#4889/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/ 7/31 10:12 (200)
そばにいるだけで 38−3 寺嶋公香
★内容
「かわいそう……?」
「もう外は暗いですよね。そうまでして、もし久住淳に会いたくて来てくれた
のなら、ちゃんとしてあげたいんです。話は無理でも、姿を見せるぐらい」
大人二人は難しい顔をした。小さな声で相談を始める。騒ぎを起こすのはま
ずい、いや十人足らずなら静かなまま収められるかも、通行人に拡大する恐れ
なきにしもあらず、等々。
「とにかく、着替え始めて」
言われて、純子は帰る準備に取りかかった。かつらを外すことなく、メイク
をきれいに落とす。元々ほとんど化粧していないから、これは楽に済む。服の
方がよほど重要だ。来るときと同じ服装になるのだが、当然スカートなんて履
けるはずもなく、ポロシャツにジーパン。しかも万一に備えて、上半身の肌着
はブラにタンクトップを重ね着。ポロシャツも透けることのない厚手で色の濃
い物を選んでおいた。
「終わりました」
そう言った純子に、どこから調達してきたのか、眼鏡と帽子が差し出された。
ノンフレームの、かすかに色の着いた眼鏡と、唾の大きな野球帽だった。
「かつらをずらさないように、慎重に被るのよ」
「ということは、この格好で出ていいんですね」
純子は喜ぶのも束の間、市川達の気が変わらない内にと、手早く眼鏡を掛け、
帽子を被った。外見を鏡でチェック。問題なし!
「自分から相手にはしないように。気付かれたときだけ。いい? もし触られ
そうになったら走ること」
強く念押しされた。番組収録とは違った意味で、緊張してくる。
部屋を出ると鷲宇達と合流して、堂々と正面玄関から出て行くことになった。
受付カウンター横を通り過ぎる。自動ドアの外に人影が見えた。外からは中
がよく見えない構造になっており、気付いた素振りは今のところない。
「あれがみんな鷲宇さんのファンならいいんだけど」
「そんなことはないだろうね」
鼻にのっける形でサングラスをした鷲宇が、外の様子を観察しつつ言った。
「今日を逃せば、生の久住淳を拝める機会はないかもしれないんだ。間違いな
く、君がお目当てさ」
「うーん、恐くなってきた」
語尾の「わ」を飲み込み、覚悟を決めた純子。
入所許可証の手続きを終えて、いよいよ外へ。自動ドアが左右に開き、機械
音が夜の空気に響く。
人影の頭が一斉に振り返るのが見て取れた。
来たわ!という叫びが聞こえた。と思う間もなく、取り囲まれる。何人分も
の足音で大地が揺れたような気がした。
鷲宇の名を呼ぶ黄色い声もあったが、それを上回る別の声援。
(本当に久住淳のファンなんだわ)
片手で口元を覆う純子。つい出てしまった女性っぽい仕種に、市川から肘を
当てての警告が来た。
手を下ろし、改めて状況把握に努める。「久住くーん!」や「淳!」と呼ば
れると、思わず返事してしまいそう。目の前に突き付けられるのは、きれいに
ラッピングされた小箱。プレゼントらしい。その他にも、握手やサインを求め
られていると分かった。
純子は市川や相羽の母に、目で尋ねた。
素早く済ませてという了解を得てから、差し出される色紙とペンを受け取る。
「ありがとう、応援してくれて」
多少、かすれ気味の声でお礼を述べる純子。サインの方は練習の甲斐あって、
さらさらと書き上げていく。
握手のとき、「きれいな手をしてますね」と言われたのには焦った。まさか
これだけでばれるはずないが、心臓によくない。これ以後、真正面から顔を見
られないようにと、うつ向きがちになる。
そして七人目か八人目のとき、今夜最も心臓によくない体験をした。
「これ、受け取ってください」
花束を渡してきた少女の声を、純子は聞きとがめた。
百合や水仙を中心とした白い花束を受け取りつつ、目だけ動かして相手を確
認する。そして、背筋がびくりとなった。
(嘘、白沼さん!)
明かりに乏しかったが、間違いない。白沼が目の前にいる。ワインレッドの
ワンピース姿、ハイヒールを履いていた。
「どうかなさいました?」
久住淳の態度を不審に感じたのか、白沼は小首を傾げて聞いてきた。
純子はまたうつむいて、「いえ、何でもありません」とことさら低い声で答
える。内心、「何でもない」どころではないのだが。
(どうして来てるのよ〜。久住淳なんか嫌いだって言ってたじゃない! だい
たい、どうやって調べたのかしら? ああ、早く済ませなきゃ、ばれるっ)
純子の懸念とは反対に、白沼に気付く様子は全くない。暗いのが純子にとっ
て幸いしたようだ。
「頑張ってください。久住さんの歌、大好きです」
純子が聞いたこともないようなかわいらしい、柔らかな声で、白沼が言う。
表情も優しげで、とびきりの笑顔をたたえている。
「あ、ありがとう」
「サイン、お願いしますね。図々しいんですけど、二枚」
純子は花束を抱えていることを利用して、顔を隠すように努力した。震えの
来そうな手をどうにか落ち着かせ、ことさら丁寧にサインを綴る。
「一枚は、白沼絵里佳へ、と名前を入れてください」
純子はうなずき、自らのサインの横に、続けて書こうとした。と、そこへ早
口の台詞が差し挟まれる。
「どういう字を書くのかな、お嬢ちゃん?」
市川だった。
(あ。いけない! 知ってるつもりで書こうとしてたわ!)
反省すると同時に、冷や汗を感じる純子。市川が勘よく察してくれなかった
ら、何の抵抗もなしに書いてしまっていた。
白沼の口から語られた字の説明を復唱し、純子はゆっくりと書いた。自分の
普段の字の癖を消し、しかもきれいに書かなければいけない。なんて疲れるん
だろう!
「これでいい?」
「はい、もちろん! ありがとうございました」
色紙を確かめ、嬉しそうに胸に抱く白沼。
純子はまだ安心できなくて、おかげで次の人への応対が遅れてしまった。
その動揺は隠せるものでなく、車に乗り込むや否や、市川が聞いてきた。い
つになく激しい剣幕だ。
「どうしたの、様子がおかしかったわよ。もっと考えて、慎重に行動してくれ
ないと困るわ。この調子だと、今日みたいな特例は認められない」
「すみません」
純子が答えた直後、相羽の母が援護に回ってくれた。
「純子ちゃんのクラスメートが来ていたのよ。動揺するのも無理ないわ」
「ええ? 本当?」
市川の口調が変わる。憑き物が落ちたみたいに、素っ頓狂なまでに甲高い声
になっていた。それもすぐ収まり、納得できたようにうなずいた。
「それなら仕方ない面あるわね。それより、気付かれないようにしてよ」
「大丈夫です。さっきは暗かったし。もし気付いてたらきっと怒り出すだろう
な、白沼さん」
純子の返事に、市川は眉を寄せた。
「やっぱり女の子なのね。久住の大ファンなんてことないでしょうね。何度も
顔を合わせるようなことになると、ばれるかもしれないわ」
「はい、大ファンなんてことはないはず……多分」
それにしては白沼が今夜わざわざ現れたのが分からない。そんな不安が脳裏
をかすめた。
(張り合ってるのかなあ。何も久住淳を選ばなくてもいいのに、ねえ)
不安と憂鬱な気持ちが広がるのを、鷲宇の誉め言葉が救ってくれた。
「練習以上のものが出たね。最高だった。ご褒美に、食事に招待しようと思う
んだが、どうかな」
久住淳テレビ初出演の翌日は、朝から白沼の目が気になってならなかった。
(ばれてない、疑われてないと思うんだけれど、一応、用心しなくちゃ)
放映はまだ先だから、現時点では白沼一人を注意していればいいだろう。と
りあえずはなるたけ顔を合わせるのを避けなくては。
そういう考えを頭の中でまとめて、教室に入った。
「あ、来たわね」
途端に、当の白沼が振り返って席を立ち、近寄ってきたものだから、純子は
思わず腕で顔を隠してしまった。
(な、何、いきなり?)
戸惑う間にも、白沼は正面、すぐそばまでやって来て立ち止まった。
「ねえ、涼原さん」
「お、おはよう、白沼さん」
それだけ言って、自分の席に向かう純子。白沼は「おはよ」と返したあと、
一瞬遅れて追いかけてきた。
「ちょっと、何をそんな逃げるようにするのよ」
「え、そんなことないって。あは」
振り向かずに応じ、笑ってごまかそうとするが、声が不自然な響きを伴って
しまう。着席するなり、学生鞄から教科書を出す動作に紛れてずっとうつむい
ているが、それもやがて限界が来そうだ。
「もう、こっちを見なさいってば」
白沼は半ば強引に、純子の視界へ割って入った。その手には一枚の色紙がや
わらかく挟まれている。
「どう? 凄いでしょう?」
誇らしげな響きがあった。見下すような視線で――事実、今、白沼の目は高
い位置にあるのだが――純子の反応を待っている。
もちろん、純子にはすぐ分かった。久住淳のサインだ。弾みでそのことを口
にしそうになったが、危ういところで言葉を飲み込んだ。
「……サインだよね? 誰の?」
「読めるでしょうが」
そう言ったにも関わらず、白沼は一文字ずつ指差しながら、久・住・淳、と
答えた。そして再び、自慢げに胸を張る。
(白沼さんたら、やっぱり、これがしたくてわざわざ出待ちしていたのね)
何だか微笑ましくなってしまった。色紙から目線を外すと、口元に手を当て
てくすくす笑った純子。
「何かおかしいかしら」
「ううん。ただ、ちょっとびっくりしたから。白沼さん、芸能人にあまり興味
なさそうなこと言ってたのに」
「いいのよ。久住淳は別格。表に出たがらないのがストイックで気に入ったの。
私が芸能人好きになったら悪い?」
「そんなことない、ない。人それぞれ」
苦笑いを浮かべながら首を振る純子。ひとまず警戒する必要はなくなったと
分かり、心底ほっとした。
「それより、凄いね。その出たがらない久住淳のサインを手に入れるなんて。
一体、どうやったの?」
言ってから、心がとても痛んだ。透明な矢で射抜かれたよう。身を乗り出す
風にして興味津々の態度を作りながら、声の調子が白々しくならないように気
を付ける自分がいる。
白沼はまるで手柄を語るかのように、とうとうと話し始めた。
(ごめんなさい、白沼さん。みんなにも)
精神的に頭を下げる。
「あなたもほしいんじゃなくて? 何しろ、久住淳のディスクに鷲宇憲親のサ
インをもらうぐらいなんだし」
白沼の微笑混じりの問い掛けに、純子は暫時、口ごもった。何て答えればい
いのだろう。
答えかねている内に、先に白沼の方が口を開いた。
「あれってやっぱり、久住淳のがほしかったけれど手に入らないから、鷲宇で
間に合わせたのかしら」
「違うっ。それは違うわ」
まったく考えていないことを言われ、純子は否定した。不自然なぐらい強い
調子で。それが白沼を誤解させたらしい。
「ふうん、そう。こういうことになると、ひねくれてるわね」
「何のこと?」
「本心ではほしいのに、意地を張ってる……そうじゃなくて?」
「あの」
純子は否定を重ねようとした。だが、その思いは途中で消えてしまった。何
だか馬鹿馬鹿しくなってきたのだ。
(むきになって説明することじゃない。下手に喋ってぼろを出したら、元も子
もないんだから)
自らに言い聞かせてから、純子は静かな調子で答えた。
「白沼さん、あなたがそう思うなら、それでいい」
「……素直なのかそうでないのか、分かんなくなったわ」
白沼は言い置くと、色紙を大事そうに抱えて行ってしまった。
純子は、口喧嘩めいた形になったのは残念だったけれども、反面、ほっとし
てもいた。只今は何を置いても、正体を隠し通すことが第一。
「純子ちゃん」
鞄の中に手を入れた時点で、相羽が後方からこっそり話し掛けてきた。
「はい?」
「さっきの、見てたんだけど……昨日、白沼さんが来たんだね?」
一層潜めた声になる相羽。純子はそちらへ顔を近付けつつ、返事した。
「うん。あれ? おばさまから聞いてない?」
「僕、昨日は早くに寝たから。それで、白沼さんには……」
「大丈夫よ。気付かれてない。会ったときは暗かったし」
――つづく