#4905/5495 長編
★タイトル (VBN ) 99/ 8/12 3:37 (134)
馬鹿者の罠(4) 時 貴斗
★内容
プライド
セト一番の料理の天才に会いに行ってその自慢話の嵐に辟易とした帰
り道、天下は例の穴の近くを通った。ふと見上げると、丘の上で数人の
男達が言い争っているのが見えた。
手を振り回してわめいているのは、パディーディだった。いったいど
うしたのだろう。天下は気になって、丘をのぼっていった。
穴の前で、顔を真っ赤にしたパディーディが薄汚れた布の服を着た二
人の農夫に向かって怒鳴っていた。手にはウイスキーの瓶を握っている。
「Sのくせに! SのくせにCに向かってそんな事を言うのか!」
「Cってのはよっぽどデリケートに出来てんだな。女にふられたぐらい
でこの荒れようだからな」二人のうちの痩せた方がヒッヒッと笑った。
「いったいどうしたんです」天下は割って入った。
「ああ、天下さん。この二人が、僕のことを臆病者だっていうんですよ」
「だってよう、この先生が穴の中に飛び込まないからよう」太った方が
ぼそぼそと言った。
「えっ? なんですって!? 飛び込むわけないじゃないですか。死ん
でしまいますよ」
「いやいや旦那、この先生はおかしなことを言うんですよ。穴に飛び込
むとカフラーに出るんですってさあ」痩せた方が自分の頭を指差してく
るくると回した。
「天下さん、この穴の中の空間は、ひどくねじれてるんです。穴の中を
望遠鏡で見てみれば分かります。小さな光が見えるんですよ」パディー
ディは酒臭い息を吐きながら言った。「僕は計算してみたんです。向こう
側に出られるとして、その正確な位置は南緯24.23度、東経36.
21度、カフラーの第二十一地区です」
「何を言っているんです、ロックフォードさん。どうして穴の向こうが
カフラーなんです」
「天下さんはどうやってこの星に来たんですか? ワープで来たんじゃ
ないんですか? だったらそういうものが自然に存在したとしても、不
思議じゃない」
「だからよう、あんたが証明してみせればいいって言ってるんだよ」痩
せた方が挑発するように言った。「偉そうに言うんならよ、自分が飛び込
んでみせりゃいいのさ。そうしないから臆病者だと言うんだよ」
「Sのくせにっ!」
――CはSをさげすんではならない……
天下はパディーディが言った、“しきたり”を思い出した。
「明日の朝には先生が大ぼらふきだってうわさが、地区中に広まってま
さあ」痩せた農夫はさらに挑発した。
パディーディがウイスキーの瓶に口をつけてぐびぐび飲むのを、天下
は信じられない気持ちでみつめた。
「飛び込んでやる!」青年は怒鳴った。「穴の中がどうなっているのか、
俺が身をもって確かめてやる!」
「ロックフォードさん!!」
天下が駆け出すのは、0.5秒ほど遅すぎた。
「わあああっ」
天下が鎖につかまった時、絶叫しながら落ちていくパディーディの姿
が見えた。だが一瞬あとには、その姿はしゃぼん玉がはじけるように、
ふっと消えてなくなってしまった。
教会にて
「皆さん、亡くなられたパディーディ・ロックフォードさんを信仰をも
って神の御手にゆだねましょう」神父の声が響き渡る。「私達に約束され
た永遠の住まいで、終わることのない安息を受けることができますよう
に。私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
パディーディが言った南緯24.23度、東経36.21度の付近は、
大掛かりな捜索が行われた。しかし、彼が見つかることはなかった。
天下は、葬儀に参列した人々が一人ずつ祭壇に花を供えるのを、ぼん
やりとながめていた。なぜ飛び込んだのか。なぜ、こんなことになった
のか。
「あんたの番だよ」
席に戻ってきた太った婦人につんつんとつつかれて、天下は我にかえ
った。
祭壇に進み、礼をする。献花台にセト特産のフェーベという白い可憐
な花をそっと置き、ゆっくりと下がって、神父と泣きはらしている両親
に礼をした。神父が、天下に向かってささやきかけてきた。
「調査官さん、あの穴には名前がついていませんでしたが、つけること
にしましたよ。『馬鹿者の罠』という名を」
なぜわざわざそんな事を天下に言うのか、分からなかった。なぜそん
な名前なのかも、分からなかった。
出棺のために外に出ると、知った顔が近寄ってきた。画家のイエーガ
ー氏だ。
「こんなことになるんじゃないかと、思っとったんですよ」と、イエー
ガー氏は言った。「前にも一人だけ、あの穴に飛び込んだ男がいますよ。
30年も前のことですが。彼もまた、プライドの高い男じゃったよ」
「その人も挑発にのって、飛び込んだんですか」
「いやいや、細かいのは覚えとりゃしません。しかし穴がどうなってい
るのか知りたがっていたのは同じです。たしか数学者だったが……」
「その人は飛び込んだ後どうなりました?」
「分かりません。でもあんな深い穴だから、助かりゃせんでしょう」イ
エーガー氏は遠くを見つめるような目をした。「この星はプライドが高
いのばかりだから、穴に飛び込むのが増えるかもしれませんな」
プライドが高いために、ちょっとした挑発で飛び込んでしまう。だか
ら馬鹿者の罠か。天才って、それっぽっちのものか? 天下はどうも、
違うような気がした。
馬鹿者の罠
天下は、宇宙船の帰りの便の中にいた。調査官が現地の人間に係わっ
た結果、なにかしら事故が起こったら、ただちに調査を中止し帰還する
のが規則だ。それが調査官のせいであるにせよ、ないにせよ。
馬鹿者の罠(ブービー・トラップ)、か。
仕掛け爆弾、あるいは、触れると爆発する擬装地雷のことだ。第二次
世界大戦で、ドイツ空軍はイギリスにおもちゃや菓子の形をした爆弾を
ばら撒いたという。子供がそれを拾うと爆発する仕掛けだ。
天下は、前の座席の背もたれから引き出した小テーブルの上に並べた、
二つの調査書を読み返していた。左の調査書には、事実がそのまま書き
連ねてある。ヴァンスのこと、パディーディのこと。
右の方には、セトの美しい景観やうまい料理のことばかり書いてある。
調査を中止した理由は書かなければならないから、パディーディのこと
は単に穴の中に足をふみはずして落ちたとだけ書いてある。
左の方を提出すれば、あの天才達は解散することになりかねない。
セトは、大量の創造物を期待した実験場だ。そうはいっても彼らの待
遇は地球のそれよりはるかにいいのではないだろうか。ヴァンスの言い
分も分かるが、あの楽園を追放されて、彼らはやっていけるのだろうか。
下手をすると“思想改造”という悲惨な対処をされかねない。
天才とは何だろうか。不断の努力によって培われるものだ。美を極め
ようとすること、真理を追究しようとすること。アインシュタインもピ
カソもベートーベンも、天才であるがゆえに、天才であることの呪縛か
ら逃れられない。究極の美、究極の真理、それは、追究すればするほど
“日常”からかけ離れていく。“普通の人”から見れば、何でそんなもの
のために青春を犠牲にするのか、精神をすり減らすのか、としか思えな
いものかもしれない。微分積分を勉強していったい日常生活の何の役に
たつのか。
人間は、ないものねだりをするものだ。すべての真理を知りたい。い
や、すべてでなくていい。空はどうして青いのか、宇宙の果てはどうな
っているのか。そんなことを知らなくても、蟻や蝶は生きている。いや
いや、人間は蟻や蝶とは違うのだ。人間は巨大な脳を持った時点で、“知
る権利”を得たのだ。だが本当にそうなのか。人間様もまた、結局は無
知蒙昧で終わるのではないか。「空気とは何か、答えてみよ」と言われた
ら、人間様のできることといったら、紙に大量の化学式を書き連ねてみ
せるくらいのことだろう。だが天才は、これを欲しがるのだ。紙の上の
化学式ではない、“空気の答”を。
そんな彼らがあの穴を見たら……。
右の調査書を提出すれば、政府はあの穴を埋めろという強制命令だけ
は出すだろう。もっとも底無しだから、蓋でもかぶせるのだろうが。
天下は左の調査書をびりびりと引き裂いて、前の席の背もたれのごみ
吸引口に吸いこませた。
<了>