちがいますか?」
アムスドルフは小さく鼻を鳴らした。
「リエにあることないこと、吹き込まれたようですな。あの女は、我々の世界か
ら逃げ出した裏切り者です。いつ、また、あなた方を裏切るかもしれませんよ」
「そういう言い方は不快ですね」
「それは失礼しました」アムスドルフは形だけ謝罪した。「私はただ、忠告しよ
うとしただけですよ、ミリュドフ委員」
「我々も譲歩しているのですよ、アムスドルフどの。そちらが、一方的に要求を
押しつけるだけでは、この会談の意味がないではありませんか」
「その通りだ、補佐官」ようやくカイテルが会話に参加した。「特使の私も知ら
ない要求を、補佐官の君が勝手にぶちまけたことに関しては、後でたっぷり釈明
をしてもらうとして、こちらも少し譲歩してはどうかね」
「ここは交渉のプロである、私に任せておいていただきたいですな」アムスドル
フはアメリングリッシュで答えた。「全て地球人類にとって最善の方法なのです
よ、特使」
「しかし、このままでは話が進まないではないか」
「それはこちらの責任ではありませんよ」
「何を話されているのかな?」マリガレオスが険悪な顔でうなった。
「こちらの話です。お気になさらないでください」
「我々が要求を拒否したらどうなるのだ?」
「申し訳ありませんが、あなた方に選択の余地はありません」
「つまり、交渉が決裂すれば、戦いになるということか?」
「それも辞さない、とだけ、申し上げておきましょう」
「ならば、さっさと帰って、侵略軍と一緒に戻ってくるがいい!」
マリガレオスは声を荒げたが、地球からの一行で不安そうな顔をしたのは、カ
イテルと秘書のフローレンスだけだった。
「ここにリエがいないのは残念ですな」アムスドルフは、本当に残念そうに言っ
た。「彼女がいれば、我々と戦うことが、いかに愚かな選択であるかを、あなた
方に教えることができたでしょうに」
「やってみなくてはわかるまい。この場でお前たちを皆殺しにすることもできる
のだぞ」
「やれやれ、やはり所詮、野蛮人の考えることはこの程度か」
「なんだと?」
気色ばむマリガレオスに対して、アムスドルフは奇妙な笑い顔を見せた。そし
て、何かを確認するような視線をカーペンターズ中尉に向ける。カーペンターズ
は、それとはわからぬぐらい微かに頷いた。
突然、アムスドルフの表情が消え、口から低い詠唱のような声が響いた。
いかなるものにもあれ、古き存在物は存在せざるべからず。
しかるに月を経、年を経て、何時らに門戸を閉ざしきたりぬ。
今や太陽と月とは互いに争うことなく、各々異なる方向に運行す。
プラフマナス・パティの作りし標識に従いて
その言葉はアメリングリッシュだったが、カイテルと秘書のフローレンスは意
味を掴みかねて、きょとんとした顔を向けただけだった。カーペンターズ中尉と
その部下たちは、何かを待ちかまえるようにアムスドルフを見ている。
評議会委員たちは、今の言葉が何を意味するのかわからず、困惑と怒りの混じ
った視線を交わした。だが、一人の委員は隣にいたリーカーレを見たとたん、ぎ
ょっとして目を剥いた。
リーカーレの手には、細身のナイフが握られていた。
ガーディアックが視認できる距離に到達するまで、1時間とかからなかった。
リエはパウレンに、できるかぎり急いで、と言い、パウレンはその期待に応えて
みせた。主観では音速に近いスピードで飛行する間、リエは口を開くことさえで
きなかったのだ。
ようやく少しスピードを緩めたパウレンは、リエに訊いた。
「近くに降りるか?」
リエは少し考えてから首を横に振った。時間がもったいない。
「とりあえず、上空を通過してみてくれる?」
「わかった」
再び飛行速度が上がり、リエの顔に重い空気の壁が叩きつけられる。リエは必
死で目を開け、地上を見下ろした。
ガーディアックの上空を通過するのは、ほんの数秒しかかからなかった。対空
兵器が心配だったが、銃弾が浴びせられることもなければ、警報が響き渡ること
もなかった。
一目見ただけで、先日の偵察とは異なるものがいくつか判別できた。構造物が
4、5個増え、周辺の整備が進んでいる。監視塔も一つ増設されていた。
しかし、もっとも大きな違いは、車輌集積エリアに並んでいた車輌群がほとん
ど消えていることだった。
「もう一度!」リエは叫んだ。パウレンはうなずき、きれいな放物線を描いて旋
回すると、再び上空を飛んだ。
まだ日は高いというのに、兵士たちの姿が見えない。もちろん、監視塔には兵
士が配置されているし、何人かは建物の近くで、何かの作業をしている。だが、
駐留しているはずの一個師団----2000人の兵士が見あたらないのだ。
もちろん兵舎の中にいる、という可能性はあるが、まともな指揮官なら、こん
な天気のよい日に、兵士たちを休ませておくことなど絶対にしないだろう。練度
を高め、アンストゥル・セヴァルティに慣れさせるチャンスだというのに。たま
たま、昼食の時間にあたったとしても、敵地----統合軍では、完全に確保されて
いないエリアは敵地とみなし、臨戦態勢が解かれることはない----において、全
部隊が一斉に食事を取るなどありえない。
可能性はただひとつ。出撃しているのだ。
リエがそう言うと、赤毛の魔法使いは顔をしかめた。
「しかし、どこを通っているのだ?」
どこへ、という問いを、パウレンが省略した理由は明らかだった。統合軍の目
指す場所は、今のところネイガーベンしかあり得ない。だが、ガーディアックか
らネイガーベンに至る街道は、厳重に監視されているから、統合軍がそこを通れ
ば、リエたちが偵察に出るまでもなく、動きがわかったにちがいない。
「街道ではないはずね」
「だが、他に道はないぞ」
リエはガーディアックの周辺をぐるりと見渡した。ガーディアックは広大なロ
キスティ大森林の中に埋まった村であり、外界との唯一の接触の手段は、北西を
走る街道しかない。東と南は、いくつもの小高い丘が連なる森林であり、ここを
全て監視することなど不可能に近いが、大量の兵員と車輌を行軍させることも、
また不可能に近い。統合軍は、詩的な理由と散文的な理由から、部隊に損害を出
すことを極端に嫌う傾向がある。深い森の中を強引に進軍すれば、戦闘に入る前
に無視できない死傷者が続出することになるだろう。
一方、街道を挟んだ北には、かなり高い山がそびえている。ロキス・クパティ
山という名を持っていて、パウレンが住んでいた家は、この山のふもと近くにあ
る。リエたちがネイガーベンにやってくるとき通ったのも、この山の中の道だっ
たから、統合軍が進軍に使えないことはないが、それは訓練を積んだ兵員が、優
秀な道案内を得たときに限ってのことだ。トートがいなければ、リエたちも山の
中で右往左往することになったにちがいない。
フルホイール可変駆動車輌なら走破できるだろうが、制御装置の信頼性が急激
に落ちる状況では、運転するのは自殺行為に等しいし、そもそもリエが目撃した
車輌は、整備された道路の上を走るように設計されているものがほとんどだった。
一体、一個師団----2000名の侵略軍はどこに消えてしまったのだろう。リ
エは困惑して、もう一度周囲を見回した。
そのとき、パウレンが奇妙な言葉を口にした。
「山がおかしい」