#4865/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/ 6/30 14:46 (200)
そばにいるだけで 37−5 寺嶋公香
★内容
「ば、ばか! 何言ってんの!」
それまではぼそぼそしていてひどく聞き取りにくかったが、いきなりあから
さまにされて、純子は叫び返した。
それを上回る音量で、「えー? まじ?」という声が他の男子から起きる。
「違ーう!」
「嘘言うなよ。触ったとき、身をよじってたじゃん」
清水の笑い混じりの発言に、純子はぶるぶると首を振った。ポニーテールが
弾む。
「そっちこそ嘘ばっかり! あれはねえ、びっくりしたのとくすぐったかかっ
ただけ! 小五の体育のとき、準備運動で倒立してたら、いきなり触ってきた
んじゃないのよっ!」
事情を知らない者に誤解されてはたまらないと、一気に喋った。喋り終わる
と、呼吸を荒くしながら急に恥ずかしさを感じ出す。顔が赤くなるのが嫌でも
自覚できた。
「そういうことか」
清水の近くで別の男子が安心したような、がっかりしたような嘆息をしてい
た。それを受けて清水は、
「だってなあ、真ん前に見えてたんだもんな。こう、体操服がめくれて」
と、当時の解説を始める始末。
「そのあと、ブリッジのときに同じことやったら、やっぱりきゃあきゃあ言っ
て喜んで」
「喜んでなんかない! ばか、エッチ!」
純子は我慢していた。けれども、それも限界が来そう。
「――早くけり着けよう」
いつの間にかそっと近寄ってきた相羽が、そう耳打ちした。
「う……うん」
頬をまだ赤らめたままうなずく純子。その次に相羽の顔を見る。普段通りの、
どこかぼんやりしているけれども優しげな表情があった。
「いいよ」
純子が言うと、場の騒ぎが収まった。
左右の足を心持ち前後にずらして立ち、手を後ろに組む。胸を若干反らし、
それでも斜め前の床を見つめたまま。
「相羽君。いいよ。あの……正確に十秒だけだからね」
「……っ」
何かつぶやいた相羽。舌打ちだったかもしれない。
ほんの五秒くらい、目をきょときょと、しょぼしょぼさせて迷っているよう
に見えた。
そしておもむろに右腕を肩の高さに上げ、純子の方へ少し歩を進める。
(来た)
相羽の手が近付く。
純子は目をきつく瞑った。身体のあらゆる箇所が強張ったような気がする。
(十秒だけ。ちゃんと数えてよ)
間が空く。
耳に届く皆の声が、ひそひそしたものからざわざわしたものに変わる。
目を閉じて覚悟を決めてから、三十秒ほどが過ぎていた。
「涼原さん」
「……?」
右目だけ開けた純子。続いて左も。
相羽の右手は小指の側を下に向けて、半開きのような格好のまま宙で止まっ
ていた。
(ど、どうしたの)
声にはならず、赤ん坊に言葉を教えるときみたいに口を動かす純子。
無表情の相羽は、ちょっぴり頬にしわを寄せた。
「握手してください」
「え」
頭では分かっていないが、手が自然に前へ出た。相羽は唖然とするギャラリ
ーに向かって「誰か時間を計ってて」と頼むと、純子の手を取った。
「あー、よかっタ。この手に触れることが夢でしタ」
冗談口調溢れる妙なアクセントで言い、握手した手をオーバーに上下に振る。
「あ相羽君……」
空いている左手で口元を覆っていたから、くぐもった声になってしまった。
相羽は純子の呼び掛けには応じず、再度、周囲に目をやった。
「十秒経った? 言ってくれないと、ずっとこのままだぜ!」
「あ。えーと、多分、十秒過ぎた」
大谷が真っ正直に言うと、相羽は純子の手を離した。
「どーもありがとー、涼原さん。大変な罰ゲーム――いてっ」
言い終わらぬ内に、唐沢達男子がやって来て、相羽を寄ってたかって袋叩き
にする真似を始めた。
「期待させやがって、このぉ!」
「格好つけないで、欲望のまま生きろよ〜」
新たにできた人の輪が、純子からどんどん遠ざかっていく。
「ててて、やめろって。あー、ったく、あの状況じゃたとえしたくてもできる
かよ!」
相羽は笑みをこぼしながら逃げ回っていた。
女子一同はと言えば、拍子抜けしたような、ほっとしたような、とにかく安
堵の雰囲気に包まれている。相羽のことをいいと思っている者が多いだけに、
今の相羽の選択に好感を持ったのかもしれない。
「涼原さん、よかったわ。一時はどうなるかと思ったけれど」
前田が駆け寄ってきて、後ろから純子の背をぽんと叩く。
握手の格好だけ続けていた純子は、急に頽れてしまった。足を斜めに流して
へたり込む。前田や遠野が慌てたような短い叫びとともに、すぐさましゃがん
できた。
「ど、どうしたの?」
「こ……」
声を発するのにも一苦労だ。久しぶりに喋った気持ちになる。
「こ?」
「……腰が抜けたみたい」
前田と遠野は純子を見つめていた視線を互いに合わせ、きょとんとした。
「大丈夫?」
「え、うん。力が……全身の力が抜けて、ふにゃあって」
純子は両手を後方について、大きく深呼吸した。胸が上下して、徐々に落ち
着いてくる。
「何だかんだ言って、緊張してたんだ?」
「と思う。あいつったら……握手ですませるなら、最初からそう言ってくれれ
ばよかったのに」
憎まれ口を装って言い、相羽の方を見た。さすがに“太鼓の乱れ打ち状態”
は脱しており、へたり込んであぐらをかき、他の男子と指さし合って何やら会
話している姿があった。
「握手にするっていきなり言ってたら、こんな風には収まらなかったんじゃな
いかな」
とは前田の弁。言われなくても、純子には分かっていること。右手をさすり
ながら、心の中で「ありがとうね」と唱えた。
「それにしても、自覚が乏しいんだから」
そう言うと前田は純子に人差し指を突き付けた。
「私?」
「ええ、そうよ。気安く触らせるのをOKしないの」
前田のあとに続き、遠野も同調した。
「私もそう思う。それに涼原さんは芸能活動を始めてるんだから、普通以上に
身体を大事にしなくちゃいけない」
「そ、それは関係ないと思うけれど」
苦笑を浮かべる内に、全身に力も戻って来た。すっくと元気よく立ち上がる。
「よっし。安心したら喉乾いちゃったな」
レモンティを飲み終わったあと、空き缶を捨てに再び廊下に出た純子はその
帰りしな、公衆電話のコーナーを通りかかった。
四つ並ぶ電話機だが、利用者は一人だけ。
そう認識し、行き過ぎてから、はたと気が付く。
(今の、相羽君だ)
電話をしていた後ろ姿に見覚えがあった。
足音静かに駆け戻ると、果たしてそうだった。
(――さっきのお礼がしたい)
不意に思い立ったわけでなく、罰ゲームが終わった直後からずっと考えてい
たこと。今日の内に感謝の気持ちを伝えたければ、チャンスは今しかない。こ
のあとは男女別の部屋に別れて、眠るだけだから。
純子は少し離れた位置にある壁際の椅子に座り、待つことにした。両頬杖を
太股の上に突いて、ゆらゆら頭を揺らしながら相羽の背中を見つめる。
その内、会話が断片的に聞こえ出した。もちろん、盗み聞きするつもりはな
かった。
「うん――うん――。当然だよ。母さんの方こそ」
(相羽君、お母さんと話してるんだわ)
当たり前と言えば当たり前かもしれない。だけど、純子は自然と微笑してい
た。手の平の上の顔が、絵本のお日様みたいににこにこする。
「そう。前に見たときと全然違っててね。――え、純子ちゃん?」
ふうん、今日回ったどこかに昔来たことあるのかしら。のんきにそんなこと
を考えていた純子は、名前を突然呼ばれてびくりとした。頬杖をやめて、背筋
を伸ばす。膝上に両手を置き、今度は本当に耳を澄ませた。
「急に話が変わるから、何だと思ったら……」
相羽の声は一段と小さくなっている。
「うん。決まってるよ。元気元気。レッスン? 知らないよ、そこまでは。で
も元気なのは間違いないから。肌も健康的」
レッスンと言うからには自分のことに間違いないと確信した純子。
(おばさま、気に掛けてくれてるんだわ。……それにしても、肌も健康的だな
んて、そんな細かいところまで見てるのかしら。信じられないなぁ。口から出
任せ言っちゃって)
純子がそんな感想を抱く先で、相羽は最後に「おやすみなさい」と言って電
話を切った。
財布をズボンのポケットに戻しつつ、振り返る相羽。純子は微笑みかけなが
ら、手を小さく振った。
「――」
相羽の踵が電話機を置く台の足を蹴った。後ろに人がいるなんて想像もして
なかったに違いない。ましてや話題にした純子がいるとは。
「あは、びっくりした? ごめんなさい、そんなつもりなかったのよ。終わる
のを待ってただけで」
立ち上がると、純子は歩み寄った。とっとっとというスリッパの音がやわら
かく響いた。
「君も電話? 聞かれたくないから空くのを待っていたんだ?」
身体の向きをずらし、譲る仕種をする相羽。
純子は首を振った。すると自らの髪が前に来て、カーテンを作ってしまう。
風呂のあと、ばらしたままだったのを忘れたのだ。
両手でかき分けた髪を後ろでまとめながら、改めて口を開く。
「違うの。話があって」
「――何?」
左右を見渡し、廊下に他に誰もいないと確認すると、相羽は短く聞き返した。
純子はすぐには返事しなかった。椅子を勧めるかどうか考えた。
(長話になるのはまずいし、そんなに長くならないかな)
結局立ったままを選択。
「えっとね」
いざ切り出す段になると、恥ずかしさがぶり返してきた。包み隠した表現は
ないものかあれこれ考えを巡らせるも、最終的にはストレートに言うことに決
める。ただし、あっさりした口調を努める。
「さっきはありがとね」
「さっきって、お礼を言われるようなことしたっけ?」
「だから、さっきはさっき」
純子がウィンクした効果かどうか、相羽は合点が行った風に目でうなずく。
「あんなの当たり前だ」
「――怒んなくていいのに」
「君に怒ったわけじゃないよ」
不満そうな純子の口ぶりに、相羽は慌てた様子で頭を何度も振った。
「ああいう罰ゲーム書いた奴がいるって思い出して、ちょっと腹が立っただけ」
「洒落よ、きっと。私もあのときは突然だったからパニック起こしたけど……。
だからね、握手ですませた相羽君も洒落だって分かってるのかと思ってた」
「……話はこれだけ?」
返事を避けるように天井を見上げる相羽。滅多にこんなことはないのに。
それが純子には気に入らなかった。
(少し困らせてあげる)
「ね、相羽君。あの罰ゲーム、もしもみんなが見てないところでできるんだっ
たら、どうしてた?」
意地悪く笑うと、純子は相羽の顔を覗き込んだ。当然、相羽が顔を赤らめ慌
てる様を想像して。
「何もしないよ。みんなが見てるから、握手だけしたんだ」
ところが相羽は真顔のまま、淡々と答えたのみ。確かに、返事の中身は予想
通りだったが、表情に現れる変化がない。
拍子抜けして、次に、自分がなんてばかな質問をしたんだろうと、純子の目
元に朱が差していく。
「純子ちゃん?」
いつの間にかうつむいてしまっていたようだ。相羽に呼ばれ、面を起こす。
その刹那、よい切り返しが閃いた。
「何もしないってことは、私に魅力がないのね。ショック」
――つづく