#4863/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/ 6/30 14:43 (200)
そばにいるだけで 37−3 寺嶋公香
★内容
石鹸――ボディシャンプーを泡立てたタオルを持ちながら、白沼が言った。
純子は何と応じていいのやら戸惑って、遅れ気味に「ど、どうもありがと」
と答えた。
「思い切りこすっていーい?」
何やら意地悪げな調子で、白沼が耳元に囁いてくる。目の前の鏡にその表情
が映った。
「そ、そっとして」
「うふふふ、慌てたわね。もちろん冗談よ」
鏡を通じて、目でも会話する二人。純子はどきどきする心音が聞かれやしな
いかと、あり得ない心配までしてしまった。
(せ、精神的にきついわ……)
その後、白沼の手つきは丁寧そのもので、純子の背中表面に沿ってタオルを
やわらかく動かしていく。
「あ、あの。あとで交代する。私も白沼さんの背中」
「あら、いいの? ありがと。ところで」
白沼の口調は、鼻歌でも始めそうな上機嫌なものだった。
「列車の中での相羽君の手品、あれはあなたが協力してたんでしょ?」
「え? してないけど」
意表を突かれ、思わず口を開けっ放しにしてしまいそう。白沼は明らかに疑
いの目つきを向けてきた。こする力が若干強くなったかもしれない。
「嘘だわ。してなきゃ、成り立たない」
「そう言われても……私も驚いたんだから」
純子の返事に、鏡を通して今度はまじまじと見返してくる白沼。手の動きが
ストップしていた。それがまた動き始めると同時に、お喋りも再開。
「じゃ、種明かししてもらってきて」
「相羽君、教えてくれないよ。そういう主義なんだから」
「あなたが頼めば教えてくれるんじゃなくって?」
「無理、よ。誰が頼んでも種明かししてくれないってば」
ざわめきに混じって、やり取りが交わされる。短い間のあと、白沼の手が純
子の背中を忍び足で走り抜けるように下方へ移動した。
「――ひゃ」
悲鳴を漏らした純子にかまわず、白沼は洗う範囲を腰から下にも拡大した。
「そっかぁ。あなたでも教えてもらいないのねえ」
「し、白沼さん! あは、お、お尻はしなくていい、いいったら! う、くす
ぐったい!」
我慢できず、とうとう腰掛けから逃げ出す純子。腰を両手で押さえながら、
タイルの床にへたり込む。勢いづいていたせいで、頭のタオルもほどけてきた。
白沼の方は最初、びっくりしていたが、やがてにやっと笑った。
「随分、くすぐったがり屋なのね。脇腹の方も試してみようかしら」
「嫌、遠慮するっ」
「あははは。とにかく、座りなさいよ。まだ洗い流していないんだから」
「でも……」
「もうこそばさないから、安心しなさいって」
そう言われたものの、まだ疑いつつ、純子はゆっくり、探るように元の位置
に戻って背を向けた。そして純子がタオルを巻き直している合間に、白沼はシ
ャワーの湯音を調節し始めた。
「これぐらいがちょうどいいわ」
そう言って純子の背を流し始めた白沼。
「−−っ! あのっ、白沼さん、ぬるいんじゃあ……」
「え、そう?」
純子の声が悲鳴に近いものになのに対し、白沼は冷静そのもの。
「熱くすると、肌に悪いわ。このぐらいの温度がいいのよ」
「そ、そうかなぁ」
「あなたねえ、モデルやってるのなら、もっと自覚持って」
呆れた口ぶりになった白沼。これまでこの話題を口にしたときのような刺々
しさは消えていた。
その内、流れ出る水の勢いが増した。白沼がカランを開いたのだ。
「仕上げに、こうやって肌を刺激する。いい? これくらい常識よ」
「え、何て?」
激しい水音に、しかと聞き取れない。
「……まったく。どうしてこういう人に負けるんだろ。こういう人だからこそ、
かしら」
白沼のつぶやきは、純子に届くことはなかった。
「はい、終わりよ」
言って、純子の肩口を手の平で軽く叩く白沼。痛くはなかったが、ぺしっと
景気のいい音がした。
背中の流しっこが済むと、必然的に純子と白沼は一緒に湯船に浸かることに。
まともに向き合うと、純子の意識は相手の胸元に行ってしまう。だからとい
うわけでもないが、二人は横に並んで座った。
(うーん……横に来ても、やっぱり気になる)
目線を天井へ向けて意識を逸らそうとする純子へ、白沼が話し掛ける。
「私にモデル勤まらないかしら」
「え、それはできると思うけれど」
「そうよね、あなたにできるんだから」
これには純子も苦笑いを浮かべるほかない。当てこすりに近い言い方である
と感じたが、うなずける気持ちもある。
白沼は純子の反応をまるで気にしない風に続けた。
「オーディション受けても通る自信あるんだけど、それだけじゃ意味がないの
よね。相羽君のお母さんと」
途中だったが、純子は心の耳に手を当てた。またこういう話に結び付けるの
ねと、いささか食傷気味だ。
「調理部はどうなの?」
話題が換わった。油断はまだできないが、とりあえず応じる純子。
「もうすぐ二年生に引き継いで、引退だから、最後のメニューをどうしようか
って、色々と意見を出し合っているところよ」
「みんな、さぞかし料理の腕を上げたでしょうね」
「え……まあ、それなりに。あは」
「相羽君まで上手になったら困るわ。手料理を作ってあげて、もしも味で負け
ちゃったら洒落にならない」
どうやら本気で心配しているらしい白沼。
「相羽君、味にうるさいのは紅茶とクッキーだけだから大丈夫だと思うよ。あ
とは何でも食べる。失敗した分まで全部片付けてくれたこともあって」
「ふうん。あぁ、選択を誤ったかしら」
「な、何が?」
「調理部に入った方がよかったかなってこと。特技を優先して茶道部に入るよ
りも……。いっそ、今から調理部に入ったりしてね。涼原さんも途中入部だっ
たんでしょ? 私もそうしようかな」
「私はかまわないけれど、他の人が……特に後輩はいい気がしないと思う」
不安になって、白沼の方へ向き治る。お湯に波が立った。
白沼はその波を受け止めるような仕種のあと、大きく息をついた。
「いやね、ほんの冗談よ。私だって、茶道部の締め括りに忙しくなるんですか
らね。……本当に、ちっとも疑わないんだから」
純子は胸に手を当て安堵した。そして元のように座り直す。
白沼はしばらく考えごとをしていたようだったが、急に思い付いた様子で始
めた。先ほどまでに比べると、声量が落とされている。
「涼原さん。私ね、この旅行中に、相羽君に告白しようと思ってるの」
「……え?」
再び驚かされて、落ち着かなくなってしまった。
そんな純子を無視するかのように、白沼は言葉を重ねていく。
「それであなたにお願いがあるの。いいかしら」
白沼の意図が飲み込めないまま、純子は雰囲気に飲まれてうなずいた。うな
ずいてしまってから、まずかったかもと後悔が生まれる。
取り消すいとまを与えることなく、白沼は早い口調で継ぎ足してきた。
「修学旅行中に、私と相羽君を二人きりにさせて。いいでしょ、これぐらい」
「な……私に頼んでも、どうにもならないんじゃない?」
「いいえ、なるわよ」
にっこりと否定する白沼。
「私達の班の部屋に、相羽君を呼ぶでしょ。同じ調理部の人がいれば、彼、一
人でも来るわよね。そのあとしばらくしたら、あなたと遠野さんがうまい理由
を作って外に出る。それでいいわ」
「……」
「協力してくれたっていいわよね、こ・れ・ぐ・ら・い」
「わ、私一人ならいいとして、他の人のことは……知らない」
必死の思いで返答した純子。
白沼が見据えてくる。表情が真剣だ。そろそろ暑さにのぼせ始めているのだ
ろうか、純子の頭の中はぼーっとしていた。
不意に笑む白沼。
「――また信じたわね」
「はい?」
「全部嘘よ。少なくとも今は、告白なんてするもんですか。まだ早いわ」
「……なぁんだ」
純子は改めてほっとした。今度こそ本当に安心していいのね?と確認したく
なる。全身から力が抜けていく感じだ。
いや、本当に脱力してしまって、姿勢が崩れた。口と鼻が湯に没しそうにな
って、急いで顔を上げる。
「何してるの? そろそろ上がりましょ」
マイペースを保つ白沼は、先に立ち上がった。
純子は再度乱れたタオルを手で押さえつつ、あとを追って湯から身体を抜い
た。タイルの上、滑らないように気を付けて。
食事や入浴が終わったあとは連日、大きな部屋に集まって、みんなで遊ぶこ
とになる。これぞ修学旅行の醍醐味の一つ。
「次、何するー?」「UNO持って来てるよ」「やろうやろう!」「これだけ
の人数カバーできる?」「大丈夫、私も持って来た」「じゃ、しよっか」――
という風な流れで、十五名ほどの人数でカードゲームのUNOをやることにな
ったのだが。
「ストップ。普通にやっても面白くない」
直前になって、唐沢が言い出した。よからぬことを考えていますよと自ら宣
伝するかのように、にやにや笑っている。
「何か賭けないか?」
「賭けるのは反対。そうねえ、よくあるところで罰ゲームでいいじゃない」
白沼が素早い反応を見せた。いつぞやの運動会での苦い記憶が蘇ったのかも
しれない。
瞬時、眉を寄せた唐沢だったが、じきにほぐれた。それどころか白沼のアイ
ディアに乗ってきた。
「いいねえ、それ。いただき。やるんなら、ちょっとばかり変わった罰ゲーム
にしないか」
他の者の賛否を問わず、どんどん進める。まあ、唐沢は女子全般に人気ある
し、白沼だってそこそこ男子にもてるから問題はないだろう。第一、押しの強
いタイプなのだから。
「変わったって、どういう風に」
「何をやるか分かってたらスリルないだろ。最下位が決まってから、そうだな、
くじか何かで罰ゲームが決まることにする。どうよ、これ?」
誇らしげに提案する唐沢。何もそんなに胸を張るようなことでもないと思う
のだが。
罰ゲームは蓋を開けるまでは分からない方法が採られた。つまり、参加者各
人に紙を配り、罰ゲームの内容を書き込む。それを折り畳んで回収し、一つの
袋に入れ、UNOの結果が出たあと引くのだ。
そうしてスタートしたわけだが……純子にとって、座った場所が悪かった。
各自適当に座ったのだから文句は言えないけれど、右に唐沢、左に遠野。
彼ら二人のどこがいけないの?――いけないのである。
「すっずはらさん」
「え」
ゲーム中、唐沢のこの囁きを何度耳にしたことだろう。終盤に差し掛かり、
もはや純子は呼ばれるだけでびくびくするようになっていた。まるで条件反射
である。
「悪いね〜。あとで埋め合わせするから許してちょ」
そう言って唐沢が出したカードは、ワイルドドローフォー。出した者は自分
の望む色を宣言でき、次の順番の人は問答無用で四枚取らされる、いわば「最
凶」のカード。
「またぁ? もうやっとここまで減らしたのに」
一時は両手で抱えるほどあった手札を、やっと五枚に減らしたというのに。
純子は泣く泣く山札から四枚取った。
「唐沢君。色は何?」
隣の遠野が控え目な調子で尋ねる。
唐沢はゲーム参加者の人の輪をぐるりと見渡し、決断した。
「色は……青!」
「あぁ、よかった」
青の0を出し、手元には三枚だけとなった遠野。
「ふぅ。これしかないわ」
その次の白沼が出したのは青のリバース。カードの出す順番がそれまでと逆
回りになる。三枚になったばかりの遠野にまた回るからこそ、白沼は残念そう
に言ったのだろう。
「……」
遠野はしばし沈黙し、純子をちらと見やった。
「まさか」
純子は身体を斜めにして、遠野との間に距離を取ると、相手の顔をまじまじ
と見返した。
――つづく