#4904/5495 長編
★タイトル (VBN ) 99/ 8/12 3:28 (193)
馬鹿者の罠(3) 時 貴斗
★内容
未知なるもの
どうして他の調査官はこの事を書かなかったのだろう。天下は、ヴァ
ンスが言ったことが気になった。それともあんなことを考えるのはヴァ
ンスだけだろうか。
天下は、第二地区のはずれに向かって歩いていた。科学者パディーデ
ィ・ロックフォードに会うためだ。
今度は天下自身がアポイントメントをとった。電話の向こうで陽気な
声が言った。「それじゃあ、第二地区のはずれに来て下さい。いいものを
お見せしますよ」、と。
送られてきたFAXを見ながら、小高い丘をのぼっていく。どうして、
自宅でも、オフィスでもなく、こんな野外なのだろうか。
その理由は、のぼりきった時に分かった。大きな穴が、パックリと口
を開けていたからだ。見せたいものというのは、これのことか。
狭い丘の頂上には、直径3メートル程度の穴があった。穴の周りは鎖
の柵で囲まれている。この穴は一体なんだろう? 天下は、柵につかま
り注意深く穴をのぞきこんだ。何かが変だ。しかし一体何が変なのか、
すぐには分からなかった。どこが変なのかやっと分かった時、天下はぎ
ょっとした。真っ暗なのだ。穴が真っ暗だとどうして変なのか。普通、
穴というのはある程度の深さまでは、日光が差し込んでいるはずである。
ところがこれは、まるで墨汁を満たした池であるかのように、真っ黒な
のだ。
「やあ、こんにちは」
いきなり背後からかけられた声に、天下はびくっとして振り向いた。
「几帳面な方のようですね。きっかり二時です」
青年はにっこりと微笑んで、腕時計を指でこつこつとたたいた。ほり
が深い顔立ちはインド人のようでいて、それほど色濃くはない。名前か
らしてハーフか、クウォーターだろうか。
「でもあなたも二時に現れましたよ」
「いえいえ、僕は少し早く来てしまって、その辺ぶらついていたんです
よ」青年はおどけた調子で肩をすくめてみせた。「どうです、この穴。ど
こか奇妙な所に気がつきませんでした?」
「ええ。日光が入射していない。まるで黒い絨毯が敷いてあるようだ」
「じゃあ、手はまだ突っ込んでないんですか」
えっ? と、声には出さずに口だけそういう形にした。
「見てて下さい」
青年はいきなりかがみこんで、鎖の間から手を通して穴の中に手を入
れた。
「あっ」天下は目をむいた。
青年の腕は、まるで水の中にひたしたかのように、折れ曲がって見え
た。それでいてさざ波一つたてていない。
「あきらかに空気とは屈折率が違います。でも液体じゃありませんよ。
ほら」
青年はかき混ぜるようにくるくると腕を回した。しかし中がかき乱れ
る様子はない。しかも不思議なことに、穴はふちまで真っ暗なのに、腕
ははっきりと見えているのだ。ぼやけるでもなく、色が変わるでもなく、
ただ単に折れ曲がって見えるのだ。
「どうです、あなたも」
天下もかがみこんで、穴の中にそっと手を入れた。指先から徐々に折
れ曲がって入っていく。しかし、何かの感触を得ることはできない。熱
くも、冷たくもない。ただ地上0センチのところで、腕の角度が変わっ
ているのだ。天下は薄気味悪くなって腕をひっこめた。
立ち上がると、青年は手を差し出してきた。
「申し遅れました。原子物理学者のパディーディ・ロックフォードです。
大学で先生をやっています」
天下は青年の手を握った。
「調査官の天下鏡二です。ロックフォードさんはクフ国立大学の教授だ
そうですね。25歳で教授になったんだとか。異例の出世スピードです
ね」
「ははあ、私を選ばれたのはそのせいですか。でもここじゃそんなのは
ごまんといますよ。みんな若くして天才の名を欲しいままにしたような
連中ですから。そのかわり、天才なもんだから早死にするやつが多いで
す。この星の世代交代は早いですよ」
「ところで、これは一体、どうなっているんです?」天下は穴を指差し
た。
「分かりません。一切の調査が、禁じられているんです」
「なぜです。今ちょっと見ただけで、ずいぶんと変わった穴だというこ
とが分かるのに。なぜ調査してはいけないんですか」
「古いしきたりがあるんですよ。セトの未知なるものには触れてはなら
ない。この穴に対してもそうです。どうしても調べたければ中に飛び込
め、それだけが唯一の調査方法です」
「ずいぶんと乱暴な。それにしちゃあ防備が甘いですね。これじゃあ誰
でも入れるでしょうに」
天下は鉄の棒を立てて鎖をつないだだけの柵をみつめた。腰くらいの
高さしかない。棒にも鎖にも赤さびがついている。
「ああ、ちょくちょく神父が見回りに来るんですよ。見つかるとこの星、
追い出されます」
天下は青年がながめる先を見た。丘のふもとに小さな白い教会が建っ
ている。
「でも私も神父の目を盗んで、音響ソナーで深さを測ったことがありま
すよ。しかし音波は帰ってきませんでした。とんでもなく深い穴です」
「さっき手を入れたのもだめなんですか」
「だめです。もし隠しカメラでもあったら、天下さんには即お帰り願う
ことになります」
天下は慌てて周りを見回した。
「ハハハ、大丈夫ですよ。こんな事くらいだったらしょっちゅうやって
ます」
「古いしきたりというのは何です。法律のようなもんですか」
「いや、法律とは別に、しきたりがあるんです。地球からセトへの移民
が始まった時に、ちょっとした混乱がありましてね、ええ。何しろみん
な、個性の強い人間ばかりですから。そこで、宗教と政治の両方に明る
いやつが、しきたりを作ったんですよ。争ってはならない、うやまわな
くてはならない、ってね。教祖様っていうんですかね。CはSをさげす
んではならない。ああ、廊下を走ってはならない、なんて校則みたいな
のもありました。どこの廊下のことだか」
青年はまゆをしかめて首をふった。
「今は教会が、しきたりを守らせています。このしきたりというやつに
はいいかげん頭にきてるんですよ。僕も物理学者のはしくれです。未知
なるものがあったら、調べたい」穴の方をじっとみつめる。「この穴、い
つかは調べてみせますよ。神父の目を盗んで」
「いや、それはよくない。しきたりがあるのなら、守るべきです。もし
どうしてもとおっしゃるなら、やはり飛び込むしか……」
あっ、と思った。天下は何か、ひどくまずいことを言ったような気が
した。
絵画の天才
天下はぎらぎらとオシリスの強い日差しが照りつける中を歩いていた。
左右に延々と平野が広がり、短い草が囲む中を小道がずっと遠くまで続
いている。
考えてみれば楽な仕事だ。1日1人、1ヵ月かけて30人を訪問すれ
ばいい。余った時間は好きなように使っていいのだ。好きな読書に費や
そうが、歓楽街に出向こうが、勝手気ままだ。こんなふうに開拓された
星はいい。たいていの星は未開拓だ。血清が開発されていない毒を持っ
た植物や、人肉を食らう未知の生物の影におびえながら調査を進めなけ
ればならない。
それでも……。天下は空を見上げた。この猛烈な日差しは五十近い男
の身にはこたえる。
ようやく目指す家が見えてきた。大きな1階にかわいらしい2階をの
っけた、赤レンガ造りの童話に出てきそうな家、それが天才画家イエー
ガー氏の住まいだ。
ハンカチで顔の汗をぬぐいつつ、やっとたどり着いたチョコレート色
のドアの横の、青銅製のライオンの顔の鼻の頭を押す。荘厳な音が鳴り
響いて、「はあい、どなた」という女性の声が聞こえた。ドアが開いて、
ぷっくりとした、紫色の花柄をあしらったドレスを着たお婆さんが現れ
た。
「こんにちは。昨日お電話しました調査官の天下というものです」
「あらあら、まあ」
にこやかな目がしわの中に隠れそうなお婆さんは、玄関のすぐ脇にあ
る階段の上を見上げた。
「フリッツ。フリーッツ! お客様よ!」
少し間があって、痩せ細った爺さんがひょこひょこと階段から降りて
来た。黄色い半袖シャツの上に茶色いチョッキを羽織り、頭にちょこん
と茶色のベレー帽をのっけている。作業用のズボンも、上着も、絵の具
でべとべとだ。
「やあ、どうもどうも」高めの、しわがれた声が言った。
「こんにちは。調査官の天下です。フリッツ・イエーガーさんですか」
「ええ、いかにも。ジェミー、何をしとる。お客さんに上がってもらっ
て。いちごジャムのクッキーがあったろう。それと、紅茶をお出しして」
「いえいえ、おかまいなく」
さあさあ、どうぞどうぞと、イエーガー夫妻は天下を奥へと案内した。
床も天井も壁も木製のその部屋には、いかにも天然の素材をいかしたと
いうような木のテーブルと、椅子が並んでいる。イエーガー氏がこの格
好のまますわるのか、絵の具で汚れている。
「どうぞ、召し上がれ」
しばらくして、お婆さんが形が不揃いのクッキーと、ドーナツと、紅
茶を運んできた。深い香りはアールグレイだ。
「女房のお手製です。こんなことしかやることがありませんでな」
天下はジャムののったクッキーをぽいと口の中に放りこんだ。本当は
おいしいのだろうが、なにしろのどが乾いているので粉っぽいだけだ。
おまけに唾液と混ざると歯にまとわりつく。香り高い紅茶を飲む。熱い。
こういう時は、日本人の感覚ではビールに枝豆でもほしいところだが、
そうも言えない。
天下は壁にかかった絵をながめた。ここへ来る途中に見た短い草が生
い茂る平原だ。空には暗雲がたちこめ、いまにも雷が鳴りそうな雰囲気
だ。それだけならどうということもないのだが、絵の真中に黄色の円錐
が、底面をややこちらに向けて浮かんでいる。
「いやあ、素晴らしいですなあ。イエーガーさんの作品でしょ?」と、
天下は言った。
イエーガー氏は、ちらとだけ振り返ってすぐまたドーナツをちぎって
口に放りこんだ。
「あんなのは、たいしたもんじゃありません。政府に買い取ってもらえ
ないから、家に飾っとるんです。落書きですよ」
イエーガー氏は、天下がそれ以上クッキーにも紅茶にも手を出そうと
しないのを見て気を使ったのか、急に立ち上がった。
「二階のを見ますか。売るためのやつがたくさんありますよ」
「ええ、それじゃあ」天下も立ち上がり、老人についていった。
二階に上がると、狭い納屋のような部屋の壁中に絵が飾ってあった。
床もキャンバスだらけだ。白いとげとげを背景に緑色のぐにゃぐにゃし
た水飴のようなものが浮かんでいるもの、幽霊屋敷みたいなのが渦を巻
くようにぐんにゃりと曲がっているもの、どれも天下には理解しがたい
ものばかりだ。
「いや実になんとも……」天下は形容に困った。「不思議な絵ですな」
「こういう類の絵は、うまいんだか下手なんだか分からんもんです。子
供の落書きと変わりゃせん」
意外な言葉に、天下は驚いた。
「でも、イエーガーさんは愛着を持っておられるのでしょう?」
「とんでもない」老人は口をゆがめて首をふった。「これは、売るための
絵です。たまたま最初に評価されたのがこういう類の絵だったんです。
私が本当に描きたいのは、下に飾っていたような絵なんですよ」
天下には、どこが違うのか分からなかった。
「おや、あれは?」
天下は、壁の一隅に、見たことがある風景を描いた絵を見つけた。魚
眼レンズを通して見た景色のようになっているが、昨日の、あの穴だ。
「ああ、あれは地区のはずれにある丘の上の、不思議な穴を描いたもの
です」
「知ってます。昨日ロックフォードさんという方に見せてもらいました」
「あの青年をご存知ですか。丘の上に行くとよくいるが」
天下は、視線を絵からイエーガー氏へと移した。
「するとあなたも、お知り合いで?」
「ええ、ええ。彼はあの穴をこそこそ調べとるようです。しきたりに反
する行為です。私がいくら注意しても、聞く耳持たずですよ」